第5話終わり

 真由美が誘拐されて一年後。

 「んー、久々の日本!」

 真由美は背伸びをした。両手には何も持っていない。リチャードが真由美の荷物を持っているからだ。

 「ここがジャパン、トーキョーか」

 成田空港にて、リチャードはグリーンアイを輝かせていた。

 「そうよ、正確には千葉県だけれどね。平成の日本は大体こうなっているの。京都に行ったら日本の伝統的な文化を見せてあげたいわ」

 「ここから遠いのかい?」

 リチャードは人混みから守るように、真由美の肩を抱いた。

 「どうだったかな。新幹線で二時間もあれば余裕じゃない?」

 真由美はリチャードの肩をはたいた。

 その後ろでレイチェルとジャックが控えていた。

 「リチャード。俺たちも日本文化には興味深いけれど、まずはマユミの家だろ?」

 ジャックが静かに言った。

 「それにしても、マユミの英語、ずいぶんとイギリスらしくなったわね」

 今度はレイチェルが感心したように言った。

 「そう? あなたが教えてくれたからじゃないの?」

 「何しろ『もったいない』からね」

 「そうよ。レイチェルも日本語を覚えたじゃないの! 『もったいない』だけだけれど」

 真由美、レイチェル、ジャックそしてリチャードの四人は他愛もない会話をしている友人を装っていた。

 これは、真由美のある提案だった。


 『ねえ、せっかくのホリデーなんだから、日本に行こうよ』

 リチャード、ジャック、レイチェルは青ざめた。

 それもそのはず、三人は本来真由美を誘拐したのだから。

 『何を言っているの、マユミ。あなたは誘拐、監禁されているのよ? 自分の状況を分かっているの?』

 レイチェルが真っ先に口を開いた。

 『そうだよ、マユミ。君は人質だよ。母国に帰られる人質なんて、聞いたことがない』

 次にジャックが言った。真由美に対して滅多に口を開かないので、驚きで真由美のブラウンアイがはっきり見開いた。

 『人質だから言っているのよ。一度くらい親に顔を見せないと、怪しまれるじゃない。そうしたら、この誘拐生活、お終いよ?』

 もったいなーい! 真由美は両手を大きく広げた。相変わらず、被害者らしくない振る舞いだ。

 『レイチェル、ジャック』

 リチャードが椅子から立ち上がった。真由美にも分かるほど低く重い声だったので、何事かと思った。

 レイチェルとジャックが一瞬震えて見えた。

 『物騒な言葉は避けるようにと言っただろう?』

 カツ、カツ、とゆっくり歩き出した。

 『わ、悪かったわよ!』

 『すまない』

 レイチェルとジャックは真由美に背を見せ、うつむく。

 笑顔のリチャードを直視できないのだ。

 『謝るのなら、マユミにね……次はないよ』

 真由美には二人が怯える理由が見当もつかなかった。

 けれど、それは真由美にとっては関係のないことだ。

 問題なのは、一時帰国できるのか否か。それだけだ。

 『マユミ、不愉快な思いをさせてごめんね。でも、僕は君と離れることなどできない。一体どうしたら良いだろう?』

 リチャードはレイチェルとジャックの間を通り過ぎ、椅子に座る真由美の前でかしずく。

 彼にはもう、重い声が一欠片も残っていないようだった。

 いつだって、リチャードは真由美に対して紳士的だ。真由美の願いならば、何でも叶えてきた。リチャードから離れること以外は。

 宝石のようなグリーンアイが陰っている。

 リチャードは遠回しな言い方で真由美の提案を却下した。誘拐犯としてではない。ただ一緒にいたいという思いで。

 真由美はリチャードの考えを感じ取っていた。だからこそ、身を引かなかった。

 『誰が一人で帰国するって言ったの? 皆一緒に日本に行くのよ。親には友人として迎えてもらうわ』

 すると、リチャードの目から陰りが消え、頬に花が咲いたように表情が明るくなった。

 『本当かい? 君のご両親に挨拶ができるのかい? 嬉しいなあ』

 『当然、行くよね?』

 『もちろんだとも!』

 『じゃあ、パスポートを用意して』

 『分かったよ、マユミ』

 リチャードが即答すると、レイチェルとジャックは驚愕した。

 『ちょっ……リチャー……』

 レイチェルが言いかけたところで、ジャックが肩に手を置いて言葉を止めた。

 こうして、四人の日本行きが決まった。

 『あれ? そういえばもう一人の……ピーターだっけ? 最近見かけないわね』

 『マユミ、他の男の話などしないでくれ。やきもちを焼いてしまうよ。それに彼は今……故郷に戻っているからね』

 それは、土に還ったという意味だ。けれど、真由美はそれを知らない。


 そして現在。

 一年ぶりの日本は夏が始まったばかりで湿気のある暑さだった。

 「同じ島国でも、こうも暑さが違うのだね、マユミ」

 「そうね。秋だったらもう少し過ごしやすいのだけれど。紅葉も綺麗だし。でも、私たちにはこの季節しかないのよね」

 それから真由美たちはバスと地下鉄で東京都に向かった。

 四人の様子はさまざまだった。レイチェルとジャックは周囲の目を気にしてそわそわしている。リチャードは興奮気味で見るもの聞くもの、すべてを真由美に尋ねた。

 真由美はリチャードの質問に丁寧に答えた。

 「ああ、そういえば浅草なら京都よりも近いんだった。明日はそこに行きましょう」

 「アサクサ? キョートとはまた違うのかい?」

 「そうね。京都は伝統を重んじるけれど、浅草は庶民のための日本文化っていったところかしら。外国人に結構人気があるって、留学前にテレビで見たことあるわ」

 真由美は今までにないほどリチャードと会話をした。

 リチャードにとっては、これ以上にない幸せであった。

 そして真由美を筆頭にした四人は寿田家に着いた。

 「ただいま」

 真由美が玄関を開けると、母親の真由子まゆこが出迎えた。

 「お帰りなさい。あら、そちらがお友達? ええと……どうしましょう。英語、話せないわ。ようこそ、って言いたいのだけれど」

 「心配しないで、お母さん。私が通訳するから。リチャード、レイチェル、ジャック。ウェルカムだって」

 真由美は真由子に三人を紹介した。

 おっとりとした笑顔のミセスに、リチャードは両手を胸に当てて言った。

 「ああ、夢みたいだ! マユミのママとこうして会えるなんて」

 「……だってさ、お母さん」

 興奮するリチャードをよそに真由美が日本語に訳すると、何も知らない真由子は心底嬉しそうに言った。

 「さあ、上がって。日本では、玄関で靴を脱ぐのよ」

 四人は真由子の言う通りに靴を脱いだ。そして真由美はリチャードたちをリビングに案内した。

 「ただいまー!」

 扉を開けると、そこにはジャックと変わらない背丈の男性が一人、ソファの近くに立っていた。

 「……マユミ、君のパパにしては若過ぎないかい?」

 リチャードはいぶかしげに男性を指差した。

 男性は四人に背を向けたままだ。

 「やだなー、リチャード。この人はお父さんじゃなくて……」

 真由美は一人、ケラケラと笑ってソファを通り過ぎた。そして、馬に乗るように、食事用の椅子に跨いだ。

 「兄貴!」

 真由美の声が鋭くなった。同時に像と化していた男性がリチャードに飛びかかった。

 また、ソファの影から男性がもう一人現れて、レイチェルとジャックの腕を掴んだ。

 「よくも妹を誘拐してくれたな! リチャード・ブルックマン他二名、現行犯で逮捕する!」

 リチャードの両腕に手錠がかかった。真由子は英語も訳も分からず、慌てふためく。

 「ちょっと、敏明! その子たちは真由美の……」

 「母さん、真由美はずっと監禁されていたんだ。友人なんて、嘘だ」

 「そんな……」

 真由子はその場に座り込む。そして気を失った。

 「マユミ、マユミ!」

 リチャードはただひたすら名前を呼ぶ。兄貴という日本語が分からなければ、真由美と男性の関係をも理解できるはずもない。

 「マユミ、この状況、一体どうなっているのよ?」

 レイチェルが真由美を睨み、叫んだ。

 けれど真由美はまったく動揺していない。

 「その顔に、見覚えがない? レイチェル」

 「え……?」

 レイチェルは背後で自分とジャックを拘束している男性に目を凝らす。

 「あ……あのジャパニーズ!」

 「やあ、その節はどうも」

 男性は手を緩めることなく、にっこりと微笑んだ。

 その人は以前レイチェルが手配した真由美のメッセンジャーだった。

 「て……手紙には何も書いていなかったはずよ。それがどうしてこうなるのよ?」

 レイチェルは長い金髪を揺らした。

 真由美の手紙はすべて二度チェックされていたはずだった。

 最初はレイチェル自身が。家族に英語が理解できる人物がいないか、確かめるためだ。

 次にチェックしたのは、今レイチェルとジャックを拘束しているこの男性。真由美の世話係であるレイチェルは日本語が分からない。

 真由美が日本語で自分の危機を伝えようもなら、この日本人男性の手で止められていたはずだ。

 けれど、真由美の手紙はすべて二人のチェックを通過した。

 それには、あるからくりがある。

 「これを見て!」

 真由美はリチャード、レイチェル、ジャックに向けて無数の紙を放り投げた。

 「……これ、この紙! 確か真っ白だったはずよ!」

 「どういうことだ、レイチェル」

 困惑する彼女に、ジャックが問う。リチャードは相変わらず、真由美の名前を呼び続けている。

 「今、リチャードを押さえているのが、私の兄貴。で、兄貴は私が日本を発つときにお守りをくれたの。これよ」

 真由美はポケットから小さな巾着袋を取り出した。その中に入っていたのはーー。

 「白のクレヨン! どうりで見抜けなかったわけだわ」

 「そうか、白の紙に白のクレヨンで文字を書けば、誰も分からない。英語でも、日本語でも。それがマユミのファミリーの手元に届いたら、紙を色で塗りつぶせばメッセージが伝わるというのか。でも、いつ書いたんだ? マユミの側にはいつもレイチェルがいたはずだ」

 レイチェルの代わりにジャックが解説する。もちろん、抵抗しながら。

 「じゃあ、このジャパニーズは……」

 男性はレイチェルとジャックにわざとらしい笑顔で白い歯を見せた。

 「俺の部下だ。可愛い妹に万が一のことがあっては堪らんからな。俺が監視役として雇った」

 「ハーイ! 国際公務員に個人的に雇われた佐藤さとうでーす!」

 佐藤はレイチェル、ジャックの順番にうなじに手を付け、気絶させた。

 「昼寝のふりをして、日本であんたたちを逮捕するように、と手紙で頼んだの。だって、留学はともかく誘拐なんて何回も経験できることではないでしょう?」

 「こら、真由美。俺を心配させてその言い方はないだろう。初めて知ったときは生きた心地がしなかったんだぞ」

 「無事に帰って来たんだし、大目に見てよ」

 真由美と敏明が楽しそうに会話をしている。

 リチャードはこれほどの表情を見たことがあるだろうか。否、ない。

 「ついでに言うと、俺の部下があと何人かこちらにやって来るぞ。何しろ、真由美がお世話になるはずだったブライト夫妻まで殺されているのだからな。この若造に」

 敏明はグッと体重をかけた。その拍子にリチャードは咳き込んだ。真由美を見上げると……。

 「あ、うちの兄貴、シスコンだからさ」

 真由美のブラウンアイは妖しく光っている。

 「ああ……魔女を愛してしまった」

 リチャードはこれ以上語ることはなかった。

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魔女の国 加藤ゆうき @Yuki-Kato

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