第2話 出会い

 青天学園を後にした僕は夕暮れ時の歩道を歩いていた。

 そんな時間帯であるからか、僕と同じように制服を身につけた人や、何やらケータイを耳元に当てて話しているサラリーマンや、友達と数人で楽しげに追いかけっこをしている子供など、いろいろなジャンルの人々が僕の横を通り過ぎていく。僕はその姿を横目でちら見しつつ、あることを考えていた。それはもちろん……

「はぁ……告白失敗しちゃったな。でも、よくよく考えればこうなってあたりまえのような気もするからしょうがないのかな」

 正確には失敗ではなくて、その前段階、未遂なのだけどそう考えてしまうと気持ちがダークサイドに落ちかねないのでごまかしている。まあ、それも長くは持たないだろうから、早めに事実を受け止められるだけの心の防御を固めておくことにしよう。だけど、現状でどうなるか、ちょっと試しにやってみようか。

「僕は優姫ちゃんに告白しようとして失敗したんじゃなくて、なくて……み、みすううあああああああ!!!」

 突然、あたり全体に響きわたるぐらいの声量で悲鳴を上げた僕に、近くを歩いていたサラリーマンのおじさんが迷惑そうな視線を向けてきた。僕は気恥ずかしく思いながらも慌てて謝罪の意を示すように軽く頭を下げる。本当なら「いきなり叫んでビックリさせてすいませんでした」って声に出して謝るのが当然なんだけど、コミ障である僕には荷が重い。だってそのサラリーマンのおじさんの顔、どこかのやくざの人ですかってくらいに怖いんだもん。その強面に、目を細めて睨んでこられたりすれば、僕は蛇に睨まれたカエルのように固まってしまうのは当然だと思う。

 それに対して、

「ったく」

 僕がおそるおそる顔を上げると、暴力団の構成員ーーーーもとい、いやサラリーマンのおじさんは苛立ちを吐き出すように舌打ちをひとつ落として、それからまた通話中のままになっていたらしいスマホで誰かと話しながら、僕の来た道を逆方向に歩いていった。

 その後ろ姿を眺めつつ、僕は危機が去ったのに安堵して胸をなで下ろした。怖かった、本当に怖かった。今回のおじさんはまだ優しかったというか電話がつかえていたから怒鳴られたりはしなかったけど、次もバッティングするのもああいう人だとは限らないから気をつけないと。

 そう僕は教訓を胸に刻んで再発防止への決意を心の中で表明してから、

「やっぱりまだ受け止めるだけの心の耐久値は付いてなかったか。まあそうだよね。ただでさえ豆腐メンタルなのに、告白未遂なんて生き恥を僕がそうおいそれと許容できるわけがないよ」

 と、冷静に結論づけたのであった。そう考えると、さっきのおじさんとのトラブルってなんだったんだろう……い、いや、深く考えるのはやめよう。無性に死にたくなりそうだし。

 僕はそんな風に自分を半ば強引にごまかして、今まで止まっていた足を無理やり動かし、寄り道を再開した。


 それからしばらく歩き続けて、ようやく目的地に到着した。

 そこは商店街を抜けた先にある少し小高い丘というより、僕の認識では小山という印象の場所だ。

 僕はその小山の頂上に登るための細い山道の入り口の前にいた。小道の横には「青天山 入り口」という看板が埋め立てられている。地元の人間が立てたように思われる手作り感が鮮明な文字とその看板を見るに、どうもこの場所は山として考えられているみたいだ。

  それから僕は等間隔に並べられた木が取り囲むようになっている山道に向かって歩き出した。

「あちぃ……それに虫が払っても払っても襲いかかってきてうざい。やっぱり、ここに来る前に通った商店街のホームセンターで虫除けスプレー買っておけば良かったかな……」

 山道を歩き始めてすぐに気づいたことだったが、これだけ草木が生い茂っているのだから虫がたくさんいるということだった。加えて季節がそれに相乗効果的に働いている。もうさっきから僕の目の前をひっきりなしにぶぶんぶんと実に不快な羽音を立てながら蚊か蛾かは分からないけど飛んでいるし、それに飽きたらず服の中にまで進入してくる奴もいる。そんな不届き者には可哀想だけど、僕の片手によるプレスの刑を受けてもらった。そいつがどうなったかは言わなくても分かるだろうから言わない。

 それだけでも僕はイライラしているというのに、それに追い打ちをかけるようにまるでサウナにでも放り込まれたような蒸し暑さが僕をさらに苛立たせている。もう夕方も後半にさしかかろうとしているし、ここに到着するぐらいには少しは涼しくなっているだろうと思っていたけど、そんなのは大間違いだった。むしろ、僕の体感的には暑くなっているように感じる。木々が自由気ままに生えているせいで、風の流れが無くなってるからだともいうのか、よく分からないけど、とにかくうんざりしそうになるほど暑いのだ。

 そんなあまりの過酷な環境にやられたのか、軽い傾斜に重々しくも動いていた足がぴたりと止まり、僕は後ろを振り返った。

「帰ろうかな……」

 そうつい本音が漏れてしまった。今引き返せばすぐに人通りのある街道に戻れる。いや、別に頂上に行ってからでも戻ることは可能なのだけど、頂上から戻るのと今いる中間地点から戻るのでは時間的にも疲労の量にも違いがある。それを考えてしまうともうこの場所の厳しすぎる暑さにかなり参っていた僕は、今戻る案を選んでしまいそうに……と、選択をしようとしたその時だった。

「うわぁ!?」

 山道全体を揺らすような、強風が僕の思考を吹き飛ばすかのように吹き向けた。

 あまりに強い風というか風の衝撃波に思わず情けない声を上げた。そしてそれから、なにか不思議な力に無意識のうちに引っ張られるようにして振り向くと、その視界の先に。

「人?」

 そう、人がいた。僕の立っている位置から少し遠くにいるその人は、背を向けている。身長が小さく、髪がいわゆるショートカットに見えるからたぶん女の子。

 その小柄な女の子はしばらくの間オレンジ色に染まっている空を見上げていたが、ふと顔を背けて正面に戻してから歩き始めた。方向から見て、頂上に行くつもりみたいだ。

 僕はそんな光景をぼーっと見ていたが、女の子が移動を始めた姿を見て我に返る。

「こんな人気もなくて特に楽しいところがあるわけでもない場所になんで女の子がいるんだろう? それにもう少しすれば暗くなってくるし、帰りの道が分からなくなったら大変だよ。ここ意外と夜になると危ないし」

 そう独り言では言えるものの、じゃああの見知らぬ女の子にそれを伝え来れるかって言われると僕にはちょっと無理がある。再度言うけど、僕は重度のコミ障だ。面識のない同性の人間と会話すると壊れかけのロボットのごとくガクガクと口を動かしてなんとか言葉を発しようとするけど、結局ショートして失敗してしまうようなやつだ。同性ですらそんなことなのに、異性に話しかけて説明するなんて無理、ぜーったいむりー。

 でも、

 ここは危ないのだ。いや、その表現は正確じゃないな。なんというか、その、あの、いわゆる……子供は見ちゃいけないもの、というか行為というか、とにかくそういうことが公然と行われる場所なんですよ。そのことは地元の人間の間ではかなり有名で、新しい刺激を求める親密な男女が夜な夜な集まってくるというのが巷では噂になっている。

 だから夕方時には近づかないことが暗黙のルールになっている。特に女の子。当然それは、性教育上問題があるからだ。

 そのことをあの女の子は知らないのかな? そうであれば見たくもない光景を目撃する前に、僕が伝えて帰るように促してあげないと。

 でもなぁ~初対面の女の子に男女の蜜月を伏せたまま、ここに夜いると危ないことを説明して、自発的に帰ってもらうようにする……難易度高いなぁ……。

 しかし、僕がそうやっていろいろと考え込んでいる間に、女の子はどんどん離れていってしまう。ええい、もうどうにでもなれ!

 恥ずかしいのは確かだけど、それよりも見かけただけでもその女の子が辛い場面に遭遇するのはもっと嫌だ。面識がどうとかは自分が逃げるための言い訳で、そんなことばかりしてきたからこんな風な人間になちゃったんだ。

「ここから変わるんだ。変わるんだよ、僕」

 そう言って半ばというか、ほとんど強引に気合いを入れる。

 するとなんだかいくらか気分が楽になったような気がした。あるいは脳機能が麻痺しているのかもしれないけど、そんなことは正直どうでもいい。

 やる気さえ出るのであればどんな方法でも構わない。

 一時的なものでも構わない。

 そう心の中で呟いて、女の子に声をかけようと足取り軽く頂上を目指した。しかし……


「あの、その……」


  やはりというか、なんていうか、シナリオ通りというか、うまく言葉を紡げない!


「……」


 やはり、一時的な勇気ではどうしようもないと強く痛感した僕でした。

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