第2話 ゆうけいにひかれて


 一年ぶりに帰省することになったのは、一週間前のことだった。




 きしむような音をたてて停車するバスのステップを踏む。

 両脇に広がる田んぼ道に薄く目を細めながら、雨で少し柔らかくなった土を踏んだ。

 風雨にさらされたストップは錆だらけで、あの頃から何もかわっていない。

 稲穂の黄色が映える道に脚を向けながら、携帯電話を耳に当てた。


「もしもし、今着いたよ」


 何コールか後に聞こえた妹、九美の声に短く返事をする。

 後ろでは今年小学生になったばかりの甥っ子の叫び声がした。元気か、という質問はどうやら愚問らしい。


「平気だってば。もうやめてよ、お母さんみたい」

「でも、遠かったでしょ。帰ってきて疲れてるんだから、迎えに行ったほうがいいんじゃない」

「九美。すぐよ、気にしないで。アンタだって、疲れてるでしょう。それに久しぶりだし、すこし歩きたいから」

「もう、お姉ちゃんてば」


 心配そうに言うのが母親にそっくりで、思わず笑う。

 そう。それでもいまだ納得しかねるといった調子の妹をなだめていると、不意にあっという声がして元気な音がそれに変わった。


「いっちゃん!はやくきてよお、おれ、あさがおさいたんだよ!」


 どうやら、夏休みの名残の種がまた芽吹いたらしい。


「ちょっと、こら」

「よりみちしたら、おこられるんだからな!」


 変わっていない様子に自然と口元がほころぶのを感じながら、うん、と短く返事をする。

 じゃあねー、という声のあと、また妹の声が聞こえた。


「ごめんねえ、お姉ちゃんがくるってわかってから、テンション高くって困っちゃう」

「かわいいじゃない」

「あたしは毎日みてるからなあ」

「それに、私も楽しみにしてるもの」

「朝顔?」

「朝顔」

「はは、来る頃にはもうしぼんでるだろうけどね」


 久しぶりに叩く軽口はやはり心地よい。

 姉である私が地元を離れ仕事に精を出している間にたくましい母親になった妹ではあったが、やはりこの瞬間は昔のままだった。

 

「それじゃあ、暗くならないうちに。まってる」

「うん」


 名残惜しくはあるが赤いボタンをタップする。



「お姉ちゃん、気をつけてね」



 遠くに聞こえた最後のこえが、やけに静かな田舎道にひびいておちた。





***




 この季節は苦手だ。


 涼しい風に吹かれる髪を掴んで、無理やりぐいと首筋に巻きつける。

 そうして、憎々しげに前方を見やった。


 一人暮らしをする前に、虫が嫌いでどうするかと母親に一喝され、粗方の虫は克服した。

 某黒い虫、ムカデ、蛾。

 嫌がる私の手を引き摺って無理やり駆除させられたおかげで、この手の物には中々怯まないようになった。

 けれど、ひとつだけ。これだけは、どうしても無理だった。


 赤とんぼ。


 幼い頃。祖母に、この地では赤とんぼは守り神なのだと口をすっぱくしていわれたが、どうにも恐怖心は抜けないままこの歳になるまで生きてきた。


 金色の草原を両脇に構えたたんぼ道は、彼らのテリトリーだ。


 おびただしい数の赤に口元を引きつらせて立ち尽くす。

 無理だ。どうしても、私には無理だ。

 すぐそこに、実家が見えているとしても。

 私にこの道は通れない。生きて帰れる気がしない。


 妹に、迎えを頼もうか。


 いや、先程迎えはいらないと断ったばかりじゃないか。

 どの口が言う。

 それに、赤とんぼがたくさんいるから、という理由で彼女の腰を浮かせるにはあまりに忍びない。


 仕方がない。

 ちら、と横手を見る。

 雑にコンクリートを打たれた細道があった。


 あっちの方には、いないみたいだし。こっちにいってみよう。


 遠回りになるのは明白だったが、どうしても脚が動かない。

 寄り道しないでね。

 そういう甥の元気な声を思い出しながら、私は荷物を背負い直して歩き始めた。


 その時だった。





「おばけがでるよ」




 不意にすぐ傍にこえがきこえて、肩がはねる。

 ば、と視線を横に飛ばせば、いつの間にかそばに子供が立っていた。

 いくつくらいだろう。背は小学生低学年くらいだろうが、白いタンクトップから見える鎖骨は深く浮き出て、発育不良のような印象を受ける。

 のっぺりとした顔に不自然な大きな眼をぎょろつかせて、こちらを見上げていた。


「そっちは、おばけがでるよ」


 もう一度いう無機質な声に、思わず後退る。

 どうしても焼けてしまった自分の両腕に比べて、少年の病的な白さが際立った。

 唇が引きつる。やっとの思いで声を出した。


「僕、どこの子。めったなこと、言わないでね」

「おばけがでるんだよ」

「私、急いでるの。お家に帰りなさい、もう暗くなってきてるから」


 気味悪くいうのを遮って、少し強めに説いて投げる。背筋が冷たくて、無理やり話をちぎって踵を返した。


 一体、どこの子だろう。

 あんな子、ウチの周りにいたっけ。


 打ちっぱなしのアスファルトにキャリーケースの車輪を取られて、持ち上げながら考える。

 家についたら、九美に訊いてみよう。

 もしかしたら、甥と年も近く見えるし、何か知っているかもしれない。













「 手 が き て る よ ! 」



 背後から叫ぶ声に、全身の毛が逆立つのを感じた。


 勢いよく振り返る。

 すると、少し離れたところで変わらずにつっ立った少年が大口を開けて叫んでいた。



「ちょっと」

「こわいこわい、ああ、ああ、しらない、しらなぁい」

「やめなさい」

「とられる、とられる、とられちゃうよう」





「やめなさいったら!!」




 壊れたようにまくし立てる彼に言いようもない恐怖を感じて、大きな声で怒鳴った。そんな余裕のない自分に驚いて、逃げるように走り出す。

 ひどくこわかった。


 少し走って、息を荒げながら不安に後ろを窺う。


 じい、と変わらない位置で少年が睨めつけているのを確認してから、私はまた走り出した。







***




 学生の頃、こんな道はなかったような気がする。

 少し影の落ちた道を歩きながら、まだ完全に整わない息を吸った。


 あの子供は、一体なんだったんだろうか。


 そんなことを考えながら、名残にまた身体を震わせた。




 ≪≪本当にこちらに来ても良かったのだろうか。≫≫



 そうは思っても、赤とんぼと、あんなに気色の悪い子供がいた道になんて今更帰れるわけがない。あの異様さを思い起こすだけでも、むき出しの腕に鳥肌がたった。


 大丈夫。きっと、また何か新しい遊びに違いない。

 今はああいうのが流行っているんだろう。


 無理やりそう考えながら気持ち早めに歩いていると、遠くの方に見覚えのある民家が見えた。



「やっぱり、つながってた」




 懐かしい家の並びに、途端に安堵して弛緩する。

 もう少しだ。もう少しで、家につく。

 うるさい甥の声でも聞けば、少しは気が晴れるだろう。

 そんなことを思いながらまた一歩踏み出す。

 と、唐突に目の前に現れた赤色にびくりと脚を止めた。




「うわ、っ」



 かくり、かくりと周りを飛ぶそれに声が洩れる。

 赤とんぼだった。

 あそこから、一匹紛れてついてきたのだろうか。

 折角避けてきたのに、しぶとく目の前に現れるそれに嫌悪感が募る。

 脚を進ませかけて、また引く。それでも、どう動いても追いかけるように自分の進路に現れるような錯覚。

 顔を歪めてそれを見守っていると、辺りを一通り蹂躙したそれはよたよたと目の前のウマゴヤシの先にとまった。


 ふわふわと羽を浮かせるそれに、じりじりと脚を浮かせる。


 もう飛ばないだろうか。飛ばないだろうな。飛ばないでくれ。

 疑問が推測に変わり願いに変体していく中、腹を決め兼ねる自分の尻をたたく。

 今のうちに、急いでこの道を抜けてしまわなくては。

 そう思いながら荷物の持ち手を握り直して、駆け出しかけたとき。ふと、目前の家に白いものがちらついた。


 気になって、脚を止めて見る。目に入った白の正体は、何の変哲もない古い家の壁だった。

 薄暗いそこには庭にぼうぼうと雑草が茂っていて、赤とんぼがとまる乾いた草がさらにその存在を隠す様に四方八方に伸びている。ひとの気配はない。ただの空家だ。

 そうは思っても、目の前のペンキの禿げた家にやった視線はなかなか外せなかった。



 不自然に、窓が多いのだ。



 大小様々な窓が、ところ狭しと壁に並んでいる。出窓、天窓、小窓。ぼこぼこと、穴を開ける様に外壁を飾るそれに、どこか狂気のようなものを感じて、むき出しの腕を軽く抱いた。

 最近流行りの、デザインなのだろうか。いや、それにしては古い気がする。

 雑に塗り直した白いペンキの下に見える壁は汚く黄ばんでいて、到底新しいものとは思えなかった。よく見れば、伸びた雑草に混じって蔦のようなものも家屋に巻き付いている。変色したそれを見ても、家の過ごしてきた時代を感じさせるようだ。

 ならば、どうしてあんなにも窓があるのだろう。


 答えの見つからない気持ち悪さに視線を外せないままでいると、ふと、そのうちのひとつに目が取られた。

 あれはなんだ。虫。いや、それにしては大きいような、


 あ。

 手だ。


 しまった、家人だろうか。


 慌ててば、と勢いよく目をそらす。なんだかいけないことをしてしまった子供の気分で、にわかに鎖骨のあたりが締め付けられるようだった。

 ああ、変に思われただろうな。しまった。しっぱいだった。早く行ってしまおう。今なら、件の赤とんぼも羽を休めている。声をかけられないうちに、さっさと帰ろう。

 そう自分に言い聞かせながら、顔を隠すように俯かせて踵を返しかけた、その時だった。不意に湧き上がった違和感にまた脚は止まった。

 いや、まてよ。









 なんで、手以外のからだはみえなかった?



 瞬間、ぶわ、と身体中に汗をふいた。

 どくどく、と耳の奥で心臓がなっている。

 だめだ、これ以上考えてはいけない。

 そう思うのに、視線は再びあの窓に取られていた。



 虫の鳴き声がしない。


 しん、と音の消えた世界が自分の足元に迫ってくる。

 脚はその甲に釘を打たれたように、微塵も動かない。



 窓に映った手のひらが、となりの窓へ移っていた。


 私の視線を確認したのか、さらに手はべとりと、ほこりの浮いた窓ガラスに手のひらの跡をのこしてとなりの小窓へと移った。

 息ができない。耐え切れずに瞬きをうった。


 べとり。

      べとり。

 右からひだりへ。

 そのつぎの小窓。くもりガラス。

 すこし割れかけた切窓。


 べたべたとおりてくる手。


 それを先回りして、私はふるえながら視線を下へと落とした。

 窓が終わる先にはのぞき窓のついた玄関扉。その先には、


 自分の影が、だらしなく家に向かって伸びている。





  べ、た、


 

 大きな音がして、その瞬間、その黒い黒い影の先を手に握られたような気がした刹那。




「てがきてるよ」


 目の前にとまったままだった赤とんぼの顔が、ぼとりと落ちた。



「ひ、い、や」


 声がしぼられるように出て、それまで止まっていた時が一息に押し寄せてきたようだった。ぶわ、と全身の毛が逆立つような感覚。目は手から剥がれ落ちて、一歩、二歩と後退りをする。

 鋭く伸びた唐草の先には、首のもげた身体が羽をひらめかせたまま残っていた。



「おばけがでるよ」



 誰がそう言ったかなんて確認しないまま、気が付けば私はみっともなく走り出していた。














「どうしたの、いったい」


 肩で息をしている中に聞こえた声にはっとすると、私はいつの間にか自分が自宅の玄関にいることを知った。

 何度かこけたのだろうか、地についた膝がじんじんと痛い。ぽた、と汗が踏み石の上に落ちる。怪訝そうな妹の声に、私はあえぎながらようやく返事をした。


「うん、……ううん、なんでも。なんでもない」

「なんでもないって、そんなわけ」

「いいから」

「汗。すっごいよ、なにかあったの」



「なんでもないの」



 もう一度だけ言って、ぬけそうな脚に無理やり力をいれた。ふるえる手には感覚が無くて、そのまま引きずるように家に入る。

 このまま倒れてしまいたい。

 そんなことを考えながらふらりと居間に身体を傾けると、妹を追い越しざまに、彼女はぎょっとしたように私の背中を掴んだ。


「ちょっと、なにこれ」






「お姉ちゃん、なんでとんぼの死骸なんてつけてんの」






 ぎゃあ、とみっともない声が上がる。

 あ、という九美の声のあとに、足の下でぐしゃり、といやな感触がした。













 あの道に、舗装された道などないと聞かされたのは、私が帰ったあとだった。

 



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ひくいち短編集 なないち @nn1_nai

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