大丈夫?
「……うーん」
山中を歩いていた少年は足を止めて黒い眼でゆっくりと空を見上げた。
胡服によく似た着物は、後ろ裾が長くなっている。木々の葉から降り注ぐ木漏れ日に照らされて黒に近い紅髪は濃淡を作り出していた。
晴れ渡り、雲ひとつない空が一瞬グラリと歪んでみえる。少年は倒れないよう近くの木に手をついた。
隣を少し遅れて歩いていた少女が駆け寄ってくる。
白を基調とした着物の丈は短く、太ももの中程からは黒の長足袋が覆っている。
背中の中ほどまである黒髪を揺らし、少女は黒に近い紅い眼で少年の顔を下から覗き込んだ。
「のぅ、
「……あと半日も歩けば町なんだがなあ」
「しかし……ボーッとしておるし、足取りがフラついておるぞ」
心配してくる少女、
「わかった。ここで少し休む。悪いな来紗」
「気にせずともよい、今無理して任務の時にへばってしまっては大変じゃろ」
任務。来紗と琳汪が所属する「鬼の討伐から悪人捕獲まで」を歌い文句とする何でも屋である木漏れ日屋からのもので、今は現場に向かう途中だった。
道のりは長く、片道五日はかかる。体調は万全のつもりだったが、最近の立て続けの任務の疲れが完全には取れていなかったようだ。
いつもは来紗が体調の崩して琳汪が気遣うが、今に限っては逆である。
「そうじゃ琳汪!うちが何か作るぞ。この山じゃから兎や猪やらがおるじゃろうし、木の実も豊富じゃ!」
「いや、いい」
キッパリと断言した琳汪だが、当の来紗は聞く耳を持たない。
「疲れた時には食事をキチンと!と師匠からも言われておったじゃろ、ここ数日携帯食ばかりじゃったからの!」
「薬がある。だから――」
琳汪は着物の懐から印篭を取り出して来紗に見せるが――そこに彼女の姿はなかった。
揺らぐ頭を無視して周囲を見渡すが、どこにもいない。もう山中に入ってしまったようだ。
「……はあ」
追いかけたいがこの体調だ。足元がおぼつかなくなってきている中で山の中で来紗を探すのは難しい。
大木の根に腰を下ろした琳汪は深々と溜め息をついて印篭から取り出した薬を水筒の水で流し込んだ。
木の幹に背をあずけて葉の間から振りそそいでくる木漏れ日を浴びる。
「……不安だなあ」
一人山に入った来紗が、ではない。
彼女と共に任務を始めたのは十歳ごろのこと。もう八年も前になる。
互いのことはよく知っている。実力も苦手な物も大好物も、苦手な戦法も。来紗は食材を取ってくるぐらいで下手を打つことはない。
巨大な猪や獰猛な熊と遭遇した所で、こちらには武器がある。
ただの刀や弓矢とも違う武器だ。鬼なら兎も角、只の動物が相手であれば彼女は寝転がったままでも勝利するだろう。
琳汪が不安に思うこと、それは――来紗の料理はお世辞にも喰えたものではないという事だ。
過去に数度作ってもらった料理を思い出す。
焼き魚、焼き過ぎてほぼ炭と化していた。指導の後に再度挑戦、結果刷り込み過ぎた塩で一口食べた瞬間体がおかしくなるかと思った。
一度だけ思い出して琳汪は記憶を引っぱり出すのを止めた。つらい思い出など体調が悪い時に思い出すものではない。
溜め息をついて空を見上げる。
琳汪の胸中に渦巻く不安など何処吹く風か、空は何処までも青く晴れ渡っていた。
道から外れ、山中へと分け入った来紗は先ず兎を探した。
「さ、琳汪の血となり肉となる奴は……」
立ち止まってしばらく気配を消す。周囲はシンと静まり返っている。時折り頭上を鳥が飛んでいく。
「……鳥でも良いのぅ。雉とかおらぬかの」
頭上を見上げていた来紗の近くの草むらが動いた。
彼女は着物の懐から一本の鉄扇を取り出す。全体が黒一色の鉄扇には硝子玉の根付けがついていた。
鉄扇を開いて動く草むらをジッと見ていた彼女は、草むらが大きく動いたと同時にそれを振った。
周囲に突風が吹き、背の高い草が刈られて風に乗って舞い上がる。
草むらから飛び出した兎は逃げようとしたが風の檻に閉じ込められる。兎の足が止まったその時に、来紗は再度鉄扇を振った。
突風と風刃が舞い、兎を仕留めた。
来紗は兎の処理を手早く済ませてふと気付いた。
「……このまま持つというのも、あれじゃの」
周囲を見渡した来紗は近くの草木を使って背負える篭を作る。背負った篭に獲物を入れた彼女は暫く歩いて木の実や山の幸を次々に篭に入れていく。
「あまり人が入らぬ山じゃからか、食材が豊富じゃな」
少しして広けた場所で木の根に腰かけていた来紗は頭上を見上げて太陽の位置を見る。
「一時間近いの。そろそろ帰るかや」
篭の中を確認し、もう少し肉分が欲しいなと思ったその時、不意に獣の匂いがした。
「?」
篭を抱えて飛び退き、着地して振り向いた先には、巨大な猪が2頭、来紗をジッと見つめていた。
「……っていうか、選択は間違ってないんだよな、選択は」
薬を飲んだ為か、頭痛は和らぎ、体の重だるさは軽減されている。もう少し休んでいればいつも通りに動くことができるだろう。
琳汪は来紗の料理の下手具合を改善しようと一人小さな声でブツブツと考えを口にしていた。
「何がダメって作り方だよな。色んな意味で加減が出来ないんだとは思う。それさえどうにかしてくれたら……美味いと思うんだよなあ」
何度か犠牲にならなければ彼女の料理の腕は上達しないのかもしれない。自分の胃が犠牲になるのは困るが、他に頼れる者もいない。
琳汪と来紗は共に組んで任務をこなすが、二人にはそれぞれ別々の師匠がいる。
が、ひとりは料理など作るぐらいなら外で食えという考えだし、もう一人に関しては来紗より料理が下手だ。下手という程度を軽く超えているが、今思い返す必要などどこにもない。
「……俺が料理できるようになったのも、俺の師と来紗の料理が壊滅的だったからだしな……」
フゥと溜め息をついた時、琳汪の耳が人の足音を捉えた。
口をつぐみ、気配を殺して足音を探る。来紗のものではない。
おそらく武器をたずさえた人物……数は四人、微かに話し声が聞こえるが、内容まではわからない。少し距離があるようだ。
「……山賊、か?」
四人程度なら一人で倒すことはできるが、もし倒した後に人が通りかかれば面倒なことになる。
山ではあるが街道に近い。自分が一人休んでいる所で問題はないが、自分の前で数人の人物が倒れていては明らかにおかしい。
「……少しの間なら、離れていても大丈夫か」
薬を飲んでいて心底良かったと思う。少しだけ体が重いが問題はない。
足音の主の位置を予想し、聞こえるギリギリの距離まで一度後退する。
少しすると琳汪が休んでいた辺りを通る気配がして、再び山の奥へと歩いていったようだった。
「……なるほど」
元居た場所まで戻ると、山賊と思われる者の足跡が残っていた。
「数は四人だな。で……二人は刀か何か下げてるな」
今居る場所は街道からは少し離れているが、山歩きに慣れていないとワザワザ歩きには来ないような場所だ。
町人や侍にしては周囲を警戒する様子はない。山に慣れていて、急ぐでもなく武器を下げている。
「――やっぱ、山賊か」
来紗が出会わなければいいなと思う。対処はできるだろうが、来紗のことだ。
食材を探すのに夢中になって気配に気付かないということも考えられる。武器を持っていたとしてもあれは只の鉄扇にしか見えないだろう。
琳汪と来紗が持つ武器は五行の力を武器に付与した特殊な武器である。
何でも屋であれば所持を許されており、その所持にも知識や適正、訓練や試験が必要になるため、只の町娘な外見でも実力はかなりのものになる。
「見た目だけだったら只の女の子だし、状況見ても食材取りに来た村娘としか思われないだろうし……」
自分の胃とは別の不安がよぎる。だが、探しに出て万が一入れ違いになっても厄介だ。
空を見上げる。そろそろ来紗が食材を探しに出てから一時間程が経とうとしている。
ここで休んでいるだけでも食材は豊富だとわかる。早く帰ってくるのを待つ方がいいだろう。
「……会わないと、いいなあ」
そう呟いた琳汪は、フゥと溜め息をついて再度木の根元に腰を下ろした。
こちらに明らかな敵意を向けてきた一頭の猪は来紗の方を、正確には彼女の足元の篭を見つめていた。
視線に気付いた来紗は篭を自身の後ろに置いて鉄扇を構える。
「悪いの、主等に渡す気はないんじゃ。丁度よい、もう少し肉が欲しい所じゃったんじゃよ」
鉄扇を振る。吹き荒れた突風と風刃は只の動物である猪を容易く仕留める。
鬼と呼ばれる者達であれば攻防もあるが、只の動物や何の力も持たない人間が太刀打ちすることなどできない。
一頭が地に倒れた所で、もう一頭はジリジリと後退し始める。来紗とて、後追いはしない。
殺気をぶつけてやると猪は背を向けて山中へと逃げていった。
「……これだけ大きなものじゃ、一頭で十分じゃな」
篭を持って猪に近付いた時、気配がした。
気配の方を振り向いた時にはすでにその気配の主は姿を見せていた。
人だ。四人居る全員が男だ。その内の二人は腰に刀を下げている。
全員が来紗の姿を見た途端、険しかった表情がニヤリと笑みに変わった。
「なんだ、殺気みてぇなもんがあるから物騒な奴がいるのかと思えばガキか」
来紗はふと自分の姿を見る。足元には本の実などがたくさん入った篭、目の前には仕留められたと思われる猪、手には鉄扇。
振れば突風を起こし、風刃が舞う鉄扇ではあるが、見た目は只の何処にでもある鉄扇だ。
――近くの村から食材を取りに来た娘。と思われているのではなかろうか。
「……よぉ、嬢ちゃん」
一人が来紗に気軽に声をかけてくる。
「ちょっくら話があるんだがよ。その食材をこっちにくれねぇか?」
「それはできぬの」
「できねぇか?……じゃぁ、嬢ちゃんにちょっと付いて来てもらおうか」
「……それも、できぬの」
来紗がそう告げると、一人が刀を抜いた。
「斬られるか、立ち去るか、付いてくるか、好きなのを選べ……」
「……戦う、というのはどうかの?」
来紗は鉄扇を開き、横一線振る。生じた突風が男達の足を止め、風に紛れた風刃が周囲の木々を斬り倒す。
風の音が聴覚を奪う中、一人の男の口が動く。
「――鬼子か!」
相手の表情が一変する。余裕に満ちていた顔は、いまや恐怖の色を浮かべている。
――鬼子。
気、火、土、金、水ーー五行の力を宿すような武器を扱えるなど、人の子ではなく鬼の子であろう。
そのような意味で何でも屋に属する子供はそう呼ばれ、何でも屋も存在を嫌う者達からは鬼屋敷と称されることも多い。
そして、その存在は鬼の次に出会いたくないという噂もある。鬼子と言われている側からしたら侵害の一言だ。
「……ちょうど良い」
来紗の発した一言に、大人の男四人は震え上がった。
命を取られると思ったのか、男の一人が銭袋らしき袋を来紗に向けて放る。足元に転がったそれに見向きもせずに、彼女は男たちに告げる。
「主等、山賊じゃろうの?」
「……これだけじゃ足りねぇってのか?鬼子は欲張りだな」
「いな、金目の物など欲しくない……只」
来紗は自身の篭とまだ転がっている猪に鉄扇の先を向けた。
「うちに、料理を教えてくれぬかや」
「……では、ありがとの」
「あぁ、まさか鬼子に料理を教えることになろうとは思ってなかったけどな。だが……一言だけ言わせてもらう」
「何かや?」
山賊の根城、その入り口で来紗は出来上がった料理をそっと篭に入れていた。
器を抱えた来紗に向かって、山賊の一人はキッパリと告げる。
「悪いことは言わねぇ、死ぬまで料理は作らねぇ方がいいぜ、お前」
山賊の周りには、試しに作ってみろと言い来紗が作った料理を食べた男が数人ぶっ倒れていた。
「主等の胃が軟弱なだけじゃって……のぅ?」
鉄扇をチラつかせた来紗に、山賊は表情を強張らせて頷くしかなかった。
「まさかとは思うが、毒など混ぜておらぬじゃろうの?」
「鬼子にそんなことしねぇよ。ばれたら文字通り皆殺しにされるからな。……恨みは買いたくねぇよ」
「賢明な判断じゃな」
フッと笑った来紗は鉄扇をヒラヒラと振って山賊の根城を後にする。山の中を歩き、琳汪の待つ場へと向かう。
生い茂る樹の隙間から空を見上げる。さらに一時間近く経っている。
「流石に心配しておるじゃろうな……お、居た居たっ」
しばらく歩いた時、大樹の根元に腰を下ろして眼を閉じている琳汪を見つけた。
来紗が近付いてきたのに気付き、琳汪が眼を開いてこちらに顔を向ける。
「来紗、おかえり。急に居なくなったから心配してたんだが」
「それはすまぬの。早く食べさせたくての」
そう言って、器に乗った料理を見せる。琳汪はマジマジと料理を見つめて、匂いを嗅ぐ。
「……なんか美味しそうだけど、来紗が作ったのか?」
「うむ、うちが作ったんじゃ」
手段は山賊に散々口を出されはしたが、一応は来紗一人で作ったのだ。とはいえ、ただ肉と木の実を焼いて味付けをしただけだが。
「……本当に、一人で作ったのか?」
「この山の中、誰か居るとでも?」
「山賊が、居たね」
ビクリと肩が動きそうになったのを必死におさえて来紗は笑い飛ばす。
「ほれほれ、うちも食べて味は確認済みじゃ」
少し料理を見ていた琳汪はコクリと頷いて木の枝を削って作った箸で一口食べる。
咀嚼、嚥下。しばらく黙ったままだったが、琳汪は一言呟いた。
「……食べれる」
「なんか失礼じゃな。まぁ、食べれたのであれば良い」
琳汪は黙って器の中の料理を綺麗に食べて、フゥと一息をついた。
「どんな経緯があったのかは、かなり気になるけど俺の為に作ってくれてありがとな。体はほぼ問題ないから、もう少し休んだら行こうか」
「琳汪がいつもうちが体調崩した時に食べさせてくれておったからの。うちもしたかったんじゃよ」
まさかその場の思いつきとはいえ山賊に料理を教えてもらうとは思っていなかったが、結果良ければ全て良しである。
「水、要るかや?近くに川があったから汲んでくるが……」
「あ、じゃぁ頼もうかな」
「うむ、任せよ」
フフン、と胸を張る来紗は、器を捨てて竹筒を受け取ると近くの川へ水の補充に出かけた。
来紗の姿が見えなくなってから、琳汪はチラリと木々の間に視線を向けた。
男が一人こちらをジッと見ている。身なりを見る限り、山賊と思われるが、こちらに対して敵意は感じられない。
琳汪は何も言わずに、頭を下げた。
山賊はニッと笑って頑張れよとばかりに手を振って、山の奥へと戻っていった。
見上げた空は青く、腹も満たされて体は万全だ。来紗が帰ってくるころには出発できるだろう。
「来紗、調味料一つも持ってなかったからな。あんな味付けというか、味を着けれるわけないよな。頃合い的にも山賊だろうし……よく教えてもらえたな」
普段は、来紗が料理を作ることなど無い為、彼女は調味料の一つも持ってはいない。
料理って、焼くのか。また炭を食うのかと思っていたが、思っていた以上に普通の料理が出てきた。
落雷にでもあって料理の腕が一変したわけでもないだろう。となると、他者の援助があって作られたのではないか。
山中に、誰がいる?思い当たったのは山賊だ。
どういう経緯で料理を教えてもらったのか、試しに造って犠牲者は出なかったのかという部分は気にはなるが。
琳汪に向けられた気持ちは素直に嬉しかった。
町に着いたら甘味処で何かご馳走してあげてもいいかもしれない。
水汲みから帰ってきた来紗と共に、琳汪は歩き出す。
「本当にありがとうな、来紗。町に行ったら甘味処に行こうか、お礼したいし」
「よいのかや?」
来紗は満面の笑みを浮かべて琳汪の手を握ると足取り軽くかけていく。
ふと見上げた空は何処までも晴れている。琳汪は晴々とした気持ちで来紗と共に町へと向かった。
黒狼姫 短編集 琉珈 @KyukiLuca
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