銀杏ヶ丘のアシタ屋さん

 かつて多くの同業がそうであったように、その街のアシタ屋も小学校の前に店を構えていた。秋には黄色い葉が眩しくなる銀杏並木、それを登りきった丘の頂上に。早朝四時、アシタ屋の主人と、見るからに年代物の撹拌機は目を覚ましており、店の裏手からその働く音が聞こえてきていた。まだ三月の初め、室内でも吐く息は驚くほど白い。

「温度が重要なんだよ」と主人は言う。

「アシタの生地がヘタレちまうからな、夏場はエアコンに頼らなきゃならなくなる」

 数種類の粉と、汲み置きの水を目分量で加え、撹拌機の目盛りの数字を丁度の値から指先でほんの少しだけさらに動かす。

「最終的には長年の勘ってヤツだな」その勘を養うのに、十年は父親にしごかれたと、主人は目尻にほんの少し皺を寄せて不器用に笑っていた。

「さて、この辺の工程は企業秘密だからよ。記事にすんのも写真も控えめにな」

 それでも、これぐらいは書いても良いか、と主人の許しを得て材料を拝見させていただいた。アシタの要とも言うべき、風味付け用の材料であるフレーバー材である。お馴染みの柑橘類の皮や、紫水晶や薔薇水晶の粉、風変わりなところで、ニガヨモギのアルコール漬け、その他に十数種類の材料が作業机の上に並べられた。

「こっちのはウチのオリジナルでな」と緑色に染まったアルコールの瓶の蓋を開ける。独特の薬効のありそうな香りが鼻に突き刺さった。

「昔はな、こういった独自のレシピってのは、自分の家でやってたんだがな」

 昔、とそう主人が懐かしむのは、彼の祖父母の時代、つまり一世紀は昔の話だ。各家庭で作られていたアシタが、やがて専門店で売られるようになったのも随分の昔の話で、戦前には既に確立した商売であったとの記録もある。筆者の子供の頃には、既に小学校の前には必ずアシタ屋があり、マンモス校の正面であれば同業者が二、三軒並ぶというのも珍しい話では無かった。

「ま、残った店はこの街じゃウチともう一軒だけだし、隣(の市)じゃ俺の二番弟子がやってる店一つっきりだからな。減ったもんさ」

 練られた生地を丁寧に成形機にフレーバー材と共に詰めていく。アシタ屋が減った要因を一つに絞ることは難しいだろう。少子化、代替となるテレビゲームなどの娯楽の出現、材料費の高騰、安価な外国製品の流入、大型小売店の台頭。

「ここ十年で法律も変わったからさ」

 海外産の粗悪なアシタに対抗するために、政府が打ち出した政府支援工場製のアシタ、いわゆる「官製アシタ」はかつて「安かろう悪かろう」の代名詞とも言えるものであった。しかし、十年前のタバコやアシタを含んだの嗜好品に対する品質管理基準法の施行、また五年前の「アシタショック」と言われる販売権利枠の緩和により、官製アシタは勢力を伸ばした。今では国内シェアの八割以上を官製アシタが占めているというから驚きだ。赤毛の女の子が「トゥモロー、トゥモロー、アシタがある♪」などと歌い上げる政府のコマーシャルも最早お馴染みとなった。

「ま、確かに品質も安定してるし、香りもいいんだがな、『面白味』が無いんだよな、俺に言わせりゃ」

 安いプライドだが、とアシタ屋の主人は言う。大きな音と煙を立て、年季の入った装置から次々と生み出されるビー玉サイズの、輝くアシタを手ですくい上げながら、主人は胸を張った。

「最新鋭の機械で作りゃ出来はいいんだろうが、やっぱアシタはこう微妙な不揃いさが必要なのさ」

 見れば、確かに一つ一つのアシタが違う模様であることに気づかされる。紫水晶の粉の作り出す陰影の違いや、光を受けて輝くその文様の違いが素人目にも分かる。それでいて、どれも完全な球形となっているあたりに職人の腕としての確かさを感じる。

「この違いが『面白味』ってもんさ」だからアシタ屋を続けてるんだと主人は言ってのけた。そうこうしている内に、時計が指し示す時刻は朝の七時。朝日がアシタ屋の店先を照らしていた。


 店の主人は一仕事を終えたところで顔を洗い、目玉焼きの簡単な朝食を取る。ここからは店の開店準備だ。

「女房に先立たれてからずっと一人だし、忙しいのも慣れたさ」

 主人が店先のガラス瓶に、出来立てのアシタの粒を流し込んでいくのを横目に、小学生達が登校をしてくる。

「この瞬間が大事なのさ。お客さんに商品を見てもらうためにな」

 筆者にも心当たりがある。少ない小遣いを握りしめ、帰りに一番大きなアシタを買ってやるんだと、その日の授業を一日上の空で受けていた思い出だ。筆者の子供の頃は大きさが一種のステータスだったが、今では違うらしい。

「最近の子供は大きさよりも『質』だな。子供でも見る目が肥えてるから、こっちも気が抜け無いさ」

 開店から昼までは退屈な時間がしばらく続く。時折、小さな赤ん坊を連れた奥様方が来店される程度であろうか。乳幼児向けのアシタが少しだけ売れる。

「俺の小さい頃は無かったんだがな、赤ん坊用のアシタなんざ」それでも、月の売り上げの二割は乳幼児向けのアシタによるものであり、手を抜けないと主人は言う。将来の顧客獲得にも繋がる為、赤字覚悟で高品質に仕上げる必要があるそうだ。

「ミルクベースに、分かりやすい色合いと香りってのが基本だが、そこにもちゃんと隠し味を入れたりして、『一仕事』してるのがウチのウリでね」と主人は嘯く。手に取らせて貰ったそのアシタは、仄かなミルクの香りがどこか懐かしいアシタであった。なるほど、工場製品とは違う、手作りならではの温かみがある。

 近所の定食屋で簡単な昼飯を済ませ、午後の数時間もやはり緩やかに時間は過ぎていく。主人はいくつかの発注業務を行うなどの事務作業の後、新聞を読むなどして英気を養う。案外暇なんですね、と筆者が聞いてしまうと、主人は少しだけこちらを睨みつけた。

「忙しくなるのはもうそろそろ、からだな」果たして、その言葉が真実であることを筆者はすぐ知ることになる。

 時計が指すのは、午後三時半。第一のピーク時間、低学年のお子さん達の下校時間だ。チャイムの音が鳴り終わった、次の瞬間。店に人の津波が押し寄せる。ごった返しの中、ランドセルを背負ったままの、あどけない顔が、ガラスの瓶のあちらこちらと忙しなく視線を動かす。これが欲しい、あれが欲しい、でもどちらも買うとなると、お小遣いがちょっと足りないからどうしよう、といつの時代も変わらぬ悩み事。レモンとオレンジのどちらが甘いかと真剣に考える少年がいれば、紫水晶のアシタと薔薇水晶のアシタを交換しようと約束しあう女子。中には、この店オリジナルのニガヨモギフレーバーだけという、いかにも一癖ありそうなものに挑戦しようと意気込むガキ大将風の子供もいて、筆者は少し嬉しくなる。店主も踏ん張りどころと、苦手であろう笑顔を取り繕い、レジを叩き、小銭を受け取ってさらに細かい小銭と子供達にとって大切なアシタを袋に詰めて返していく。もちろん、袋は新聞で作ったお手製。この昔ながらのアシタ屋の風景も今となっては貴重だ。

「いつの時代も、子供にゃアシタが必要なのよ。それを作るのが俺みたいなオッサンでもな」一息つける時間になったところで、主人は腕を天井まで伸ばしながら言った。年々、子供相手の商売が辛くなることもあるが、逆に元気を貰うことも多いと主人は言う。

「子供の笑顔ってのはいいもんさ、だろ?」先ほどの雛鳥達の喧噪にもめげずそう言ってのける主人に、筆者は思わず頭を下げた。


 午後五時を過ぎると、部活帰りの高学年の児童達による第二のピークがはじまる。だが、筆者が思ったより、客足は伸びない。

「最近の子はさ、塾とか、色々あるからなぁ」そうボヤく主人の声が、どこか寂しげであった。

 それでも、客である子供はチラホラと来店し、低学年の子供とは異なり、見た目の綺麗さや甘さだけではなく、ガラス瓶に貼られた効能の欄までしっかり読みながら、勉強やスポーツ、その他リラックスの効果があるものなど、きっちりと自分に最も合ったものを選んでいく。最近の子は出来が良い。筆者の子供時分と言えば、中学を卒業するまで単純に甘そうなアシタばかりを選んでいた気がするが、今の子供はきちんと苦味も酸味も混じった大人風味のアシタを自ら選んでいるのだ。

「言ったろ?目が肥えてんだ、最近の子供は」だからこそやりがいがある、店の主人はそう鼻息を荒くしていた。

 そんな中、筆者はある女子児童の客が目に入った。アシタの入ったガラス瓶を見つめる目は、どこか寂しそうで、本来楽しみながら買うアシタ屋の客層に対して、どこか似つかわしく無い気がしたのだ。お節介ながら、声をかけさせてもらうと、彼女は何と「アシタが嫌い、でも友達の付き合いだから(店に来た)」と言ってのけた。アシタが嫌いな子供がいる、それは筆者にとって一つのカルチャーショックであった。

「アシタは嫌い。どんなに綺麗で、いい香りがしても、すぐにみっともないキョウになっちゃうから」

 その気持ちは、分からなくも無い。昔、その辺のアシタ屋で売られている粗悪なアシタは、ベッドの横に置いて一晩経てば、腐った卵のような臭いのするキョウになってしまうことがしばしばあった。美しいと思った模様も、実は上から塗料で塗りつけているだけで、すぐに剥がれてしまうこともしょっちゅうであった。最近の高品質のアシタではそんなことが起こることは滅多に無いとは思うが。

「官製アシタも、最初は綺麗だけど、どれも面白くないの。みんな同じで、みんな私に合わないの」そう彼女は、退屈そうな欠伸する。どのアシタもただただ甘ったるいだけ、どのアシタもただただ綺麗なだけ、そう言いながら少女はアシタの入ったガラス瓶を興味無さげに見やるのだった。

 そんな少女と筆者との会話を耳をそば立てて聞いていた主人は、おもむろに立ち上がると、ガラス瓶をいくつか開けては袋にアシタを詰め、少女の眼前に突き出した。

「そんじょそこらのアシタと比べられちゃ困るね。このアシタを風呂に入るときでも良い、一緒に持って入ってみな」お代は要らぬから、と言い添え、子供商売をするには少し不器用な主人は再びレジの奥に引っ込んだ。少女は、目を丸くして主人、筆者、手の中の新聞紙の包み紙と視線を巡らせる。やがて首を傾げて小さく「ありがとうございます」と丁寧な礼をして去っていった。

「あのお嬢ちゃんの欠伸、睡眠不足だったみたいだったからな。きっとお受験勉強とやらでお疲れなんだろうさ」だから、カモミールとニガヨモギのアシタをブレンドさせて入れてやったと主人は言い訳のように呟く。勉強する以外の、リラックスできるアシタが必要だ、全く最近の子供は勉強ばっかりで良いアシタを手に入れないでどうするんだ、とぶつぶつ呟く主人は、口調とは裏腹にものすごくできた人間なのだな、と筆者は感じた。怒鳴られそうではあったので、直接口で褒めることはできなかったことが悔やまれる。


「記者さん、持ってくかい?」

 一日分の密着取材が終わる閉店間際、主人はそう筆者に声をかけてくれた。見ると、店オリジナルのニガヨモギと、虎目石を混ぜたアシタだった。

「記者さん、今の仕事で上を目指してるんだろ? なら、このアシタだ」官製アシタじゃニガヨモギなんて風変りなもん入れやしないからな、と主人は言い添える。ありがたく頂戴し、帰宅して早速アシタを試してみた。その夜はなるほど、良い夢が見れた。ニガヨモギの香りが丁度良いアクセントとなって、夢見心地の一辺倒な甘さではない、現実に則しつつも爽やかな気分にさせてくれる。流石、アシタ屋を営み続ける主人なだけはある。筆者はこの記事を書き終わった後も、プライベートで通うことを決めた。そのため、店の正確な場所などを記さない点にはご容赦いただきたい。


 今年の四月一日付けで、市販のアシタに対する新たな法律が施行された。「少年の健康問題に関わる規制法案等」として三年前より政府が押し進めてきた大小十三の規制法だ。その中には、あのアシタ屋が人気フレーバーとして誇っていたニガヨモギ等数種類のフレーバー材の含有量規制も含まれる。「子供の健康な成長を阻害する恐れがあるため」、だそうだ。その一方で、アシタ生地の材料の一つであるトゥモロー粉など嗜好品八種目の輸入関税率の引き下げも今月末に控えている。現政権の公約である「誰にでも豊かで安心できる甘いアシタ」が安定供給される日々が、もう間もなくはじまる。

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