第二話 入学時。超巨乳の先輩。嬉しい。

アメリカに入学式というものはない。少なくとも、私がいた学校は入学式というものを執り行わなかった。あるのはオリエンテーションだけである。私が高校に入学した時から、順日付を追って行こう。

寮に入る新寮生たちは「本来の」始業日の数日前にえいさほいさと荷物を持ってくる。中国から、韓国から。アメリカ全土から。いいや、世界全土から。どこからともなく運び入れられる大量の荷物。

私がこの高校に入るのを決めたのは複数の複雑な理由からのもので―まあそれらは追々。後々。

私は九年生―日本でいう中学三年生の時に、高校に入学した。飛び級だなんだと?いやいや。アメリカの高校は四年制のところが多く、中学三年生が「一年生」として見られるのだ。九年生まである中学校ももちろん多く、そちらを卒業してから高校にソフォモアとして入る者も多い。その後、日本の高校三年生=高校四年生まで高校生活が続くのだが、なんだかわかりにくいので、アメリカの高校一年生を中学三年生と表記する。

また、別の呼び名があり、(本来主に大学で使われる呼び名ではあるが)中学三年生をフレッシュマン、一年生をソフォモア、二年生をジュニア、三年生をシニアと呼ぶ。


まだ熱気が残る中、私が初めて母校となる高校に到着したのは入寮日が最初だった。諸事情により、見学なんかもしていない。朝7時に、歯の矯正を入れた直後の私への、電話一本の面接という名の押し問答だけだったその直後に「ようこそ私達の学校へ!」なんていうメールが来て、悩みに悩んだ挙句進路を変えて、急遽行くことにしたのだ。


到着するや否や、フローリングの上に何層あるんだろう、と思うぐらいのふっかふかな絨毯の玄関ホールに出迎えられた。目の前には舞踏会にあるような、左右に別れた大階段。その壁には設立者の娘であり、母校の名前の元となった人物の肖像画がかかっていた。説明を聞きながら、ぼんやりと私は中学時代の同級生(男)に似ているなあ、と考えていた。クズめ。


寮は本校舎でもあり、旧校舎でもある建物の上に建っていた。寮にはICチップが入った電子鍵が必要で、それがないと、重たいドアをあけられない。ちなみに、就寝時間内以外等の時間にドアを開けると、一応警報が鳴るようになっている。

今でもはっきりと覚えているのは、超巨乳のアジア系の先輩に、寮の事務所で部屋使用の為のサインと、それによって電子鍵を渡された事。わざわざ後ろ向きで説明してくれている先輩の話にうんうん、と頷きながらガン見していたのはあちらこちらに激しくゆれるたわわな胸。パーカーの上からでもしっかり、はっきり主張しているそれらが上下するたびに、私の首も動いていたように思う。ちょっと、申し訳ない。


私の部屋に到着した時、テープで貼られていた名札は随分と質素なもので、「Moa Saionji」ではなく、「Moore Saiongi」というような名前になっていた。誰だそいつは、と心のなかで突っ込みながら、超巨乳の先輩が申し訳なさそうに謝ってくるのを大丈夫だとなだめるような事ぐらいしか出来なかった。


私は中学にいた時もアメリカで、寮だったので、どのように過ごすかぐらいはは知っている。知っていた所で行動に移せるわけではないが。部屋に備え付けの水道があり、感動したのもつかの間、もちろん木造なのでクローゼットは立て付けが悪く、部屋はザラザラとしていて、ひどく不気味なギィイイイ…という音を立てながら開くものだった。


それでも、嬉しかった。わくわくした。


備え付けのたんすに服を突っ込んで、日本から来ていた母と共にどこにでもあるTargetというアメリカの巨大スーパーに行って、シャンプーやら何やらを買う。ちなみに、後にもっと大きなものに更新されるゴミ箱も買った。母は最後の最後であれもこれもいるでしょう、と言いながらカートに私が向こう四年間、ほとんど触りもしないようなものを入れていった。そういうところにいるいらないの押し問答をしても、意味が無いので、黙って自分の把握できていないことが目の前で起こるのを見ていた。

そうして寮に帰り、部屋を綺麗に整理しながら、買ってきたものを置いていく。この綺麗な部屋の状態が続くのは最初の一週間も持たないのは、母は知らない。壊滅的に掃除ができない私なのだが、いろいろと脳に障害をおっていたからだと発覚するのは大分、そう、高校を卒業した後の事なのだから、世話はない。


その後に、顔合わせである。

わが校の寮は幾つかにグループ分けされていて、それぞれ選ばれたシニアである、高校三年生彼女たちが寮長となる。大体七、八人ほどの寮長たちに、寮長でない他のシニアと下級生たちが六、七人ほどランダムで選ばれて、振り当てられた寮父・寮母たちに付く。私が出会った最初の寮父はジョーといい、当時はイギリスに婚約者がいる、可愛いテレサと呼ばれる犬を飼っていた。彼彼女らの住まいは同じ寮内で、基本的に何か寮内グループで揉め事や、メンバーに問題が起きた時は寮父寮母達が解決に一つ、手を打ってくれることになっている。基本的に寮内グループは移動することはなく、寮母や寮父が退職などした場合には解散となり、別のグループに所属することになる。

ちなみに、毎年寮内グループの名前のテーマを決めるのだが、私が入学した年は某超巨大ネズミーでデルゼニーな会社の映画のタイトルだった気がする。私は<ムーラン>に所属していた。他には、<ミニオンズ>や、<スティッチ>なんかもいたと思うが、プリンセス映画に限定しないところを見ると、そういった女性性などを重要視しない姿勢があったのだろう。


ジョーと、その超巨乳の先輩―名前は後にマリーと知った―が作ったと言っている、ペッラペラの名札を貼ったドアの向こうで、私はどんなに遠い所まで来てしまったのだろうか、と思いながら、カメラのない、アメリカに留学する時になって買ったプリペイドフォンをぱっかぱっかと弄んでいた。


自分が把握できない事が目の前で、自分の「ため」に起きているのは居心地が悪い。母に叱責されながらしぶしぶと自分の部屋のために働く私は、本当に一体、何様なんだろうか。


そんなことを考えながら、マリー先輩の巨乳を思い出し、これからここで頑張ろうと思い立ったのである。

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米国女学校生活。 西園寺もあ @lemanade

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