佐賀国大統領の願い事

 少し冷たく、しんとした空気。時折、風が吹いて竹の葉をこする音が、ざわざわと騒ぐ。


 両脇の民家と竹林から、竹が頭を垂れる稲穂の様に覆いかぶさって、まるで、空から見えない様に、この小道を隠しているようだ。


 竹林のトンネルの中、敷き詰められたとは言い難い、もうしわけ程度の石畳にコツコツと音をたてながら、姿勢を正して歩き出した。足音に合わせて小気味良く、赤いピアスをがさわさわ揺れる。


 今日は、祠の掃除をしにやって来た。モヤモヤしたものは掻き消えて、澄み切った心で、やっと、雑念を入れずに掃除が出来る。


 この小道を歩いていると、とても懐かしい気持ちになる。ざわざわと竹の葉をこする風の音が心地良い。囁きの様に揺らぐ風の音に誘われて、ぼんやりとした記憶は、徐々に薄っすらとした映像となって蘇ってきた。


 幼い頃、母と二人でこの小道を歩いた。奥へ進む度にだんだんと暗くなって行く細道は、なぜだか怖いとは感じない。見上げると母の顔がとても遠い。手をいっぱいに伸ばしても、母の手を握るのが精一杯だ。母子二人で竹のトンネルをくぐって行く。待ち合わせしていた何人かのママ友達と合流し、理沙は、一緒に来ていた同い年の男の子と鬼ごっこをして遊んだ。


(そうだ、お母さんと……みんなでここに集まったことがあるんだ……)


 自宅から持ってきた竹箒で祠の周りを掃いて回りながら、感覚だけが時間を遡り、どんどん現実から遠ざかっていく様な感覚を覚えた。


 その時、ざざざと葉をこする音が、徐々に大きくなり、加速しながら近付いて来たかと思うと、急に突風が通り過ぎ、後ろで一つに束ねた黒髪をなびかせた。


 私は思わずスカートを押さえて、その場にしゃがみ込んだ。


「ちょっと、君」


 振り向くと、そこには、茶髪にスーツの男が立っていた。夕日を背中にして、少し幻想的で神々しく見えた、初めて本物の神様かも……と思った。


「神様! 見ましたね!」


「な、何を? 願い事を叶える為に出てきたのに、ご挨拶だな」


「え? 今ですか? まだ、夏は終わっていませんよ。それに……まだまだこれからで、お父さんを総理大臣にする為には、私、何も頑張れていないんですよ。それに、神様に頼るんじゃなくて、自分の力で何とかしなくちゃって考えるようになったんです。せっかくなんですけど……」


「ああ――やっぱり間違えているな。僕はちゃんと言ったじゃないか。お父さんの願い事をかなえるんじゃなくて、君の願い事をかなえるんだって」


「だから、『お父さんが総理大臣になる』んじゃなくて、『私がお父さんを総理大臣にする』って話ですよね」


「違う、違う、願い事はその前に言っていたでしょ。君の心の底からの願い事――お母さんに会いたいって……僕は君のお父さんが総理大臣なる手伝いなんかこれっぽっちもしてないよwww」


 神様の後ろから、一人の女性が顔を出した。それは紛れもなく――お母さん……。


「理沙ちゃん、久しぶりね。元気にしていた?」


「お母さん……」


 何と言っていいかわからない、まさか、母に再び会える日が来るとは思っていないのだからしょうがない。でも、でも……話したい。話したかった、ずっと、ずっと……。


「お母さん……元気?」


「元気よ~! 死んでるけどね!」


 しまった、死んでる人に『元気?』は失礼だったか。


「実はね、お母さんも、神様に願い事をしていたのよ。お母さん、掃除が好きだから、この祠のお掃除をたまにしていたの。小さい頃は、理沙ちゃんも、連れて行ったのよ。三歳……四歳ぐらいだったかな覚えていない? ある時ね、その日は理沙と二人だけだったかしら――祠に、大願成就って書いてある事に気がついてね。願い事を叶えてくれるの? ってつぶやいたら、神様が出てきて……こんな、茶髪でスーツじゃなくって、ちょんまげで、お奉行様の格好をしていたんだけど……」


「お母さん……時代劇好きだったから……」


 神様は渋い顔をしている。


「お奉行様はちょっと困ったよ。裾が長過ぎだ……僕は、あなた達の頭の中にある、理想像をお借りして出てくるんだけど、相手が二人になると、紛らわしいから元の姿に戻ろうかね」


 そう言うと、神様の姿はみるみる小さくなり、一匹の小さな赤い蛇が現れた。


「ちっさ!」


 思わず突っ込みを入れてしまった。しかし、その先は言うことができなかった。神様にギロリと目を光らされ、思わず口を噤んだからだ。まさに、蛇に睨まれたカエルの様に……。


「それでね、お母さんの願い事は、大きくなった理沙に会いたいって事だったの。でも、願いを叶えてもらう前に、お母さん、すぐ死んじゃったから……」


「本当はね、もっと大義を抱いたお願い事を聞くんですよ、成就なのでね……。でも、涼子さんたちは、凄く綺麗に掃除をしてくれたから、特別サービスって事で……涼子さんだけ叶えないままってのもね……。でも、理沙ちゃんが、同じお願い事をしてくれたので、こりゃ一石二鳥だなと……って、あの……僕の話、二人とも聞いてないよね? 神の言葉なんだけどね……まあ、しょうがないか……」


 私は神様の話はちゃんと聞いていた。でも、構ってはあげられない、だって、お母さんに抱きしめてもらったら、胸の中の全部が飛び出してきちゃったみたいに、涙が溢れて、泣き声を抑えられなくて……どれぐらい経ったか、やっと話せるようになってきた。


「お母さん……ありがとう、暗号の答え、分ったよ……」


「そんな事? せっかく会えたのに……と、これも聞いてないよね……」


「魔法の言葉ね。正解よ……でも、意外だわ、良く分ったわね、お父さんに聞いたの?」


「ううん、お父さんには聞いたけど、自分で考えたの」


「そう……凄いじゃない。てっきり理沙は文系女子に育つものだと思っていたわ。お母さんが死んでる内に理系女子に転向したのね?」


「どう言う事? 暗号に、理系も文系も関係ないでしょ?」


 どういう事だろう? おかげで涙も引っ込んだ。


「タロットカードが貼ってあるページナンバーがキャラクタコードに対応しているって気が付いたんでしょう? お父さんとお母さんが、恋人時代に使って遊んでいた暗号なのよ。エクセルに、キャラクタコードだけ書いて渡してね、変換したら、カタカナ表記に変わるの……お父さんには、一七七、一七八、一八八、一九五、二一七で、変換すると『アイシテル』なんてね、ふふふ……。理沙に出した暗号は、一七七、一八二、一九六、二一六だったかな? それを、キャラクタコードに置き換えて、半角カタカナで、『ア、カ、ト、リ』並び変えると『ア、リ、カ、ト』つまり『ありがとう』が答えよ。本当は、もう一文字分欲しかったんだけど、無限大『∞』マークの入っているカードは四枚しかなかったんだよねぇ。でも、ちゃんと言えていたわね。偉かったわ。もう、理沙はとっくに幸せ者よ」


「お母さぁん……」


 また、涙が溢れた。今度は、全く違う答えに辿り着いて、母の愛を感じていた、自分の勘違い具合に悲しくなってしまったからだった。今度は、嗚咽を上げて、大声で泣いた。


「なにそれ? じゃあ、タロットカードの意味は? 本に書かれていた内容は? お父さんを総理大臣にする為の秘策は?」


「なにそれ? 知らない――と言う事は、暗号を解いてないのに、答えを出したの……それはそれで凄いわね。さっき私に言ったでしょ? ――おかあさん、暗号の答え、分ったよって……」




 理沙は無事に願いを叶えた。


 『母親に会いたい』親を亡くした子なら、一度は必ず願うだろう。今回はちょっと優遇ひいきして、大願とは呼べないけれど、叶えてあげることにした。


 なぜかって、この、小さな願い事が、大きな願いを引き寄せてくることを知っていたからね。


 それは、理沙の願い事じゃないんだ。


 沢山の人が待ち望んだ、その願い事は、だったのさ。



「理沙さん、準備はできた? 早いものね、あんなに泣いてた女の子が、こんなにたくさんの人の前で話すなんてね。でも、素敵よね、二十歳の誕生日に大統領就任演説なんて」


「春日さん……ありがとう。春日さんのおかげでここまで来れたよ」


「私なんて、何にもしていませんよ、さっ、みんなが待っていますよ。赤いピアス、似合ってます!」


――暗い舞台袖から檀上まで、ほんの数メートルなのに、なぜ、こんなに長く感じるのだろう。これまで歩いてきた道はあっという間だったのに、皮肉なものだな……。


 一歩一歩、踏みしめて明るい場所に向かって歩く。周りが暗いから、スポットライトに照らし出された演説壇上しか見えない。


 やっと、階段に辿り着いた、わずか三段しかない壇上まで、これまでのみんなとの思い出が目まぐるしく浮かんでくる。


 壇上に立つと、今まで見えなかった、沢山の人たちの顔が見える。今日から佐賀国民になるみんなと、英章先生や、鍋島君、春日さんや取立さんも見守ってくれている。


 私は、大きく深呼吸をすると、髪をかきあげて、耳のピアスをそっと触り、静かに第一声を発した。




――私は、佐賀国の初代大統領を務めます、飯盛理沙です。ここに、佐賀国の独立を宣言します。


 日本国天皇の仕事が祈る事であれば、佐賀国大統領の私の仕事は、みんなが幸せに暮らせる様に、精一杯お願いする事です。


 見ての通り、こんな、ちっぽけな私には、少しの事も成し遂げられません。でも、今日この場に立つことができたのは、周りの皆さんがいてくれたからです。


 そして、今日から、佐賀国民の皆様全員にお願いします。私の願い事を聞いてください。精一杯、心を込めてお願いします。


 この国を心の豊かな国であり続ける事に、どうか協力してください。


 お願いします……。



 私は願う、

 お金に困って、心がすさんでしまう人がいないように。


 私は願う、

 大切な仕事を奪われて、絶望に打ちひしがれてしまう人がいないように。


 私は願う、

 孤独のうちに寂しく亡くなって逝く人がいないように。


 私は願う、

 レッテルを貼られて本当の自分を見てもらえずに涙にくれる人がいないように。


 私は願う、

 自分はバカだと思い込んで、何もかも捨て去ってしまう人がいないように。


 私は願う、

 この国が、すべての国民を優しく包み込む愛で溢れますように。

 

 私は願う、

 みんなが幸せでありますように……






おわり

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佐賀国大統領の願い事 柳佐 凪 @YanagisaNagi

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