その後

「……それで、あなたは愛する恋人の手によって左足に足枷を付けられていたため、自由を奪われ、逃げ出すことも助けを求めることもできなかった、と」

 脚の短い、リビング用のテーブルを挟み、私と向かい合わせでソファーに座る四十代ぐらいの男はそう言った。

「はい」

 私は探るような男の目つきに、少し不快感を覚えながらも頷く。

 目の前にいる男はフリーのライターを名乗り、叔母の家に身を寄せている私に面会を求めてきたのだった。

「もう三ヶ月前の話とはいえ、約一ヶ月も監禁されていたとは……。大変でしたね。お気の毒なお話です」

「……」

 いたわるような言葉を私に掛けるが、ライターの言い方には心がこもっておらず、極めて形式的だった。

「あなたは恋人が自殺未遂をするまでに、彼に抵抗したり、隙を突いて逃げ出そうとはしなかったんですか?」

「はい、どうせ逃げられませんから無駄だと思ったんです。けれど、なんとか解放してもらえるように、彼を説得しようとはしました」

「ほう。そうですか」

 ライターは手帳に何やらメモ書きをしつつも、私を見つめる。爬虫類を彷彿させる、鋭い目つきで。口調だって言葉とは裏腹に、全然納得していないことがありありとわかった。

「当時の現場状況、具体的に言いますと寝室の現場検証から、性的接触がかなり行われていたようですが、それは恋人に無理強いさせられてですか?」

「はい。彼に一方的に私は組み敷かれていました」

 私は淡々と、無感動にライターの問い掛けに答えていく。

「まあ、そうでしょうね。いくら恋人とはいえ、自分を監禁する奴なんかと悠長に愛し合ってなんかいられませんよね。怖いでしょうし、自由になるために逃げたいと思うでしょうからそれどころじゃない。恋人とはいえ、行為を強要されれば、それは立派なレイプだ。しかしあなたの場合、少々おかしな点があるんですよね。あなたは彼に本気で抵抗しましたか?」

 ライターは疑いを込めた目差しで、私を問う。

「はい。ですが女の私じゃ、彼の力には叶いませんでした」

 私は不愉快に感じるものの、表情を変えずに答えた。

「相手の抵抗をなくす有効な方法って何かわかりますか?」

「はい?」

 いきなりの話題転換に、私は訝しみながら訊き返した。

「ナイフ等の凶器か相手の弱みを握って脅す。それか――殴るんですよ」

 ライターは私に向かって拳を振るう真似をした。私は思わず目をつぶって、肩を縮こまらせてしまう。

「おや、怖がらせてしまいましたか? 暴力の怖さはあなたがよくご存知のはずですよね。ちなみにどこを殴るのが効果的かご存知ですか?」

「……」

「頭か、跡を他人に見せないために腹を殴るんですよ。いくら男の方が力が強いと言いましても、全力で暴れられちゃ、押さえつけるだけで精一杯ですからね。抵抗を抑えられるようにもっともダメージが与えられるかつ相手に恐怖を植え付けるのに都合がいいんですよ。実際、痛い思いをするよりかは犯された方がマシだと身体が思いますよね?」

「……」

「おや、お答え頂けないですか。つれないですね」

「……」

 残念そうな素振りをライターがしようとも、私は一言も言葉を発しなかった。

「話を進めますが、抵抗されては挿れることすらままならない。だから殴らなければならない。そう考えるとおかしいんですよね。あなたには殴られた痕がない。違う痕ならたくさんあるんですけどね、殴られた痕は一つもない。本気で抵抗したならば、相手もそれ相応に殴ってくるはずなんですけどね。痣の一つや二つは絶対になければおかしい。あなたは本当に本気で抵抗しましたか?」

 ライターの目つきがより鋭くなった。無駄に威圧的かつ問い詰める人。まるでサスペンスで犯人を脅して、最終的には逆に殺されてしまう登場人物のようだ。もっとも私は被害者であり、このライターに殺意など抱いてはいないのだけれど、顔や雰囲気なんかもそんな役回りにぴったりだなと思う。

「まあ、あなたの場合、加害者は恋人だ。相手に気を使ってか、そこまで抵抗できずに流されてしまったと考えることもできますけどね。ですがおかしな点はそれだけじゃない。あなたは左足に足枷を付けられ食事、排泄、風呂以外は基本的にベッドの脚と鎖で繋がれていたんですよね?」

「はい、そうでしたが」

「そしてその足枷のせいで自由に動けず逃げ出せなかったと」

「はい」

 私は肯定する。

「ですが、鎖の長さ分は自由に動けましたよね?」

 ライターはより目つきを鋭くした。

「はい。ですが、二、三メートルぐらいです。逃げ出すことはとてもじゃありませんが、できませんでした。それに彼は食事の準備や後片付けの時以外、ほとんど私の傍にいました」

「それはつまり、食事の準備や後片付けをしている間は寝室に一人きりだったということですよね? その間に本気で逃げ出そうとはしましたか?」

 ライターは私を問い詰め続ける。

「ですから、私は足枷で繋がれていたので逃げ出すことはできませんでした。私の力じゃとてもじゃありませんが、金属製の鎖なんて引きちぎれませんでした」

「あなたは足枷のせいで恋人が見張ってない時でも、逃げ出すことはできなかったとおっしゃるんですね?」

「はい」

「外部に助けを求めることもですか?」

「はい」

 私は頷く。二、三メートルぐらいしかない鎖では、彼の寝室から出ることすら叶わなかった。それに電話は寝室の外のダイニングにあるし、携帯はバッグごと彼にどこかにやられてしまっていたから、誰かに助けを求めるようにも伝える手段がなかった。

「ほう……。ならば質問を変えます。あなたは自殺未遂をし、手首を深く切り血まみれで倒れていた恋人を見つけた後、どうしましたか?」

「それはあなたもよくご存知だと思いますが」

 私はそう言った。私と彼のことは世間を賑わせ、ついこの間まで警察やマスコミがたくさん事情聴取や取材と称し、根掘り葉掘り聞きにここへやってきた。目の前にいるフリーのライターであるこの男も、それを聞きつけて私のところへと来た部類だろう。今までの話しぶりからもかなり色々なことを調べてきたに違いない。

「では私が見聞きした通りという解釈でよろしいですか? あなたは手首を深く近くに落ちていたことからカッターナイフで切り、血まみれで倒れていた恋人を見つけた後、なんとか彼を助けるために大通りに面している寝室の窓を開け、大通りを歩く人に大声を出し、助けを求めた、と」

「はい」

「あなたは恋人をなんとか助けるために足枷を付けられたまま寝室の窓を開け、大通りを歩く人に大声を出し、助けを求めたんですね。そしてあなたの声に気づき、通りすがりの人が救急車を、それとあなた自体の状況のおかしさに気づき、警察を呼んだんですね」

「はい、そうです。足枷の鎖は、窓までならギリギリ伸びて近づけました」

「足枷を付けられていてもあなたは窓まで近づくことができ、なおかつ助けを求めることができたんですね」

「はい。ですから、彼をなんとか死なせずにすみました」

 私は言った。ライターが述べたことは事実だった。

「足枷を付けられていてもあなたは窓まで近づくことができ、なおかつ助けを求めることができたんですね」

 ライターはさっきよりも強い口調で同じ言葉を繰り返した。

「……はい、そうですが?」

 私は眉を潜めた。なぜ同じことを二度も訊くのだろうか?

「足枷の鎖は寝室の窓まで近づける長さがあった。つまり、あなたは恋人がいない時ならいつでも助けを求めることができたはずなんですよ!? これは一体どういうことですか?」

「彼はほとんど私の傍にいました。助けを求める隙なんてありませんでした」

「あなたはさっき言いましたよね。『食事の準備や後片付けの時以外』だと。他にもあった可能性もありますが、その時になぜ窓まで近づいて助けを求めなかったんですか? あなたに本当に逃げ出す意思はありましたか?」

 ライターは問いを畳み掛ける。

「……」

「答えて下さいよ」

「……」

 ライターに催促されても私は黙る。

「あなた自身も監禁され続けていたいとでも思っていたんじゃないですか? 恋人と二人きりの世界にでもとじこもりたいとでも思っていたんじゃないないですか?」

「……だったらどうだと言うんですか?」

 ライターの声音に嘲りが含まれていたため、不快感を滲ませながら私は言った。

「やはりそうでしたか。別に私はどうとも言いませんけどね。過ぎ去ったことに対してどうこう口出ししたところで意味がない。大人がすることじゃない、非常に子供じみていたとは思いますけどね」

 ライターはそう吐き捨てた。別にこのライターにどう言われようと私の思いは何一つ変わらない。彼と一緒にいることが私の一番の幸せで、彼がそれを望んでいたのだ。現実ではそれが許されないから、彼の社会的信用のためにも説得だけは続けたけれど。

「彼がそれを望んでいたんです。私には不安に押しつぶされそうになっている彼を見捨てるなんてことはできませんでした」

「『彼がそれを望んでいた』。果たして本当にそうでしょうか?」

「どういう意味ですか?」

 ライターの引っ掛かる言い回しに、私は眉を潜めながら訊き返した。

「足枷の鎖は寝室の窓まで近づける長さがあり、あなたには助けを求めることが可能だったと私は言いましたよね。なぜ、そんなに鎖は長かったんでしょうか? あなたが監禁されていた現場でもあるあなたの恋人の家にも取材で行ってきました。警察が捜査し終えた後だったとはいえ、とても綺麗な所でした。一人暮らしの男の部屋とは思えない程に。食器や調理器具は種類別に一つの例外もなく収納されていましたし、本棚の本はジャンル別、形態別、作者別あいうえお順と本屋のようでしたし、その他様々な物が異常な程しっかりと整理整頓されていました。完璧に。このことから、あなたの恋人はかなり、いや異常な程に几帳面な性格だと私は推測したのですが、いかがでしょうか?」

「……確かに彼は几帳面だったと言えるかもしれません」

 私は答える。ライターの言う通り、彼は何事もきっちりとしなければ気がすまない性格であった。けれど、決してそれを他人に押し付けたりはしなかった。いつだって自分にのみその几帳面さを向けていた。

「一般的には足枷の鎖が窓まで到達してしまうことはあなたの恋人にとって想定外だったと考えられるでしょう。しかし、異常な程几帳面なあなたの恋人が、果たして鎖の長さを見誤るミスなんて犯すでしょうか?」

「何が言いたいんですか?」

 このライターの意図がわからない。なぜかと訊かれたところで、鎖の長さ云々の事実は変わらない。私のことを責める以外に意味などないはずだ。

「私はこう考えているんですよ。あなたの恋人は意図的に足枷の鎖を大通りに面している窓まで行けるようにしていた、と。それと、監禁生活に終止符を打つ日、自殺未遂をした恋人はどこで倒れていましたか?」

「……ダイニングです」

「そう、ダイニングだ。寝室の隣がダイニングですよね。そして、あなたの恋人は寝室のドアを開けてすぐあなたから見えるであろう位置――テーブルの前、しかも寝室に近い方で手首を深く切り、倒れていましたよね」

「はい」

 私は頷く。

「もしこれが台所であったり風呂場、玄関等、寝室から離れた場所でしていたのなら、あなたは彼が自殺しようとしたことにすら不審には思えど、気づけなかったはずだ」

 ライターは一度言葉を切った。

「あなたの恋人の家の生ゴミからは血が付着したティッシュと使用済みの包帯が多数見つかったそうです。生ゴミは三角コーナーに小さなビニール袋をセットしておいて、それに集め、こまめに別の大きなゴミ箱に捨てひとまとめにしていたんでしょうね。ゴミ袋の中にはさらに小分けされたビニール袋が詰まっていたそうですから。そして、それらのいくつかから血が付着したティッシュと使用済みの包帯が見つかった。それから、あなたは『食事の準備や後片付けの時以外』恋人が傍にいたと言っていました。プラスあなた自身は彼が自傷する現場そのものを見たことがない。これらの事柄から、あなたの恋人は普段、台所で食事の準備ないし後片付け時に手首を切っていたと推測できるんですよ。つまり、本来なら自殺未遂をするとしても、台所でしていないとおかしいんですよ」

「おかしいと言われましても、彼が倒れていたのはダイニングのテーブルの前です。これは事実です。絨毯に血痕が残っているはずですし、私は嘘なんてついていません」

 私はそう言った。このライターは足枷の鎖のことといい、なぜか私の何かを疑っている節がある。私は事実を捻じ曲げてなどいないのに。

「誰もあなたが嘘をついてるとは言っていませんよ。あなたは事実を答えることに関してだけは信用できますから。私はただ疑問に思っているだけですよ。そしてある結論に達した」

 ライターはまっすぐ私を見つめる。

「あなたの恋人はあなたに自分のことを止めて欲しかったのではないか? と」

「私が、彼を、止める?」

 想定外の言葉に私は呆然と訊き返してしまった。彼は私の存在を、愛を疑ってい、恐れていた。はたから見ると意味がわからない、理解できないを通り越して滑稽に映るかもしれないが、そうとしか言えない不安に彼は震えていたのだ。そして彼はそんな自分自身を嫌い、憎んでいた。

 私にできることはそんな彼の傍で、何をされても寄り添い続けてあげることだけだった。そうやって自分の存在を示し続けることで、彼の恐怖が消え去ってくれる日を待った。ずっと一緒に二人でいられることが少し嬉しくもあったけれど、彼が苦しんでいる様を見ているのはつらかった。

「足枷の鎖が窓まであなたがいける長さにされていたのは、あなたが外部に助けを求めることをあなたの恋人が望んでいたからじゃありませんか?」

「そんな……。そんなわけありません。そんなことをしたら彼は私の傍にいられなくなって、そのことに対する不安で押しつぶされてしまいます。だから彼は私のことを監禁したんですから」

 私は反論する。彼は私がいなくなることを恐れていたのだ。そんな、自分から私を遠ざけてしまうような真似をするはずがない。

「そうですね。あなたの恋人は世間から見たら、取るに足らないくだらない動機からあなたを監禁しましたからね。非常に心の弱い人間だったんでしょうね」

「彼を悪く言わないで下さい!」

 ライターの言葉が聞き捨てならなくて、私は怒鳴った。私のことはいくら悪く言われても構わないけれど、彼を貶すことだけは許せない。

「……これはこれは、失礼致しました。少し口が過ぎたようです。しかし、あなたの恋人は事実、精神的に弱かったのではありませんか? そして自分を責めやすく、几帳面さも相まって完璧主義なところがあったんじゃないんですか? それ故に挫折を繰り返してきたようですし、自分を追い詰め病んでしまったんでしょうね」

 ライターはわずかに目を見張り、謝罪の言葉とともにそう続けた。

「……確かに彼は人よりも少しだけ弱くて、自分を責めやすい人でした。けれど、彼は優しかったです。ずっと自分がしていることに対する罪悪感に苦しんでいました」

「そこですよ。あなたは恋人は優しくて、あなたを監禁しているという事柄について罪悪感を覚えていた。そしてそんな自分を責めていた、と言った。だからこそ、あなたが外部に助けを求めることを彼は望んでいたんですよ。精神的に弱くてあなたを監禁してしまい、解放することが自分からは決してできない。しかし、本心ではあなたを監禁し続けていたくはない。彼はそのような思いから、あなたの手から外部の力によって、自分のことを止めて欲しくて、足枷の鎖の長さを窓まで届くようにしておいたのではありませんか? あなたの恋人はあなたがおっしゃるように、優しかったそうですから」

「……」

 私は何も返せなかった。ライターの言う通りなのではないかと考えてしまったからだ。彼は自分自身のことよりも相手に対して気を遣う。そして、自分に一番厳しい。

 彼は私を一方的に組み敷いたりしてひどく扱おうとした。私に自分のことを嫌いになっただろうとかひどい奴だろうとか責めさせようとしていた。

 私はそんな彼に対して、ひたすらそんなことないと否定して、私の愛を信じてもらえるように全てを受け入れてきた。それこそが彼のためになると思っていたからだ。けれど、彼が望んでいたことが目の前のライターの推理通りだとしたら、私がしてきたことは一体何だったんだろうか? ずっと彼の意思に反し続けてきたことになってしまう。

「そのようなこと、あなたは気づきもしなかったようですが。恋人と一緒にいることを一番とするあなたに、あなたの恋人の意思をわかれというのは酷な話だ。あなたの性格を考慮しなかったあなたの恋人が悪いと私は思いますよ。それに彼は根本的なところでは甘い――いや、生きたいと思っていたようですからね。ダイニングで自殺未遂をしていたのがその意思の表れだ。本気で死にたければ、いつも通りあなたに見つかることのない台所で手首を切れば良かったんですよ。しかし、常時リストカットをしているあなたの恋人がなぜ、突然いつも異常に深く切って本格的に自殺を図ろうとしたんでしょうね? 何か大きなきっかけがありませんと、そのようなことにはならないはずですが」

 私の方へ探るような視線をライターは遣る。

 きっかけ……。それはきっと彼が自殺未遂をする前日のことだ。彼があの日一番揺らいだのは、私がプロポーズした時だ。つまりそれこそが原因。

 彼の方から私のためにいつか切り出したかったのは確かに知っていたけれど、それはもう無理だと思ったから。そう言ってあげた方が、彼の不安が和らぐと思ったから。

 でもそれは、より彼を追い詰めることにしかならなかったのだ。

 私は唇をギュッと噛んだ。

「何か心当たりがおありのようですね」

 目ざとく私の様子にライターは気づいたようだ。

「……」

 私は黙る。このライターにそのことを話したくはなかった。

「私に話したくないみたいですね。別にそれでも構いませんが。私は自分の推理の確証と、この事件の全体像を大体把握できたので満足していますから。記事を書く上ではもう何も困ることはない。ただ、最後に一つ、これだけはお聞きしたい。今まで私があなたにお話したことを含めて答えて下さい」

「なんですか?」

 私はそう言った。なんとなく今から問うことこそ、ライターが私のもとを訪れた一番の理由のような気がした。だってこのライターは私に事実確認と、自分の推理とやらをひけらかすことしかしていなかったから。

「まず、念のため確認を一つ。あなたのお腹には今、子供がいますよね? 恋人に妊娠させられた、おそらく三ヶ月ぐらいの」

「はい。彼との間で授かった子供です。あなたがおっしゃる通り、妊娠三ヶ月です」

 私は自分のお腹をさすった。ライターの言った通り、私の中には彼との子供がいる。

 彼と私の約束までこのライターが知っているかはわからないが、あの惨状を調べればそれぐらい推測することは可能だろうから、別に指摘されても驚くことはなかった。

「その子供、どうするつもりですか?」

 ライターはそう尋ねた。どうやらこの問いが、一番私に聞きたかったことのようだ。

「産みます。彼との子供ですから」

「無理矢理犯されてできた子供にも関わらずにですか? そしてあなたの恋人は生きてこそいるものの、昏睡状態。ここ三ヶ月間ずっと眠ったままで、起きる兆しも全くない状態なのにですか?」

「それでも産みます」

「あなたは過去に、監禁されこそしなかったものの似たようなことをされてできた子供を中絶されましたよね? 今回も中絶しないんですか?」

「アレは私の子供なんかじゃない! アレは単なる異物でした。だから取り除きました。それだけです」

 私は強く否定する。動揺から声が震えてしまった。それは母を亡くし養育者に逆らえなかった日々の中でのこと。このライターは私の忘れ去りたい過去までほじくり返すように調べたようだ。

「確かにこの子も無理強いされ続けた末にできた子供だと思います。けれど、彼は私を愛してくれました。私を人として扱ってくれました。優しくしてくれました。こんな私を愛してくれた彼との子供なんです。だから、産みます」

「あなたの恋人は眠り続けた状態。目覚めたとしてもまともな収入も期待できない。あなた自身も現在は無職ですよね。そんな状態にも関わらずに産むんですか?」

「お金はなんとかします。何をしてでも集めます。誰の手だって借りますこの子をきちんと産んで育てられるようにします」

「……あなたの恋人はそんなあなたの姿を見てどう感じるんでしょうね」

 ライターは声のトーンを落としてそう言った。

「私のお腹を――産んだ後でしたらこの子を見て彼はきっと私のことを、私の愛を信じてくれます。私が彼を愛していることを、ずっと傍にいるんだってことをきっと今度こそ完全に信じてくれます。だから私はこの子を産んで彼にそのことを伝えなければならないんです」

「……子供は――いや、あなたにとってその子供は、愛とやらを証明するための手段の一つなんですか?」

 苦々しい表情を浮かべるライター。今までの刺のある嫌味な口調も含めて、このライターが私のことを良く思っていないのは確実だろう。

「この子は、私と彼の愛の結晶です。私と彼の愛の証明なんです。けれど、それだけじゃありません。この子のことも、彼との子供だから愛してあげます。きちんと育てます」

「『愛の結晶』。吐き気がしそうな例えですね。そんなもののための生命とは、その子が可哀想だ。そしてその子供があなたの恋人をさらに追い詰めることになるかもしれないとは、あなたは考えもしないんですか?」

「彼を、さらに、追い詰める?」

 語調を強めるライターに私は訊き返した。

「そうですよ。あなたの恋人は精神的に弱かった故にあなたを監禁した。そして最終的に何かきっかけがあったものの、自殺した。未遂でしたがね。足枷の鎖の件のことも含めて、彼は自分のことを責め罪悪感を覚えて、自殺したんでしょう。そんなあなたの恋人が、妊娠しているあなたを、または生まれてきた子供を見たらどう思うでしょうか? その子供はあなたの恋人が犯した罪そのものですよ。きっとその子供を見る度に彼はあなたにしでかしてしまったことを突きつけられ、苦しむでしょうね。苦しむだけならまだいいですが、また精神をより病んでしまったりしたら、何をしでかすかわからない。そのような危険性を含めて考えましても、あなたはそのお腹の恋人の子供を産むとおっしゃるんですか?」

 鋭い目差しを私に向けながらライターは問い掛けてきた。

「産みます。この子は罪なんかじゃありませんから。たとえ彼がそう思ってしまっても、そうじゃないって教えてあげるんです。私がこの子を産むことで、彼に愛してるって、大好きだって伝えるんです。今度こそ、彼はきっと私の愛を、存在を信じてくれます。また以前のように、愛し合えるようになれると思います」

 私は怯まずに自分のお腹に手を当てながら平然と言った。この子を産めば、きっと不安に怯えなくて済む。また優しい彼に戻ってくれる。

「……あなたはどうやら恋人と監禁前の関係、あなたの言葉をお借りするならば『愛し合える』関係に戻ること、あくまでも彼と一緒にいることを第一に考えるんですね。その子供も恋人と一緒にいるための存在であり、愛とやらの証明材料でしかないようだ。彼の方は、一連の行動からあなたにはもう自分から離れて欲しいとでも考えていたんじゃないか、と私は思うんですけどね。まあ、結局のところ、赤の他人がどうこう口出しするべきことではないんでしょうね」

 ライターは呆れたように息を吐くと、メモに使っていた手帳を閉じた。

「本日は私の取材にご協力下さり、ありがとうございました。あなたのお話が聞けて大変有意義でした」

「……そうですか」

「ご安心下さい。あなたが故意に監禁され続けていたことや、あなた自身の過去についてまで記事にする気はありませんから」

「……」

 あまり思い出したくはないけれど、記事にされたところで私は別に困らないのだが。

「最後まであなたはつれない人ですね。まあ、私のことを快く思っていなくても仕方ありませんが。それでは私はこの辺で失礼致します」

 ライターは立ち上がった。私はソファーに座ったまま、ライターがリビングから去るのを横目で見ていた。形式的な見送りはきっと叔母がしてくれるだろう。

 私は自分のお腹に手をあてながら目をつぶった。まだ体調の変化以外で子供がいるという実感はないけれど、私の中に彼との生命が宿っていることを確かめる。そして、彼のことを思い出す。

 不安定な時も多かったし、いつも怯え苦しんでいたけれど、きちんと毎食料理を食べさせてくれたし、行為を無理強いされ続けたりしたものの、私に何かを強制することはなかった。それに彼はなんだかんだで謝り続け、私を気遣うことを忘れなかった。本当にひどいことは何もされなかった。彼は根本的にはずっと優しかった。

 彼の笑った顔を思い出す。彼に監禁される前のこと。彼はいつも穏やかな表情をしていたけれど、笑うことは意外にも少なかった。どこか見守る感じに穏やかな視線を常時向けてはいたけれど、心の底から笑うことは少なかった。だから口の端をわずかに上げふわりと笑う彼の表情を見ると嬉しくて、そこも好きと告げると照れる彼の様子を眺めるのもまた楽しかった。

 私のことを思いやろうと生真面目に慎重過ぎるくらい気を遣って優しくしてくれた彼。私もそんな彼に応えようと奮闘して、お互いのことを知ったり近づいて、時には失敗してすれ違って離れたりしたけれどそんなのはすぐに解消してどんどん深く繋がることができた。お互いに気持ちよくなれる部分を探り合ったり、色々なことを二人でしてきて寄り添い合うようになった。

 彼の触れる時の手つき、唇、体温。その全てを今でも思い出せる。私は彼の手つきを思い出しながら、それをまねるように自分の胸を触る。

 寂しい。監禁されている間は毎日、それ以前も頻繁に彼と一緒いて触れ合っていた。彼の傍で、常に彼を感じていられた。それが今はない。回想するしかない。

 彼はいまだに意識が戻らず眠ったまま。出血多量でかなり危険な状態であったけれど、今は適切な手当がされていつ目を覚ましてもおかしくないのに、彼は起きてくれない。

 目を閉じたまま、安らかな表情で眠り続けている。もしかしたら、このまま眠り続けていた方が、彼にとっては幸せなのかもしれない。でも、私は彼に目覚めて欲しい。だから、その日が早く来ることを願い、待ち続ける。

 お腹の、彼が授けてくれた子供と一緒に。

 ライターが言っていた通り、彼は私に、もう自分の傍にいるのを、好きでいることをやめて欲しいと思っているのかもしれない。私を傷つけたくないから、自己嫌悪から優しい彼はきっとそう考えているだろう。

 けれど、私は彼が大好きで、誰よりも愛している。彼なしで生きていくことなんて考えられない。彼と一緒にいたい。彼がいないと私は生きていけない。

 撫でてくれる手も、抱き締めてくれる腕も身体も、今はもうない。私と彼を繋いでいて感じられるのは、私のお腹いる彼の子供だけ。この子を産んで育てることだけが、私が彼に対して今できる唯一のこと。私が今、彼に愛していることを証明し続けられる手段はそれしかない。

 またきっと、以前のように彼と愛し合えるようになるのだ。そうなることだけを、私は望んでいる。

 そう考え、この子を産む。そして、育てる。そうやって彼が目覚めるのをずっと待つ。もし彼が目覚めたら、きっとそんな私の愛を信じてくれる。

 そう思い込み、拠り所にしなければ、私は生きていけない。目の前が真っ暗になって、どうすればいいのかわからなくなってしまう。

 私はあなたが目覚めて、また二人で愛し合える日をずっと待ち続ける。

 私は自分の身体を抱き締める。大好きな彼のことを思い浮かべながら。けれどその彼はどこか悲しげな表情をするだけで、笑ってはくれなかった。













END.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛の証明 七島新希 @shiika2213

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ