第2話の1 中世とは

(1)はじめに


 百年戦争の中身に入る前に『ヨーロッパの中世』という時代をおさらいしましょう

 中世とは何か。ざっくりというと封建制の時代といえます。


 国王―諸侯(貴族)または諸侯―諸侯という契約関係で社会が成り立っていた時代です。

 国王や有力諸侯は他の諸侯に領土を与え、主君と臣下という関係になります。その代り臣下は主君に、軍事力を提供しなければなりません。

 大事なのは『臣下の臣下は、臣下ではないこと』。

 あくまで個人と個人の契約関係であり、すべてを包含した国家への忠誠といった概念は存在しません(どちらかというと民族愛とか郷土愛といったものになるでしょう)。


 中世を年号で区切るといつからいつになるのでしょうか。

 西ローマ帝国滅亡(476年)から東ローマ帝国滅亡(1453年)までという伝統的なくくりが個人的には好きです。


 中世をさらに細かく分けると次のような感じでしょうか(自説)


 中世前期I(西暦476~800) 暗黒時代

  (西ローマ帝国滅亡からカール大帝の戴冠まで)

 中世前期II(西暦800~1095) 西欧世界の形成期

  (カール大帝の戴冠からクレルモン公会議まで)

 中世盛期(西暦1095~1291) 十字軍の時代

  (クレルモン公会議からエルサレム王国滅亡まで)             

 中世後期(西暦1291~1453) ルネサンスと危機の時代

  (エルサレム王国滅亡から百年戦争の終結まで)


(2)中世前期I


 中世はどうやってはじまったのか。

 かつてローマ帝国という強大な帝国がありました。

 最盛期には地中海沿岸全域を支配し、辺境のガリア(今のフランス)やブリタニア(今のイギリス)までを属州としていました。

 この国は歴代のうち数人の優秀な皇帝のおかげで何とか500年近く生き延びてきましたが、無理がたたって、もはやその中身はボロボロです。

 そこにゲルマン人の大移動という歴史的大事件が起こります。中央アジアに現れたフン族という強力な騎馬民族に追われて(また、気候変動も原因の一つです)、黒海あたりにいた諸民族がローマ帝国の領内に逃げてきたわけです。

 東ゴート人、西ゴート人、ヴァンダル人、ブルグント人、フランク人、アングル人、サクソン人、ジュート人といった人々です。


 一部のゲルマン人は帝国領内で略奪を行い、領土を奪っていきました。

 他方、ローマ帝国はゲルマン人に国境あたりの土地を与えてそこに住まわせたり、傭兵として用いたりしました。

 ローマ帝国とフン族との緩衝地帯として利用されたわけです。

 そして遂にフン族にアッティラ大王という強大な王が現れ、西ヨーロッパ侵攻に侵攻してきました。

 西ローマ帝国はゲルマン人の一部と手を結びこれを撃退しました(AD451年、カタラウヌムの戦い)。


 このとき西ローマ帝国の全軍司令官の地位にあった将軍アエティウス(「最後のローマ人」とも呼ばれます)は、その後下剋上を恐れた皇帝に暗殺され、その皇帝がアエティウスの部下に殺されるという事態になります。いよいよもう駄目な感じですね。

 その後の西ローマ皇帝はゲルマン人の将軍の傀儡のようなものになり、僅か20年で西ローマ帝国は滅びます。

 西ローマ帝国を滅ぼしたのが、有名なゲルマン人(スキリア族)の傭兵隊長オドアケル です。

しかし、このとき帝国の実権を握っていたのはアッティラ大王の元重臣であったオレステスという将軍だというのですから 、もはやなんだかわかりません。


  《簡単な注釈》

  ローマ帝国はあまりに領土が広大だということで、途中で(西暦285年以降)

 2~4人の皇帝で分割統治することになりました(東方正帝、西方正帝、東方副

 帝、西方副帝といいます。ちなみに正帝=アウグストゥスの訳語、副帝=カエサ 

 ルの訳語です。カエサルとは、もちろんあのユリウス・カエサル由来です)

  何人かの優秀な皇帝は東方・西方の皇帝を兼ねましたが、その最後がテオドシ 

 ウス1世です。彼の死後二度と東西の皇帝を兼ねる人物は現れなかったので彼の

 死後、ローマ帝国は西ローマ帝国と東ローマ帝国という2つの国に分けて扱われ

 ます。

  東ローマ帝国の方が政治的に安定していたので、この国は1453年まで存続

 することになります(分裂後1000年以上続くのだから凄いですね)。

  中世暗黒期にはローマの人口は45万人から2万人まで減りました。

 そのようにして多くの文化が失われた西欧の国から見れば、東ローマ帝国の権威

 は輝かしいものだったといえるでしょう。

  《ここまで》

  

 こうしてかつてのローマ帝国の西半分はゲルマン人の建てた国が群雄割拠する殺伐とした世界になります。

 初期は東ローマ帝国やゲルマン人の諸国家が争っていたのですが、やがてアラビア半島でイスラム教が起こると、その勢力を一気に拡大し、アフリカからイベリア半島(スペイン・ポルトガルがあるところですね)へと侵攻してくるではありませんか(711年にはイベリア半島の西ゴート王国が滅ぼされます)。

 さらにヴァイキング時代と呼ばれるAD800年から1050年には、今度はスカンディナヴィア半島からヴァイキングと呼ばれる海賊連中までが乗りこんできます。

 人々を襲ったのは戦火だけでなくAD541年には『ユスティニアヌスのペスト』と呼ばれる悪疫が大流行、ヨーロッパの人口の半分(約1億人)が死亡したともいわれています。この悪疫はその後の100年間に何度か流行します(旧西ローマ帝国地域はこの頃にはもう交通が未整備だったために影響が小さかったとも言われています。皮肉なものですね)。


 とまあ、終わることのない戦火に怯え、人口は激減、芸術や文化は後退し、交通も分断されてしまって経済活動も縮小するというハードモードな状況が中世(の前期)というわけです。


 さて、なんだか中世が始まったなという気分になってもらえましたでしょうか?


西欧の3要素といえば①ローマ②ゲルマン人③キリスト教なのですが、まだ③についてはほとんど語られていませんね。

 結論をいうと、キリスト教はちゃっかりゲルマン人にも根付いたのでした。


 しかし、この時点ではまだカトリックというものは存在していません。このころのキリスト教は原始キリスト教と呼ばれる分裂前のキリスト教であり、五大総主教区(ローマ、コンスタンディヌーポリ、アレクサンドリア、アンティオキア、イェルサレム)の総主教が最高位とされていました。この中でもローマ総主教は第一の地位とされていましたが、ローマ帝国の首都(コンスタンティノープル)を管轄するコンスタンディヌーポリ総主教とはライバル関係にありました。

 というわけでこの頃はまだローマ教会の権威はそれほどでもなかったということです。

 キリスト教の異端などについても触れておきたいのですがあくまでテーマは『百年戦争』ということで、バッサリと割愛させていただきます。


 次回は2話の2ということで暗黒期を脱し、発展をしていくヨーロッパの中世第2フェイズ以降についてお話ししたいと思います。

 ゲルマン人の諸国家とローマ教会が西ヨーロッパという世界を再建していく物語です。


 3話は『イングランドの百年戦争前史』、4話は『フランスの百年戦争前史』を予定しています。

 百年戦争本編は第5話からになりますので、早く本題に入れ!という方は第5話に飛んでくださいませ。

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