第4節

「というのが、今回の事件の顛末ってところです」

 仁はそう言って物語にピリオドを打った。座り心地の悪いパイプ椅子にもたれ掛かり、ぎぃと音を立てる。目の前には灰色の簡素で小さな机。その上には用箋ばさみに挟まれた資料と、ボールペンが無造作に置かれ、脇には大きめのスタンドライトがどんと存在感を主張している。

 終わった終わったと、ぐっと両腕を天井に突き上げて伸びをし、何か飲みたいと思ったがお茶が出されてないと気付いた。

「あの、何か飲み物あります? 長話で少し喉が疲れましたので」

 何でもないかのように、灰色の小さなデスクを挟んで、対面に座る女性に聞いた。

 仁の対面に座る女性は、如何にも不機嫌という言葉が相応しい表情をしている。そしてその顔はもちろん、仁に向けたものであった。当の本人は素知らぬ顔であるが。ライトブラウンの髪を後ろの高めの位置に結い、先程から前髪を掻き上げ、それほど広くない額を強調しながら、仁の話を聞きながら睨みつけていた。

 はっきりと言えば仁にとって、こんなものは茶番でしかなかった。ただ、あの状況でそのまま雲隠れというわけにもいかず、捕まったという一般人の安心が必要となってしまったのだ。

「あのねぇ……状況は理解してるのかしら?」

 とっくのとうに。火に油を注いでも仕方がないと、仁は口には出さずに思うだけに留めた。

 しかしながら、それこそとっくのとうに彼女の火は大火事レベルまで到達していた。

「あんたねぇ! 良い!? 逮捕されてんのよ!? 教唆犯として!」

 仁の気遣いは徒労に終わり、はぁと溜息を吐くしかなかった。

 現在仁は、警視庁の取調室に拘束されていた。

 あのバスジャック事件が無事(?)に終結し、到着した警察が乗客と運転手の安全を確保した後、首謀者である青が現行犯で逮捕された。警官に手錠を掛けられ、連れられた時には号泣しながら、「無理だ、やっぱり無理だった」と何度も呟きながらパトカーへ押し込められた。そして次は、仁が押し込められる番であった。

 仁はこのまま警察を撒こうかとも考えもしたが、既に乗客たちには顔も知れ、東京都交通局に音声も渡してしまっている。このまま雲隠れしては東京都、いや下手をすれば全国に指名手配される可能性もあった。理由はこの事件の異端さだ。

 乗客、それも高校生の少年が不意に犯人の手助けを始め、挙句の果てには結局未遂で済んではいるが、殺人幇助までしでかしている。はっきり言って、これまで発覚している事件の中でこれほど例外的な事件はないだろう。なにしろ、犯罪を犯すことの打算が殆ど無いのだから。

 バスジャックによる身代金の一部を受け取るという動機は思いつくが、それを含めて鑑みても、犯罪に加担するメリットというものが、何も存在しえないのだ。

 そしてなによりも、自身を殺させようとする行動をとったという。

 ハイリスクローリターンなどと生ぬるいものではない。ハイリスクノーリターンと言える彼の行動。

 警察はこのような危険人物を認識して野放しにしておく程の能無し集団ではない。いずれ何をしでかすかわからない犯罪者に、警察が威信を掛けて捜査しないわけはない。

 仁にはがある。しかし、体裁は守るべきでもある。彼が捕まらずに、捜査もなあなあで終わらせる手段もあった。だが、に更なる迷惑を掛けることは多少なりとも憚られ、それに加えて、世間に不必要な混乱を招くのは避けるべきだと彼は真っ先に考えた。世間は徹底的に長年積み上げてきた常識を守りたがる。それに本気で牙を剥けるのは、余程の自信のある野心家か、自殺願望のあるテロリストか、己を信じて疑わない革命家という名の犯罪者か、あるいはとち狂った人格破綻者くらいだろう。

 彼はそれには当てはまらない。一応の常識も弁えている。元々面倒事を嫌う性格でもある為、常識人と思われる部分はほぼ全面的に表に出している。

 放っておいて大火事になるより前に、消火しておくのは至極当たり前の話である。

 というわけで、彼は面倒に思いながらも『至極真っ当に』取り調べを受けているのだ。ただ一つの想定外があるとすれば、それは予定していた取り調べ担当の急な変更である。

「だから! その態度は一体何なの!? 素直にやったことを答えるのは良いけれど、あなたには反省という態度を取ることは出来ないわけ!?」

「少し落ち着いてください」

 隣にいた取調補助官が、担当刑事を諌める。どうやら彼女は少々熱くなりすぎる傾向にあるようだ。容疑者が特殊であることから、取り調べは彼女の他に、男性刑事二人(一人は補助官、もう一人は書記官)が行っている。

 仁はやれやれと思いながら、そろそろ来る頃だろうと、もう一度ぎぃと軋む音を立ててパイプ椅子の背もたれに寄り掛かる。

「何? そろそろ動機を吐く気にでもなった?」

 少しクールダウンした彼女は、仁の少し疲れたような素振りを見て、そうおもむろに言った。仁は犯行を行った理由を、「彼の本気を見てみたかった」としか言っていない。当然彼女は、それを嘘の供述だと吐き捨てている。

 事実、これは100%の事実というわけではないが、全てが嘘というわけでもない。

 すなわち仁は嘘を言ってない。それ以外の理由を聞いていないだけだ、という屁理屈を通して、全てを話すことを止めている。

 実際のところ、彼女が仁の動機を聞いて嘘と断じ、本当のことを言えと言っている。しかし、先程も言ったが、仁は嘘をついていない。何故ならそれも本当の理由の一つだから。だから彼は嘘ではなく、本当のことを話していると言う。それに対し、彼女はそれをまた嘘と断じる。そうなれば仁はまた、同じ答えを通すだけである。

 嘘を言っていない。だからこれは偽証にはならない。なおかつ、幾つかの事実を覆い隠すこともできるし、時間稼ぎにもなる。

 彼女が状況を進展させる方法は、『理由が複数あることを見抜く』他無い。

 激情している彼女に、これをやれとはどだい無理な話である。ましてや冷静である筈の補佐官や書記官も、可能性にさえ気付いてやしないのだから、彼から真実を全て引き出すのは最早不可能であった。

(でもこの状況は鬱だな……)

 しかしながら、時間稼ぎにとはいえ感情をむき出しに、ひたすら食って掛かる彼女を相手にし続けるのは、精神衛生上よろしくない。少しは熱を冷ましてやるかと、仁が口を開いた。

「入んぞ」

 短く野太い声が、真正面にある唯一の出入り口から響いてきた時、その必要性は無くなったのだと理解した。

 彼女が振り返ってドアに向かって言葉を発しようとした瞬間に、返事も待たずにその男は入ってきて、そのまま出入り口の前で腕を組んで仁王立ちした。

 一言で言えば、かなり厳つい男だった。ぼさぼさした髪に無精髭を生やし、ワイシャツも皺だらけのだらしない恰好。がたいは良く、身長はドアの上の下り壁に額が当たりかけていた程だ。その男は、中に入ったとたんにぎろりと仁を睨みつけた。

 急に登場し、取り調べの邪魔をした男に彼女は食って掛かろうとしたが、その威圧感に押し黙ってしまった。一方の渦中の人間は意に介さないような、平然とした態度で話し掛けた。

「遅かったですね、大樹だいじゅさん」

 その言葉を起点に、男のいらいらは頂点に達した。

「開口一番にそれか。頭出せ」

「肉体言語で黙らせる気ですか」

「そうでもしねぇとてめえの教えと経験にはならなさそうだからな」

「それは誤解というものですし、この事態は予想外なんですよ。僕としても、予定していた取り調べ担当じゃなくなって困っていたところです」

「それ以前にお前はどれほどの問題を起こしてるかの自覚をしてるか?」

「全員無事に解放されました。ちゃんちゃん。じゃ駄目ですかね」

「事後処理の手間を考えろと言ってるんだよ。ただでさえバスジャック単体の影響は大きいにもかかわらず、てめえのひっちゃかめっちゃかでどれほど事件を長引かせてると思ってる!」

「私を無視するな!」

 仁と男の掛け合いにとうとう我慢の限界が来たらしい。担当刑事は声を荒げ、椅子から立ち上がって、それでも身長に差がある為、男の顔を見上げながらガンを飛ばす。しばらく互いに睨み合いを続け、やがて男が先に口を開いた。

日種礼ひたねあきだな」

「それがどうしたってのよ」

「確か階級は警部補だったな。だったら早く口調を直せ。これでも一応お前の上司扱いなんだからな」

 そう男が言うと、日種礼と呼ばれた彼女は目を見開く。こんな男が自分より上なのかとでも言うかのような、はっきりとした驚愕だった。その様子を見ていた仁は、片を少し震わせ、手で口を押えて声に出さないように笑った。当の本人は、顔を背けて鼻をふんと鳴らす。やがて笑いのおさまった仁が、わざとらしく言った。

「それで、大樹景義おおきかげよし警部。この件はどうなったんです?」

「……一時釈放だ。このままに行け」

 大樹と呼ばれた男はむすっとした顔でそう吐き捨てた。それに礼が驚くのは至極当然ではあった。仁ほどの異常な事件を引き起こす人間を一時的にとはいえ釈放するとは、警察としてあってはならない行為だ。

「待ちなさい! いくらあなたが警部とはいえそんな権限はないでしょう! これ程事件をめちゃくちゃにするような奴を野放しにするわけには」

「もっと上からの命令だよ」

 礼の暴言に被せるように大樹は言ってのけた。その言葉を聞いて、今度こそ礼は呆然とした様子で黙り込んでしまった。その隙をついて仁は立ち上がり、そのまま返答もせずに退出しようとしたが、脇を通ろうとした時に大樹に右肩を掴まれ、阻まれた。

「やっぱりな、だけは許せねぇから後で一発ぶん殴らせろ」

「お断りです」

 その言葉を聞いた大樹は、仁の肩を掴んだ手に力を籠める。少しだけ仁が顔を顰めると、すぐに大樹はその手を放した。

「ひとまずはこれで済ませてやる」

「結局殴る気ですか」

 仁は苦笑しながら退出した。

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犯罪の訓戒 ミウ天 @miuten

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