僕らぶれないラブレター

二石臼杵

本文

 ラブレターをもらった。

 メールもLINEもありふれているこのご時世にだ。

 わざわざこの僕に! 手渡しで! 隣のクラスの瀬戸さんからだ!

 テンションが高いのは大目に見てほしい。

 もらったのは今日の放課後。つまり、ついさっきの出来事なわけで。

 加えて、相手が瀬戸さんときた。


 瀬戸さんは、僕のクラスでも噂されるほどかわいい子だ。

 顔やスタイルがテレビに出ている芸能人にも引けを取らない。

 ただ、クールビューティーというか、何を考えているのかわからないところがあるけれど。

 ともかく、今大事なのは、そんな彼女がさっき、夕日の差し込む教室で僕にラブレターをくれたということだ!

 盛り上がらないわけがない。

 シチュエーションが最高過ぎるじゃないか。


 今まで話したこともなかったのに、なんで僕に? という疑問はとっくに吹き飛んでいる。

 だって、あれだぞ?

 「一人のときに読んでね」って言われたんだぞ?

 それだけ言って、そそくさと教室を出て行った瀬戸さんの姿がまだ網膜に焼き付いている。

 実は恥ずかしがり屋でしたとか、ギャップの破壊力が素晴らしい。

 そうして僕は今、手の中のラブレターを穴が開くほど見つめている。

 白い封筒に、今どき手に入れるのは逆に難しいんじゃないかと思うようなシンプルな赤いハートのシール。飾りはそれだけの、質素なラブレター。

 女の子らしいデコレーションも何もないが、機能重視ということだろう。

 ラブレターの機能と言えばただ一つ。好意を伝えることだ。

 だからこれでいいんだ。

 にやけが止まらない頬をつねって、まずは気を落ち着かせた。


 今は放課後。クラスメイトはみんな部活か帰宅か委員会か、なんにせよ教室にはちょうど僕しかいない。

 家に帰って読むべきなのかもしれないけど、もちろん我慢なんてできるわけがなかった。

 むしろ今読まずにいつ読むというのか。

 よし、読むぞ。開けるぞ。

 震える指でハートのシールをめくる。

 間違っても縁起悪く破れてしまわないように、慎重に、慎重に。

 なんとか封を開け、目を閉じた状態で中から数枚の便箋を取り出す。

 これで「どっきりでした」ってオチだったら明日から登校拒否するからな。

 三つ折りの便箋を広げ、おそるおそる目を開ける。

 最初の一文が、瀬戸さんの思いが、僕の目に飛び込んできた。


交野かたのくんへ

 浮気は十股まで許します』


 のっけから重い! この文はラブレターには荷が重いよ!


『なんてのは冗談です』


 なんだ、冗談か。そうだよな。瀬戸さんって、意外とお茶目なところが――


『十股じゃ足りませんよね』


 瀬戸さんの中の僕はクズかよ!

 いったいどんなプレイボーイだと思われているんだ。


『でも、私はそんな交野くんのことが小学校の頃から気になっています』


 待って瀬戸さん! 僕ら小学校違うじゃん! この高校に入るまでお互い接点ゼロじゃん!


『小学校の運動会の騎馬戦で、友達の森川くんが落ちたとき、真っ先に駆けつけて心配していたよね』


 本当に小学校の頃から僕のこと知ってた! なんで!?


『中学のとき、生徒会長に立候補した森川くんの応援演説を寝ないで一生懸命考えていたことも覚えています』


 僕はどうしてそのことを知られているのか身に覚えがないんだけど!

 どうしよう、読むのが怖くなってきた!


『高校で、甲子園の一軍メンバーに選ばれなかった森川くんを慰めようと、無理してやけ食いに付き合ってあげたところも素敵だと思います』


 これ、瀬戸さんが本当に好きなのは森川の方じゃないかなあ!?

 エピソードにもれなく森川出てくるなあ! なんだこの出席率!


『そんな優しい交野くんのことを、いつの間にか目で追いかけるようになっていました』


 追いかけどころか追っかけだけどね。というかストーカーと言っても差し支えないからね。


『でも、最近はたまに目で追い抜いてしまいます』


 それ、結果的に僕を見てないじゃん! 目を逸らしてるだけだろ!


『ここ数年は、交野くんのことばかり考えてしまいます』


 桁が違う! 「数日」の誤表記だと思いたい。


『交野くんのことを思うと胸が苦しくなって、ご飯もあまり入らず、眠れない年々を送っています』


 だから日々じゃなくて!?

 頼むから病院に行って! それは確実に恋以外の病だから!

 なんか僕のせいみたいになってるのが心苦しい!


『だから、もう我慢できずにここで言います

 私は交野くんのことが――』


 一枚目の内容はそこで終わっている。

 ごくりと自分の喉の鳴る音が、学校中に響くんじゃないかと思った。

 ついに、本題に入るのか……!


 僕は二枚目の便箋をめくった。

 瀬戸さんの文字を目が捉える。


『気になる告白はCMの後!』


 手紙にCMとかいらないから! しかも告白って言っちゃってるし!

 悪いけどCMは飛ばそう。次の文を急いで追いかける。


『続きはwebで!』


 リンク先もないのに!? どんだけ先延ばしにするんだ! 次!


『ところで宇宙船「地球号」のたった一つの欠点って、取扱説明書がなかったことだよね?』


 なんでこのタイミングでアメリカンジョークを挟んできたの!?

 このラブレターの取扱説明書が欲しいなあ!


『(ここで笑って!)』


 急にカンペ出されても笑えない! さっきのアメリカンジョークのこと!?


『---・- -・-・・ ・-・-- ・・ ---・-』


 突然のモールス信号! 読ませる気がないのか!


『……ふふ、言っちゃった』


 いや「言っちゃった」じゃなくて!

 モールスじゃ一向に伝わらなかったよ!


『返事は三枚目に書いて渡してください』


 なぜかアンケート形式になってる!

 めんどくさいな!

 と思いつつも三枚目に目を走らせる僕。


『→はい

 →いいえ

 →どちらでもない』


 どちらでもないこたあないよ!

 三つ目の項目は蛇足だ!


『ご一緒にポテトはいかがですか?』


 余計な選択肢が増えた!

 注文したいのはポテトじゃなくてきみのスマイルなんだけど!


『座布団一枚』


 なんでこっちの反応がわかるの!?

 とうとう会話が成立しちゃったよ!

 座布団がたまったらどうなるんだ。


『十枚たまったら一回ガチャ引けます

 SR:恋人』


 これ課金しなきゃいけないやつだ!

 もっと清い交際がしたいんだけど!


『そう気を落とさないでください』


 いったい誰のせいだと!


『この手紙はフィクションであり、実在する人物・地名・団体とは一切関係ありません』


 余計気が落ちた!

 最悪だ! からかわれていただけだった!


 ……はーあ。結局、こんなオチかよ。

 長いようで短い夢だったなあ。


 がっくりと肩を落として、けれどもまだ最後の四枚目があることを思い出して、のろのろ頭を再起動させる。

 何が書かれているんだろう。

 どうせこれより下はないんだ。

 だったら、手紙の中ぐらい最後まで付き合おうじゃないか。

 そう自分に言い聞かせて、僕は四枚目を読むことにした。


『この手紙と同じ文面のものを、三日以内に十人に出してください

 さもなければ呪いが発動します』


 まだ下があったか!

 今どき不幸の手紙て!

 そこでふと、最初の方の文面が頭をよぎる。


『浮気は十股まで許します』


 ……なるほど、ね。

 そういうことか。


 いや、待てよ?

 僕は瀬戸さんにこのラブレターをもらっている。

 僕が十人に同じ手紙を出したら――瀬戸さんを合わせて十一人になる。

 またもや一枚目の文を思い出した。


『十股じゃ足りませんよね』


 確かにそうなるけど!

 ……でも、だからどうしたって言うんだ。

 これは本当のラブレターでもなんでもなかった。

 僕の彼女いない歴は、依然として変わらず更新されていくんだろう。


「……帰るか」


 立ち直れるかな、とか。彼女欲しかったな、とか。

 そんなことを考えながら、そっと便箋をたたむ。

 さすがに破ったり捨てたりするのは気が引けるしね。

 律義に封筒に入れ直そうとしたところで、手紙の裏側にも文字が書いてあるのが目に入った。

 最後まで読んで折りたたまないと気づかないところに、ひっそりとこう綴ってある。


『この手紙を最後まで読んでくれた交野くんへ

 後ろを見てください』


 今度はホラーネタか? と思って、けれどもつい後ろを振り向くと。

 そこに、瀬戸さん本人が立っていた。


「やっほー」


「うわあ!?」


 驚いたー! 違う意味でドキッとしたー!

 今の今まで手紙に夢中になっていたから、背後に忍び寄られても全然わからなかった。

 瀬戸さんは、あまり感情の読めない顔をして手をひらひらさせている。

 半眼のまま、じーっとこちらを見つめている瀬戸さんは、手を後ろに回して、口だけでにっこりとほほ笑んだ。


「手紙、全部読んでくれたんだ」


「…………うん」


 相変わらず何を考えているかわからないけど、やっぱりかわいいなあ、とぼんやり眺めていた僕に彼女は言う。


「そんな優しい交野くんが、私は好きです」


 言った。

 ……………………え?


 二人しかいない教室に差し込む夕日を受けて、夕焼け以上に真っ赤な頬で、瀬戸さんはさらに続けた。


「私は、感情豊かで、いろんな顔を見せてくれる交野くんのことが、大好きです」


 また、からかわれているのか。


「これは、本当だよ?」


 心を読まれていた。

 瀬戸さんが僕の胸に手を当ててくる。


「交野くんの反応が見たくて、変な手紙渡してごめんなさい。でも、もしよかったら、こんないじわるな私だけど、付き合ってくれたら嬉しいです」


 夢の延長ではないことは、胸から伝わってくる瀬戸さんの体温が教えてくれた。

 僕がラブレターを読んでいるのを、彼女はずっと隠れて見ていたんだ。


「……ふふ、言っちゃった」


 ラブレターと同じ言葉を、けれどもまったく違う真剣さを込めて、彼女は口にする。


「いや、『言っちゃった』じゃなくて……」


 つられたのか、僕もラブレターのときと同じ反応を返した。


「でも、お互いのことをまだよく知らないし……」


 何を言ってるんだ僕は。せっかくのチャンスだぞ。

 瀬戸さんは乏しい表情のまま小首をかしげる。


「付き合ってから知っていけばいいんじゃない?」


 正論だった。

 僕の胸から手を離した瀬戸さんは、それから僕の手を柔らかい手のひらで包んでくれた。


「と言っても、私はもう交野くんのこと知ってるつもりなんだけどね」


「ど、どうやって?」


「森川くんに聞いて」


 森川……! 森川、お前……!!


「で、勇気を出して手紙を渡してみたら、本当に交野くん面白いリアクション見せてくれたんだ。怪人百面相かって言うぐらい」


 怪人は付けなくていいよ。

 と指摘する間もなく、瀬戸さんはぽつりと言葉を紡いだ。


「そして、あんなふざけた手紙でも、最後までちゃんと丁寧に読んでくれて、怒りもしないとか……」


 握った僕の手を、彼女は自分の額に持っていく。瀬戸さんの表情が隠れる。


「……ほんと、優しいよ、交野くん……。優しすぎ」


 触れている体温が、お互いに上がっていくのがよくわかった。

 瀬戸さんはそのまま、僕にしか聞こえない声で告げる。


「この気持ちは勢いだけかもしれないけど、交野くんの返事も勢いでいいです。付き合ってください」


 もう、疑いようがない。

 これ以上疑うのは失礼だ。

 本物の、正真正銘の告白だった。

 いくらラブレターでからかわれたとしても。どんなにおちょくられたとしても。

 まあ正直、根に持ってないと言えば嘘になるけど。

 でも、散々弄ばれたとしても、ここはまっすぐに答えるべきだ。

 そして、僕の答えは最初から決まっている。


「うん。僕でよかったら、よろしくお願いします」


 そこだけは、その気持ちだけは、ぶれずにずっと僕の中にあったから。

 だから、口にするのも難しくなかった。


「瀬戸さんのことを、もっと知りたい」


「交野くん……」


 僕の手を握ったまま瀬戸さんの腕は下ろされ、顔が見えるようになる。


「ありがとう!」


 その目は潤み、口はゆるみきっていた。

 彼女のこんな幸せそうな笑顔が見られるのなら、僕はいくらでも騙されよう。

 道化でもいい。おもちゃでもいい。

 僕の反応が瀬戸さんを喜ばせられるなら、どこまでも付き合おう。

 彼女に付き合うのは彼氏の本懐だ。

 瀬戸さんは伏し目がちに聞いてきた。


「浮気、しない?」


「……十股まで許してくれるんじゃなかったの?」


 僕は少しいじわるなことを言った。

 ラブレターのお返しだ。

 瀬戸さんは、どこか拗ねたように半眼に戻る。


「あの手紙はフィクションだよ」


 そうきたか。

 ただ、それだと好きだということも嘘になるんじゃあ……?

 まさか、これもからかわれてる?

 真面目に考え込む僕に、瀬戸さんは目を細めて笑った。


「これからも、もっともっとたくさんの表情を見せてね」


「お安い御用だよ」


 僕は瀬戸さんの手を握り返す。

 彼女は、とびっきりの笑顔で告げた。


「じゃあ、またラブレター送っていい?」


「それは勘弁して」


 瀬戸さんの遊び心はとことんぶれなかった。

 僕の決心は、ちょっとだけぶれた。


 こうして、どこまで本気かわからない彼女を楽しませるために、僕の心が揺さぶられる日々が始まった。

 いや、年々と言った方が、いいのかな。



  敬具


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