もし犬士たちが猫だったら 弐
「くぁぁ」
天気の良い昼下がり。朝は一雨降っていたが既にその名残はなく、春のやや懶惰な太陽が光の恵みを与えてくれる。
道節はいつも通り、日向で寝転がって惰眠を貪っていた。
雨が止んで、太陽が輝き始めたくらいから眠り始め、ようやく太陽が中天に差し掛かった今、目が覚めた。そして散々に惰眠を貪っていた体は、もう眠りを欲していない。
「……暇だな」
いつもの溜まり場にも、道節以外の姿はない。それぞれ好き勝手にやっている連中だが、一匹も来ない、というのは珍しかった。
うーん、と背筋を思い切り伸ばして、尻尾を立てる。丸まっていた体の凝りが和らぎ、それから欠伸を一つ。
それから、改めて周囲を見回して。
「……なんで誰も来ねーんだよ」
いつもなら呼んでもいないのに来る連中が、来ていない。十分に眠った体は、もうこれ以上眠れないだろう。
鼠取りに出かけてもいいが、今日はだらだら過ごしたい気分だ。
「よし」
道節はぴょん、とやや高い縁台から飛び降り、雨の残滓が残る地面へと降り立つ。
ところどころに水溜まりのできている地面を見て、ぴん、と尻尾を突き立てた。
「散歩でもするか」
はぁ、と嘆息して歩を進める。せっかく溜まり場で待っていたのに誰も来ないのだから、散歩でもして時間を潰すしかない。
決して寂しいからとか、そういう理由ではなく。
しばらく道節が歩いていると、見知った声が聞こえてきた。
「あははー! 小文吾の背中おっきー!」
「こらこら親兵衛、落ちちゃうよ」
大柄な猫、小文吾と仔猫、親兵衛の二匹だった。
小文吾の背中に親兵衛が乗り、まるで親子みたいに歩いている。
「……そこは南の梁から攻めて、中央に集めたらどうだ?」
「ふむ。そういう手もありますか。しかし穴倉に閉じこもられたらどうしますか? 鼠はすばしっこいですから」
「逆方から攻める奴がいれば、逃げ道を塞げるな。中央に集めて、そこで一網打尽だ」
「そんな風に上手くはいかないと思うけれどね」
そして端で、恐らく効率的な鼠取りの方法を話し合っているのは、現八、大角、毛野だった。
どうやら、今日は何故かここに集まっていたらしい。道節に教えもせずに、ここに五匹も集まっているなんて。
なんで教えてくれないんだよ、と少しだけ口を尖らせる。
なんとなく仲間外れにされたような気分で、五匹を見ていると。
「さぁ親兵衛、もっと早く動くよー!」
「あははー! 早い早いー!」
「だったらどうやるんだよ、毛野」
「簡単さ。穴倉に閉じこもる前に、穴倉を塞げばいい。つまり、巣の入り口で待ち伏せだ」
「……しかし、鼠の巣は何箇所もありますよ。それを一匹では厳しいでしょう」
「制圧した巣を、尽く潰していくのさ。穴倉を塞いでいけば、いずれなくなる。そうなれば、まさに袋の鼠だ」
「なるほど、長期の作戦ってことだな」
「ひゃっほー!」
「あははー!」
気づいてくれない。
誰一匹、端でじっと見ている道節に気づいてくれない。
むしろ、道節抜きで物凄く盛り上がっている。ここで、「よぅ、お前ら何やってるんだ?」と素直に聞いて素直に入っていくことができれば、どれだけ幸せだろう。だが生憎、道節は心の底からひねくれ者である。
自分抜きで楽しんでいる五匹に、嫉妬すら覚えていた。
「……ちぇ」
舌を打つ。普段は溜まり場に来るはずなのに、こんな道端で集まっているのも理解できないし、それすらも道節に対する嫌がらせなのではないか、と思えた。
だから道節は、自分の隣にある、自身よりも遥かに大きな水瓶を見て。
ぴん、と尻尾を立てた。
勝手に集まって道節への嫌がらせをした、報復をする必要があるだろう。
道節は身軽な体でぴょん、と水瓶の淵に飛び乗る。水はそれほど入っていないが、これを倒せば五匹は水まみれになるだろう。
よし、と気合を入れて水瓶の淵から降り。
「うにゃあああああ!」
思い切り、水瓶の上の方へと飛び蹴りをした。
道節の小さな体当たりでも、やはり全体重をかければそれなりの威力にはなるらしい。水瓶はぐらつき、ふらふらと動き回る。
よしよし、と道節はほくそ笑んだ。まだ、倒れようとする水瓶に気づいていない。これで五匹は水まみれに――。
「……え?」
水瓶は片方に倒れかけて、その重心を逆に戻す。そして、その勢いのままに――。
道節へ向けて、倒れた。
「ふにゃあああああああ!?」
ばしゃーん、と水が全身にかかる。道節の体重を超える量の水に、思わず体が流された。
なんという自業自得。
雨も降っていない昼下がりに、全身の毛がずぶ濡れになってしまった道節。悪戯をする予定だったのに、まさかこんな風になるなんて。
泣きそうな目で、恨みがましく水瓶を睨んでいると。
「あれ? 道節、どうしたの?」
そう、小文吾が親兵衛を背中に乗せながら、近付いてきた。
こんな醜態を見せることになるなんて――顔を真っ赤にして、でも必死に泣かないように堪える。
「ん? 水瓶倒れたのか。危ないな。道節、怪我はないか?」
こん、と倒れた水瓶を突きながら、そう心配してくれる現八。
「ふむ。水瓶が自然に倒れるなんて珍しいですね。道節、大丈夫ですか?」
近付いて右前足を差し出しながら、そう心配してくれる大角。
「……まぁ、自業自得かな。私は別に濡れても良かったけど」
全てを見通しているように、ただ肩をすくめる毛野。
そんな全員の態度に、思わず気恥ずかしくなってしまって。
「うにゃああああああああああ!!!」
「ど、道節!? どうしたのさ!?」
道節にできたことは、羞恥心をごまかすために暴れることだけだった。
くぁぁ、と暖かい陽の光に、信乃は大きく欠伸をした。
昼を過ぎてから溜まり場に来てみたけれど、他の猫の姿はない。どうやら今日は誰も来ていないようだ。ひとまず、一番陽の光が当たる縁台に飛び乗り、ふぅ、と一息。
こんな暖かい日は、寝るに限る。寝るのが一番だ。その通り。さぁそう決まったら寝よう。
そうやって、くるりと体を丸めて、信乃は目を閉じる。
「あ、信乃さまー」
「むにゃ」
「お休みですか? 分かりました。寝ている間に毛繕いしておきますね」
むにゃむにゃ、と微睡みの中で頷く。多分、この声は荘助だろう。
荘助なら、横で寝てくれても構わないのだけれど、どうやら信乃の毛繕いをしてくれるらしい。別段拒むことでもないため、荘助に全てを委ねて眠ることとする。
荘助はざらざらの舌で、まず信乃の背中を舐めた。
「ひぁぁ」
「あ、ごめんなさい。くすぐったかったですか?」
「むにゃ。きもちいー」
「はい。それじゃ続けますね」
ぺろぺろと信乃の毛を舐めながら、整えてくれる荘助。
半分寝入りながら、しかし心地よい時間を楽しむ。時折気持ち良くて声が出てしまい、その度に荘助の動きが止まってしまうのが残念だった。
信乃の毛繕いは、荘助の仕事だ。
もう従者として振舞わなくていい、と何度も言うけれど、荘助は信乃の毛をこうやって繕ってくれる。そしてこの時間は信乃にとっても嬉しい時間であるため、どうしても断ることができないのだ。
ぺろぺろ、と荘助は寝ている信乃の背中から尻尾にかけて、繕いを続ける。
「ふにゃぁ」
「信乃さま、次は尻尾いきますねー」
「うにゃぁ」
「尻尾はお毛が随分乱れていますよ。最近忙しかったですからねー」
荘助が舐めて繕いを続ける尻尾。
ついつい気持ち良くて声を出してしまうけれど、仕方ないことだろう。
だけれど、尻尾は敏感なのだ。荘助のざらざらの舌が這うだけで、ついつい声が出てしまう。先程までの気持ちが良い微睡みではなく、純粋な快感だった。
「ひぁぁ……」
「痛くないですか? 尻尾はちょっと時間かかりそうです」
「うにゃ……荘助に、まかせるぅ……」
「はいー」
そして荘助が、最後まで信乃の尻尾を繕ってくれたところで。
「終わりましたよ、信乃さま」
「むにゃ……ありがと、荘助」
よいしょ、と背中を伸ばして起き上がる。肩越しに後ろを見やると、荘助の繕ってくれた毛並みがつやつやと輝いていた。
そして、信乃は。
「よし、じゃ、荘助」
「はい?」
「次は私がしてあげるねー」
一仕事終えて、丸まっていた荘助の背中に飛びついて、舌を這わす。
わわっ、と荘助は起き上がろうとして。
「そんな、信乃さま!」
「大丈夫だよ、荘助。荘助が私の毛並みを整えてくれたんだから、今度は私がしてあげる」
「信乃さまに、僕の毛繕いなんて……」
「いーから。ほら、横になって」
荘助の乱れた毛並みを舌で舐めて、整えてゆく。
信乃のしてもらった後は、荘助の番。何度もしているというのに、荘助は未だに慣れてくれないのだ。
だけれど、信乃は変わらず続ける。
「ふにゃぁ……」
「気持ちいい? 荘助」
「うにゃ……きもちいー、です」
「うん。もっとしてあげるね」
ふふっ、と信乃は微笑む。
そうやって、猫二匹。
日向の昼下がりは、心地良い毛繕いと共に過ぎてゆく――。
江戸に花咲く薄い本 @rain-bow
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。江戸に花咲く薄い本の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます