ウォレス姉妹のアメリカンダイナー

ますた

第1話 ホットドッグ

 スーツケースをごろごろと転がしながら、陽の落ちかけた街を歩いていく。

通りには等間隔にヤシの木が立ち並び、涼しい夕暮れの風に葉が揺れている。


 大学の2回生を休学して、僕はいまロサンゼルスにいる。


 一年間の語学留学。それが僕がこの地にいる理由だった。大学付属の英語学校で一年間学び、コミュニケーションコースを修了すること、それが僕の大学での卒業要件の一つなのだ。

 持っていた地図をもう一度確認する。下宿先の大学寮は通りを3ブロックほど行ったところにあるらしい。どうやら暗くなる前に着けそうだ。


ぐぅぅぅ……。


 わずかな気の緩みを敏感に感じ取ったのか、腹の虫が騒ぎ出す。

 駄目だ。寮に行く前に、何か食べよう。

 

 ふと、通りの向かいのネオンライトが、ふと視界に入った。『DINER』と書かれている。マクドナルドやサブウェイのようなチェーン店ではなく、ちょっと入りにくそうな個人経営の食堂。少し気後れしてしまうが、見渡しても他に飲食店は見つからない。仕方がないので、僕はひとまずその店の前まで行ってみることにした。

 

 近くで見るとよく分かるが、店は80年代の海外ドラマで見たことがあるような、典型的なアメリカンダイナーといった風体だ。

白く塗られた外壁にステンレスのぎらぎらと輝く扉、見上げれば巨大なネオンの看板が店名を激しく主張している。看板の錆具合からして昔からやっている店のようだ。

 「フェニックス・ダイナーか。……よし!」

 意を決して重い扉を開けると、内装もまた想像を裏切らない。

窓際には4人掛けのボックス席が3つ、カウンターには背もたれのない丸椅子が並んでいる。床はチェス盤のように白と黒の人工大理石が敷き詰められている。流石にジュークボックスはないようだ。


 「いらっしゃい!好きな席に座ってね」

声の主は、ボックス席の老夫婦のオーダーを取っているところだった。

自分より年下だろうか、栗色のショートボブが似合う女の子だ。

ウェイトレスだと思うのだけれど、なぜか彼女はメイド服を着ている。

変な店に入っちゃったかな。

 そう思ったけれど、僕は店を出ないで入口近くのカウンター席を選んで腰を落ち着けることにした。

 空港から電車やバスを乗り継いで一時間半。ようやくここまでやって来たのだ。既にふくらはぎはパンパンに張って痛いし、飢えも乾きも限界を超えていた。今から他の店を探すという選択肢は考えたくなかった。


 「何にするんだ」

 ほっと一息ついたのも束の間、鋭い声が飛んでくる。

顔を上げるとカウンター奥の厨房から睨みつけてくる女性がいた。ホワイトゴールドの長髪をポニーテールにまとめ、ワインレッドのTシャツにジーンズというラフな格好だが、エプロンをしているところを見るとコックらしい。手に持っている包丁がギラリと光る。

 「何にするんだ」

 「あ、いや……」

 威圧感のある声に言葉を詰まらせる。

 「あぁ?」

 「……何かアメリカっぽいものを」

 何言ってるんだ、僕は。こんなの注文でも何でもないじゃないか。

 コックの顔は無表情で変わらない。僕の顔をじっと見つめている。

店内は冷房が効いているというのに、僕の額には脂汗が滲む。なんなんだ、この緊張感。緊張感に耐えかねて、何か違うメニューを注文し直そうと僕が口を開いたのと彼女が口を開いたのは同時だった。

 「わかった」

 コックは一言そういうと何事もなかったかのように厨房の奥へと戻っていってしまう。


 いったい何だったのだろうか。

 そう思っていると、メイドウェイトレスが空のカップを持ってやってきた。

 「はい、お待たせ。喉乾いてるんじゃない?ソーダ・ファウンテンから好きな物を選んでね」

 ああ、変な汗かいたから喉がカラカラだ。

 ウエイトレスが指差す方を見ると、飲み物のロゴがいくつも入った機械が置いてあった。あれがソーダ・ファウンテンだろうか。僕はカップを受け取ると6種類の炭酸飲料の中からスプライトを選ぶ。

 「ねえ、どこから来たの?中国?」

 「日本です」

 「日本!私のこの服日本製なんだよ。どう似合う?」

 膝上ほどのミニスカートをひらりと片手で持ち上げてみせる。白いふとももが露わになるが、彼女はスカートの縁に施されたフリルを自慢しているようだった。

僕がふとももから目を反らしながら賛辞を述べると、彼女はすぐに満足したのかスカートを持つ手を離す。

 「ねえ、何しにロサンゼルスに来たの?」

 「英語を勉強しに来たんです。この近くの英語学校、あそこに通うんです」

 「ああ、この近くで学校って言ったらあそこしかないもんね。それにしても、そんなにペラペラなのに勉強するの?すごいねぇ」

 「いやぁ、そんなまだまだです」

 彼女と他愛のない会話を楽しんでいると時間が経つのはあっという間だった。

 コックが一枚の皿を持ってやってくる。

 「ほら、できたぞ。……エミィ!サボってないで仕事しろ!」

 「うぅ、ごめんよお姉ちゃん。じゃあね、ゆっくりしていってね」

 この二人、姉妹だったのか。全然似てない。


 名残惜しそうな彼女を見送り、気を取り直して給仕された皿と対面する。


 僕の目の前にあったのは、ホットドッグだった。


 ふわふわとして柔らかそうなパンにソーセージが挟まれており、その両端は大きくはみ出していた。20センチ以上はあるだろう。表面はパリパリで、等間隔についた焦げ跡が鉄網の上でグリルされたことを物語っていた。そのうえを赤のケチャップと黄のマスタードが綺麗な波線を描いている。

付け合わせには揚げたてのフライドポテトとよく浸かっていそうな小振りなピクルスが丸々一本。

 思わずごくりと唾を飲みこむ。

 「5口以内で食べるのが美味い食べ方だ。思いっきりかぶりつけ」

 無表情な顔に感情が表れる。挑戦的な笑みだった。


 やってやろうじゃないか。

 大きく口を開けて一気にホットドッグをほおばる。

 パキッッ!!

 小気味よい音とともに、熱々の肉汁が飛び出す。ソーセージのコクと香ばしさが口の中いっぱいに広がっていく。

 「何だこれ!?美味い……」

 思わず呟いた言葉だったが、コックの耳には届いたらしい。厨房の奥にいる彼女はソーセージをトングで返しながら、こちらに声をかける。

 「そうだろう。ケーシングは天然の腸で、牛と豚の絹挽きだ。ウチの店用に特別に卸してもらってんだ」

 「へぇ……」

 そう聞くとなんだか余計美味しく感じる。

 二口目を食べると、今度はほのかに甘いパンやケチャップの酸味、マスタードのピリリとした辛味が舌の上に感じられる。

 「パンは自家製、ケチャップはトマトの固形分が高いファンシーケチャップを使ってる。それにポイントは、無添加のアメリカンイエローマスタード!粒マスタードを使いたがる奴もいるけど、ホットドッグには昔っからこれだ!粒じゃあ、ケチャップやパンとの調和がとれないんだ」

 今までの機嫌悪そうな無表情は何だったのか。嬉々としてこだわりを語る彼女の笑顔はウエイトレスの妹にどことなく似ている。

 そんな彼女の話を聞きながら僕は夢中で食べ続け、あれだけ大きなホットドッグだったというのに、気がつけば5口で食べ終えてしまっていた。

 「いやぁ、とっても美味かったです!」

 「そりゃ良かった。しかし、相当腹が減ってたんだな。スクービー・ドゥーだってそんな美味そうに食わないぞ」

 心底嬉しそうな顔をして冗談を飛ばす彼女は、根っからの料理人らしい。

 彼女に料理の感想を話そうとした瞬間だった。


 「何だこれは!!」


 突然の大声が店内に響く。声の方を向けば、小太りの中年男性が店内で一番奥のカウンター席に座っていた。白い肌を真っ赤にさせている。

彼の前に置かれていたのは、さっき食べたばかりのホットドッグだ。

僕と同じように、あまりの美味さに驚いた。……というわけではなさそうだ。


 「なんだ!このホットドッグは!!この店はこんな貧相なものを客に出すのか!」

 男は再び声を荒げる。すぐ向かいのボックス席にいる老夫婦は目を丸くして男を見ている。

 あのホットドッグが貧相?ジューシーなソーセージの旨みは決して貧相なものではなかった。どうにも納得できない。

 そして、その想いはコックの彼女も同じようだ。いや僕以上だろう、細い眉がきりりと上がって怒りを示していた。コックは男の前まで詰め寄るとカウンターの向かいで仁王立ちとなる。

 「私の作ったホットドッグに文句とは、いい度胸してんなおっさん!」

 「ダメだよお姉ちゃん!――ごめんなさい、いったい何が不満だったんですか?」

 エミィだったか、妹のウエイトレスがすかさず仲裁に入る。しかし、男の怒りは収まる様子がない。

 「こんなパンとソーセージだけの貧相な食い物で満足できるほうがどうかしている。女が料理を作るといつもこうだ。男が」

 「パンとソーセージ、それがホットドッグだろうが!それが嫌なら他のメニューを頼むんだったな。それに――」

 コックは男の皿を黙って取り上げた。

 「女だからなんだ?」

 男はガミガミと彼女に文句や暴言を吐きかけるが、彼女は全く意に介さずと厨房へと消えてしまった。


 そうなると男の怒りの矛先は残されたウエイトレスへと向けられる。

 「それにだいたい、何だってこの店はこんなにくそ暑いんだ。料理だけじゃなく、冷房までけちってるんじゃないだろうな。……おい、もうすぐ7時じゃないか!テレビはないのか?」

 「ごめんなさい。置いてないんです。ラジオなら倉庫にあったはずなので用意できるんですけど」

 「何だと!?今日はカブスの試合があるんだぞ。俺は一度だって見逃したことはないんだ!やっぱりこんなところに来るべきじゃなかった。ほら、さっさとラジオを持ってこい!」

 ウエイトレスは男にどやされて、慌ててどこかに行ってしまった。止める人間がいなくなって、男はますます手が付けられなくなり、もはやホットドッグとは関係ない文句を喚き散らしている。典型的なクレーマーだ。


 険悪な空気が店内を包み、居た堪れない。なんでこんな思いをしなくちゃいけないんだ。何か一言いってやろう、そう思って立ち上がったところにコックが戻って来た。手には皿を持っている。黙ってその皿を男の前に置くと、男の顔が豹変する。

 「これだ!これ!これこそホットドッグだ!!」

 男はそう叫ぶとバクバクとたった3口でそのホットドッグを平らげてしまった。

 いったい何が起きたのだろうか。

 「腹が膨れたら眠くなってきた。ホテルに帰って寝るとするか」

 男はテーブルに金を置いて、さっさと荷物をまとめ始める。

 おいおい、ラジオで試合観戦するんじゃなかったのかと思ったが、わざわざ引き留める人間はいなかった。男は怒っていた時のことをすっかり忘れてしまったようで、満足そうな顔をして店を出て行った。

 男が去った後の静かな店内に、可愛らしい驚きの声が響く。

 「あれ?お姉ちゃん、さっきのお客さんは?」

 見れば、ウエイトレスは両手に大きなラジカセを抱えて戻ってきていた。黒人が肩に担いでいそうな特大のやつだ。メイド服が持つと違和感が半端ない。

思わず僕は笑ってしまった。つられて、コックも老夫婦も笑い出す。


 ようやく店内の空気が元に戻ったので、僕はコックに訊ねてみた。

 「あの人が食べてたのって何ですか?」

 「ああ、シカゴドッグだよ」

 「シカゴドッグ……。あれもホットドッグの一種なんですか?」

 あの男が食べていたものは自分の知っているホットドッグとは似ても似つかないものだった。

 ソーセージの姿が見えないほどに色鮮やかな野菜がふんだんに盛り付けられていた。

 「もちろん。みじん切りした玉ねぎにトマトのスライス。ミント入りのスウィートピクルスレリッシュに四分の一にカットしたディルピクルスをのせる。唐辛子のピクルスを刻んだものにセロリソルトが味付けの決め手だ」

 「そんなに野菜が入ってたんですね」

 「そうさ。だから『菜園を詰め込んだホットドッグ』なんて言われてる。そうそう、味付けといえばもう一つ、絶対のルールがある。決してケチャップは使わない。かけるのはマスタードだけだ」

 「なんで?」

 「なんでってそれがシカゴスタイルなんだよ。その土地ごとの食べ方があるのがホットドッグさ。チリを使ったテキサスドッグ、ミートソースのミシガンドッグなんてのもある。どうだ、『アメリカっぽい食べ物』だろ」

 彼女は僕にホットドッグを勧めた時と同じ挑戦的な笑みをこぼす。


 ここで、僕はもう一つの疑問が浮かんだ。

 「なんであの人がシカゴ出身って分かったんですか?」

 「それはねぇ。これだよ、これ!」

 横で話を聞いていたウエイトレスが両手を胸の辺りに構えて振る仕草をする。腕を振るたびに大きな胸がゆさゆさと揺れて、そっちが気になってしまうが彼女の動作が意味するところを探る。

 あの独特のフォーム……。持っているのは、……バットだ!

 「そうだ!シカゴ・カブス!野球チームだ」

 「せいかーい」

 彼女は楽しそうに両手で丸を描く。

 「今日はロサンゼルス・ドジャース対シカゴ・カブスなんだよ。だから早くお店閉めて、テレビで野球観戦するの!」

 妹の言葉を受けて、姉も頷く。

 「せっかくだ、お前も観ていくか?」

 「あれ?テレビはないんじゃ……」

 「『客用のテレビ』がないんだよ。店の休憩室には、60インチがあるんだ。すごいだろ!ヒッグスの爺さん、婆さんと見るつもりだったんだ」

 彼女はそう言って親指でボックス席の老夫婦を指差した。優しそうなお婆さんがこちらに手を振る。

 大学の入寮手続きのことが一瞬頭をよぎったが、これはもう断れそうにない。

 それに、こういう出会いを求めてこの地に来たんだ。

 「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」

 「よし!じゃあ、洗い物手伝え!ええと……」

 「崇人です。藤宮崇人。」

 「タカトか。私はセリア・ウォレス」

 「で私が妹のエミリー。エミィって呼んでね」


 これが僕とウォレス姉妹との出会いだった。


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ウォレス姉妹のアメリカンダイナー ますた @masuta07

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