竜騎兵(ドラグーン)

瀬戸内弁慶

竜騎兵(ドラグーン)

1.


 このテの話題になると、よく聞かされる都市伝説がある。

 ハムスターは最初、ドイツで確認された数体がはじまりであったという。

 ところがその存在が人々に認知されるのと同時に爆発的にその数は増え、いまやメジャーなペットとなって全世界で愛されている。


 ニトログリセリンは当初どうやっても固形化できなかったが、ある一基の固形化に成功すると、ほぼ同時期に固まりはじめた。


 実際のところ、こうしたシンクロニシティはただの需要の増加とそれにともなう増産体制の発展というのがオチなわけだ。

 認知されれば需要が増える。増えるからこそ人に触れる目が多くなり、世間様にはあたかも唐突にそれが出現、増加したと見える。


 最初から、それらは未開の暗闇の中にいたはずだ。




「やりなおーしっ!」



えー、と声をあげて、伊達(だて)真先(まさき)は画面から目を離した。

 振り返れば剣持ほろろが頬をふくらませて顔の前でおおきくバッテンをつくっていた。


「前置きが長い! 出所不明のネタが多すぎる! 口語使いすぎっ。もー、さっきからぜんっぜん進まないじゃん、レポートー」


 そう毒づき、プリプリと怒りながらツインテールを振りみだす。

 そんな彼女の姿は、お世辞にも女子大生には見えなかった。


「つってもねぇ剣持さん。文化人類学の課題に都市伝説なんか取り上げるほうもどうかしてると思うよ、オレは」


 うっかり口をすべらせてから、真先は「しまった」とちいさくつぶやいた。

 こんなことを言えば、ますます彼女の怒りに油をそそぐようなものじゃないか。


「もともとはキミのレポートでしょうがっ! しかも取材対象も決まってないとなれば、サークル活動の延長でネタ集めするしかないじゃないっ」

「あぁハイハイ。『ミステリーサークル』ねー」


 彼女の主催し、自分の所属するクラブ活動を、隅に追いやられた部室の狭さを改めて思い返す。

 直截的な名前は、むしろそれ自体がUFOをイメージさせるが、口に出してみるとあんがい語感は悪くない。


 その活動のうえであつめた資料の数々。デスクトップ脇に平積みになったプリントや写真を、真先はあらためて見つめた。


 去年の暮れ、二つ向こうの県の某高校でおこった集団ヒステリー事件。

 その裏でうごめく宗教集団『吉良会きちりょうかい』。


 同日に近郊で起こったバスの転落事故から奇跡の生還をはたした女子高生の、異常な回復力とその言動。

 彼女が見たという『黒い泥の波』。


 同時期、名古屋テレビ塔の原因不明の倒壊事故。


 政財界に顔の利く時州ときぐに一族の呪術的側面。


 カルト教団『銀の星夜会』の内部崩壊……およびそれにとってかわった現『銀の騎士団(シルバーナイツ)』の爆発的な増殖。


 そして、十二年前の大規模火災、通称『川中島事件』。


 ほろろのネタのチョイスは、信ぴょう性からも人倫的にもかなりグレーゾーンを攻めていた。

 こと彼女の『最近のお気に入り』に関しては、題材として提供してもらえなかったが。


「でも、いいセンは突いてるとおもう」


 Wordファイルの全消去をかけようとした矢先にそんなことを言われ、真先は指先を止めた。

 さっきまでの怒りはどこへ飛散したのやら、真剣そのものといった感じで真先に顔を近づけ、まじまじと画面と資料とを見比べる。


「最近、本当にこういうの増えたからさ。やっぱりそういう奇妙な運命ていうか、見えない力っていうのがさ、はたらいてるんじゃないかなぁーって」

「……それこそ」


 嘆息まじりに真先は『川中島事件』の当時の記事を見つめた。

 それから画面に向き直って、キーボードを一押し、ここまで書いた文章を一気に白紙にもどした。


「最初っからあったものが、ようやく明るみに出ただけだと思うよ」



2.



 遊佐文化大学は甲信越地方屈指の学府ではあるが、本キャンパスは意外にもこじんまりとしているし、交通の便がそれほど良いわけでもない。ヘンピな森の中央に建っていて、自動車やバイク、あるいは直近の駅からのシャトルバスでしか、行くことができない。

 ただ、その北棟からのぞく夕日は、なにひとつ遮るものがないから、きれいだった。


「……では、失礼いたします」


 教授の研究室から退出したのは、ややスーツを着崩したかんじの、中年ふたり。胸に下げたプラスチックケースの許可証が、彼らの雰囲気からはひたすらに浮いていた。

 そしてすれ違ったほろろと真先を無遠慮にジロジロ見下ろし、フンと鼻を鳴らすと去っていく。

 こんな連中と何度もすれ違って、似たような反応をされることが幾度となくあった。


「やっほー」

 と、彼女は開けっ放しのドアから、ひょいと気軽に乗り込んだ。

 ジロリ、と中で本に囲まれている壮年の男は彼女を見返した。

 上着の前をきっちり閉めて、『剣持 隼太(はやた)』の名札を首から下げているのは、彼ぐらいなものだろう。


「また、刑事さん?」

 ほろろの問いに返事はなく、ほろろの父は書籍の片づけをしている。

 無言は、肯定。そのことに気付くのに、真先はどれほど時間が要ったことか。苦笑しながら、彼も『センセイ』の部屋へと入った。


「あ、コレ遅れてた課題ス」


 とUSBを見せつけると、ようやくそこで二人の存在に気が付いたかのように、


「二ヶ月と二日と十時間の遅れだ」

 とがめる口調で、そう呟いた。


 スンマセン、と小さく詫びながら、真先は教授のノートPCに近づいて行った。


「いつものように、こっち直で入れときますね」

 無言。

 真先は肩をすくめて、USBをふたつ、PCへと差し込んだ。


「ね、ね。アレ刑事さん? ひょっとして、また『例の彼』がらみ?」


 そんな彼の作業には興味がないのか、ほろろは父親に親しげに語り掛けて情報を引き出そうとしていた。

 だが、甘い顔ひとつせず、淡々と「機密事項だ」とのみ答えた。


「だいたい、『竜騎兵(ドラグーン)』が男性だという確証はない。あんな覆面男もそうだが、ありもしないものに熱をあげるのはやめろ。それにツインテールもだ。二十歳にもなって」

「つ、ツインテールは関係ないでしょー!?」


 そんな親子のやりとりを脇目に見つつ、真先はその死角ですばやくマウス操作とタイピングをおこなっていく。


 『竜騎兵』というのが、剣持ほろろがいま熱をあげ、隼太がそのモンタージュを警察機関から依頼されている怪人だ。

 真先はPC内の、動画をミュートで開いてみる。

 民間から押収した映像。警官隊が突入し、銀行強盗を確保するまでの、数秒のムービー。


 会話ひとつまともに聞き取れない喧騒のなか、彼が野次馬に紛れ込んで姿を消した。その間、わずか一秒にも満たない。

 彼のトレードマークたる、黒金二色塗りのフルフェイスのヘルメットが、わずかに見え隠れしているだけだ。


 これの存在が確認されたのは、鏡塔学園で集団ヒステリー事件が起こった直後のことだ。

 それと前後して、世間の治安は悪化していた。


 人々の言動の異常。精神疾患の増加。それにともなう軽重を問わない犯罪の横行。カルト宗教の台頭。


 そんな中、超能力者、霊能力者の実在がまことにしやかに噂された。


 真偽はともかく、警察では読めない動機や負えない手口が増えたのも確かだ。

 この銀行強盗だってそうだ。

 侵入経路は不明。ずっと使われていない地下道に入ったところまでは判明したが、そこからどうやって地上の金庫に至ったのかは不明のままだ。


 気がつけば年若い犯罪者グループは、素顔をさらして金庫に侵入していたという。

 外部からこじ開けた形跡はなく、それこそ


「テレポーテーション、みたいな……?」


 というほかなかった。


 そこをたまたま金庫を開けに来た女性店員に発見されていなければ、彼らは籠城戦をすることもなく、目当てのものを手に入れていただろう。


 そしてそんな怪事件は、勇気ある警官隊の突入によって解決した。

 ……と世間には発表されているが、実際にはちがう。


 彼らが入店した時には、犯人たちはワイヤーでふん縛られていて、彼らの周囲では錠前にも似た奇妙な機材がいくつも叩き壊されていて、チェスの駒……『歩兵(ポーン)』をかたどった鍵が根元からねじ曲げられていた。


 やがてそれは件の時州家から盗み出されていたものだと発覚し、その残骸が何だったのかさえわからないまま引き取られていった。



 こうした怪奇事件の影には、常にといっていいほどフルフェイスのヘルメット男の存在があった。

 正体不明。

 警察がこれまでにつかんでいる情報と言えば、ベースとなった車種さえ不明の改造バイクを乗り回し現場に駆けつけ、中世ヨーロッパのマスケットにも似た長い銃を駆使して、犯人たちを倒していく。どんな手段でどう戦うかも見せることなく。


 断片的な情報から、いつしかついた仮称が、『竜騎兵(ドラグーン)』。

 火器を用いて敵を駆逐する、騎兵の一種だ。

 やや時代錯誤なその名前で、剣持ほろろはローカルヒーローとして慕い、その父は


「……なにが、正義の味方だ」

 と、白い眼を向けていた。


「やつの前にも似たようなケースは存在した。ここまで奇妙な事象が多いと、そのうちのひとつぐらいは本物のような気にもなるが、やつを含めたいがいは模倣犯で、愉快犯だ。ほかのやつらのマネをして、状況を引っ掻き回して楽しんでいるにすぎない」


 それは私情をふくまず、よどみなく、ひくいバリトンによる純然たる否定だった。


 ――ご立派なコメントだ。今後この人が議員にでも立候補することがあれば、投票しよう。

と真先は口にせず心の中で拍手する。


「たしかに怪人は彼だけじゃないよ。でも、明確なヒーロー活動をしてるのは、今のところ『竜騎兵』だけじゃん。……ね、彼ホントに竜だったりしない? 手口もよくわかってないし、ひょっとしたら人知れずドラゴンに変身してるのかも」


 突拍子もないことを、脈絡なく言うのはほろろの常だが、この時ばかりは父親も、しばらくは閉口していた。


「だって、超能力者とか魔術師とか、霊媒師とか。そんなのがいる時代だよ? だったら幻獣のひとつふたつぐらいいても良いじゃない」

「……竜というのは、むかしの人が嵐や暗雲といった異常気象、異民族や賊徒の侵入を象徴化したものにすぎない。ドラキュラ伯爵が好例だ」

「でもでも、全世界で形や意味合いはちがっても『竜』っていうのは語り継がれてきたわけだし? 北欧のファヴニルやニーズホッグ。創世の竜カンヘルや、聖ゲオルギウスの伝説。中国の青龍、このあたりだと黒姫伝説とか有名じゃない? そのうちどれかひとつはホンモノだって良いじゃない」


 書き込みを終えた片方のUSBを抜き取りながら、真先はふたりの会話に耳をかたむけていた。

 剣持ほろろの研究テーマは、『竜は実在するか』というものだ。

 彼女が『竜騎兵』に熱をあげているのは、その活躍自体よりもネーミングが先に来るのではないかとさえ思う。


 --つか、『竜騎兵』ってドラゴンそのものじゃなく軍事用語なんだけどな。


 そして適当なタイピングのあと、「仕上げおーわりっ」と両肩を持ち上げる。


「……おい、まさか今この場ででレポート書き上げたのか」

「まっ、まっさかぁ? ただちょこーっと誤字見つけまして」


 ったく、と毒づきブツブツと聞こえないような小言を言う。

おそるおそるPCと教授から距離をとろうとする彼を、「そう言えば」と隼太が呼び止めた。


「今、何時だ?」

「は……ええーと、五時半ぐらいスけど。なんかスンマセン。こんな時間まで待ってもらっちゃって」

「……それを見越して時間はつくってある。そういうお前はどうだ? このあとの予定はあるのか?」

「んー、九時ぐらいにはちょっとあそびに出かけますけど」


 ほんのわずかにだが、隼太の顔が右にそのパーツを傾かせた。それだけで迫力はぐん増した。


「いやいやいや!? べつにやましいコトではないですよ!? ただちょっとしたツーリングってだけで。それともまさか、オレのスケジュールまで管理対象ですか? あぁー、だったらせめて月一でマックのパンケーキ食べることにしてるんです。それ欠かせないでくれたら」

「このあたりに、最近バールができた」


 流れを刀かなにがでぶった切るがごとき、唐突で強引な話題転換だった。

 はぁ、という真先の生返事も聞いているのかどうか。彼は背を向けたまま手を伸ばした。


「酒もいけるがコーヒーも、料理もうまい。とくに牛がな」

「はぁ」


 要領を得ない、真意を闇の中から手探りするような心地だった。

 いぶかしむ男友達を見かねたのか、背後からそれとなくほろろが耳打ちした。


「つまり『一緒にご飯を食べよう』ってこと」

「え?」

「キミ、けっこう気に入られてるから」

「あぁ~! ハイハイハイハイ!」


 ようやく納得がいって、「よろしくお願いします」と頭を下げる。

 それでも顔どころか視線さえも向けてくれない。YESとも、NOとも口にしない。

 せいぜい鼻が鳴らされたぐらいで、それ以上のリアクションはなかった。これではせっかくの愛想笑いも意味がない。

 自然、張り付いた笑いはひきつったものになる。


「……おい」

「はい!?」


 それが気取られたかと焦る声色は、上ずったものになった。


「お前は、どう思う?」

「どう、ってなにがです?」

「さっきのこの娘のたわごとだ。まさかお前も、二十歳になってまだ竜の実在を信じているわけでもあるまい」

「『ミステリーサークル』の部員なんだから、信じてるに決まってるよ!」


 ねー、と念押しするツインテールの娘に、かわいて、複雑な愛想を振りまく。

 心苦しいものの、彼は単位をくれる相手に同調し、かつ自分の考えを正直に答えることに決めた。


「さぁ。でも、いないと思いますよ。……それに関しちゃ、見たことないんで」



3.



 駅前のロータリーに設置された大時計は、よく待ち合わせをするスポットとして有名だった。

 事実、花の金曜日である今日にはサラリーマンや学生などが、ちょうど九時を示したまま固定されたその根元を、争うかのように確保し、寄り集まっていた。


「いいァ……っはー!」


 という奇声をあげながら、彼ら若い四人組はその人々の間をすり抜けていく。

 だが誰一人として、そのはた迷惑な連中に、注意どころかいやな顔はしなかった。


 駅に併設された駐在所には警官が詰めているが、彼らも出動しなかった。

 被害届の書類に目を落としたまま、ペンを用紙に突き立てたままだった。


 たとえ、ブランド時計や軽量化された電化製品、あるいは宝石をかかえた四人組が、平然と目前を通過していったとしても。


 誰も、気に留めなかった。

 そして時計の針は、一ミリたりとも動くことはなかった。


 町はずれの自動車工場。

 もっぱらスクラップとしてつぶされるのを待つ廃車の影で、彼らは立ち止まった。


「待ち合わせの場所、ここでいいんだよなぁ?」


 その窃盗団の主犯格は、背後の三人を振り返って確認した。


「そーそー」

「つっても、今この状態じゃあ、いつまで経ってもこねーよ?」

「っと、そうだったそうだった」


 リーダーがジーンズのポケットから取り出したのは、少女とウサギの装飾がうつくしい銀の懐中時計だった。

 鎖はポケットに突っ込んだままに、彼はその虫ピンをいじった。


 そこでようやく、彼ら以外の、時間ときが動き始めた。

 死んだように止まっていた植樹の擦れ合う音が復活し、やや廃油のにおいをふくんだ風が、彼らの汗ばんだ頬を撫でる。


 裸のまま、欲望のおもむくままむしりとった貴金属は床に置き、四人組は一仕事をした充足感に満たされていた。


「しっかしスッゲェな、これ! 超おもしれ!」

「あぁ! オレら、ちょームテキじゃね!?」

「マジヤバイ、ソシキからドサクサでかっぱらって正解だったじゃんッ」


 とはしゃぐ取り巻きも、似たような知能指数をしめす会話を繰り返し、時計の針と同じ形状の金属をあしらったアクセサリーを、それぞれの利き手首につけていた。


「これって、アレだろ! ほら、この女神サマ、こいつのミワザってヤツなんだろ!?」

「ばっかお前、あんなの信じてたワケ?」

「ちっげーよ! ただ、ほんとこの女神サマサマだよなー! 名前忘れたけど」

「ひっで!」

「あんなイカれたシューキョー野郎どものオナペなんていちいち覚えられっかよ! つか、オレ、もー組織の名前もおぼえてないんですけどぉー!」

「ほら、あれだって、銀だとかそんなの!」

「あぁー、だから銀色のお姫様なのねー!」


 ゲラゲラと甲高く品なく笑いながら、彼らは無遠慮に、その『時を停止させる時計』の、銀色の少女の憂え顔を無遠慮に指ではじいた。


「つーか、世間じゃオレらのことニュースになってね? ヤバくね?」

「いいじゃん、どんどん売れ出しちゃえば、こーゆー仕事も多く回してもらえっしさ」

「どーせならさ、通りのいい名前つけちゃえば? ほら『ドラゴン』とかそーゆーの、今アツイじゃん」

「じゃあ、時計、時、時間、んー、タイム……」


 そして彼らのなかで一番年若いメンバーは、四角く陣取った彼ら自身を見つめた。

 やがてまだあどけなさとそばかすの残る顔を花咲かせ、それぞれを指で指し示して宣言した。


「そうだ、タイム! 『タイムズスクエア』っ!」

「おっ、なんかそれっぽい。いいじゃん、いいじゃんスゲーじゃん!」

「お前あったまいいなッ、英検一級ねらえんじゃね?」

「あ、あとさあとさ。まだソシキの名前忘れたまんまだけどさ、さんざん言わされたからあいつらの掛け声おぼえてんだよねー!」

「あっ、俺も俺も」

「じゃあ『タイムズスクエア』ホッソク記念に、一発キメちゃいますかっ」


 せーの、という掛け声でタイミングを合わせ、そして彼らは大きく口を開けて、


「我ら、静謐なる銀」


 だがそのかけ声は、バアン……という派手な銃声と、硝煙のにおいと、そして彼らのうちの一角がたおれる音でかき消された。


「あらら、『タイムズ四角形(スクエア)』が『タイムズ三角形(トライアングル)』になっちゃったよ」


 と揶揄するくぐもった変声が、呆然とする三人を視線を、一か所に集中させた。


「まぁ、じきに一点(ドット)でさえなくなるけど」


 廃車やバイクの森の奥、そこに『彼』は、噂どおりの姿で存在していた。


「あ、あとそれとさ。『スクエア』だけじゃあ英検一級はきびしいんでない? というか、個人的にTOEICのほうがオススメ。なんというか、意識高い気分になれるじゃん?」


 変わらずおしゃべりを続ける男は、スチームパンク調と軍服のあいのこのようなジャケットに、フルフェイスのヘルメットという、奇妙ないでたちだった。

 闇の植物に溶け込むかのような深緑色のバイクにまたがっている。

 手にはもうもうと白煙を吐く、銃口の突き出たわりに銃床のみじかい奇妙な形状のライフル。


 その特徴的な姿に、彼らは死神に出くわしたかのような心地で、唇をふるわせた。


「ド……『竜騎兵(ドラグーン)』!?」


 その男はマスケット銃を小脇に持ち替え、分厚い革手袋をパンパン打ち鳴らす。

 「正解」とひくく作った声を弾ませる。


「今度はちゃんと言えたじゃない。どうする? 採点いる?」


 女のような悲鳴をあげて、彼らはその狩人へと背を向けた。


「あぁダメダメ、テスト中は途中退出禁止」


 とすかさず右手で銃を打ち放し、一発の弾丸が車体の間隙を縫う。そして鉄をかすめる音ひとつ立てず、ひとりの脚をつらぬいた。血は出なかった。だが、最初の一発と同様に、撃ち抜かれた彼は身動き一つとらなくなる。


 ――麻酔弾?


 少年グループの混乱をよそに、中折れ式の銃に弾込めしながら、バイクをすばやくシフトアップさせた。急発進したバイクは、まるで獲物にとびかかる猛獣のように前輪を持ち上げて、廃車に乗り上げる。


 速度を落とさず、そこを踏み台に『竜騎兵』は天高く愛車を浮き上がらせた。

 逃げる二人の頭上から、長銃が牙を剥く。竜の頭部をかたどったレリーフが、発射口のあたりに彫金されている。その竜の横顔が、火を噴いた。


 一発は廃車のボンネットに命中し、もう一発は確実にひとりの足を撃ち抜く。

 さらにひとり、その場で昏倒した彼をよそに、最後の一点(ドット)の少年は、反転して逃げ出そうとした。

 『竜騎兵』はバイクを空中で切り返して、足を突き出した。その靴底に胸をたたかれて、少年は廃車のヘッドライトに背を打ち付けた。


 かるくうめいて身もだえる彼の眼前で、はでな破砕音が鳴り響く。クラウンの旧モデルらしき車のフロントを両輪でゆがませて、身を乗り出して、『竜騎兵』が少年をのぞき込んでいた。


 ビクッと全身を緊張させた彼に、銃が突き付けられた。


「さっき時計ひろったよね。ちょっと貸してもらえる? あ、返す気ないけど」


 少年は手の中の懐中時計を、ヘルメット男にちらつかせた。

 銃とは逆の手がそれへと伸びてきた瞬間、少年はすかさず時計のピンをひねった。


 ふたたび時が停止する。

 それによって、今まで間近にせまっていた恐怖はウソのようにかき消えて、少年の心に蛮勇と怒りが沸き上がってきた。


「……の、野郎! さんざんいたぶってくれたくれたなァ!?」


 と自分に突き付けられた銃器を取り上げようとしたその瞬間、足がピンと突っ張る感じがして、まず出した右足が、次いでそれに巻き込まれる形でもう片足がもつれて、彼は倒れこんだ。


「なんだよ……っ、コレ!?」


 彼の両足を、糸のようなもの絡みとっていた。幾重にも、地面スレスレに、それこそ蜘蛛糸のように張り巡らされていた。

 そしてそれの出処は、車のボンネットに穿たれた銃創からだった。


 手元をはなれて転がった銀時計が、カチリ、という音とともにその秒針を動かしはじめる。

 時間が取り戻された世界では、わずかにだがモスキート音が鳴らされていた。


「便利だろ、この銃。弾自作すんのに時間と手間はかかるから、あんま消費したくないんだよねー」


 バイクは車上に固定して、ワイアーを避けて地面に慎重に降り立った『竜騎兵』は、その時計を回収した。


「この『シルバー・ウォッチ』。じつは持ち主の手からはなれて数秒経つか、磁力に近づくと強制的にセーフティロックがかかるんだよね。あ、今ワイヤー弾にその磁力を流してあるから。携帯とか持ってたらちょっと気をつけてね。……てネットに落ちてた取説に書いてあったけど見てない? 裸で持ってきちゃった? 箱とかケースとか折りたたんで捨てちゃうタイプ?」


 相も変わらず身もフタもない軽口をベラベラとまくし立て、彼はにじり寄る。縛られた両足をほどこうと苦心しつつも、少年はイモムシのように蠕動しながら後ずさりする。


「わ、悪かったよ、時計はやるって! アンタも特殊能力とか、そーゆーの持ってるんだろ!? これ使えばパワーアップできるよ? だから、見逃してくれよ」


 その答えは、すかさずかえってきた。

 彼が振り上げた、スパイクつきのブーツとともに。


「勘違いして悪いけど、オレはただの人間だし、そーゆーの、趣味じゃないから」



4.



 途中でバイクを実家の車庫に停め、そこからバスと徒歩とで十分行くと、伊達真先のアパートがあった。


「あー」

 という呼気とともに、大きめのデイバッグをかついで自室の電気をつける。

 だが部屋を照らす出した蛍光灯の下、予想だにしない塊が、ダイニングに腰掛けていた。


 オフロード用の、フルフェイスヘルメット。レザースーツで160cmそこそこの身をつつみ、土足のまま部屋に上がり込んでいる、謎の人物。

 テーブルクロスの上に頰杖をついて、家主の帰還を待っていたようだった。


「伊達クン、帰ってきたー?」

 外から剣持ほろろの声が聞こえて、あわてて後ろ手でロックをかける。


 あれ、と訝しむ声に、わざと明るい声で答える。

「着替え中ー! あれ、剣持さん、わざわざご近所からやってきたってことは、そこまでオレの裸見たかった? せめてパンツの柄くらい教えてあげよっか」

「ちがうッ! じゃあ、そのまま聞いて」


 もったいぶったように間をつくるが、今彼の目の前ではそんな真剣さがのんきに見えるほどの脅威が座っている。


「『竜騎兵』が、また今晩出没したみたいなの。ツイッターとかでも話題になってるし」

「……あぁ、そうみたい、だねぇ」


 まさか彼自身の部屋に、噂のメット怪人が腰を落ち着けている。この光景を見れば、ほろろはどう反応することだろう。とは言えこんな危険分子の前に彼女を招くこともできず、ロックはかけたままに、あいまいに相槌をうつ。


「それで、さっきまで出かけてたんでしょ? だったらその時になんか見てないかなーって」

「いやー? その時は見てないかな?」


 今この時を別とすれば。真先は内心でそう付け足した。


「そっか。じゃ、おやすみ。また来週」

「はいはいー」


 とことさらに明るく声をつくり、遠ざかっていく足音が一秒でもはやく聞こえなくなるのを願う。

 そして部屋の中は、室外機の音ひとつ聞こえなくなった。


 ベランダ側の窓は破壊された形跡はなく、玄関から靴跡が遠慮なくのこっていた。

 つまり目の前の怪人物は、彼がたしかに施錠したドアのロックを無理にではなく自然に解除し、侵入してきたということになる。


「……誰だ、アンタ」


 さっきまでとは打って変わって、真剣みを帯びた声で尋ねると、


「どっちだ?」


 甲高い声は、彼の質問に質問で返した。

 ヘルメットから下の身体つきは豊満な女のそれで、口調こそ荒っぽいがその人物は女だと、ようやく気が付いた。

「……は?」

 と思わず首をかしげる真先に、より具体的で、より核心を突いた質問が、ぶつけられた。


「アタシがいまつけてるコイツと、アンタのバッグの中のそれ、どっちが予備のヘルメットだ?」

「な、なんの話だよ」

「じゃ、質問をかえよう。人畜無害な大学生、伊達真先。なんら特殊な武器や能力もないくせに、異能犯罪者を狩って回るサイコ野郎『竜騎兵』。……今のアンタは、どっちだ?」


 ただそれは、質問というよりも確実に真実こたえを知ったうえでの、最終確認だった。

 いつものような愛想笑いとおためごかしが通じる相手でもない。


「アンタが出動するまえ、ガレージを見てきたよ。『Y-Burn(ワイバーン)』。マニアの間でも実在が疑われてる、国産最高峰のロードバイク。ナンバープレートどころか正規のメーカーを通っていないから、警察が特定できないのも無理はねーよな」


 ……そう、そして彼女がかぶっているヘルメットは、活動初期に自分が使っていたものだった。

 愛車と、同じガレージ。幾重にも電子ロックをかけていた、銀行の金庫よりも安心できる場所に、彼女は侵入してそのヘルメットを拝借し、バイクさえも見られた。


 この事実を噛みしめた瞬間、彼は、『竜騎兵』伊達真先は両肩を脱力させて、観念してみせた。


「公私は分けるほうでね。今はシャワーを浴びてゆっくり寝て明日にそなえたい感じの、ただの大学生かな」

「どっちが公で、どっちが私だ?」

「もちろん、『竜騎兵』がプライベート。だってほら、学生証はあるけど、『竜騎兵』に資格とか免許とかないわけだし? 『改造銃携帯許可証』! 的な? だから、ほれっ」


 と、デイバッグから銀時計を投げ渡す。

 とうに打ち砕いて、使い物になくなっていたが、しかるべきところに預けて修理すれば、まだ使用できることだろう。

 落とすことなくそれをキャッチして、じっと見降ろす彼女に、真先は言った。


「狙いはそれだろ。襲わないなら素直に渡す。というか渡したから素直に帰れよ」

「いいのか?」

「この狂った世界じゃそんなもの、氷山の一角に過ぎないことはわかってる。スタンドプレーじゃぜったいにこういう犯罪がなくならないことも。だからオレのこれは、SNSやワイドショーのコメンテーターがさんざん言ってるように、コスプレのごっこ遊びさ。自己満足。そんなこと自分が一番わかってる」

「けど、アンタはこれを使えば、本物のヒーローになれただろ。先の銀行強盗の持っていた量産型『ルーク・ドライバー』だってそうだ。そのチャンスを、一度ならず二度以上手放してる。なんでだ?」


 目当てのものを手に入れたとしても、彼女はその魅力的な腰を上げることはしなかった。


「だーから、言ったでしょ。オレのこれはただのゲーム。そんなのに顔真っ赤にしちゃってどーすんのさ。……冗談じゃない。そんな力、求め続ければ際限がなくなる」

「そーいうトラウマかと思った」

「……」

「アンタとあのバイクを生んだ親は、十二年前に大規模火災……となっているに殺されてる」

「調べたんだ?」

「ウチにもあの事件で孤児になったヤツが多くてね」


 ほんとうは、彼女自身もそうだったんじゃないか、と真先は勘ぐった。

 歳も自分と近そうだったし、そのことを語るとき、ふと言葉の響きがにごったように感じられた。

 だが詮索する気はない。好奇心で古傷をえぐられることへの怒りは、自分が一番よくわかっている。


「でも残念ながら、ドラマチックな『竜騎兵』誕生のきっかけはそれぐらいなものだよ。悪いね、自叙伝出版するときはもうすこしエピソード盛っておくよ」

「べつに生い立ちには興味はないし、実績は見ればわかる。肝心なのは……次のフェイズにアンタがどう動くか、だ」


 今度は向こうから、タブレット端末が手渡される。

 もっともそれも、彼自身の私物だったわけだが。

 ……だが、その中に入力(インプット)されていた動画ファイルは、まったく彼の関知していない代物だった。


 ある事故に見舞われた、中学生の少女の入院会見。

 不愛想なその女の子は、開口一番から、意味不明なことを始終口走っていた。


『……で、バスが裏山の道路を抜けようとした時、学校が見えた。鏡塔(かがみとう)学園』

『……なんというかそう……ヘドロがあふれ出てた』

『老若男女、みーんなどこかおかしくなって車内全員が暴力沙汰のランチキ騒ぎになった』


『不謹慎だぞ、君! ここはそんなデタラメを披露する場じゃないんだ! なくなった運転手さんやご学友のご遺族に、申し訳ないと思わないのか!』

 荒唐無稽な彼女の話に、報道関係者を義憤に駆り立てさせ、そう怒鳴られた彼女は、どく吹く風でその場を後にした。


「差し止めされたニュース映像の、オリジナルのものだ。いまこの女はこんなオモチャなんか目じゃないほどの力を、世界を変える代物を、その体内に飲み込んじまってる。絶望的な事故の中、生還したあげくに完治したのはそのためだ」

「……『デミウルゴスの鏡』。ウワサはホントだったわけだ」


「アンタの言う通りだよ。おままごとで済ませときゃあいいものを、顔真っ赤にして世の中を正そうっていうバカがいる。そんなバカにかぎって、こういう過ぎた力に手を伸ばす。そういうバカを、今からボコりに行く」

「君らがそのバカのひとつだったら、どうする」

「さぁな、すくなくともアタシのはこの女と同じ……望んで手にした『力』じゃない」


 ヘルメットを脱いであらわになった素顔は、中性的なものだった。ナイフのように目つきはとがっているものの、顔だちそれ自体は若い。あるいは真先よりも一回りほど年下かもしれない。

 少年のように短く切り上げた髪をバサバサと振り乱し、あいまいに苦笑してみせる。

 ……瞬間、動画再生を終えたタブレットに大きなノイズが入り、そのファイルはいつの間にか消失していた。


「『吉良会』次期幹部候補、楢柴(ならしば)改(アラタ)だ。手が足りねーから今から一緒に来い。待ちに望んだ世界の危機イベントだぞ」


 差し出されたその手に、真先は隠すことなくいやな顔を向けた。


5.


 ――ったく、パーティー組むのは性に合わないんだけど。

 夜の東海北陸自動車道を南下しつつ、メット越しに先導する楢柴アラタを見る。

 カワサキのスーパーシェルパをたくみに操る彼女は、ほぼ無人の道路を抜けていた。


 前から突風が、重い塊となって押し寄せる。

 いまだに冷たさの残る風を、ギアを上げて振り切って、彼の愛車『Y-Burn』は低いうなり声をあげた。


 だが、どうしようもない。

 見過ごせないのはたしかだ。どんな目的かはしらないが、どんな崇高な目的であれ、病み上がりのいたいけな少女を狙おうという連中もいけ好かない。


 ――模倣犯、愉快犯。

 風と駆動音にまぎれて、剣持隼太の言葉がよみがえる。


 ――あぁそうとも。オレはヒーローなんかじゃない。


 竜。

 逆徒の象徴。災厄のシンボル。あるいは神聖化され、あるいは悪魔と同一視される。

 秘宝を胸に秘めるもの。人の欲を食らうもの。人の偽善を殺すもの。

 だがまちがいなく、力と脅威の旗印。


 それが伊達真先にとっての竜だった。


 ――でもしょせん、オレはまがい物の竜だ。ただのコスプレイヤーだ。


 人は決して『竜(ドラゴン)』にはなれない。

 翼のかわりに馬を駆り、口に代わって兵器が火を噴く。その有りようを模倣するだけだ。

 それゆえの『竜騎兵(ドラグーン)』なのだ。


 テールランプの光の尾を引いて、『飛龍』が大きく鳴いた。

 その手綱を握りしめ、仮面の騎士は夜を征く。

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竜騎兵(ドラグーン) 瀬戸内弁慶 @BK_Seto

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