僕っていう人間は、自分がされて嫌なことを相手にしないという、小学生にも分かるような理屈を、実践できない愚か者なんだ

 放課後、僕は急ぎ足で校内を駆け下り、近くのバス停まで向かった。授業が終わるとともに教室を一目散に去る僕の姿は、主観的に見ても結構変だったと思うけれど、幸いなことに誰にも話しかけられることはなかった。その理由が、話しかけてくれる友人の存在の欠如だという事実を無視すれば、確かに僕は幸せ者だった。


 早歩きで向かったのだが、目的の場所にはすでに待ち合わせていた人物がたたずんでいた。僕が言えたことでもないけど、もしかしてあいつって友達少ないんだろうか?

 その人物は僕の姿を視認すると、糸人形のように機械じみた動きで僕に手を振った。僕はその人物の座るベンチの隣に腰掛け「よう」とでも言った。


「結構早かったな、コナー。もしかして、コナーって学校にあんまり友達いないタイプ?」

「勝手に自分の価値観にわたしを当てはめて、勝手に親近感を覚えないでくれる?」


 耳にいたいお言葉だ。ぐうの音も出ないほどその通り過ぎて、僕にはなにも言い返せない。情けないことこの上ないな。僕がコナーから敬語で呼ばれない理由がようやく解った。


「ごめん。僕っていう人間は、自分がされて嫌なことを相手にしないという、小学生にも分かるような理屈を、実践できない愚か者なんだ」

「そんな理屈、実践できる人間なんて見たことないけど……。戯言はともかく、来たよ」


 コナーが道路の先を指差す。信号待ちしているバスの額、そこには町の中央駅の名前と『206』と記された行き先案内板が引っ付いている。僕たちはこれからあのバスに乗る。駅の改札に現れた、『超能力者』の正体を探るために。


 結論から言えば、僕はバスターミナルの待ち合いベンチでは、超能力者の謎を解くことはできなかった。想像はしたものの、どれも机上の空論の域をはみ出ない妄想(もっとも、待ち合いベンチに机はなかったが)で、いまいち具体性とリアリティに欠けていた。妖怪改札お化けの仕業や、この町に巣食う異能力者の実地試験という僕の案は、お姉さんにはともかくコナーには通じなかった。それならば、コナーが納得する解答を作り……探し出すほかあるまい。僕はコナーに相談し、今日の放課後に二人で集まって実験を行うことにしたのだ。


「よし、コナー。実験の前に前提を確認してみよう」

「前提?」


 ゆっくりと発車したバスの中、僕の隣の二人席にちょこんと座ったコナーは、小首をかしげて僕に問い返した。


「僕たちが乗っているバスは『206番』のバス、中央駅行きだ。ここのバス停からバスターミナルまでの道のり約二キロメートルを、約七、八分で走る。つまり、ある程度限られてくるけど、な速さで運行するバスだ」

「……でも、わたしが見た男子高校生は息一つ乱れてなかったよ。それこそ、『なんてことなさそうな顔』をしてた。それに、わたしが帰る時間に居合わせたんだから、その人はきっと帰宅部の人でしょ? 陸上部員ならともかく、そんなに速く走れて息一つ乱れない帰宅部員なんて、いるのかな?」


 コナーが純粋に不思議そうに、僕の意見を求めてくる。僕だって、そんなハイスペックな帰宅部員がいるなんて、思っちゃいない。可能性の話しをしただけだ。しかしやはり無理が有るか……。


「……納得してもらえないか。じゃあ仕方ない、実験を始めよう」

「実験?」


 再び首を傾げるコナーに答える代わりに、僕は無言で窓の外に手を向けた。僕が指し示すその場所には、陽気な顔で自転車にまたがる男子高校生が居た。彼は僕とコナーの視線に気づくと、朗らかに手を振ってくれた。僕が早足で教室を飛び出しても誰も引き止めてくれなかったのは、引き止めてくれる友人が居なかったからではなく、その友人が準備中だったからだ。


「あいつは僕の友人で、協力者だよ。自転車に乗って、どれだけ速く駅にたどり着けるか。そして、僕たちより速く改札に息一つ乱さずに行けるのか。バスに乗ってないんなら、自転車乗りしか無理だろうしね」

「なるほど……」


 確かに僕は、超能力者についてバスターミナルでは確実な答えを導きだせなかった。だけど一番可能性が高いのは、やはり自転車乗りだとは思っていた。平均的なスピードではバスに劣るが、小回りやスタートダッシュの速さではバスを遥かに上回る性能を持つ自転車。かの乗り物なら、バスに乗った僕たちより速く駅にたどり着いてくれるだろう。

 とはいえ、推論にほつれを許さないために、僕たちもできる限り作戦を練っておこう。


「よし、コナー。僕たちはあいつの運転する自転車に遅れを取らないように、できるだけ素早く改札まで向かう必要が有る。バスを降りてからの移動に時間を食ってちゃ、世話ないからね。ここで、駅の構造について説明しておこう」

「……わかった、よろしく」

「まずはバスターミナルのことから始めようか。あのバスターミナルには、乗客を乗せたバスを入れる出入り口は、実は一つしかない。駅の中に併設されてる屋内バスターミナルだからね、スペースとしてはそんなに大きくないんだ」


 ここで一旦話しを区切って、窓の外を見やる。友人が乗る自転車は、順調にバスに並走している。


「そして、ターミナルの作りは大きく分けて三つに分けられる。一つは、僕たちが今日バスを待っていた青乗り場。もう一つは、コナーが迷って足を踏み入れかけた赤乗り場。最後に、今僕たちが向かっている専用バス降り場」

「迷ってないから! 絶対に迷ってないから! 赤乗り場がわたしを呼んでただけ!」


 それが本当なら、超能力者なんかよりそっちの方がよっぽど怪奇現象だ。


「……位置は、西から順に、バス降り場、青乗り場、赤乗り場、改札。全ての場所は、地下の連絡通路を通じてすべて繋がっている。どこの階段から出ればどこに出るのか分かりにくいから、別に迷ったって恥ずかしくないんだよ」

「そ、そうかな……って、迷ってない!」


 強情な娘だ。からかいがいがある。


「……さて、それじゃあ駅につくまでの間、楽しく歓談でもしてようか。コナー、お前って『地下鉄に乗れっ』シリーズのキャラクターの中で、誰が一番好き? 僕はやっぱり松画まつがえみちゃんかな」

「話し逸らすな! わたしは別に……」


 そこまで言って、コナーは押し黙る。僕のからかいに怒ったのか、松画ちゃん派ではなくやはり太秦ちゃん派だったのだろうか、と僕がくだらない勘ぐりを巡らせるが、どうも可笑しい。コナーはバスの後ろを眺めて、メデューサに睨まれたように固まっている。ペルセウスでも勇者でもない僕は、なんの準備もせずにコナーの向いた方を見る。そこには、ある意味でメデューサより衝撃的な光景が広がっていた。


 『録音寺行き』と銘打たれた行き先案内板と、『204』と記された電光。僕たちが乗るバスと、全く同じ造形をしたバスが、遠くに見えた。僕たちを追い抜かさんとするように、ゆっくりと、しかし着実に距離を縮めながら。



 

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