汝、女子に恨まれる事なかれ(結晶シリーズⅥ)

イヌ吉

汝、女子に恨まれる事なかれ

「ムカツク!すごいムカツク!!もう許せない!!」


 学校法人藤光学園。都内でも屈指の進学校であるこの学園の高等部、1年D組で、吉岡茉莉香は先程からおかんむりである。

 それはそうだ。先程の化学の時間に、最低最悪のことがあったのだから。


 1時間目、茉莉香は科学などどうせ自分には関係のない教科だと、せっせと内職に励んでいた。同じクラスの漫研部員のあんちゃんから回ってきた「カップリング表」を今日中に仕上げたい。自分の好きなカップリングとその傾向やシチュエーションを10個書いたら、次の漫研の部誌で、杏ちゃんがその中からどれか描いてくれると言ったのだ。


「それから横井くんと高橋くんは外せないよね。横井くんは魔性受けだから……」



 その時。



「何面白そうなモン書いてるんだ」

「お、大竹……!!」


 いつの間に近づいていたのか、化学教師の大竹が後ろからその紙を取り上げた。

 ヤ、ヤバイ……!夢中になってて気がつかなかった!よりにもよって大竹……!!


「ずいぶん一生懸命書いてたな。どれ?『大竹先生のネクタイ似合ってないよね』? うるせぇ、ほっとけよ。『あたしならもっともっとステキなの探してあげるのに』? そりゃありがとよ」

「そんなこと書いてないです!!」


 必死に紙を取り返そうとしても、バカみたいに背の高い大竹が頭上に掲げてしまえば取り戻すことはできない。


「『きっと選んでくれる彼女もいないんだわ』? その通りだよ悪かったな」

「だから、書いてないってば!!」


 大竹はその紙を白衣の胸ポケットにしまい込み、「放課後まで没収な。つうか、授業も聞かずに余裕だな」とせせら笑った。


「ど、どうせ来年になったら文系コースに進むんだから、科学なんて勉強してもしょうがないでしょ!」

「はぁん?来年2年に上がれたらな?」

「な…っ!!留年なんかしないモン!!」

「また来年科学の授業受けるときには、俺のクラスじゃなきゃ良いけどなぁ」


 楽しそうに笑いながら教卓まで戻ってきた大竹は、教科書に目を落としながら、更になんでもないことのように付け足した。


「吉岡、返却時に罰プリント10枚渡すから、1週間以内に提出しろ。じゃあこの板書消すけどみんな書き写したな?」

「待って先生!」

「早いよ!!」

 みんな茉莉香のことを気の毒に思いながら、それでも大竹の授業中に内職なんて自業自得だ、勇者か!と胸の中で突っ込んだ。



 ということがあって。



「も~!!大竹マジムカツク!!何なのよあの男!!!」


 そりゃあカップリング表を読み上げられなかっただけマシではある。マシではあるが、まるで自分が大竹のネクタイを選んであげたいような、あの言い方はなんなのだ。気持ち悪い!!大竹なんてどうせ女子生徒をエロい目で見てるスケベオヤジに違いない!!うわ~!もう最低!ホントに気持ち悪い……!!!


 昼休みになってもまだ怒りのおさまらない茉莉香を、皆で「本当に大竹ムカツクよね!」と慰めている。この機会に!とばかりに「私は大竹のここが嫌いだ」「私は大竹にこんなひどいこと言われた」と言い合っているうちに、この中で一番ドSな漫研部員、杏がとんでもない事を言い出した。


「ね、茉莉香。こういうときは、大竹をツンデレのくせにドMで、俺様鬼畜攻めに苛められてるって妄想して気を晴らすんだよ!」


 え?

 大竹が俺様鬼畜攻めに苛められてるって妄想……?


「……いや、私大竹じゃ萌えないわ……」

「萌えなくて良いんだよ!大竹がひどい目に遭ってるって思ったら、ちょっとすっとしない?」

「……いや」

 最近杏にBLの道に目覚めさせられた茉莉香には、まだそこまでマニアックな趣味はない。

 目の前にいる三次元萌えとか。しかもアノ大竹が受けとか。あり得ないし。


「え~、それだったら私、相手は設楽くんが良いなぁ」

 杏の台詞を受けて、衣澄がうっとりと囁く。

「だって設楽くん、いっつも大竹に懐いてるじゃん?」

「いや~!設楽くんは受けでしょ!?」

「お~い、何勝手に人使って妄想してんだよ!」

 すぐ脇にいた男子がゲラゲラ笑っている。その男子の中に渦中の設楽の姿もあって、茉莉香はあまりの展開に真っ赤になった。


「何?俺がどうかした?」

「いや、大竹を妄想の中で辱める協力をしていただこうかと」

「やめろって!いくら妄想でも勘弁だよなぁ、設楽!」

「あはは、やめて。もう科学部行かれなくなっちゃうから」

 設楽はイヤそうに笑っているが、周りの男子は楽しそうだ。


「あ、ごめん!じゃあ設楽くんは止めて、私体育の森田が良いと思う!」

「森田!?ちょっと、それガチムチ過ぎて美しくないよ!香織ホントにホンモノ好きだよね!」

「違うって!私水泳部じゃん?こないだ大会行ったら、大竹がいたんだけどね?」

「え?何、大竹水泳の大会とか見に来るの?水着目当て?キモっ!!」


「違うって。大竹って、時々自分の通ってるスィミングクラブの人手が足りなくなると、クラブの手伝いさせられてるらしくって、大会に来ることあるらしいんだよね。で、ばったり会った森田と結構仲良く喋っててさぁ。あの大竹がだよ?びっくりしちゃった」

 香織が楽しそうに話し出すと、周りの男子はさすがにちょっと引いてしまい、設楽の顔から表情が消えたような……。茉莉香は設楽の様子が気になって、ハラハラしながら顔色を窺ってしまった。


「あの2人、大学の頃にも同じ大会に出てたらしくて、何か昔から顔見知りらしいよ?」

「え、何それ美味しい!」

「でしょ!?イヤ、学生時代は名前知ってる程度だったらしいんだけどね?」

「え?森田と大竹って同い年?」

「いや、森田の方が2つ下だって」

「マジで!?それ美味しい!」

「でしょ!?」


 勝手に盛り上がっている女子に、男子は「え?それのどこが美味しいの……?」「それでどこをどうやったら森田が俺様鬼畜攻めで大竹がいじめられるの?」「ちょっと待てよ、森田と大竹が絡むの?うわ、マジ吐きそうなんですけど……」と皆かなりドン引きだ。設楽など最悪な顔つきになっている。


「やっぱ希望としてはシャワールームで!?」

「『森田、誰か来たら……!』的な!?『だったらあんたが声を殺していれば良いんだよ』的な!?」

「きゃ~!そこで死ぬほど苛めてもらわないと!大竹なんか泣いて攻められれば良いんだよ!!」


「いや、森田はやめろよ!ちょっとマジでキショいんだけど!」

 童顔でいつもニコニコと笑っているが、顔に似合わずガチムチな森田と、背が異様に高くて三白眼の大竹が絡んでいる様子を想像したのか、男子が真っ青になって叫び出す。


「え~?男子は黙っててよ~!」

「ちょっと!あっち行っててよ!!」

 オタ話で盛り上がる女子は、だが男子の意を全く受け入れず、手で男子を追い払った。


「でも私も森田はビジュアル的に受け付けないわ~」

「あ、じゃあさ、3年の松川先輩は?」

 杏が楽しそうに名前を挙げると、みんな一様に「なんで松川先輩?」と小首を傾げた。


 松川はケンカっ早いので有名で、藤光の生徒にしてはずいぶんとんがっている。だが、178cmのスレンダーなボディの上に乗っかった顔は、結構良いのだ。「お近づきになるのは怖いけど、眺めるだけなら!」という隠れファンだって何人もいる。確かに俺様鬼畜攻めには合ってるかもしれないが、しかし大竹とは授業を受け持たれてるくらいで、他に接点は無かった筈だ。


「違うって!すごい接点があるんだって!」


 そう言った途端に、設楽がぎっとこっちを見た。その目が怖くて、茉莉香は「ね、そろそろ止めようよ……」と声を掛けるのだが、走り出した列車はそう簡単には止まらない。


「あのね、松川先輩って、入学したての頃吉田先輩とケンカして、それが大竹に見つかって、2人して1ヶ月間毎日科学準備室に通って罰プリントさせられてたんだって!なんか、未だに数学や物理まで大竹に教わりに行くし、進路のことからプライベートなことまで、色んな相談も大竹にしてるんだって!」

「え?そうなの?」

「そうなんだって!そのせいで、今じゃすっかり丸くなったんだって!」

「丸く!?アレで丸く!?」

「いや、だって松川先輩、今ケンカもあんまりしないし成績も上の方じゃん?」


「じゃ、じゃあそのケンカに使ってた漲るパワーを大竹で発散させてるってこと!?」

「あ!良いね、それ!『あんたがケンカするなって言うんだから、替わりに責任とって俺を満足させろよ』的な!?」

「イヤ~!松川先輩ならすごい大竹を苛めてくれそうな気がする!!」

「すごい理想的な鬼畜攻め様じゃん!!」


「……いやあの、でもさすがに大竹の方が背も高いし、それはないんじゃ……」

 茉莉香が控えめに提案してもみんな全く聞いちゃくれない。

 ひ~~!設楽くんメチャクチャ怒ってる……!何でみんな気づかないの……!?


「あ、あの、でも私、大竹先生だったら攻めの方が……」

「何言ってるの!私たちは大竹が苛められて泣かされてるところを想像したいだけ!どうせ萌えの対象になんか大竹がなるわけ無いんだからさ!」


 いや、どう見てもさっきから萌えてるようにしか見えないんだけど……。

 あぁ……どうしよう……。なんか、すごい設楽くんが怖い……!普段はすごい優しい顔しかしないのに……!やっぱり設楽くん大竹先生と仲良いから、こんな事言われて良い気持ちしないよね……?私だって友達がそんな風に言われてたらイヤだし……。


 茉莉香が設楽の顔色を気にしいてたら、先程「相手は設楽くんが良いな」と言った衣澄が、設楽の方を見てニヤニヤしだした。


「ね、ね、見て。設楽くんの顔!」

「あ、ほんとだ!何!?設楽くん、やきもち?」

「違ぇよ!もうお前らいい加減その胸くそ悪い妄想止めろよ!」

 設楽が叫ぶと、周りの男子も一緒になって「そうだよ女子!マジでホモとか気色悪いんだけど!」「弁当まずくなるだろ!やるなら別の所でやれよ!」と叫びだした。


「ごめんごめん、設楽くん。やっぱり設楽くんが頑張って鬼畜攻めする方が良い?」

「いや~!そんな設楽くん想像できないよ!!」

「するな!」

「お前らは同人誌でも作って黙って妄想してろよ!」

「やだよ!貴重な原稿の時間を、なんで大竹なんかに費やさないといけないわけ!?」

「そうだよ!印刷代がもったいなさ過ぎる!!」

「まじオタク女子キメェ!」

 そう叫び合っていると、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。


「あ、いけない!トイレ行っとかなきゃ!」

 慌ててみんなが立ち上がり、茉莉香も一緒に廊下に行きかけて────そのまま、設楽の脇まで行った。


「ごめんね、設楽くん」

「……」

 設楽の機嫌は最悪だ。返事も寄こしてくれない。


 へこたれるな、茉莉香!

 茉莉香は自分をそう鼓舞すると、勇気を振り絞って叫んだ。


「設楽くん!私は設楽くんの味方だから!森田先生や松川先輩になんて負けないで!」


 それだけ言うとすっきりして、茉莉香は唖然とする男子を残して教室を後にした。


 ────────後に残された男子は何と言っていいのか分からず、取り敢えず設楽の肩をぽんぽんと、次々に叩いた……。



 ◇◇◇ ◇◇◇



「とゆーことが1年の時にあったんだけど!」

「……だから、それ俺と何の関係が……」

「あるだろ!?関係あるだろ!?」

「……それ、女子のただの妄想じゃ……」

「で、森田先生とはどんな関係が!?」

「……無いから!」

「松川先輩は!?」

「だから、全く何にも無いから!!!」


 茉莉香達も、まさかこの時のバカ話がきっかけで、本当に大竹が誰かさんに苛められるとは想像もしていなかっただろう……。


 ……大竹先生、女子の恨みはあんまり買わないようにした方が良いよ、というお話しでありましたとさ。



(おしまい)



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明日からは設楽と大竹の修学旅行お話をアップします。

またお付き合いのほど、よろしくお願いします。


 イヌ吉拝

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