もし犬士たちが猫だったら

「俺が鼠五匹捕まえたら、旦那さん魚の切り身くれたぜ。おかげで今日は腹いっぱいだ」

「いいなぁ、道節。おいらも捕まえたいな」

「小文吾はのろまだから無理だな。お前みたいなのろまに捕まる鼠なんているもんかよ」

 ぎゃはは、と笑う道節に、小文吾はむすっ、と口元を結んだ。

 道節に比べて、小文吾の体は一回り大きい。そのためか、いつも道節は小文吾のことをのろま、木偶の坊、とからかうのだ。

 小文吾だって、好きでこんな体に生まれたわけじゃない。力だけは道節に負けない自信があるけれど、すばしっこい鼠にはいつも逃げられてしまうのだ。

 この辺りの長屋では、鼠を捕まえると褒められるし、道節のように魚の切り身を貰えることもある。だけれど体が大きくて鼠を捕まえられない小文吾は、そんなご褒美を貰った覚えがないのだ。今日も、近くの地主の家にごみを漁りに行かなければならない。食べ物を貰えない以上、自分で調達するしかないのだから。

「今日も地主のところに行くのか?」

「仕方ないじゃないか……おなかがすくんだから」

「体がでっけぇから、猫一倍食うもんな、お前。変なもん食うなよ」

「大丈夫だよ、珠あるから」

 そう言いながら、道節に前足で『悌』の字が刻まれた珠を見せる。

 どういう理屈かは分からないけれど、毒を食べてもこの珠を口に入れて舐めるだけで、毒の効かない体になるのだ。腐っている食べ物でも食べることができるため、重宝している。

 しっしっ、としかし道節はそんな小文吾へ出て行け、とばかりに前足を振った。

「腐った飯ばっか食べてっと、自分が腐っちまうぜ」

「うるさいな。だったら、鼠の捕まえ方教えてくれよ」

「やなこった。褒美が貰えるのは俺だけで十分だっつーの」

 けけけ、と性格悪く笑う道節。小文吾は鼻を鳴らしてその場を離れるくらいしか、抵抗のしようがなかった。

 地主の家へと駆け出す。今の時間なら、もうごみを出しているだろう。道節との話を思い出すと悔しいけれど、今は自分の食い扶持をどうにかしなければならない。

 跳ねるように道を走り、そして角を曲がろうとして。

 ごつん、と何かにぶつかった。

 小文吾よりもだいぶ小さな体が、小文吾に弾かれて飛んでゆく。

「あ、ごめん」

「痛ってぇ……」

「ごめん、怪我はない?」

「お? 小文吾じゃないか。ったく、走るときは前見ろよ」

「ああ、現八」

 ぶつかった相手は、顔馴染みの乳兄弟だった。

 幼い頃、同じ母猫の乳を飲んだ仲の、現八である。随分と久しぶりに会ったものだ。

「あなたも小文吾のことは言えないでしょう、現八。ちゃんと前を見て走りなさい」

「うるせぇな、大角。んで、何急いでたんだよ」

 ぬっ、と後ろから出てくるのは大角――こちらも、随分と前に会った気がする馴染みの顔だ。

 まさかこんなところで、知っている猫に会うとは思わなかった。どうして二匹でこんなところにいるのだろう。

 ひとまず、現八の質問に答えることにする。

「地主さんの家に行くところなんだ」

「あん? 拾われたのか?」

「いや、食べ物が欲しくてさ」

「なんだ。鼠を捕まえに行くのか。よし、暇だし俺も一緒に行くぜ」

「いや……」

 ごみを探しに、と小文吾が言い出せない間に、「いいだろ? 大角」「別に構わんが」などと向こうで話がまとまってしまっていた。

 現八には、できれば自分がごみ漁りの生活をしている、などと知られたくない。いずれは知れることなのかもしれないけれど、恐らく現八は、小文吾のことを心配してくれるだろう。もしかすると、そのために自分の食い扶持を分けてくれるかもしれない。

 現八は優しいが、できれば甘えたくない。

 だけれど――。

「よし、行こうぜ、小文吾、大角」

「う、うん」

「ああ、いいですよ」

 一匹だけで盛り上がっている現八に、変に水を差すわけにもいかない。仕方なく、小文吾は現八の後をついていくだけだった。

 そう時間を経ることもなく、地主の家にたどり着く。

 既にごみは出されており、その中から適当に食べられそうなものを選んだら終わりだったはずなのだが。

「んじゃ作戦な」

「へ?」

「なんだよ小文吾、一匹でやるつもりだったのか? なぁに、捕物なら俺に任せとけ。小文吾と大角は、鼠を俺の方に誘導してくれ。俺は来た鼠を片っ端から捕まえるぜ」

「そ、それ、現八がしんどいんじゃ……」

「なに、現八に任せておけば良いでしょう」

 ふん、と特に興味もなさげに、大角が先に行く。

 そして適当なところで鼠を発見したのか、そのまま追っていった。

 追うのも、ただ直線に走るのではなく。

 鼠の走る先が、現八に繋がるように。

「っしゃーっ、一匹!」

 大角に追われた鼠が、あっさりと現八に捕まえられる。

 まさに、瞬殺と言っていいだろう。

「小文吾、お前もどんどん俺のところに鼠を寄越せよ!」

「う、うん!」

 小文吾も走り、鼠の巣を探す。

 くんくん、と臭いを探りながら、そしてなるべく、素早く走りながら。

 そして、その先に見つけた二匹の鼠。

 向こうはまだ、小文吾に気付いていない。

 二匹の鼠の後ろに回り込んで、そしてゆっくりと近付き。

「ふにゃーっ!」

 一気に、襲いかかる。

 しかし小文吾の鈍重な体では、素早く動くことはできない。鼠もそれに反応して、素早く小文吾から逆方へと逃げ出す。

 いつだってそうだ。

 いつだってこんな風に、鼠を逃がしてしまうのだ。

 だけれど。

 その逃げる先には。

「よっしゃぁ、二匹いっぺんに捕まえたぜぇ!」

 現八が、いてくれた。

 そして、捕まえた鼠を側に置いて、小文吾に前足を向ける。

 ぽんっ、と小文吾の前足とそれがぶつかって、とびきりの笑顔を向けた。

「いい調子だぜ、小文吾! その調子で俺に任してくれよぉ!」

「う、うん!」

 現八と小文吾、そして大角の三匹で、ひたすらに鼠を追い回して捕まえて。

 結局三匹で、二十匹を超える鼠を捕まえた。

 出てきた地主の奉公人から、「まぁ、こんなにも鼠を!」と驚かれ、そして褒美に、とやや大きめの魚を三匹貰った。

 それを食べ、適度に腹が膨れて。

「現八」

「ん?」

「ありがと」

「お互い様だぜ!」

 うひひ、と笑う現八。

 だけれど、本当は気付いていたのではないか。

 小文吾が、のろまで鼠を捕まえられないということに。

 気付かない振りをして、しかしさりげなく手伝ってくれる。そんな現八に、小文吾は改めて親愛を感じて。

「うん……でも、ありがとう、現八」

「いいってことよ!」

 そして三匹並んで、誇り高く尾を立てながら、帰路についた。



「えぇっ!? お前らで二十匹以上も捕まえたってのかよ!?」

「へぇ、すごいねー」

「そうですね、信乃さま」

 いつも通りの溜まり場で集まっていた、道節と信乃、荘助へと小文吾は誇り高く伝える。全員、そんなにも捕まえたのか、と驚いていた。ほとんど現八のおかげだけれど、それでも小文吾にとっては嬉しいものだ。

「まぁ、小文吾もうまいこと誘導してくれたしな」

「やっぱり現八の腕がいいからだよ」

「ま、それは違いないけどなー」

 小文吾の言葉に、嬉しそうに鳴く現八。

 そんな小文吾に、やや唇を歪めているのは道節だった。

「くそぉ……ぜってぇ小文吾には負けねぇって思ってたのに」

「道節、今度はちゃんと一対一で勝負しよう」

「当然だぜ。俺よりお前の方が捕まえられるとは思えないけどな!」

「二匹ともがんばってー」

 そんな彼らを、少し離れた道端で見ながら、毛野は溜息を吐く。

「無駄な努力をしているな、あいつらは」

「そーなの? 毛野さん」

「親兵衛、手本を見せてやる。ちゃんと学べよ」

 親兵衛にそう告げて、毛野がゆっくりと日陰から日向へと歩き出す。

 毛野の艶やかな毛並みが、陽の光にきらきらと映えていた。それだけで人目を惹くその毛並みは、当然のように婦人の足を止める。

 通りすがりの婦人に、毛野はその麗しい姿を見せて、少しだけ鳴いた。

 それだけで、「あらあら、まぁまぁ!」と婦人は嬉しそうに頭を一撫でし。

 そして、お食べ、と小さな魚を差し出した。

 毛野はそれを食べて、小さく首を傾げてから、背を向ける。

 その一部始終を見ていた親兵衛は。

「少し媚びれば、人間はすぐに餌をくれる。分かったか?」

「ずるいよ、毛野さん……」

 そんな一言しか、返せなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る