未来の方から来ました

月立淳水

未来の方から来ました

 嘘みたいな話だけど本当の話。


 この前大学を出たばかりで、会社での新人研修をようやく終え、配属先でなんとかかんとか伝票を切ったりだのの雑用をこなせるようになって、僕もようやく社会人かあ、なんて感慨に浸りながらの帰り道。

 郊外の自宅に最寄りのバス停で降りて、歩いているのは周りには他の人は誰もいないって程の田畑の真ん中を貫く農道と表現するしかないでこぼこの小路、真正面に沈みかけの朱色の夕日、ちょっとまぶしくて右手をかざそうと思った瞬間に、夕日が突然白く光ったんだ。


 でもよく見ると、光ったのは夕日じゃなくてもっと手前。正確に言うと、僕の目の前、わずか二メートルの位置。

 かざしかけた右手はそのまま僕の両目を覆って、まぶしい光から目を守ってくれたけれど、その光が消えたと思って手をどけたときには、そこにスーツ姿の男性がきょとんとした表情で立っていたわけで、そんなものを召喚した右手を呪ってやりたい気分になったのは本当。


 上下紺色のスーツ姿で、ノーネクタイ。水色のシャツなもんだからそのコントラストの薄さにひどくぼんやりした印象を感じるファッションになっている。彼の身長は、大体僕と同じ、百七十センチメートル台前半というところか。

 しばらく回りをきょときょとと見回していた彼は、やがて、やっと気づいた、という風に僕に視線を向けた。

 これが、向こうから歩いてきた人でちょっと怪しいなと思っただけ、ってんなら、何事も無かったかのように横をすり抜けていけばいいんだけれど、さすがに目の前に光とともに現れた相手を、『おっとすみません』なんて感じですり抜けていくだけの度胸は、僕には無くて。


「……すみません、ここはどこでしょう」


 そして、結局先に口を開いたのは彼だったわけで。


「T県Y市の郊外……と言えば分かるんでしょうか」


「T県Y市……ちょっと待ってね」


 待ってと言われて、僕はいったい何を待てばよいのだろう。

 なんて思っていると、彼は懐から何か四角くて黒いもの――どう見てもスマートフォンのようなもの――を取り出して何かを操作し、渋い顔をした。


「あっ、そうか、ここじゃつながらないのか」


 それから僕にまた視線を向ける。


「えーとこの時代だと……こういうの、持ってますよね、ちょっと見せてもらってもいいですか」


 彼が手にスマートフォンらしきものをひらひらさせながら僕に問いかけてきて、ここまできてちょっとごめんなさいと言いながら逃げる勇気も無い僕は言われるままに自分のスマートフォンを取り出して画面を点灯させて見せる。


「地図とかって出せます?」


「ああ、はい」


 僕は答えてすぐに地図アプリを起動。自分の現在位置が表示される。彼がじっと覗き込んで首をかしげているので、地図を少し縮小して関東地方が表示されるように調整する。


「あっ、ここかあ、はいはい、分かりました。うーん、思ったのとずいぶんずれた位置に出ちゃったなあ」


 そして、何かを一人合点している。


「……あの、あなた、誰です」


 僕は思わず尋ねる。

 光とともに現れて、『この時代は』とか『ずれた位置に出ちゃった』とかってことを口走るわけだから、そりゃもう、アレに決まってるんだけど、僕の残された理性はそれを否定する答えを必死に求めているわけで。ともかく、彼自身の口から肯定か否定の言葉を聞かねばならない、という使命感が、この質問につながった。


「うーん、言っちゃっていいのかなあ……まああとで記憶消せばいっか。えーとね、一言で言うと、未来から来たんだ、私」


 未来人!

 その答えしかなさそうなのは分かっていたけれど、はっきりとそう言われるとやはり驚く。


「つまり、未来人……タイムスリップしてきたってことですか。タイムマシンとかが発明されて?」


 僕は肯定されるのが当然の質問をしたんだけれど、


「マシンって言うか、自然現象みたいな感じでね、たまたま地上にそのタイムホール的なアレが出来て、飛び込むと過去に行けるんだよ。さすがにこんなこと人智じゃやれないよー」


 笑いながら未来人は実に情けないことを言う。


「あっ、大丈夫、ちゃんと戻れる仕組みだから。なんか、私自身が未来の時空に属してるからさ、時空ごとゴムみたいにびよーんってここに出張してきてるものらしくて、戻りたいって言えば、向こうからゴム引っ張ってもらえるの」


 僕はそんなこと別に心配してないけど。


「じゃあ、本当に未来人なんですね」


 あの現れ方を見たら、とりあえず信じるしかないし、僕がそう言うと、彼は笑いながらうなずいた。


「どのくらい未来なんです」


「えー、ちょうど三十年くらい未来かな」


「あ、案外すぐの未来なんですね、じゃあ僕が定年前のおっさんになってるくらいだ。でもそのくらいで時間跳躍したり記憶消したりなんて出来るんだー、すごい。記憶ってどうやって消すんです」


 僕が聞くと、彼は背中のリュックのようなもの(側面に小物を取り出しやすいような口が開いている、ジッパーとは違うので何かちょっと便利な封入技術が開発されたんだろう)から、銀色に光る、長さ二十センチメートルほどの円筒形の棒を取り出した。


「こいつを使うのさ」


「へえ……」


 どこをどう見ても、ただの銀色の円筒。グリップ部分が黒いラバーのように見える。


「これのどこかがぴかっと光って記憶が消えるとか?」


「ははは、見てな」


 彼はそう言って、びゅんとそれを振った。

 僕は思わず身構える。

 と、それは、かしゃかしゃん、と古い望遠鏡のように伸びる。あの感じ、確実に見覚えがある――。


「これで、側頭部をガツンとやれば記憶なんて吹っ飛ぶってわけだよ」


 特殊警棒かっ。


「やめてください」


「知られちゃったし」


「犯罪ですよ」


「三十年後には時効だし」


「あっ、ごもっとも」


 だけど殴られるのは勘弁してほしい。


「誰にも絶対しゃべりませんから、ね、殴るのはやめましょう、痛いですし」


「そう? ……まあ私もあまり気が乗らないし。約束してくれるなら」


 彼は言いながら、ようやくその重そうな特殊警棒をしまってくれた。


「それにしても三十年後の未来かあ……あ、車が飛んでたりします?」


 やっぱり未来と言えば飛ぶ車。


「車が? いやいやいや。飛ぶ理由が無いでしょ。飛行機あるんだし」


「でも車が飛んだほうが便利……」


「飛びたきゃ空港に行けばいいじゃん。車が飛ぶなんて、ぷふーっ」


 彼が噴き出したのを見て、僕はなんだか馬鹿にされた気がしてくる。


「車が飛ばないんなら、じゃあ、未来じゃどんなことができるんです、是非教えてくださいよ」


 僕が言うと、彼はちょっと考え込むそぶりを見せてから、懐からスマートフォンのようなものを再び取り出す。


「どう、これ」


「……って、スマートフォンですか」


「……スマ……なに? いやこれ、インフォデヴ。インフォメーションデバイスの略だったかな? 世界中のサーバーデヴとつながっててどんな情報もすぐに取り出せるんだ」


「……あ、それ、スマートフォンですわ」


 なんてこった。呼び方が変わっただけじゃないか。


「この時代でも似たようなものがあるんだ。あっ、でもこれすごいんだよ、たとえば自分の今いる位置とかが一発で分かったり」


「僕さっき見せましたよね、それ」


「……そういえばそうだったね。あれ、この時代にもそんなものがもうあったっけ。どうやってやってるんだい?」


「僕も詳しくはないですけど、GPSっていう衛星で位置を測定しているみたいで」


「待って。GPSは分かるけど、衛星? 僕らの時代じゃGPSって言えば、世界中に散らばったインフォデヴ同士がお互いの位置を測定し合うシステムのことなんだけど、衛星? 宇宙の衛星?」


 彼の驚きが僕にはよくわからない。そんなの、むしろ未来の方が衛星とかバリバリに使ってそうなもんなのに。


「衛星ですよ。何百キロか上空の衛星軌道を回ってる」


「まじで! そんな遠くからインフォデブの位置を測定できるんだ! すごいハイテクじゃん!」


 逆に驚かれちゃったよ、どうするこれ。


「あ、そ、そうだ、未来じゃあエネルギー問題のこととかもあるからみんな地下に住んでたり」


「……地下? 無い無い。っていうか、なんで好き好んで日当たりの悪い地下に住むんだよ、ぷふーっ」


 ……また笑われた。精いっぱいフォローしたつもりだったのに。


「あ、そっか、逆に、街がでっかい高層ビルになってみんなそこに住んでるんですよね」


 そうそう、なんだか、どこかの建設会社がそんな未来のモデルを作ってたよ。未来と言えば、地下よりは空だ。


「高層マンションのことかな? いや、いまだにそんな人もいるけどさ、土地の値段も下がったし丈夫な建物の中古の出物も多いから一軒家に住んでる人の方が多いんじゃないかなあ。高層マンションも不便らしいよ? エレベーター待ちの時間なんて大変だし。インフォデヴの電波も届きが悪いし」


 そんな生活感あふれる高層都市計画、聞きたくない。


「あっ、じゃあなんでしたっけ、そのインフォデヴ、眼鏡型とか普及してて、みんな使ってるんでしょう」


 彼の自慢のインフォデヴを持ち上げてみると、


「あー、なんかそんなのもあるらしいね。でもそんなの使ってる人いないよ。考えてごらんよ、電車の向かいの席に、眼鏡かけて何もない空中を見つめて空中を撫でまわして何か操作してる人がいたら。気持ち悪いって。私なら通報するよ、はっは。仕事で使わなきゃならない人はいるらしいけど、私なんかは、そんなのには無縁だなあ」


「でも、空中に案内表示とかオーバーレイ表示とかできたら便利じゃないですか」


「……普通に案内パネル置いとけばいいよね、眼鏡かけてない人にも見えるし」


 はい、確かにごもっとも。いちいちごもっとも。


「……参考までに聞きますが、その、量子コンピュータとかって、実現してます?」


 僕が恐る恐る訊くと、彼はようやく違う反応を示した。


「ああ、そりゃもう、とっくさ。あ、この時代はまだなんだね。してるしてる。なんつったっけ、スイスのナントカ研究所でナントカ論の計算用に一台」


 ……それって、実用化って言うのかね。いや、分かるけど。個人のパソコンみたいなものになるわけないってことくらい分かるけど、せめて気象庁くらいは使っててほしかった。


「じゃあほかに、何か、ガツンとくるいい感じの発明とか無いんですかね」


 さすがに三十年だよ。何かあるでしょうに。


「私もこの三十年の技術史を勉強したわけじゃないけど――あ、そうだ、みんな現金をほとんど持ち歩かないよ」


「電子通貨ですね!」


 はたから見れば僕は顔はぱっと明るくなっただろう。確かに今も電子決済は広まりつつあるけれど、コンビニごとにばらばらだったりクレジットカードが必要だったり、いろんな場所で使おうとすると案外不便なんだよね。それが、通貨が電子化されて、カード一枚を持ってるだけで――あるいは。


「みんなICチップを体に埋め込んであって、レジとか通さずにお店を出るときにピッと自動決済とか――」


「わはは、無いよー、それは。そんなのいいねー、なんつってベンチャー企業立ち上げる人はいっぱい居るけどね、まず、埋め込むとか怖いじゃん。コンタクトレンズも怖いのに。それにさー、そんなんやったら、商店街の八百屋さんとかで買い物できなくなっちゃうから」


「えっ、でもみんな現金持たないんですよね」


「そうそう、だから、いろんなカードたくさん持ち歩かなくちゃならなくて大変なんだよ、銀行からポイントチャージしてそれぞれのお店で使うからさ、ほら、これ、財布」


 そう言って彼がまたリュックから取り出した財布のようなものは、厚さが五センチメートルはある。その隙間からは、いろんなカードがびっしりと見えている。


「ほら、このタグを押しながらここのノッチをスライドさせるだけで目的のカードがさっと取り出せて――あっ、これってこの時代、まだ無いんじゃない? すごい発明だと思わない?」


 うん、なんかすごいよ。それは確かに便利そうだけど、僕が期待してたすごさはそれじゃないんだよ。

 三十年。

 三十年前といえば、1985年。インターネットなんてまだ片鱗も無く、個人がコンピュータを持つってことも、世の八割の人には無縁の時代。携帯電話なんてものもようやく肩掛け型の電話が出たころ。カメラだって誰でも持ってるってほどじゃなくて、しかもフィルム式だから現像も面倒でめったに使わないし。


 三十年経った今、気がつくと、携帯電話もインターネットもカメラも僕の手のひらに納まってる。

 なのに、三十年後って、そんなもんなのかな。


「――結局、未来って、何が変わってるんです」


 僕は思わずこんな抽象的な問いを漏らしてしまう。


「何も変わっちゃいないよ。私もこの時代を見るのは初めてだけど、景色もそんなに変わっちゃいないし。衛星で位置を測定できるなんてハイテクは逆に失われてるし。でも不便だとも思わないし。たぶんいろんなことを試して成功したり失敗したりしながらいろんなものがちょっとずつ便利になってるんじゃないかな、気づかないくらいの速さで。私たちは地続きなんだよ。君たちの生活の延長線上に当たり前の未来があるだけさ。人間の暮らしに必要なものなんてそんなに変わらないんだしさ。――ああ、なんだか、夢を壊しちゃったかな」


 彼の視線は、明らかに落胆に近い表情を浮かべた僕の顔に注がれていて。

 三十年という時間をもう一度、思い返す。

 1985年、つくば万博でいろんな未来が語られた年。


 誰もが宇宙に行くようになってるし、車は前後左右に自在に動けるし自動運転も出来る、どの家にもロボットが一台いて家事を全部やってくれるし、超音速旅客機は世界中の空港を結んでる。

 全部全部、実現しそうで実現しなかった。

 だって、必要が無いから。そんなことにお金かけるなら、ちょっと贅沢なディナーを。


 だから、身の回りのちょっとしたことだけがゆっくりと便利になっていくんだな、って。

 でも、そんなちょっとの便利さのためにも、いろんな失敗がたくさん隠れてるんだな、って。

 彼の言葉で落胆した後、それでも彼の言葉の意味が心にしみこんできた僕は、ようやくそれを理解した。


「なんだか分かった気がします。そうですよね、僕の想像する未来じゃなくても、きっといろんなものが気づかないくらいの速さで、便利になってるんですね」


 カードの取り出しやすい財布のように。

 僕が笑顔を浮かべると、彼も改めて笑顔で返してくれた。


「ありがとうございます。――そういえば、この時代に何しに来たんですか?」


 僕は突然、そんなことが気になって尋ねる。

 何の用もないのにわざわざ来ないよね。


「あっ、そうだ、人に会ったら聞こうと思ってたんだ」


 彼も、そういえば、という顔をしている。これだけ会話してからようやく思い出すのもどうだろう。


「ねえ、アニメ作ってる会社とか、知らない?」


「……アニメ?」


「そう。私らの時代では、もうね、『アニメーター』って技術を持ってる人が居なくて。原画を描くとコンピューターが動画を自動で作ってくれるんだよ。だけど、逆に、味のある動画を作れなくなっちゃってね、私の会社で、手書きアニメーションに挑戦してみようと思って、技術を調べに来たんだ。心当たりないかな」


「……さすがにアニメ会社の知り合いは居ないです……っていうか、最近のアニメもCGでやってるとか何とかよく聞きますけど」


 何のアニメの話だったか忘れたけど、CGだから存在するはずのないセル画を高額で売るなんて詐欺の話を聞いたことがある。


「えっ、この時代でももうCGなんだ、あーミスったなあ。もっと昔かあ。あ、ありがとう、じゃあもう帰るよ。それじゃあね。……あー、チョベリバ……」


 言葉の終わり際をつぶやくように言いながら、彼は、握手もせずに再び光の中に消えていった。名残惜しいような気もしたけど、本来は出会わないはずの二人だし、年をとった僕が、若い彼に会う日もきっと来るかもしれない。だから、僕は笑顔で見送った。

 怒涛のような五分間。

 僕にとって得るものは多かったと思う。


 僕の未来は、彼の現在に、このでこぼこの田舎道みたいにゆったりとつながってるんだな、って。

 それにしても、チョベリバって、なんだろう。

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