第3話 思い出の地で

 僅かに涼しい風が吹き始めた。

 空をだいだい色にカラーリングしていた夕日は沈みかけており、地平線から最後の陽光を勇ましく放っている。

 その光景はとても美しく素晴らしいので僕は今日のように嫌なことや失敗したことがあるとよくこうしてここに来ていた。それを見ているとなんだかすごく癒されて気分が少し救われた気分になるから。しかし、最近はそうそう失敗するようなことに挑戦していなかったからここに来ていなかった。久しぶりに見たその神秘的な光景に僅かに癒されながらも、僕の意識は別のところに釘付けになっていた。

「……」

「……あの、す、す、すいませんっ」

 沈みゆく夕日をどこか悲しそうに感じる背中で眺めている女の子。後ろを向いているので顔は分からないけど、髪は金髪のショートカットで、身長は女子の平均といったところで、あくまで純白のワンピースを着ている。

 僕はその女の子から少し距離を取りつつ、そう震える声で話しかけていた。

 しかし、女の子は聞こえていないのかこちらを振り向く気配がない。

「あの……聞こえてますか? ちょっとお話があるんですけど……」

 声がちょっと小さかったのかと思った僕は、かなり恥ずかしかったけど、さっきよりも少しだけ大きな声で言葉を投げかける。おかげで、心臓はバクバクしてもしかして死ぬんじゃないのかと不安になる。もちろん、そんなことになるとは本気では思っていないけど。

 そんな僕の勇気を振り絞った声でさえも聞こえなかったというのか、女の子は反応がない。そのことになんだか悔しくなって、僕はついつい大声を出してしまった。

「あの!」

 声が僕の口から離れていき、夕日を不動明王よろしく固まって眺めていた女の子の背中がピクリと揺れる。

 そうしていかにもスローモーションなスピードで首をこちらに傾けると、女の子の目が大きく見開かれる。くわっという擬音が聞こえてきそうだ。

「こ、こんばんは」

「……」

 僕はとりあえず、挨拶をしてみたんだけど、女の子はなにを推し量るような目で見つめてくるだけだ。全てを見透かすような視線を向けられてドキマギしていた僕はあることに気付いて鼓動がさらに早まる。こちらを見てくる瞳には溢れんばかりの涙が浮かんでいたからだ。目元は赤くはれているし、その表情は目に見えて悲しんでいるように見える。

「……」

 そんな女の子の様子を視認してしまった僕はただ固まることしか出来なかった。コミ障でこういう話題に触れるのが緊張するからではなくて、いや少なからずそれも含まれているがそうでじゃない。人のプライベートシーンを見てしまったことについてだ。女の子は誰も来ないからと考え、ここで何かは分からないけど傷ついた心を癒していたんだろう。そこに僕はあまりにも無遠慮にも足を踏み入れてしまった。

  そのことに気づけずとも、何度も呼びかけても無視していたので気づくことは出来たんじゃないのか? いや、二度も無視されたのだから出来るはずだ。人が無視するという時はそういうことなのだから。まあ、意図的に行われていたのであればどうしようもないんだけど。

 そういうことで、伝えることを伝えてそうそうに立ち去ろう。謝るのも恥ずかしいけど言わないと。

 僕がそう決めて声を出そうとすると……。

「ご」

「君、あたしのことが見えてるの?」

 目元に溜まっている涙を拭いながら女の子はそんなわけの分からないことを言ってきた。あまりにも発言がアレだったので一瞬聞き間違えたのかと思ったけど、こちらを見つめる女の子の表情は真面目そのもの。どこからどう見ても冗談を言っているようには見えない。

 だから、僕もあくまで真面目に答えることにした。

「当たり前じゃないか。見えてるからこそこうして話しかけてるんだよ。なに、君は自分が幽霊だとでも言うの?」

「そ、そんなわけないでしょ。冗談だよ冗談。泣いているところを見られて恥ずかしかったから誤魔化しに聞いてみただけ。忘れて」

「だよね。あはは」

 僕がそうぎこちない笑い声を上げると、女の子も少し笑った。

「まあそれはともかくとして、君ここに何しに来たの?」

 女の子が話題を変えるように聞いてきた。少し言葉を交わしただけで、こんな風にフランクに話しかけてくることに僕はわずかに驚きながらも、どう返答すべきか迷っていた。そのままを開けっぴろげに話すのか、それとも少し改変して話すのかということだ。どうしてそんなことに悩んでいるかといえば、初対面の女の子にすべてを話しても良いものかどうかが分からなかったし、それに女の子自身もなにかに苦しんでいるみたいだったからこれ以上余計なことで心労を増やしたくなかった。

 そんなこんな僕が考え込んでいると、女の子が僕の目の前に手の平を差し出した。

「いや、やっぱりいい。自分の口から言うのは辛いだろうから、あたしがその悩みとやらを見抜いてあげよう!」

「あ、ありがとう……って! な、なんで僕が悩んでるって分かるの!? そんなこと一言も言ってないよね?」

 僕の当然の疑問に対して、女の子はわかりやすいぐらいにギクッとなる。

「そ、それは……っていうか自分で認めてるじゃん」

 確かに。いやいやなに誤魔化そうとしてんの。僕はほだされないぞ。

「そうだけど、それよりも前に君は僕のここに来た理由が分かってたみたいじゃないか。まるで心の中を覗いたみたいに」

 そう自分で言葉を紡いで、はたとある可能性に気づく。覗いたみたいに、そう覗いたみたいに女の子は僕の心の内を言い当てて見せた。ではここで考えてみよう。そういうことが出来る存在はどんなやつ? 

 そう考えて僕に思い当たるのはただひとつ。それはあまりにも馬鹿げている考え。僕がそれを聞いた側なら絶対に腹を抱えて笑うようなそんなもの。でも、今の僕にはそれしか思いつかなかった。それは……

「もしかして君って本当に幽霊だったりするの? いや、こういうことを聞くのは自分でも可笑しいとは思うんだけど、どうなの?」

「そんなわけないでしょ。むしろ聞くけど、こんなに意志もはっきりしていてフランクに話しかけてくる幽霊なんて聞いたことある?」

「いや、ないけど……で、でもさっき君は「あたしのことが見えるのか?」ってそれっぽいこと言ってたじゃないか」

「それはさっきも説明したじゃない。泣いているところを見られて恥ずかしかったから言っただけだって。なに? あれは嘘泣きだったとでもいいたいの?」

「そんなこと言って無いじゃないか。話をズラさないで欲しいんだけど。じゃあ分かった。なんかいろいろとしっくりこないけど、君が幽霊だという考えは撤回するよ」

「そ、そう。意外と物わかりのいい奴だね、君」

 女の子は僕が突然、自分の考えを改めたことに明らかに驚いたような顔をしながらも、とりあえず話がうまくいきそうに感じたのか上機嫌でそんなことを言う。

 しかし、次に放った僕の一言が女の子を片隅に追い込むーーーー

「それならどうして僕の心の内が読めたの? 君が幽霊であれば、その察し能力も頷けるけど、君は違うんだよね? ならどうして分かったのか理論整然に説明して貰えるかな?」

「勘だよ」

 ーーーーはずだった。

 なんか一番出てきちゃダメな答えを迷いもなく言い切った! しかも、ドヤっと言わんばかりのドヤ顔で! ううん、確かにビックリだよ! 唖然的な意味で。

「それのどこが理論整然なんですか……あの、もう少し真面目に」

 僕が心底あきれたようにそう言うと、女の子は不満げに頬を膨らませる。

「むう。あたしは至って真面目だよ。じゃあ逆に説明してみてよ、勘を理論整然と説明して見せてよ」

 女の子はそう挑発的に言葉を紡ぎつつ、その快活そうな顔でにやっと笑う。

「それは……あっ!」

 そして僕はそこであることに気づいて、思わず口から出してしまった。

「なんで初対面の女の子とこんな言い合いしてるの、僕。というか普通に話してるんだけど、なんで?」

 そうどこかうわごとのように呟いた僕に、女の子は首を傾げる。

「知らないよ。でも、どうしてなのかは分かんないんだけど、君とは初めて話したような気がしないんだよね」

「それは僕も同じかな。でも、君と僕は紛れもなく初対面のはずだし、どういうことなんだろう?」

「分かんない。それはそうと、さっきからずっと聞きたかったんだけど」

「え? なに?」

「君の名前だよ。なんていうの?」

 そういえばそうだった。というか名前も知らない相手とあんなことしてたのか。普段はそういうことは無いんだけど、すごく不思議。

 おっと、とりあえず名乗らないと。

「僕の名前は羽鳥進一。進一とかって好きに呼んでくれていいよ。じゃあ君は?」

「あたしの名前は金星叶美(かなぼし かなみ)。とりあえずよろしく、進一」

 そう言って差し出されてくる手荒れのまったくない綺麗な手。握れということなのだろうが、そのすべすべで柔らかそうな右手を見ているとドキドキして自分の手が動かない。

「ああもう。こんなことで緊張してんじゃない。ほら、こうするだけなんだから」

 じれったそうな声を出して、強引に僕の手を自分の手を重ねる女の子、金星さん。

「そんなこと言われても緊張しちゃうんだもん。仕方ないでしょ、金星さん」

「金星さんなんて呼び方はやめて。普通に叶美で呼び捨てでいいから」

 なんてハードルの高いことをさらりと言うんだ……金星さんは……。

「いや、いきなり呼び捨ては僕には難しいよ。だから、せめて叶美ちゃんで我慢してくれないかな?」

 僕がそう妥協案を提示すると、叶美ちゃんは仕方ないと言わんばかりの表情になった。

「しょうがないな……うんそれでいいよ」

 ため息を吐き出して、どこか嬉しそうに言う叶美ちゃんを見た瞬間に、なんの脈絡もなく胸が大きく鼓動した。そしてなぜだかこの場に似合わない感情が少しだけ、ぽたりと一滴だけ落ちた。

 ……悲しい、という感情の滴が。

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