おじいさんの薔薇
霜月りつ
おじいさんの薔薇
「今年は花が咲くかねえ、ばあさん」
庭の薔薇に水をやりながらおじいさんが言いました。
でも答えるものはおりません。
おばあさんは昨年の春に亡くなっていたからです。
「去年はばあさんの葬式やなんかで水をやるどころじゃなかったからなあ」
それでもおじいさんは独り言を続けます。
いつもいつも、そばにはおばあさんがいて、おじいさんの言葉に優しい相槌をうってくれてました。
その癖が抜けないのです。
「今年咲かなかったら……もういいかのう」
一人きりのこの家で、一緒に住もうと言ってくれる息子夫婦の誘いを断り続けているのは、庭の薔薇のせいでした。
おばあさんが毎年丹精していた自慢の花を枯らしたくなかったからです。
でも去年おばあさんが亡くなって、夏に咲くはずだった薔薇はなぜかつぼみのまま枯れてしまいました。
それから一年、おじいさんはせっせと世話をして、ようやくつぼみが丸くふくらんできたのです。
もう二、三日で咲く頃でしょう。
でもおばあさんがいないから、薔薇も寂しくて開かないかもしれない。
そんなことも思いました。
「もし、咲かなかったら……」
おじいさんは水やりの手をとめて空を見上げました。
「わしもばあさんのところへ行こうかのう」
その夜は満月でした。
おじいさんはぐっすり眠っていました。
満月は不思議に青く、大きく、透明な光を空から街に投げかけています。
青い月の光が障子ごしにおじいさんの枕元にも落ちてきました。
「…………」
ふと、おじいさんは目を覚ましました。
なにか物音が聞こえたからです。
「なんだろう、こんな夜中に」
おじいさんは布団から起き出して廊下に出てみました。
縁側からガラスを通して庭を見て驚きました。
庭の薔薇がみんな開いているのです。
「こんな夜に、薔薇が、薔薇が咲いている」
青い月の光が薔薇を包み、まるで濡れているようにきらきらと輝いています。
背の高い薔薇、低い薔薇。
大きな薔薇、小さな薔薇。
茂みになっている薔薇、蔓になっている薔薇。
いろんな薔薇がいっせいに開き、青い夜の中でゆらゆらと揺れていました。
その美しさにおじいさんは思わず庭へ降りました。
すると。
その薔薇の花の上になにか小さなものが動いているのです。
「これはこれは……」
それはよく見ると小さな小さな人間でした。
みんな楽しそうに薔薇の上で踊っています。
「こりゃあ、いったい……」
驚いているおじいさんのすぐそばに、小さな人影があらわれました。
「おじいさん、おじいさん」
小さな小さな声でしたが、おじいさんにはすぐわかりました。
だってもうずっと長い間聞き続けていた声ですから。
「ばあさん──」
白い薔薇の上に小さな小さなおばあさんが立っていました。
「おじいさん、私は妖精になったんですよ」
おばあさんは懐かしそうに、うれしそうに言いました。
「おじいさんのそばを離れて一年。ようやく妖精になって会いにきたんですよ」
「ばあさん──」
おじいさんは手を伸ばしました。
おばあさんはその指の先にそっと触れ、おじいさんを見上げました。
「毎年、妖精たちは庭の花の上で踊っていたんですって。ちぃとも知らなかったですね」
「ばあさん、お前はいまどこにいるんだね」
「妖精の国ですよ。昼間は見ることができないんです。こんな満月の夜にだけ、姿を現すことができるんですよ」
「ばあさん、わしもお前のところへ行きたい」
「だめですよ、おじいさん」
おばあさんはにっこり微笑んでぎゅっとおじいさんの指先を握りました。
「おじいさんはまだまだ元気でこの庭の世話をしてもらわなくては。みんなが楽しく踊れるように。おじいさんの行く時がきたら、かならずわたしが迎えにきますよ」
おじいさんは庭を見ました。
妖精たちがひとつひとつの薔薇の上に立ち、おじいさんに笑いかけています。
おばあさんの大切な薔薇は妖精たちにとっても大事な花だったのです。
「そうか、約束だぞ」
「はい、約束です」
それからおばあさんは薔薇の上に立っておじいさんに踊りを見せました。
踊るごとにおばあさんは若くなり、初めて会った時のような美しい娘になりました。
おじいさんは幸せな気持ちでおばあさんの踊りを見守りました。
翌朝。
おじいさんは布団の中で目を覚ましました。
昨日の夜のことは夢だったのでしょうか。
おじいさんは不思議な気持ちのまま縁側に出て庭を眺めました。
薔薇は──
見事に全部開いていました。朝の雫にキラキラと明るく輝いています。
おじいさんは庭に降りて、昨日おばあさんが踊っていた薔薇を見にいきました。
「あっはっは」
おじいさんはその薔薇を見て明るい笑い声をあげました。
薔薇の花びらにほんの少し、破れたあとがあったからです。
実は昨日、踊っていたおばあさんが足をすべらせてしりもちをついたのでした。
「ばあさんの尻は小さくなっても重いんじゃな」
昨日のことは夢ではありません。
おじいさんはうれしくなって開いた薔薇を次々と撫でていきました。
「ようし、来年も再来年も、みんなが楽しく踊れるように、立派な薔薇を咲かせてやろう。そしていつかわしも、どこかのきれいな薔薇の花の上で、おばあさんと一緒に踊るんだ。青い月の光の中で一晩中──」
おじいさんはおばあさんと約束した指先をもう片方の手で握りしめました。
すると体中から不思議な力がみなぎってくるのでした……。
これは薔薇を育てる名人の、わたしのおじいさんから聞いた不思議な話です。
おしまい
おじいさんの薔薇 霜月りつ @arakin11
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます