桃
牧 鏡八
桃
桃の花はグロテスクだ。少なくとも、私の目には。
けばい色は毒々しく、花の造形もぶっくりしていて気味が悪い。同じ春の梅や桜と比べても、非常に不細工で醜悪だ。
しかし、私は、桃が好きだ。
決して美しくないけれど、そんな桃の花が大好きだ。
とは言え、昔から好きだったわけではない。むしろ、まだ子供で若かった頃は好きでなかった。
そもそも初めて「桃の花」を知ったのは、おそらく幼稚園の時。ひな祭りは桃の節句とも言い、風習で桃を飾るのだと、先生から教えられた際だ。が、当時の私は、桃の実こそ知れ、花など知らず、また興味もなかったため、話を聞いている間中、桃ののったフルーツポンチを思い浮かべていた記憶がある。
それに、その頃の私は、満開の桜で満足していた。
これはーー花見で食べられる美味しい料理につられていたのもあるかもしれないがーー純粋にぱぁっと明るい美しさに喜びを覚えていたからであろう。金ピカだからカッコイいみたいな感覚だ。最も単純な、子供らしい美的センスである。
きちんと桃の花と相対したのは、小学校低学年の頃だった。
3月の上旬のある日、我が家に叔父が訪ねてきて、久々に会ったということもあり、2人して散歩に出掛けたのだ。
他愛もないことを話しながらずーっと歩いていると、ふと目の前に立派に咲いた紅梅が現れた。それは、渋い日本家屋の庭から顔を出していた。
私はそれを見るなり、
「おじちゃーん。おれ、梅の花好きなんだー」
得意気にそう言って、胸を張った。本音は、地味な花だなぁ程度のものだったが、何となく大人ぶりたかったのだ。
叔父さんは優しく笑って、
「そうかー。お前は、梅が好きだったかー。あんな地味なのが好きだとは、すっかり大人だなぁ」
と返しつつ、頭をわしわし撫でた。
「うん! 大好き! 梅、大好きだよ!」
調子良く叫ぶと、叔父さんはちょっと意地悪な目になった。
「じゃあ、あれはどうだ?」
指差した先には、血の色の花をいっぱいに咲かせている木があった。幹は桜などよりも貧弱そうで、何となく貧血の人を連想させた。この木は体中の血を全部花びらに送っているのではと、恐ろしい妄想が脳内を駆け巡り、ぶるぶるっと震え上がった。
「なに……あれ?」
「桃だよ」
「もも?」
「そう」
「おじちゃん、あれ、好きなの?」
「うん。きっと、お前も大人になったら分かる」
「ふーん」
大人という言葉は、当時の私には何とも魅力的だったけれども、あの血の木を好きになれるとは到底思えず、がっかりしたものだった。
このような桃に対する一種の嫌悪は、高校の頃もまだ残っていた。
梅は心底からきれいだと思えるようになっていたし、『徒然草』を読んで散る桜も無常で良いと思えるようになっていた。だけれど、どうしても桃の花は、好きになれていなかった。
どうしてだろう?
私は大学に進んでも幾度か自問自答したが、いつ何時も答は見つからなかった。桃が受け入れられないという事実だけが存在し、その理由は長年分からなかった。
ところが、ある時、勤め人になって数年が経ったある日、本当に突然、桃の花を良いと思ったのだ。
眼前には、叔父さんと見た例の桃の木が花を咲かせていた。相変わらずグロテスクでやや不快な印象を受けたが、それでも良いなと、好きだなと思えた。
私はこの自分の矛盾した感覚に、初め眉をひそめた。不快なのが良いなんて有り得ない、と理性がはねつけたのだ。自身の精神構造を疑いさえもした。
だが、明くる年もまた明くる年も、心は桃が好きだと正直に言った。理性の反発をものともしないで、確かに好きなんだと強く訴えた。
そこで、ようやく私も受け入れた。
ああ、私は桃が好きなんだと……。
それからは、毎年3月になると、必ず思い出の場所へ、桃を見に行くようになった。
年を取るにつれて、桃の魅力は増しているように思う。
でも、桃が不細工で醜悪なのは、昔から変わらない事実だろう。
だとしたら、変わっているのは私の方なのだ。
魅力あるもの全てが、美しい訳ではない。不快なものも、場合によっては魅力的であると、人生経験を重ねてそう感じれるようになったからなのだ。叔父さんが言っていたことは正しかった。
皺たたみ
醜貌の桃も
美貌かな
桃 牧 鏡八 @Makiron_II
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