【短編】僕でお姉さんのではない後輩
夜乃偽物
僕には反骨精神なんて欠片もないよ。あるのは強者への服従心だけだ
あくまで僕個人の意見なのだが、『春』という季節はよろしくない。世の中は、桜や新しい出会いに舞い上がっているが、僕のような捻くれた学生には、春は迷惑以外のなんでもない季節なのだ。地下鉄やバスにはうるさい輩が増え、新学期に向けて諸々の用意を買いそろえねばならず、新しく配属されたクラスには馴染めない。まさに、百害あって一利無しだ。おまけに、今年は受験勉強まで加わってくる。改札を抜ける僕の歩調が、亀のようにのろのろとしたものになってしまうのも、むべなるかなと言えるだろう。
そんな風に、だらだらと歩いていたのがだめだったのかもしれない。緩慢な僕の目線が、目の前にちょっとした異常をとらえてしまった。
改札からバスターミナルへとつながっているスロープの先、一人の女学生がまごまごと辺りを見回しているのが見つかった。青のセーラー服に灰色のカーディガン、腰まで届くほどの長いツインテールが可愛らしい子で、制服から察するに僕が通う高校の生徒らしい。女生徒は、潤んだ瞳で手持ちのスマートフォンと、道案内の掲示板をにらめっこしている。僕の見立てでは、おそらく一年生だろう。
さて、どうしたものか。僕は足を止めて、これから自分がするべきことを考える。恐らくだが、あの女生徒は道に迷っている。このバスターミナルには、赤乗り場と青乗り場という、二つのバス乗り場が存在しており、最初のうちはどちらを利用していいか迷う人が多いのだ。僕とあの女の子が通う高校に向かう乗り場は青乗り場から乗るバス、もしあの女の子が赤乗り場のバスに乗ってしまえば、遅刻は免れない。いや、決して僕の体験談とかでなく。
ここで、もう一度女生徒を見てみる。二つの乗り場へと別れている階段の前でうろちょろしているが、見たところ、心は赤乗り場に傾いているようだ。このまま放っておけば、女生徒はどことも知れない観光名所に飛ばされてしまうことだろう。はて、どうしたものか。
「……
しかし僕選手、これをスルー。意外かもしれないが、僕は基本的に『ひと助けはしない』。僕の百八の主義の一つであり、すべての主義の基本ともなる理念だ。僕は、残りの人生に置いて、もう二度と自分からひと助けなんてしたくない。それに、僕のちっぽけな善意が、女生徒にとってどんな影響を及ぼすかなんて分からない。偽善だと思われるかもしれないし、恥だと思われるかもしれない。女生徒のためを思うなら、ここは手を出さないのが得策だろう。
こんな自己正当化をしないといけないところを見ると、どうやらまだ僕には、ひとを完全に見限る勇気はないらしい。
頭の中で御託を並べるのを止め、ついに赤乗り場への階段におずおずと足を踏み出した女生徒を見送り、青乗り場へと向かう。悪いとは思わないし、同情もしないけれど、これだけは言っておこう。大丈夫、君ならここに戻って来れる。僕でもできたんだから。
「……んん?」
構内の狭い道の先に、僕をじいっと見つめる見知った影があることに気付いた。その人物は、ちょうど僕と女生徒の間に立っており、両方に代わる代わる顔を向け、やがて覗き込むように僕を睨みつけた。僕を見つめる影ーーつまりお姉さんは、いたいけな女生徒を見捨てた下手人僕を、興味深そうに眺める。まるで、『そんなことして良いのかな? んん?』と、僕を煽るように。
「……やれやれ」
一昔前のライトノベルの主人公のような感嘆詞を吐いて、胸を押さえながら階段を上る女生徒を追う。一言も口にはしなかったが、お姉さんは僕に脅しをかけた。もしこのまま女生徒を放ったらかしにすれば、後々どんな目にあうか分からない。ここは僕の百八の主義の一つ、『強者には媚びる』に従うべきだろう。
***
「……ま、知ってたけどね」
英国紳士さながらの爽やかな忠言をした僕に、女生徒が初めて口にした言葉がこれだった。どうやらプライドの高いお嬢さんらしい。泣きそうになりながらうじうじしていたのを僕が見ていたことを知れば、どんな顔になるのだろう。興味はあったが、流石に可哀想だったので止めておいた。
今僕は、いつも通りバスターミナルの待合ベンチに、お姉さんと一緒に座っている。いつもと違うのは横に小生意気な少女が座っていることだけだ。気まずい沈黙が僕らを包む。少女は仏頂面、お姉さんは僕が黙ったままなのがよっぽど面白いらしく、口元を押さえて俯いている。
どうにも息苦しかったので、僕が携帯電話を使用するフリでもしてようかと懐を弄っていると、
「……あんた、名前は?」
「……僕? 僕に聞いてんの?」
「そうだよ。名前なんていうの?」
固く唇を結んでいた少女が、倦怠感丸出しの低い声で僕に問いかけてきた。普段なら、知らない人に名前を明かすな、という両親の教えをキッチリ守る僕なのだが……。この雰囲気で話題が無いままというのもアレなので、仕方なく答えた。
少女は、僕の名前を聞いても眉一つ動かさず、面白くもなさそうに、
「そ、じゃあロック、一応お礼言っとく。あたしは
「僕の名前を、社会契約説を唱えたイギリスの哲学者みたいにもじるな」
いまだ聞いたことのない愛称で僕を呼んだ。なんだか、反骨精神の塊のようなあだ名だ。
「いいじゃん、似合ってるよ」
「全然似合ってないよ! 僕には反骨精神なんて欠片もないよ。あるのは強者への服従心だけだ」
「それもどうなんだ……」
頭を押さえて首を振るお姉さんと鹿児小菜。初対面なはずなのに随分波長が合ってらっしゃる。
「まあ気にすんなよ。このバスターミナルは広いからさ、最初のうちは迷うこともあるさ。恥ずかしがることないよ、コナー」
「だから、別に迷ってないって! てか変な名前で呼ぶな! 」
仕返しに、僕もあだ名を付け返してみる。こう見えて、僕は結構野球が好きなのだ。ロジャー・コナーは良い選手だった。
「……まあいいや。で、ロック。ロックって、この駅とかバスターミナルのことに詳しいの?」
「詳しいってほどでもないけど……まあ、ここを利用し始めてもう二年だし、大抵のことには答えられると思う」
それほど大事ではないので今まで放っておいたけど、コナーは僕が上級生であることを知っててタメ口なのだろうか?
「そうなんだ。じゃあ、ちょっと聞いていい? 気になることが有って」
「気になること?」
この駅について気になることとは、一体なんだろう? バスの運賃や、出口の場所がわからないのだろうか?
僕がそんな平凡な悩みを想像していると、コナーはやおら口を開き、思わぬ疑問を投げかけてきた。
「この駅にさ、超能力者が出るんだ」
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