観察日記
「宿題、やったか?」
そうケンちゃんが聞いてきたのは、ラジオ体操後の、スタンプ待ち行列に並んでいるときだった。その日もセミ達は早起きで、眠気一杯のボクたちとは違って、耳が痛くなるほど騒いでいた。
「あとはポスターと観察日記だけ。ケンちゃんは?」
「……よーし! 算ドと漢ドは何とかなった! サンキュー、ミッチ!」
読書感想文はあとがきを丸写しする、と言いながら、ケンちゃんはボクの家に来る前提で話をしている。きっと、町内ではケンちゃんだけだろうと思う。8月の最終週に入っても、算数ドリルも漢字ドリルも綺麗に白紙、しかも誰かに最初っから頼る気一杯、というのは。ボクもお人よしにもすぎるとは思うけど、夏休み明けに友達が先生に怒られている、というのも見たくはないし、とため息をついた。
「ちゃんとマンガ返してよ。『ガンバルトペンギン』の3巻……」
「お、おう! 忘れるワケないだろ!ちゃんと持ってくって!」
あぁ、やっぱり忘れているな、とボクは思った。今度は、ちゃんとカバーも元に戻してくれるといいんだけどな、などと考える。帯を破られたときはちょっとだけ、ほんのちょっとだけ呪ってやろう、とかも思ったものだ。
「姉ちゃん、今日いないけど、騒ぐの無しね」
「おう! じゃ朝飯食ってから行くわ!」
姉ちゃんが今週は合宿に行ってるのがありがたかった。ケンちゃん、微妙なセクハラ発言をかますから、その度に、姉ちゃんから「友達ぐらいシツケしておけ」と八つ当たりなゲンコツが飛んでくる。今日は、その心配が無さそうだ。
「来たぜー!じゃっましまーす!」
朝ごはんが終わって、朝の再放送アニメの時間も終わって、お昼前のワイドショーがはじまったぐらいに、ケンちゃんの大きな声がボクん家の狭い玄関に響いた。
「あら、ケン君、いらっしゃい。相変わらず元気ねぇ」
「へへ、ども! あ、ミッチ! ほい、マンガ! 4巻てまだだっけ?」
ガンバルトペンギンの3巻は、どうやら無事だった。ケンちゃんに見つからないようにコッソリペラペラとページをめくる。お菓子のカスがはさまってたり、も今回は無い。ケンちゃんにしては珍しく、まともに読んだみたいだ。
「来月発売予定。とりあえず、あがりなよ」
「うーすっ! コントローラーも持ってきたぜ!」
リュックサックを持ち上げたとき、ガチャリ、と大きめの音がした。遊び道具だけはいつも用意が良い。ケンちゃんとはそういう男なのだ。
「ゲーセンじゃないんだからさぁ……宿題やりに来たんだろ?」
「ま、固いこと言うなって……お? お前んとこの
ケンちゃんをひきつれてリビングに入るなり、ケンちゃんが叫んだ。ちょっとだけ、「自慢しよう」と考えてたから、思わず唇が片方だけ上がってしまった。
「え? あぁ、うん。なんか青くなった。雲も出る」
学校の宿題で、種と植木鉢、それと蔓用の支柱を渡されて、後は自由だったから、色々と工夫した。園芸店の腐葉土じゃなくて、裏山のブナの木の下から枯葉を集めるところからはじまって、日光にあてる時間も計算した。霧吹きでの水やりも多すぎず少なすぎずと苦労したし、水そのものも、理科の授業で作ったペットボトルの浄水器でしっかりろ過したものだ。おかげで、最初は岩みたいなゴツゴツしたツボミが、今ではサファイアみたいな青くてまん丸な花を咲かせた。フワフワの綿みたいな蔓の先に、ドッシリとした大きさでくるくる回っている。
「マジかー!?スゲーじゃん。ちゃんと緑もあるしさっ! 俺んトコの、結局水星みたくなったまま枯れたぜ?」
「へぇ、衛星は?」
「できなかったよ。まぁ、観察日記がとっとと終わって楽できたけどさ」
実に、ケンちゃんらしいな、と思った。勉強なんてケンちゃんにとっては「遊ぶための障害物」に過ぎないんだと思う。もったいないと思うんだけどな、勉強も楽しもうと思えば楽しめるんだし。
「どうせ暑っついトコロに、おきっぱだったんだろ?」
「うるせーな。俺なんてまだいい方さ。ヨコやんのとこはさ、日陰に置いてたもんだから冥王星みたいにしぼんじまってたし」
「あー、ヨコやんっぽいなぁ」
ヨコやんらしさ、と言えば忘れっぽいところだと思う。3日連続で連絡帳を忘れてきたときは、先生も怒るより先に呆れてしまっていた。きっと、観察日記の存在すら忘れていたんじゃないか、とボクはそう思う。
「そこいくとさ、やっぱメガネ沢すげぇよな。土星みたいな輪っかまでできてたもん」
「え、マジ?」
「マジマジ。こないだ夏祭り誘いに行った時に見せてもらった」
輪っかができる、というのは単に大きく育てれば良いもんじゃない。ネットでは、『土星タイプ
「……算ド、メガネ沢に写させてもらえば良かったんじゃない?」
「それも考えたんだけどさ、アイツ、ケチなんだよなー。『宿題は自分でしなければ~』ってマジで言うんだぜ?」
あぁ、メガネ沢なら言いそうだ、とボクは思った。なんというか、融通が利かないし、おまけに委員長だ。それも、自分から立候補するぐらいの筋金が入った委員長タイプだ。家には行ったこと無いけど、きっと真四角で物が少ないんだろうな、などと思う。
「それに、アイツん家、居心地悪ぃもん。スリッパ履かなきゃなんないし」
カルピスは濃くていいんだけどさ、とケンちゃんは続けて言った。それは、ちょっとうらやましいかもしれない。ボクの家ではカルピスが出ることすら滅多に無い。健康を気にする姉ちゃんと母さんのせいで、大体麦茶だ。しかも、普段は常温の。氷が入るのはお客さんが来たときだけだ。健康なんかじゃなくて微妙にケチなんじゃないかと思う。
「マンガ、無いしなぁ、ミッチんトコと違って」
「姉ちゃんが好きだからなぁ、ウチは。あと父さんも」
自慢と言ったらこれぐらいだ。ワリと漫画やゲームには緩い。父さんが一気に全巻買いするのを、母さんが渋い顔で許してしまう。ボクや姉ちゃんはそのおこぼれにあずかっている。成績が落ちたら、禁止令が出てしまうという脅しだけはあるけれど、かなり恵まれていると思う。
「いいよなぁ、お前ん家……あれ?」
「どうした?」
「いや、ちょっとお前の
ケンちゃんが指さしたのは、ボクの
「え?……うわ、ホントだ。虫かなぁ?」
「俺、触ってねーかんな!」
ちょっとだけ、ケンちゃんを疑ったのは本当だ。でも、ケンちゃんは触っていないのはボクが見ている。アリバイ有り、ってヤツだ。となると、原因は害虫しか考えられない。確か『地球型は害虫がつきやすく繊細』とかネットにも書いてあった気がする。十分気を付けていたはずなのに、とボクは焦った。
「う、うん。えーと、ネットにはなんて書いてたっけ……」
「フマキラー撒けばいいんじゃね?」
「それだと枯れちゃうよ!」
かといって、すぐにできることはそれ以外には無いかもしれない。ここまで育ててもったいないけど、ため池みたいな匂いもしてきたし、いっそ枯らしてしまった方がいいのかも、などとボクが考えていたときだった。
「うわ、どんどん真っ黒に……痛ぇっ!?」
「え?」
「な、なんか飛んできた……」
ケンちゃんがのけ反り、額をしきりにさすっていた。少し赤くなっている。どうも、真っ黒になった
「飛んできた? ……あ、コレ?」
ゲーム機とテレビの隙間に、ちょうどひっかかる感じで、それは落ちていた。大きさは3cmぐらいの、ラグビーボールみたいな形。拾ってみると、どこか金属っぽい冷たさを感じた。
「お? おー? おー! スゲ、種じゃね!? これ!」
「ホントだ、種、みたいだね……資料集とかで見るのと形はちょっと違うけど」
資料集に載っていたのは、麦わら帽子のような形をしていたな、と記憶している。
「やったな! 花屋に売れるんだろ、うまくできた種は!? 先生、そう言ってたし!」
流石ケンちゃん、そういう話だけは覚えている。
「ん~……でも、やめておくよ」
「えー、もったいねー。バリバリ君ぐらい買えるぜ?」
花屋に売っても確かに20円程度。いや20円をバカにしちゃいけないのは確かだけど。ボクがやめておいた理由はそんなことじゃない。
「……黒くなったら嫌じゃん、植えてもさ」
害虫がついたまんまの種なのかもしれないし、とボクは続ける。最初は綺麗だった
「あー、たしかになー」
「あーあ。せっかく水とか、肥料とか、苦労したのになぁ……」
ため息が出る。夏休みが終わったら、思いっきり自慢しようと思っていただけに、がっかり感も倍以上だ。
「ごしゅーしょー様だな……ま、とりあえず、気晴らしに、一戦やっか?」
「……先に宿題だろ?」
「ちぇー……」
ゲームをやりたがるケンちゃんが、渋々、コントローラーの代わりにドリルを引っ張り出す間、ボクは
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