やよい軒~激闘編~
すうざん☆
第1話 いつもの仕事上がり
新宿は夜の23時、今日も街は仕事上がりのサラリーマンで溢れている。
皆一様に赤らめた顔に笑顔を浮かべ、酒臭い息を吐きながら歩いている。飲み会はサラリーマンの一般的な労い方法といえよう。
一方、俺は、人ごみを縫うように早足で歩く。汗ばむ身体に初夏の夜風が心地よい。目的地は、やよい軒だ。
やよい軒とは、都会を中心に全国展開しているごく普通の定食チェーンである。
ただひとつ、他と違うところといえば、定食を注文するとごはんのおかわり無料サービスが付いてくるということだ。
15時に遅めの昼食を済ませてから、もう8時間、俺のお腹はペコペコである。
俺にとっては、やよい軒でほかほかのご飯を満足いくまで食べる、これこそがストレス解消の一番の方法であった。
入店してから券売機に向かう。目的の定食は勿論コレ、なす味噌と焼き魚の定食(880円)である。季節限定の冷汁やチキン南蛮定食もいいが、ご飯が最も進むのがこの定食である。甘辛く濃厚なタレがかかったアツアツのなすと豚バラ肉は、ほかほかのごはんに絡み、箸を止まらなくする。その濃い塩分が疲れた身体に染み渡る。
なす味噌の濃い味に飽きたら、焼き魚にレモンを絞り、おろし醤油でさっぱりいただく。
まさに無限のコンビネーション。ごはんはいくらあっても足りない。腹が減っているときはこれに限る。
食券を店員に渡し、席に着く。卓上にはやよい軒オリジナルのきざみ沢庵が置いてある。これは細長く刻んだたくあんと高菜、ごまが入った漬物で、しゃきしゃきとした歯ごたえと、ごまの香ばしさがマッチした一品であり、この漬物だけでごはんを一杯平らげる人も多い。
俺は、ごはんおかわり処に最も近い席の、向かいの席に座った。店内の客がおかわりの度に後ろを通る煩わしさを回避でき、かつ、素早くおかわりできる位置取りである。
本音を言うと、目の前に座るのはおかわりする気が満々にみられる気がして恥ずかしいからなのだが……
着席してすぐ、俺は違和感を覚えた。俺の直後に入店し、俺の背後で食券の購入を待っていた客が、俺の目の前に座ったのだ。
23時という遅い時間、客も少なく、空席は多い。そんな中、わざわざ俺の目の前に座った理由は何だ。おかわり処が最も近いからか……
いや、奴の座った席は俺の対面で、席は曇りガラスで仕切られているものの、手元までは届いておらず、向かいの席の手元は丸見え、更に足元には仕切りがなく、のんびり寛ぐと足がぶつかりかねない。
こんな落ち着かない席をあえて選ぶ奴の行動は、俺に不快感を与える。
(パーソナルスペースの小さいやつめ……)
しばらくすると、なす味噌と焼き魚定食が出てくる。なすのツヤが視覚的にも俺を楽しませ、みその香りが空腹を刺激する。
同時に、奴の頼んだメニューも出てくる。生姜焼き定食である。ショウガとタレのいい香りがたまらない。
それと、アレは何だ?何かの揚げ物のように見えるが……そういえば奴は食券を手渡すとき、何かスマホの画面を見せてクーポンをお願いしていたな。それがあの揚げ物か。
瞬間、俺の背筋が寒くなる。奴の頼んだメニュー、追加した揚げ物、俺の注文と被らないものばかりだ。そして、奴の位置取り、俺の手元が丸見えじゃあないか。もしかして、券売機で俺の注文を確認していたのかも。
ここから考えられる可能性はひとつ、
奴は『おかずスティーラー』だ。
おかずスティーラーとは、他の客の目を盗み、文字通りそのおかずをひっそりとスティールする者である。ごはんがおかわり自由のやよい軒において、ごはんを何杯も楽しむために必然的に自然発生した蛮行である。
なんてこった、これでおかわりは難しくなった。俺が席を立つこと、それ即ち奴におかずを与えることを意味する。
俺のおかずも半分を過ぎ、ごはんも最初の一杯を食べきってしまった。
おかわりの時間だ。
緊張の瞬間、俺は席を立ち、おかわり処に向かう。だが決して視界から奴の姿は外さない。不審な動きがあればすぐさま取り押さえ、おかずスティールの動かぬ証拠を掴む準備はできている。もしその場で捕まえることができた場合、おかず慰謝料として奴の揚げ物はいただくとしよう。
しかし、奴は動かない。いや、死角を利用して既にスティールを完了しているのか。その場合はマズいことになる。現場を押さえられなかった以上、奴の手元に俺のおかずがあっても、捕まえることはできないのだ。
だが、そんな上級者であれば俺の手には負えないだろう。
恐怖心を抱きつつ席に戻ると、そこにはそのままのおかずがあった。奴は盗んでいなかったのだ。
だとすると、奴の狙いは緊張が緩み易い二回目のおかわりか……!?
(浅はかなり!)
俺も伊達にやよい軒常連をやっているわけではない。リスクは常に最小限に抑えるべきであることを知っている。そう、おかわりは一回まで、同時に、山盛りにすることで二回目のおかわりを不要にする。これこそが勝利の方程式。
勝った……謎の達成感が襲う。あとはウイニングロードを駆け抜けるだけだ。このおかずを食べきって、満腹感と勝利の美酒に酔いしれる至福の時間まであと少し……
「ガタッ!」
……!!?!?
その時だった、奴は勢いよく立ち上がったのだ。
瞬間、脳裏をよぎる余りに凶悪なイメージ。
こいつまさか……『おかずロブリィ』か!?
おかずロブリィ、つまりおかず強盗、それは噂にしか聞いたことのない凶悪犯罪であり、一度その被害を受けた者は、おかわりができなくなるのみならず、二度とやよい軒に来ることができなくなるという禁断の技。
食事を楽しむ客の真後ろから箸を突き出し、そのままおかずを奪い、食べてしまうのだ。
しかし、もし店員にバレれば一発で出禁、それどころか警察沙汰になることも多いという。
やるのか……?いや、ありうる。ここは新宿、南アフリカはヨハネスブルクに相当するゲットーである。
奴が近づいてくる。ダメだ!俺の最後のなす味噌は風前の灯火。ほのかに残る余熱が、あまりの絶望に急激に失われていくのを感じる。
頬を伝い落ちる冷や汗すら緩慢に感じる程の、無限の時間が過ぎ、顎先から汗が雫となって落ちる瞬間、奴が俺の背後を通る。
「ごちそうさま~」
?
奴は今なんと言った?ごちそうさまと言ったか?間違いなく言ったような……だが奴はごはんを一回もおかわりしていない。
まさか、そんなことがありえるのか?ここはやよい軒だぞ。ごはんのおかわりが無料の……
しかし、そんな疑問をよそに、奴は平然と退店する。
ドアが閉まるガランという音とともに、俺の価値観が崩れ去るのを感じる。
俺は謎の敗北感に打ちひしがれ、ガックリとうな垂れた。
山盛りのご飯を8割がた残し、のっそりと席を立つ。30歳を過ぎた身体にはもともと無理な量だったのだ。
(俺ももう、若くはないってことかな……)
しかし、今日の敗北を糧に、明日への活力を求め、また来店することもあるだろう。
「ごちそうさま……」
そう言い残して、俺は店を後にした。
「おかわりするなら残すな!」
そんな店員の言葉が夜風に乗って聞こえて来たが、都合の悪い事実には耳を塞いで生きていくのが俺の処世術だ。
終
やよい軒~激闘編~ すうざん☆ @M16EBR
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