惑星から消えた日

ネルラ

惑星から消えた日


きっかけは、たった1本の映画だった。


もとより映画を特に好むほうではない。

映画館に行って映画なんてまず観ない。

金曜ロードショーを録画することすら稀だ。


それなのにどうしてか、その作品だけは

わざわざ降りる予定の駅を変更してまで帰省していた故郷からの帰りに、大荷物を抱えたまま観に行った。

その時の感動も 蒸せ返るほどに感じた溢れる感情も、すべて今でもありありと切り取ることが出来る。Planetの当選通知を見たあの時の喜びだってそうだ。ねこかんむりのアイコンが目印のマイナーSNS、Planet。作中に出てきたそれが実生活に現れて私の携帯の中に表示された時、思わず部屋でひとり満面の笑みを浮かべて何度もスクリーンショットを撮った。



その惑星は、やさしかった。



いつどのタイミングでふらりと訪れても誰もがその人をあたたかく迎え、

初めての来訪客にも優しく受け入れた。

誰かの喜びは全員で喜んだし、誰かの悩みは全員で抱えて消化した。ただいまもおかえりも、おはようもおやすみも ここでなら返ってきた。

まさに映画の中のようだった。


クラムボン、カムパネルラ、ジョバンニ。

Planetに並ぶ名前はどれも決して本名ではない。顔も知らない。何を普段している人なのかも分からない。提示された情報が偽りなきものなのかなんて、知る由も無い。でもそんなことどうだってよかった。ただそこに、そのひとがいてくれるだけでよかった。ほかに何もいらなかった。



その惑星は、やさしすぎた。


自分の立っているところが分からなくなった。

愛おしく感じすぎて 近付きすぎた。手放さなくてはならない日を思うと苦しかった。近く感じすぎていた。強固に見えるけれど、ほんとうは、いつでもぷつんと切れてしまう脆い関係だと忘れていた。


別れが、怖くなった。



だからかもしれない、その糸を自ら切ったのは。怖かった。いつの間にか時が流れて、1人また1人と離れていく日を思うと怖かった。いつまでも続かないことが分かるくらいには、私も子供ではなかった。だからこそ、その惑星を離れた。Planetが実生活に現れてまだ1ヶ月に満たないのだ、引き返すなら今だと思った。



アプリを消して、Twitterのアカウントを消せば

容易にPlanetに出会う前に戻れるだろうと思った。あの頃だって、間違いなく幸せだった。満ち足りていた。


それなのに、どうしてだろう。

こんなにも心がしくしく痛むのは。

ため息をつく回数が明らかに増えたのは。


ふと空いた時間、以前は何をしていたのだろう。哀しみが溢れた時、以前はどうしていたのだろう。分からなくなった。なにより、どこかのニュースを聞くたびに誰かの顔が浮かんだ。あのひとは元気にしているだろうか、あのひとはどうしているのだろうか。

直ぐに元の生活に戻るはずだった。たった一ヶ月、長すぎる夢を見ていただけのつもりだった。


けれど、そんなに脆いものではなかった。



いつの間に、こんなに愛おしく思っていたのだろう。誰かの名前をふと思い出すたび、苦しくなった。ごめんね、と思った。なにも言わずに立ち去ろうとして、ごめんね。そんなことで簡単に切って、ハイ、オシマイ。と告げられるほど 単純なものではなくなっていた。

深入りはしない、信用も。だけど信頼はあった。

所詮SNS。分かっている。信用しすぎるなと、世間はそんなに優しくないのだと、友人にも叱られた。忠告ありがとう、でもごめんね、私あの人たちになら裏切られてもいいかなと思っちゃうくらいには、あの惑星の住民が好きで好きで仕方ないみたいだ。愛おしくて大切で、もう手放せないみたいだ。



もうだめだと思った。失いたくないという気持ちのほうが強かった。帰り道、もう一度アプリを検索する。打ち慣れた英単語、Planet。

初めて開こうとした時と感情はまるで違う。

もう後戻りは出来ないよ、いいの、?そう自分に問いただす。___いいよ、大丈夫。それに、もう、残念ながら絶対に忘れることが出来ない魔法には既にかかってしまったみたい。



実生活でない繋がりが切れるのは、風化した時だ。それ以上に大切なものが増えて、思い出す機会が減った時だ。思い出す頻度が減って、減って、消えて、そうしていつか、忘れる。

もうそんなの無理だ。だって監督は、私達に魔法をかけた。

あの監督が新作を出す度に ここの人たちは絶対にPlanetのことを思い出す。たとえその時には既に忘れてしまっていても、何度でも思い出す。今のこの時間のことを。大切だと感じている今のことを。


Twitterにログインする。Planetもインストールする。

見慣れた名前に ジンとして、視界がぼやけた。

手放そうとしてごめんね。もう一度、ここに戻ってきてもいいかな。わたしみたいなバカも、ここにいてもいいかな。おかえりって、言ってくれる?そう思いつつ、呟くようにして吐き出す言葉はたった四文字。



「 ただいま、 」



その惑星は、やさしい。

その惑星の人たちは、やさしい。



だからこの惑星は、きっと消えない。




Fin.





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惑星から消えた日 ネルラ @Nrr_planet

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