第9話
翌日は、元の職場の事業部で片づけをした。ゴミは捨てるように頼み、私物はこれから俺達が使う部屋へ運んで貰うように元の部下に頼んで部屋を出た。
それから会社から借りた部屋の準備状況を見て注文を付けた。
応援のスタッフにもその部屋へ集まって貰い、これからよろしくと挨拶をした。
みんな既に事情を聞かされていたとみえ、張り切っていた。中には、そのまま俺達と一緒に仕事をしたいといってくれる者もいた。
それから、当座の予定を決めた。取りあえず、明日の記者会見を乗り切らなければならないので、電話、ネットワーク接続型FAX/コピー/プリンターの多機能機、パソコン、パソコンのソフト、ネットワークヘの接続、その他文房具などを今日中に揃えてくれるように頼んだ。機器類は既に発注済みで午後には全て揃うという話であった。その作業を業務担当の宮原に責任者になって貰い、任せた。
昼になり、みんなで会社の食堂へ行った。食事をしていると、次から次へと人が寄ってきて食事どころではなくなってしまった。一緒に行った連中もただ苦笑しているだけであった。
このころになると、社内中に情報が行き渡ってしまったようである。早々にして俺は、事業部へ戻った。そこへ元の部下が二人で並んでやってきた。二人は俺の前に来て、
「課長、私たちも連れていっていただけませんでしょうか」
と言いだした。俺は、
「世話になるのは、こちらだから」
と言うと、
「まだ時間がかかると思いますが、考えておいて下さい。お願いいたします。俺達、課長に惚れているんです」
と云ってくれた。俺は、
「解った。チャンスが来れば話はする。しかし、まだ始まっていないから早まるな」
と云って引き取らせた。
それから、俺と同期の新任部長に挨拶をしてホテルに回った。
ホテルに着き、部屋を三回ノックすると扉が開いた。中にはいると、何か香りがするので、なんですかと聞くと、吉田さんは、
「鈴木さんの奥様から花が届いたんですの。立派なお花でしょう」
と言ってテーブルの大きな花瓶に入った花を示した。見事な花であった。俺は思わず、
「高そうですね」
と言った。吉田さんは笑っていた。今日の午前中に鈴木さんの奥様に電話で話をしたらしい。その話をするときの吉田さんは実に楽しそうであった。その後、花が届いたらしい。
すぐ打ち合わせをしようと書類を出していると、吉田さんが、後ろから抱きついてきた。暫くじっとしていた。ホテルに一人でいると、息が詰まるのだろう。部屋へコーヒーを頼んでから、すぐに打ち合わせを始めた。
吉田さんは、そこのところの転換が速い。俺は、午前中、見てきた部屋の準備状況と、スタッフの人事記録の提示、それから社内状況などの現状を報告した。
吉田さんからは、準備する道具立てについて注文が出た。コンピュータのデータベス用に、ハードデイスクが2TB×6、バックアップ用にDAT搭載した、サーバーを用意するように指示が出た。これからの会社経営の基本になる物である。後は、若干質問が出ただけで、概ね了解をして貰った。それから、昨日の続きで書類をまとめた。プリントアウトをしたところで、早めに二人で食事をしてから俺は引き上げる事にした。吉田さんも、今日は、
「はやく休みたい」
と言って部屋に引き上げた。
翌日は、早めに出勤した。すぐに、吉田さん、スタッフと出勤してきた。全員出勤したところで、吉田さんに簡単に挨拶をして貰い、作業にかかった。その後、吉田さんと俺は、専務、社長と挨拶に行った。
関連する重役事業部長にも挨拶周りをした。みんなが励ましてくれた。それからが大変だった。何処を歩いてもすぐに社員に囲まれて質問責めにあった。おまけに、雇ってくれと嘆願組まで現れる始末である。食堂が又大変であった。
記者会見があるので早めに食事に行ったが、食べてるどころではなかった。這々の体で部屋へ逃げ帰った。吉田さんは、
「ともかく、今日一日だけは我慢しましょう」
と苦笑いであった。
いよいよ記者会見が始まった、テレビ、新聞の他に女性週刊誌まで現れた。質問が吉田さんに殺到した。専務が予想した質問が出て、それに答える吉田さんは、専務の考えた通りにマスコミに写った。
それにテキパキ答える吉田さんに、女性週刊誌記者から感嘆の声があがった。その場で密着取材の申し入れまで出てきたが、丁重にお断りした。
フラッシュがたかれ、テレビ用の照明が眩しかった。三十分の予定が1時間経っても終わらなかった。
切りがないので今後は用件があれは、副社長の自分宛にしてくれるようにお願いしてからお開きにした。
大変な効果であった。何せ、吉田さんが美人であるが故に現場での記者が熱くなったようで盛り上がりを見せた。
その日の夕方のテレビニュースで、各局、殆ど報道されていた。後は新聞、週刊誌の類が凄い量だろう。
大変だったが、会社としてはいい宣伝にはなったであろう。
翌日、専務が部屋に来て上機嫌であったくらいである。
家へ帰ると、これ又、大変であった。親類縁者から電話が殺到したらしい。女房は
「大変だったわ」
と言いながら満更ではなかったようである。その後、長岡からは一切電話がないそうである。俺は、
「そうだろうな」
と言った。
「これで君も親友を一人無くしたのかな」
と俺が言うと、女房は、
「あんな人、かまわないわ」
とえらい変わり様である。子供達も嬉しそうであった。俺は言った。
「これからだ。今日は、虚構だ、大変なのはこれからだからみんなよろしく頼む」
と言って疲れた体を横たえた。
頭の中が熱かった。今日は、いったい何だったのだろう。ついこの間までは、こんな事になるなどと誰が予想したことだろう。会社人間のサラリーマンが、終焉を目前に控えて、何でこんな事になったのだろう。
この会社に入ったのは、なんてことはない、殆ど時の弾みであった。その入った会社で今の専務に声をかけて貰ったのもやはり縁かなとも思う。専務は当時課長であった。そのおかげでリストラにも合わずにここまで来た。今、振り返ってみても、吉田さんも、鈴木さんも、皆、出会いであった。
もしかしら、女房だってそうかもしれない。そんな人達に出会い、何か特別なことですり寄ったわけでもないのに何故か周りに人が居る。有り難いことだと思う。何故だろうか。多分、俺がその時その時一所懸命でその人達を騙さなかったことではないか。変に利用しなかったからなのかもしれない。
俺は、社内でも社外でも随分と利用されてきた。他人が見ると便利屋の如く何にでも付き合わされた。それに逆らわずに生きてきた。
友達から、
「後藤、みんな困ったときだけお前を利用し腹が立たないのか。お前、損してばかりいるじゃないか」
と、よく云われる。しかし、それは俺にとってはそれでよいと思って生きてきたのだ。
今度の会社設立の話だって似たようなものだ。ただ人目を引くだけ、規模が一寸大きくなっただけで、所詮頼まれ、利用され仕事なのかもしれない。そんな頼まれごとに退職金も、家もつぎ込んで・・・ 。
人生は出会いだ。その出会いを信じるか信じないかということなのだ。それは、自分を信じるか信じないかという事と同じではないか。
(花に嵐の例えもあるさ。さよならだけが人生だ)散るまで生きればいいのだ。
今が花だと思えばいい。人生を逆らわずに流されればいいのだ。
(座って半畳、寝て一畳)人間必要なものなんてそんな程度のものだ。
誰だって生きているし、生きられる。欲をかきすぎるから間違える。そう言い聞かせた。その夜は、明け方まで眠れなかった。
吉田さんも俺も、九月いっぱいで専門学校は終わりにした。それからが本当に大変であった。慣れないことばかりであったが、スタッフは皆よく頑張った。
吉田さんは、これが女性かと思うほど仕事には厳しかった。この仕事に関連する部署の社内の若い連中は皆緊張していた。
鈴木さんの存在も大きかった。
結局、出資金は、吉田さん、鈴木さんと三人で話し合い、均等にした。
運転資金は、俺の家を抵当に、鈴木さんの奥様から借りた。奥様は、吉田さんが抵当だから、そんなものいらないと云ってくれたが、俺の気が済まないと言うことで引き取って貰った。
吉田さんは殆ど娘扱いである。奥様は、出来たら養女に欲しいなどと言い出す始末で、俺と鈴木さんは只笑っているしかなかった。
事務所は、鈴木さんの会社の持ち物である、古いビルではあるが今の会社に近いところのワンフロアーを安く借りることになった。
そのころになると、鈴木さんが何者であるかを専務に説明した方がよいと思った。三人で話し合った結果、俺の意見を通した。
俺一人で説明に行くことにした。責任は俺がとると云う事を明確するためである。鈴木さんは、その時も、
「貴男は律儀な人だ。後藤さんみたいな人は私の会社でも欲しいですよ」
と云ってくれた。俺は恐縮した。吉田さんは、じっと俺を見ていた。
忙しい専務のスケジュールに割り込んで説明に行った。専務は、嫌な顔一つせずに会ってくれた。むしろ、
「後藤、すまん。忙しくて面倒見られない。例の記者会見のおかげでマーケットの評判もよく、株価は上がり、次の事業の提携申し込みがわんさか来ている。みんな、お前のおかげだ」
といった。
俺は、鈴木さんの資本参加とその持ち物のビルを借りる話を切りだした。そして、今までのいきさつと、鈴木さんの名前と会社名を告げた。専務は黙って一通り聞いていたが、ため息をつくように、
「お前は偉いな。本当は、俺がそれくらい面倒見無ければいけないのだが。
その鈴木さんは、財界でも立志伝中の人として有名で、何かの集まりでお見かけしたことがある。立派な経営者だ。
解った。お前の好きにしろ。業種も違うから社長も文句は云わない筈だ。
むしろ異業種交流の弾みがつくかもしれん。二~三日中に俺から出向いて挨拶したいから、アポを取ってくれ。時間が決まったら、秘書に伝えておいてくれ。俺一人で行って来る」
俺は、専務の情が身にしみた。
早速戻り、吉田さんと二人で再度鈴木さんの会社を訪れた。そして専務からの伝言を伝えると、鈴木さんは、
「その専務は、大した人ですね。私のところなんぞ来なくてもいいのですよ。あちらは、世界的に展開する会社、私のところは大きいと云っても国内だけですから。でも嬉しいですね。会いましょう」
と云ってスケジュールをくれた。その場で専務の秘書に連絡した。
鈴木さんの提案で久しぶりに食事をすることになった。鈴木さんは席を立ち電話をかけた。何と自宅へ電話をしているのだ。奥様に、
「吉田さん達と食事をするがどうだね。一緒に」
後は何かもそもそと云って電話を切った。俺と吉田さんは顔を見合わせた。鈴木さんは戻ると、
「いやね。家内に内緒で、吉田さんと食事をしたことがばれると、家に入れてくれないというのですよ」
と言って頭を掻いたので三人で爆笑になった。その後で吉田さんは少し涙ぐんでいた。
鈴木さんの車で銀座へ出た。そのフランス料理の店で十分ほど待つと、奥様がやってきた。奥様は挨拶もそこそこに吉田さんに抱きついた。そして、
「うれしいわ。あなた、有り難う」
と鈴木さんに云った。鈴木さんと俺は、只だ苦笑いである。この奥様は童女のようである。四人が一緒に外で食事をするのは初めてであった。
それはそれは楽しい食事であった。仕事に関係のない話で奥様と吉田さんは盛り上がり、俺達は、ぼそぼそと二人で仕事の話をした。
食事が終わると奥様は吉田さんを離さない。家に連れ帰ると云って聞かない。吉田さんは、
「明日の出勤のために、着替えがありませんから帰らせていただきます」
と言うと奥様は、
「私の行きつけのお店がすぐそこにありますからそこで一通り買いましょう。それでよろしいでしょう。ねえ、あなた」
言い出したら聞かない奥様だから、鈴木さんは、ハイ、ハイと言うだけである。でも嬉しそうであった。俺はその場で先に失礼した。
一週間ほど後、鈴木さんと専務の会談は終わったようである。鈴木さんからも、
「来ていただいてよかった」
と電話があった。俺は、専務に呼ばれた。
「おい、後藤。あの方は立派な方だ。お前、いい人と巡り会えたな。お前の人徳だ。お前のことをとっても誉めていた。俺も嬉しかった。その上、あれだけの人に育てた方も立派だと、俺まで誉められちゃったよ」
とこれ又、嬉しそうに云った。俺は恐縮するばかりであった。
「今後、事業展開のため、異業種交流の場を設けることで合意してきた。早速、準備会議を作ることになった。あれだけの会社との異業種交流だ。共に市場でバッティングが無い。
俺にアイデアがある。おもしろくなるぞ。しかし、そういう時にお前が必要なのだよな。どうしたら良いのだろう。
あぁそうだ、お前の会社の設立が終わり動き出したら会社へ戻れ。そちらの会社は吉田にやらせろ。お前なら、こちらにいても吉田の会社を面倒見られるだろう。吉田なら大丈夫だ。あの記者会見で実証済みだ。そうしよう」
又、面倒な話になってきた。俺は、さすがに
「一寸待って下さい、まだ、会社の登記も終わってないのですから、とその話は後にしてください」
と頼んだ。しかし、この人も言い出したら聞かない。
「解った。だが考えておいてくれ」
それで終わりだった。この人は、普通の人なら重要で震えるような話を茶飲み話のようにする。
最も、それぐらいでないとこんな大きな会社で経営陣には入れないのだろう。その意味で、社長とは、性格も手法も好一対のようで馬が合うらしい。
この話は、当分黙っておくことにした。部屋に戻り、結果を吉田さんに報告した。
吉田さんが社長であることがハッキリとみんなに解るように報告した。みんなが吉田さんに対しそういう態度をとるようになった。呼び方も、吉田さんではなく社長と呼ぶようにした。
全てクリアしたので、すぐに株式会社としての法人登記を行った。
資本金二千万円である。それに引き続き人材派遣業、各種物品販売、各種保険取り扱い、古物商などの各種登録、登記、届け出を行った。三ヶ月ほどで当座の法的処置は終わった。
この冬の暮れと正月はなかった。三月に入り、会社登記場所である鈴木さんのビルへ引っ越した。新会社の発足は、三月二十日と決まった。その頃には、会社の仕事を熟知している希望退職者や過去の退職者で、さらに働く意欲のある人や、新人募集で集め、派遣社員として採用した人が百五十人ほどになっていた。全てが当社の社員である。
全員、社長と副社長が面接をした。採用の条件はパソコンが使えることである。
殆どが女性で、全て、元の会社に派遣されることになっていた。
どうやら会社らしくなって来た三月の末日に、全社員を集めて、事務所で簡単な会社の発足式を行った。社長が簡単に、しかし、力強く挨拶をした。
「この会社は、働く女性が主役の会社」
だと。
盛大な拍手が湧いた。この席でオーナーとしての鈴木ご夫妻も紹介された。
奥様は、大満足のご様子であった。既に、ご夫妻と社長は社員に囲まれて盛り上がっていた。
俺は、部屋の隅で一人感慨に耽っていた。
今度はどうなるのだろう。又、別な世界が見られるかもしれない。なるようにしかならない。
「負けてたまるか!」
窓の外は、まもなく盛りの来る春の装いを示していた。
完
負けてたまるか! 多川慶直 @keicyoku
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