第8話

 その週に、残った特別休暇の夏休みを利用し、俺は故郷へ帰った。新幹線に揺られながら捨てたはずの"故郷"が、次から次と湧いてくる。

物心着いた頃から覚えている町の山や河、道や橋、木々や花、そして友達、家族など忘れられるものではなかった。ただ、忘れた振りをしていただけなのだ。

 "故郷"の中では誰も歳を取らない。色も変わらない。大きさも変わらない。何一つ変わらないのが"故郷"なのだ。変わったのは自分だけなのだ。

 それが"故郷"を遠くしただけなのだ。

 ローカル線に乗り換え、小一時間ほどで故郷だ。

 このディーゼルに乗ったのは何時のことだったか。

 前の同窓会以来だから、もう三十年になる。実家には、娘が小学生の時に車で来て以来だから、十五年振り位である。その間、年賀状だけで電話もしなかった。

 俺はいったい何をしていたのだろう。


 故郷が見えてきた。自然と涙が滲んだ。わずかな帰省の客と共に小さな駅を降りると、そこが俺の故郷だった。

 昼間だというのにシンとした町の雰囲気に、都会の人間はもの足らなくなるだろう。

 俺の家は、駅から十分ぐらいのところだ。駅前通りを歩き、橋を渡って十字路を曲がればもうすぐだ。この駅前通りは俺達の銀座通りであった。幼い頃、この通りに出れば何でもあると信じてた。この通りが俺達の都会であった。突然、

 「おい、後藤、後藤じゃないか?」

 と声がかかった方を見ると、大きな店の暖簾から、丸い、頭のはげた顔が俺の方を見ていた。突然誰だか解らない、と思った瞬間、

 「岡田じゃないか。そうだ岡田だよな」

 「何だ。誰だと思ったんだ。いくら毛が無くなったからといって俺を忘れたのか」

 俺達は抱き合って再会を喜んだ。

 「世話になったお袋さんは元気か」

と聞くと、

 「病気がちだが、まだ生きているよ。お前の顔を見たら喜ぶよ。後で寄ってくれ。ところで今夜は泊まるんだろ。みんなに集めるから飲もうや」

 俺はもう涙が落ちてきた。故郷を尋ねた目的の片方は、達成できたようなものだから。岡田は、

 「後藤、泣くな。俺も涙が出る。お前と最後にあったのは同窓会の時だから、もう三十年になるかな。馬鹿野郎。たまには故郷へ帰るもんだ」

 岡田が、

 「準備が出来たら電話をするから」

と言うのを、承知して携帯電話の番号を伝え、その場は別れた。途端に気持ちが軽くなった。


 「ただいま」

と声をかけると、もそもそと、皺クチャになった顔をしたお袋が顔を出した。

 お袋は、俺の突然の帰省にびっくりして声が出ないようである。どうした、という声と共に弟が顔を出した。

 「兄ちゃん」

と言ったきりこれも声が続かない。

 何かあったかというしわがれ声がして親父が顔を出した。

 「おめぇー」

 と言ったきりこれも声が詰まってしまった。暫くそんな状態が続いた。

 俺の両目から涙がこぼれ落ちた。そして、玄関口の床に手をついて、両親に永の無沙汰を詫びた。

 弟には、

 「お前に任せっきりで知らん顔をしていて済まなかった」

と詫びた。もう声にならなかった。

 「そんなこといいから兄ちゃんはやく上がれ。ここは兄ちゃんの実家だろ。生まれたところだろ。何難しい事言ってんだ。上がれ」

 弟も泣いていた。両親も泣いていた。俺は、弟に引きづられる様に上がって茶の間に座った。

 俺は暫く顔が上がらなかった。四人で輪になって泣いた。暫くして、ようやく俺 も落ち着き、再度、無沙汰を詫び、急に帰省することとなったことを詫びた。

 親父は、

「もういい。それより元気だったか」

「はい。元気でした」

と俺は答えた。

 お袋が茶を入れた。その手つきは、まだしっかりしていた。弟は、

「兄ちゃんとこの会社も大変らしいな。みんな兄ちゃんがどうなっているか心配していたんだ。何と言っても、未だに兄ちゃんは、この家では自慢の兄ちゃんだから。大きい兄ちゃんや、俺とは違うから」

と言ってくれた。さすがに弟は会社勤めらしく、新聞やテレビのニュースから世情を掴んでいた。俺は、

 「実はそのこともあるのと、俺自身、自分を取り戻すために帰ってきたんだ」

と言った。

 弟は、うんうんと頷いて何となく納得したようである。親父は、

 「そうか」

と言ったきりで窓の外を見た。その方向が東京であった。

 親父とお袋は、何時も俺の話をした後、東京の方を向いて手を合わせてくれていたそうである。

 そこで、

「俺は、今度会社を退職することになった」

ことを告げた。

 そして、一連の話も聞かせた。俺として一歩も引けないところへ来ていることを話した。弟は、

 「そんなに大変なことになっているんだ」

 「兄ちゃん、やっぱり兄ちゃんは凄いよ。立派だよ」

と心底言ってくれた。親父は、

 「失敗できねぇな。失敗したら全滅だ」

とこれもよく事情が解ったみたいである。

 お袋だけは、よく解らずただ心配だと言っていた。俺は、ここでも、

 「まだこの話は新聞ゃテレビ、週刊誌に出ていないから、よそには言わないよう」

に念を押した。弟は、

 「兄ちゃんが困るようなことはしねぇ。だいじょうぶだ」

と言ってくれた。

 後は暫く、俺の家のことや、弟の仕事の話などして時間が過ぎた。そうこうしているうちに夕方になった。

 お袋が打ったそばを食べているところへ岡田から電話が来て、通りの割烹屋で六時に十人程集まるから来てくれと電話が来た。

 家の中は、ようやく和やかになった。そこで、俺は、思いだして封筒を弟に渡した。

 「これは、女房からお前に渡してくれと頼まれてきた。本当は、俺と一緒に来ると云ったのだが、来なくて良いと言ったら、今朝これを渡された。女房が、お前に申し訳ないと云ってくれと頼まれた」

ことを伝えた。

 「腹も立つだろうが、黙って貰ってやってくれ。頼む」

と何度も頭を下げた。弟は、封筒を開けた。中に、どの位だかはしらないが、金が入っているはずだった。

 一緒に手紙が入っているようだった。それは、俺も知らなかった。

 弟はそれを拡げて読んでいた。何枚も書いてあった。その読む手に涙が落ちた。弟は顔を上げ、

 「最後に、兄ちゃんを励ましてやってくれって書いてあった。

 いろんな事があったけど、もういいよ、兄ちゃん。

 家のことは俺が始末するから兄ちゃん頑張ってくれ。 

 父ちゃん、母ちゃん。兄ちゃんの嫁さんが温泉にでも連れていってやってくれって五十万円くれた。兄ちゃんがこれから大変な時に無理しちゃって、いいとこあんじゃねぇの」

 両親は黙って下を向いて、

 「うんうん」

と云っていた。俺は、

 「こんなもんで済むとは思ってはいない。必ず、成功してみせる」

と宣言した。

 弟は、拍手をしてくれた。俺は、久しぶりに実家で一風呂浴びた。

 親父は、いいからと言うのに俺の背中を流してくれた。終わると、

 「体大事にしろ」

と云って出ていった。故郷は、自分の生まれた家にあった。


 割烹屋に着き、二階に上がるとみんなが拍手で迎えてくれた。

 何と、俺が好きだった登美子も来ていた。部屋へはいるときに一人一人と握手をしてから座った。

 俺はその登美子の隣に座らせられた。岡田が音頭をとってみんなを急いで集めてくれたのだ。岡田が、

 「今日は三十年ぶりに後藤との再会なのでみんなに来て貰いました。本来なら同窓会ということでやればよかったのですが、何せ、急だったものですから・・・」

 と促され俺も挨拶に立った。俺は、三十年の無沙汰を詫びた。そして、

 「こんな長い間、音信不通であったのに、駅前で岡田にあっただけですぐこんなに集まって貰って・・・」

 と後は声にならなかった。 その夜は楽しかった。三十年前の集まりより楽しかった。

 みんなが昔話で盛り上がった。そして、みんながテレビ、新聞、週刊誌に出ている会社のことを知っていて、俺のことを心配してくれた。

 俺にとって時期が時期だけによけい心に沁みた。


 八月の最後の土曜日に、吉田さんと連れだって鈴木邸を訪れた。

 遅い昼食だが、午後に来てくれとのことであったので、時間を見計らい、一時に着くようにした。

 奥様は大歓迎の様子で、初めて会った吉田さんを歓待してくれた。

 「まぁ、綺麗な方ね」 

 まるで自分の娘のようであった。鈴木さんと俺は、顔を見合わせて、ただ苦笑するばかりであった。

 例によってお手伝いさんも含め、一緒に昼食であった。

 奥様は、吉田さんを自分の隣へ座らせて、何かと世話を焼き独占状態であった。吉田さんも嬉しそうであった。奥様は、

 「私も、あなた方の会社へ参加します。吉田さん、男どもに負けないように頑張りましょう。困ったことがあれば、ぜひ相談に乗せて下さいましね。あぁうれしい。楽しみですわ。ねぇあなた」

 鈴木さんは、

 「あなたが会社をやるわけではないから。それに暫くしたら、私と代わるのだから・・」

 終わらないうちに奥様は、

 「いいえ、私、吉田さんとご一緒いたします。何でしたら、私のお金を投資します。それなら文句御座いませんでしょう?」

 何だか妙な話になってしまった。さすがの鈴木さんも、苦笑いをするばかりである。

 吉田さんは控えめに、終始ニコニコしていた。一段落したところで、九月付けで、俺と吉田さんは、会社を退職することとなった旨報告した。

 そして、いよいよ九月から新会社発足に向けて活動することになったことを合わせて報告した。鈴木さんは、

 「よかった。話は外してはいけまませんよ。会社と揉めてはいけません。十分な話し合いが必要です。ところで、当座の準備事務所とスタッフはどうするのですか?」 

 俺は、吉田さんから話すように促した。

 「当座は、会社内の会議室と電話を借ります。会社からの申し出です。それから法律関係、業務関係、労務関係の優秀なスタッフも二人づつお借りしました。来年の三月一杯まで無償です。

 当然私どもは、無償の契約社員として会社に出入りします。契約書は既に作成してあります。後は、鈴木さんとも相談させていただきながら進めたいと存じます。

 奥様も含めましてよろしくお願い申しあげます」

と手をついて挨拶した。奥様は、

 「何とまぁ歯切れのよろしいこと。あなた、見かけと全く違いますね。ますます好きになりましたわ」

 後で、電話、FAXなど番号が決まり次第連絡を差し上げることで鈴木邸を辞した。


 時計を見るとまだ午後五時であった。

俺は、どうします、と云うように彼女の顔を見ると、吉田さんは、

 「後藤さん、今日は、時間がありますし、色々お話もあります。ここからですと帰り道にもなりますから、六本木でもご一緒いたしません?」

 俺としては、異論はない。車を拾い、目黒通りをまっすぐ行き、外堀東通を左折してから六本木交差点で降りた。六本木アマンドの前で車を降りてから、芋洗坂を戻り、通り一本裏へ入ったイタリア料理の店の前に出た。吉田さんは、

 「後藤さん、お腹は空いていませんから、パスタとイタリアワインにしませんか」といった。依存はない。


 すぐにその店にはいると、中はかなり広く、又、人が一杯であった。

 どうやら、踊れるクラブ風らしい。俺もお客の接待でこういう様なところを要求されたが、俺は知らなかったために偉く恥をかいた覚えがある。

 二人は、ウエイターに案内されて、奥のテーブルについた。吉田さんは、友達の案内で一度来たことがあるそうで、その時は女性同士だったので、踊りの誘いを断るのが大変だったと可笑しそうに云った。

 ここは昼頃開店だそうで、かなりの賑わいを見せていた。ウエイターがオーダーを取りに来た。

 吉田さんは、パスタのサラダとイタリアワインを、フルボトルで頼んだ。 

 周りを見ると、場所柄もあり外国人が多いようで、既に何組かが踊っていた。奥に座ったせいか比較的静かな席であった。そこで、二人は、今後の会社の運営について話し合った。彼女は、自分が社長になることに自信がないとまた言った。

 しかし、その件は専務の言葉としても非常に有効だと俺の意見に賛成してくれたことを再度言った。そして、吉田さんの将来も含めて全力を尽くすと誓った。

 彼女はようやく納得してくれた。ワインが来た。グラスにワインを注ぎ二人と、二人の会社の将来に乾杯した。

 暫く、会社の内情や、将来の経営の方針などについて真面目に話し合った。この話は専務の了解を取ってから何回も吉田さんと話し合った。かなり煮詰まってきてはいたが、自分自身としても初めてのことであるのでなかなか進め方が難しかった。

 だが、今日の鈴木邸の話でようやく結論を得たような気がした。時計を見ると七時頃であった。店に入ってから、もう二時間ほど喋っていたことになる。

 「踊りますか」と誘うと、

 「私は、上手ではありませんの」

といいながら席を立って踊り始めた。曲はバラード風なゆっくりしたイタリア音楽がかかっていた。組んだ手に力が入った。

 彼女もそれに答えるように力が少し入った。彼女の体の形が全て解るほどであった。俺達は暫くじっとしていた。俺はその耳元で、「きっと貴女を支えます」

と言った。

 それから、鈴木さんからは、既に注意を受けたことも話した。

「皆の前では十分気をつける」

とも言った。彼女は顔を上げ、俺を見て頷いた。その目が優しかった。そして自分の腕に力を入れ、俺の頬に自分の頬をつけた。俺は、その耳元に好きですと言った。

 曲が終わり、体を解いた。俺は、帰りましょうと言うと、吉田さんも、

 「そうですね。帰りましょう。今日は頭が疲れました」

といって笑った。


 車で吉田さんを送り、家に帰った。途中、車の中で

 「これからは会社がうまく動き出すまで贅沢は出来ませんね」

というと、吉田さんは、

 「覚悟はしています。でも、たまに二人で食事ぐらいはよろしいのでは御座いませんか」

 「もしかしたらそれが俺にとって一番贅沢ですよ」

といった。彼女は、

 「まぁお上手ね」

といいながら嬉しそうであった。

                                       九月になり、大幅な機構改革と共に人事異動が発令された。

 それに、希望退職者募集ともあった。俺と吉田さんは、既に九月一日付けで退職する事で退職願を出してあった。皆、発表を見て大騒ぎであった。それこそ会社が始まって以来の騒ぎであった。

 リストラの第一段として元社長一派であった部長以上の幹部社員は、全て、希望退職扱いであった。その数は、全社を会わせると百人を超えた。

 海外支社の多くは、現地人の優秀なスタッフを昇格させていて日本人は殆どいなかった。

 俺が今日付けで退職することは伏せてあったので、事業部内では誰も知らなかった。急いで机を片づけ始めた。同僚が殺到してきた。

 そして、俺が片づけているのを黙ってみていた。俺は、その同僚に向かってお世話になりました。と一頭を下げた。俺の部下だった二人の社員には、特に、

 「すまん」

といった。二人は、

 「後藤さん、どうなさったんですか。ようやく後藤さんの力が認められそうだというときに・・・ 」

 「死ぬ訳じゃないし、又お目にかかりますよ、それに皆さんのお世話にならなければならなくなりますから」

といって再び頭を下げた。そこへ

「おい、後藤、ちょっと来い」

 例の呼び声である。急いで上着を着て専務室に飛び込んだ。

 扉を閉めさせられた。

 俺から先ず、長い間育てていただいたお礼と共に退職の挨拶をした。

 「自分は、専務を自分の父親だと思ってずっとついてきました。これからもよろしくお願いいたします」

とも云った。最後は声が詰まった。専務は、一寸後ろを向いてハンカチで顔を拭っていた。この人の泣いた顔など見たことがない。

 俺もびっくりした。そして嬉しかった。

 

専務は向き直り、

 「生意気なことを云うようになったな。しかし、お前には世話をかける。この会社を助けてくれ。吉田のことを頼む。

 既に今日の11時に東証で記者会見がセットされている。社長と俺と常務が出る。 

 その席で吉田とお前のことを発表する。この前、お前と話をしたようなストーリーでやる。一寸臭いがな。

 吉田には、社長から話をして貰った。それが礼儀だからな。多分、マスコミは、そちらを大々的に取り上げるだろう。

 そこが狙いだ。午後からは、マスコミが吉田のインタビューを取りに殺到するだろう。それを受けて、会社が本社で記者会見をセットする。

 それまでは、都内のホテルニューオオタニに隔離しておく。部屋は、九階だ。お前の名前を云ってあり、お前以外は取り次ぐなと云ってある。

 彼女と会社との電話連絡は、俺が任せられている。俺と後藤以外とは口を聞くなと云ってある。

 勝手ですまん。ここを乗り切ったら、会社は全面的にお前達を支援する。よろしく頼む。」

といって、専務は机に手をついて深々と頭を下げた。俺は、

「頑張ります。吉田さんのことは全力でサポートします。俺が言い出しっぺですから」

と。


 その後、社内の挨拶周りをした。みんな不思議そうであった。

 新会社設立の話はしなかった。途中、吉田さんにあった。彼女も挨拶周りの途中であった。朝一番の専務との話を手短にして確認した。

 吉田さんは、昨日の退社時、社長に呼ばれ、専務のいるところで同様の話をされたそうである。

 彼女も事の重大さに緊張している様子が顔に出ていた。俺はわざと陽気に、

 「吉田さん大丈夫ですよ、成るようになりますと」

云った。彼女も顔を和らげ、

 「そうですよね。では後ほどホテルでお待ちしています」 

と言って別れた。


 記者会見は、東京証券取引所のロビーで行われた。

 記者会見は、新役員の挨拶と大規模な機構改革、それに伴う人員削減計画の発表であった。

 そして、

 「大規模なリストラに呼応して、吉田という女性管理職がその受け皿として人材派遣のVBを立ち上げる申し入れがあった。

 その趣旨は、女性の退職者を主として受け、その上で、ICT部門、間接部門の受け皿として、人材派遣VBを興したいとのことであった。

 会社としてもその起業精神に感謝している。

 彼女は、会社のICT部門の責任者で有能な社員である。会社としてもその能力に期待している。 

 当然、当社は出資しないが業務協力をしていきたい」

とコメントされた。

 報道が非常に情緒的になされ、社員と会社側との信頼関係を大きく浮き出させた。 

 会社は、これを機に大きく変貌し、将来についての可能性を確保したようであると結ばれていた。 

 専務の狙ったとおり、会社の合理化計画の暗い部分が小さくなり、女性社員によるVB立ち上げの部分がが大きくなった。

 午後からは、そのニュースが社内にあるあらゆるテレビジョンに映し出された。早速、広報室にはインタビューの申し入れが殺到しているらしい。社内も、話題で騒然となった。


 俺は、そっと会社を抜け出しホテルへ向かった。

 フロントで社名と名前を言うと、電話を繋いでくれた。電話で確認し、フロントと代わると、フロントは、部屋の番号を教えてくれた。

 エレベータに乗り部屋へ向かった。扉を三回ノックすると、扉が開いた。そういう約束になっていた。

 中へはいると、吉田さんが抱きついてきた。多分心細かったのであろう。俺も彼女を強く抱きしめてその唇を吸った。長いこと抱き合ったいたが、そんなことばかりしていられない。

 ソファーに座りすぐに打ち合わせを始めた。彼女も少し落ち着いたようである。  

 「私、一人でとても不安でしたの。後藤さんの顔を見てほっといたしましたたわ。先程、テレビのニュースも見ました。

 田舎の母にも電話いたしましたらびっくりししていました」

と一気に喋った。さすがの吉田さんも、少し気が高ぶっているようであった。


 そこへ専務から電話がかかってきた。吉田さんは、

 「ええ、今おいでになりました。はい。はい。承知いたしました。明後日の午後一時に会社の大会議室で御座いますね。

 私の写真が必要なのですか。はい。はい。ではホテルの写真室に参ればよろしいのですね。

 ええ、後藤さんにご一緒していただきます。会社で用意していただけますね。

 解りました。当日の資料は、後藤さんと二人で明日中に用意いたします。コピーは当日でよろしいでしょうね。はい。では、明後日の九時に出社いたします。では又、その時に。はい。では社長にもよろしくお伝え下さいませ。失礼いたします」

 電話を置くと俺の方に向き直り、

 「後藤さんいよいよスタートですよ。頑張りましょう」

 彼女も覚悟をを決めたようである。

 「それでは先ず、下の写真室に参りましょう。私の写真が50枚必要だそうです。会社で連絡済みだそうで、すぐ参りましょう」

 彼女は、化粧室へ入った。

 「少しお待ち下さいまし」

 十分ほどで出てきた吉田さんは、見違えるように綺麗であった。

 ホテルの写真室へ行き、いくつかの角度で試し撮りをし、二人で一番良さそうなのを選び本番を撮った。明日の朝までに焼き増しをして貰えるということでそこで引き上げた。


 部屋へノートパソコンとプリンタを用意して貰い、俺の用意した計画をCDから落とし、打ち合わせをしながら記者会見で配る書類を作成した。

 かなり白熱したが、残りは、明日又続けるものとしてホテルのレストランへ食事に向かった。

 もう午後八時になっていた。食事を待つ間、

 「会社の記者会見はうまくいったようですね」

というと、吉田さんは、

 「私たちは、今回、会社の盾みたいなものです。早くこれを終わらせて地道にやりたいですね。こんな浮ついた話は早く終わらせたいのです」

 俺は、吉田さんの冷静さに改めて舌を巻いた。自分を見失っていないのである。これなら上手くいきそうだと思った。ワインをとって飲んだ。俺も、もう浮ついた気持ちは微塵もなかった。

 食事が終わると、その場で俺は失礼して家路についた。

 吉田さんと個人的な関係を少なくとも当座は、今まで以上深くすべきではないと決めた。彼女もそのつもりのようであった。


 途中で鈴木さんに電話をして先日の訪問時のお礼と共に事の顛末を簡単に話した。鈴木さんもニュースを見ていた。そして鈴木さんは、

 「これで会社に貸しが出来ましたね。後は、騒ぎの収まりを待って一気に行きましょう。体を大事にして下さい」

といわれた。俺は、九月いっぱいは学校へなるべく行くつもりだと添えて電話を切った。


 家へつくと、夜の十時だというのに家族全員が出迎えた。

 「どういう風の吹き回しだ」

というと、息子が、

 「お父さん、ニュースを見たよ。本当だったね」

娘は、

 「お父さんの名前が出なかったよ」

と不満そうであった。

 「明後日、記者会見がセットされている。その記者会見には、俺も副社長として出席することになっている」

と教えた。

 着替えてテーブルにつくと、ビールとつまみが用意されていた。どうしたんだと聞くと、女房が

 「あなたに頑張って貰うためにみんなで一緒に飲みましょうということになったんです。それに娘の就職もどうやら決まりそうなんですよ」

 「よかったな。おめでとう」

というと、娘は、

 「小さい会社なんだけと、やり甲斐がありそうなの。お父さんの姿を見ているうちに、私も頑張ってみようと思うようになったの」

 みんなニコニコ笑っていた。女房も少し落ち着いたらしい。自分の実家に電話をして事情を話したらしい。

 そうしたら、話を聞いた実家の母親は、

 「お前は駄目な嫁だね」

と言ってため息をついたらしい。そして、

 「私は、今までお前達と一緒に住みたいと思っていたから何でも言うことを聞いてきたけれど、とんでもないですね。後藤さんに大変失礼をしていました。後で私たちも参りますが、よく謝っておいて下さい」

と言われたらしい。女房は

 「どうも申し訳ありませんでした。少し遅すぎるかもしれませんが、一生懸命やります」

と言って頭を下げた。俺は、ただ苦笑するしかなかった。

 田舎の弟から女房に電話があって礼を云われたと言っていた。そのほか、色々云ってくれたようで女房は涙ぐんでいた。


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