第2話 旅は道連れ、世は情けねえ

 私は逃げた。

 

 我が菊の花を散らさんと追いすがる亡者から、全力で逃げた。ガチで逃げた。短かった生涯、最速の走りだったと思う。

 

 ―――しかし、数が多すぎた。

 

 私は暴力を好まない……だが、止む得ないか?

 

 逃げきれぬと悟った私は、生前に嗜んでいた武術を行使してでも切り抜けようと構えた時、裂帛の声が響いた。

 

 「そこまでだ! 発ぁッ!!」

 

 救いの光が差し込む。頭頂部的な意味で。

 

 私と亡者ホモぅな方々との間に、袈裟を着た坊主が割り込んだ。

 

 数珠を握り、奇妙な光の剣……三鈷杵ヴァジュラを持って、亡者の魔羅マーラを打ち払う。

 

 諸行無常の鐘の音が鳴り響き。亡者は浄化された。

 

 「そこの少年ジャパニーズ! こっちだ! 急げ急げハリーハリーっ!」

 

 唖然とする私に、白衣を着た奇妙な姿の白人男性が手招きする。

 

 躊躇は一瞬。私は二人に連れられ……股間を押さえ蹲る紳士たちを置き去りに、立ち去るのであった。

 

 ―――

 ――

 ―


 ギリシャ神殿風の建物と、近代的なビルディングの混在する不可思議な光景の狭間にある路地裏で、彼らと私は邂逅した。

 

 「オレは“高原たかはし陽介ようすけ”……悪友からは寺生まれのと呼ばれてる。よろしくな!」


 袈裟を着た大学生くらいの若い坊主は、同郷のようだ。

 柔らかな物腰の割に眼光は力強く。全身から覇気が溢れ、いかにも頼れる雰囲気を出している。

 

 彼は良い。

 坊主=衆道の先入観から、思わず身構えたが……そう言った雰囲気もなく。ごく普通の青年のようだ。

 

 「ワシミー麺の神の信徒パスタファリアンの“アルトモフ・シュバルツァ” ……気軽にと呼んでくれ」

 

 だが、こちらは問題だ。


 白衣は良い。

 問題は、開いた白衣の下に見えるのが海賊旗ジョリーロジャーが刺繍されたカリビアンな服である事と……金属製のざるを頭から被っていることである。

 

 良い歳をして、少々はっちゃけ過ぎではなかろうか?

 

 「ん? これかね? ID論を標榜する科学者の嗜みだよ」

 

 ―――わけがわからない。

 

 「……?」

 

 「あーなんだ、神宮寺くんだっけ? 深く考えず、アメリカンジョーグだと流した方が良い」

 

 「年下ですから気軽にとでも呼び捨てて良いです」

 

 「うむ、ジンだな? 了解した。

  しかし、ワシミーはアメリカンなモノでも、ブリテン人でもなく……生真面目なドイツ人だ。

  

  ―――ジョークなど言わぬよ?」

  

  一人称のmyはドイツ語ではなく英語のはずだが……う、胡散臭すぎる……。

 

 「……」

 「……」

 

 コレが、死後の世界と言う、奇妙奇天烈、奇縁に過ぎた……私と二人の、友人との出会いであった。

 

 ――――

 ――

 ―

 

 「し、神秘的な服装のエキゾチックで可愛い少年……はぁはぁ」

 「眩く逞しい兄貴ぃ!! ……抱いてぇぇ!」

 「だ、奇抜でダンディなおじ様……ふぅふぅ」

 

 悍ましい呪言を囀り、包囲を狭める紳士たち。だが、私に恐れは無い。

 

 今、私の心は凪いでいる。

 死者の装束は心の映し身であり、姿もまた心境に応じた鏡写しとなる。

 

 ならば、坊主が袈裟を纏い。科学者が白衣を着るのも当然であるように……神職を目指していた私が、かつて憧れた狩衣を身に纏い。

 梓弓を構えたならば、明鏡止水の境地に至るのも当然と言えよう。

 

 「現世の柵も常識も……楽園には無い! 愛はあらゆる障害を超えるっ!!」

 「ここは穢れ無き世界……罪深き行いも許される我らの楽園! 漢の園っ!!」

 「新しい世界の扉を、開いて……あ・げ・る♪」

 

 しかし、それでも限度があると、私は思う。

 

 「だが……断るです!」

 

 矢無き弓の弦を弾き、尊神笑給とほかみえひためと呟き。私は鳴弦を成す。

 

 虎口に番えし破邪顕正。生者には意味なき御業なれど、亡者であるなら聖者りっしんべんであろうと打払う。

 

 「辟邪ノ嚆矢へきじゃのこうし……矢声よしですっ!」

 「あべしっ!?」

 

 的中。異教の無常の愛は拒絶され。紳士の姿形は崩れ落ち、亡者は嗚咽を漏らし霧散する。

 

 「勘弁してくれ……よ、発っ!」

 「うぼぁ!?」

 

 俗人が習う教も、秘された真言もなく、ただ裂帛の気合のみで放たれるは淨光。

 それは余人と彼との霊格の差……歪み無き凡夫は苦悶に喘ぎ、股間を押さえ崩れ落ち。

 

 「セントヘンダーソンの名に誓い、すべての不義に鉄槌を……ラ・メンッ!」

 「マンマ・ミーア!?」

 

 空飛ぶ麺神スパゲッティモンスターを崇める真理の求道者サイエンティスト。その手に掲げられるは、神聖なる中華麺サクラメントで満たされた椀。

 「そぉい!!」と謎の幻聴を聞いた哀れな亡者は、聖水を頭に被り、聖母に祈るように五体投地と倒れ伏す。

 

 ―――されど、聖者へんたいは甦る。

 

 「……ま、まだよ! 右のタマをぶたれても、左のタマを差しだせば……」

 

 「その根性は認めるが……」

 「六根清浄……悔い改めれば、全部許されるってーのも、都合が良すぎないかい?」

 「ワシミーの主であるSM神は、マイノリティも許容する……しかし、押し付けはよろしくない。

  ―――悔い改めるくらいなら、最初からやめよとしか言えぬ」

 

 当たり前の話だが、死者を殺すことなど不可能だった。

 

 「……神は死んだと嘯く者よ、ご覧あれ! 神の子は復活を果たしたもうたっ!!」

 「……アガペーは永劫不滅。主は仰せられる……汝の隣人を愛せ……と。

  ―――さあ、愛しあいましょう! うへへ~」

  

 「「「うわぁ……」」」

 

 弑せぬならば祓うか封じるしか無いのだけれども……ココは天国ならぬ天獄。


 追い祓へども……閉鎖空間故にすぐに追いつかれ。

 ならば封じようにも、芯となるモノも蓋となるモノもなければ為す術もない。

 

 二人も私も困り果てた。

 

 そんな困った時は神頼み……しかし、ココではその“神”が敵と成り得る。

 

 轟音豪雷。天の庭に雷鳴が轟き、澄み渡る雲なき空を落雷が切り裂いた。

 

 ―――カミナリは神鳴りに通ずる。

 

 荒ぶる鷹……もとい、荒ぶる御使いの予兆。

 

 雷光ともに降り立つは、焔の剣を携えし三対六枚の翼を備えし偉丈夫……。

 

 「気高く尊きお方の庭で何を騒いでおるか……弁えよ!」

 

 「コレはウリエル様!」

 「違うのです! 我らは迷える子羊に愛を与えようと……」

 「ハァハァ……なんとお美しい!」

 

 「黙れ! 汝らに咎人に裁きを降す……地に落ち悔い改めよっ!!」

 

 熾天使セラフに言い訳は通じない。

 

 私が言葉を発する間もなく……断罪の剣は振り下ろされ、足元の雲……天の底が抜けた。

 

 

 ―――望み通り、私は天獄からの脱出を成し遂げた。


 

 されど、地を覆う天蓋を抜け、堕ちて落ちた先は……奈落アビスの底。

 

 辿り着いた先は、地獄ゲヘナの最下層。

 

 寒風吹き荒び、永久凍土と氷河に囲まれた……分かりやすく例えるなら、試される大地(ハードモード)か?

 

 氷結地獄……嘆きの川コキュートス

 

 神に逆らいしモノが堕ちた終焉の地……。


 

 こうして私は……私たちは、地獄に落ちたのであった。

 

 ―――

 ――

 ―

 

 「人とは度し難いモノよ……。

  まったく、だから我は善霊とは言え、異端者ヘレティック 異教徒ペイガンの受け入れ……天国への移民に反対したのだ。

  

  ジブリールよ、見ているのだろう?」

 

 雲の切れ間が塞がり、残ったウリエルは天を仰ぎ、虚空に辛辣な言葉を述べる。

 

 「……そうか。

  まあよい、お前の優しさは美徳であるが、お前の甘さは悪徳でしかないと心得るのだな」

 

 宙に放たれた言葉に返答はない。だが、ウリエルは言葉を続ける。

  

 「ラファエロ―――ここは、風紀が少々乱れすぎている

  プリンシパリティを派遣し、規律の引き締めを命じておいてくれないか?」

 

 続ける言葉に返答はない。だが、ウリエルは満足気に笑い……何かに気づいたように振り返る。

 

 「うむ、頼む。

  ……ん? サバティエルか? ……ああ、分かっている」

 

 ウリエルはコクリと頷き向き直る。

 軽く息を吐き、怯える天の国の住民を一瞥した後、その瞳に僅かな憐憫の光を見せ、スッと姿を消した。



 人は移ろい、世も移ろう。

 変わらないものなど存在しない……ならば、死後の世界もまた移ろい行くのが必定。

 

 それが良き事か、悪しき事か……ソレは、神のみぞ知るノーバディノウズ

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逝って目指すは黄泉平坂 みみみみ @mimimimi

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