p8 出された妻の声明文
「いろいろあるよ。Yさんの件だが、日本初の民間軍事会社だと、おだてられて踊らされてるって、お前、見方したよな。俺も、同感だ。しかしね、こう考えることも出来る。前線に行かして人質になってくれるとしたら使い道はあるわな。そうなら賢いバック、しっかりした組織が後ろにいると考えられる。ブログ見ただろう、しきりに前線に行きたがっていただろう。イスラム戦線がISと交戦し、引き上げるのに、ちょっと村に行って見るって一人で出かけたと戦線の兵士が語ったとされているね。敢えて捕まり行った。一度捕まって解放されているんだ。ちゃんとしたルートを持っている、必ず助けられる。そのような人物を手配してると、喋られていたらどうだろう。そうすれば、軍事会社も箔がつくし、我々も本格的に支援出来るとされたら、リスクは感じるだろうが裏の裏まで知るだろうか。Yさんはどうも自由シリア軍とISとはそう違わないという感覚だったかもしれないね。末端の兵士はみなアラブ人で、イスラム教徒で同じ顔だ。2回も1ヶ月近くも一緒にいた
Gさんを絡ませ、我々がその線で動くかもしれないと読んだ奴がいたとしたら、
人質を喜ぶものは何もISだけとは限らない。反対側にもいるっていうのがこの世の中だ。Gさんと奥さんの関係だってオープンな世界だ、知ろうと思えば誰でも知れる。考える証拠・・現実にそうなったではないか。誰が喜んでいる。ISか、彼等は金にもならん人間を二人殺しただけだ。そこまで考えなくても、『前線で一発打ってこい、それでなくっちゃ軍事会社のCEOとは言われん』と言われれば、前線をウロチョロするだろう。そうしているうちに拘束だ。紛争地に自衛隊の戦車を出して玉の一発を打ちたい奴は山といるよ。軍事会社設立支援金なんて涙銭だよ」
「長谷部、そこまで言うか?」多村は唸った。禁煙中だったがマスターにタバコを1本貰って深く吸った。そして、
「秋山の君はどうしてる?」と尋ねた。
長谷部は背広の内ポケットから1枚の紙を取り出して話しだした。
「せやね、最後に出てきた時の声明文を見たか!『私の元から離れました。それ以来、私は彼の解放のために舞台裏で休むことなく働き続けました』て、あっただろう、彼女は本当によく働いたよ、戦ったと言っていい。彼女の存在が我々の支えだったし、エネルギーだった。外交ていうのは何も外務省だけがやるものではない。JICAは国際協力の機構だ。彼女はそれなりのキャリアでポジションもある。そちらの使えるルートは全て使ったのではないかな。機構の上も動かしたよ。俺も、俺の仲間も、俺の上司もな。ただ届かなかった世界もあるってことよ。彼女は、子もある、自分の立場もある、夫の命もある。そんな緊張の中の3ヶ月だった。
『これは健二の最後のチャンスです。健二の解放と、ヨルダン人パイロットの命を救うには、あと数時間しかありません。私はヨルダン政府と日本政府に、二人の運命が委ねられていることを理解して欲しいのです』あれは彼女の悲痛な叫びだ。ISに強要されたように言われているが、声明を出せとはあったよ。
でも、彼女は1月20日以来ズートそれを願っていた。押しとどめたのは我々だ。
俺がお前の新聞社にリークしたのはその代わりなんだ。彼女の気持ちの一片を代理したに過ぎない」
ここで、長谷部はウイスキーに口をつけて、横を向いた。一筋の涙を堪えたように多村には思えた。長谷部は向き直って再び話を続けた。
「それにだ、外務省の上は官邸の差金だろうが、11月始めだった日付を、メールを開封したのは12月2日だったことにするよう彼女に要請したのだ。残りの時間の中で最善を尽くさねばならん時に何をしやがるんだと思ったよ。官邸イコール首相だ。なんて冷たい野郎だと思ったよ。何が命の最優先だ。テロに屈しないが本音で最初からの方針なんだ。自分らの考える国家の前にはたかが一人の命なんだ。俺は後悔したよ。彼にミッションなんて依頼すべきでなかったとね。彼は報道の欲もあったさ、その道の野望もあっただろう。でも、人の命のお役にも、国のためになるならとの気持ちもあったさ。普通ならそんなとこって止めたいのが妻の気持ちだろう。それを了とした彼女の気持ちを思うとな・・それなのに『同時に、私は両政府の懸命の努力に感謝しています』て言わねばならないんだ。これで届かなかったら何が届くのだ。多村!」
長谷部は持っていた声明文のコピーを脇に押しやった。
そして、最後のチャンスだったかもしれないリシャウイ死刑囚解放に触れた。8月19日から9月にかけて、アメリカ人が立て続いて殺害された件に触れ、あれから、事態は変わり、解放に向けてのフランス方式は通用を考える長谷部らの対応は難しくなったと述べた。
「アメリカは絶対に裏での身代金交換も許さい圧力を日本政府上層にかけたことは推測に難くない。考えても見ろ、アメリカ人人質が殺されて、日本人人質が解放されることを、彼等は黙って見てられるか!ヨルダン政府がリシャウィ死刑囚を解放するらしいという情報が流れただろう。もしそれが本当ならとしてだ、いくら冷淡な政府だと言っても、出きれば無難にも終わって欲しい。現地対策本部の懇願でヨルダン政府は動いたのかも知れない。ヨルダンは援助で成り立っている国だ。日本の援助も欲しい。しかし、アメリカがストップをかけたと俺は推測をするよ」語った。
お互い見えない力の存在を思い、ため息をついた。
多村はこれからの中東情勢や、テロが日本に及ぶことなどの見解を聞きたかったが、「長谷部、もうーいいよ、自分を責めるな」と答えた。
長谷部がグラスのお代わりを言って、多村にニヤーと笑ってこう言った。
「お前、今の会話、録音してないやろなぁ?」
「そんなこと、俺がするか」
「せやから、お前は万年運動部なんや。政治部や報道には移して貰えんのや。
俺は今取ってるよ」と、胸ポケットから小さな録音機を取り出した。
「これで俺の身分は保障された。なんぞあったら『これが見えないかや』、今、出したら政権がぶっ潰れるぜ。俺にはその勇気はないがね。でも、自分の身は自分で守る。いざという時はこれや。その時は、お前は証人やでぇ。悪い友達を持ったなぁ」と言って、機器をしまった。
多村はいい友達を持ったなぁーと思った。そして、
「俺も左遷や、関西支社行きや、甲子園詰めタイガース担当や」
「そら、あかん。あそこは聖地やろう。テロの標的にされるでぇー。おめでとう」
お互いの左遷を祝して二人は乾杯をした。
了
参考資料
私の名前はリンコ。シリアで武装グループに拘束されたジャーナリスト、後藤健二の妻です。彼は2014年10月25日に、私の元から離れました。それ以来、私は彼の解放のために舞台裏で休むことなく働き続けました。
私は今まで声を上げませんでした。というのも、健二の苦境に対するメディアの関心が世界中で騒ぎ立てられていることから、私は自分の子供と家族を守ろうとしたからです。
私たち夫婦には、2人のとても幼い娘たちがいます。私たちの赤ちゃんは健二が日本を離れた時には、わずか生後3週間でした。私は2歳の上の娘が再び父親に会えることを望んでいます。私は2人の娘が父のことを知りながら成長してもらいたいのです。
私の夫は善人で、正直な人間です。苦しむ人びとの困窮した様子を伝えようとシリアに行きました。健二は、湯川遥菜さんの居場所を見つけ出そうともしていたようです。私は遥菜さんが亡くなり、非常に悲しい思いをしました。私の思いは彼の家族とともにあります。家族の皆さんがどれだけつらい思いをされているか痛いほどわかるからです。
12月2日に、私は健二がトラブルに巻き込まれたことを知りました。健二を拘束したグループからメールを受け取ったときです。
1月20日、私は湯川遥菜さんと健二の身代金として2億ドルを要求する動画を見ました。それ以来、私とグループとの間でメールを何回かやりとりしました。私は、彼の命を救おうと戦ったのです。
これまでの20時間で、誘拐犯は私に最新の、そして最後の要求と見られる文章を送ってきました。
「リンコ、おまえはこのメッセージを世界のメディアに対して公開し、表に出さなければならない。でなければ、健二が次に殺されるだろう。29日の日没までにサジダ(・リシャウィ死刑囚)がトルコ国境付近にいなければ、ヨルダン人パイロットも即座に殺害する」
私は恐れています。これは健二の最後のチャンスです。健二の解放と、ヨルダン人パイロットの命を救うには、あと数時間しかありません。私はヨルダン政府と日本政府に、二人の運命が委ねられていることを理解して欲しいのです。
同時に、私は両政府の懸命の努力に感謝しています。ヨルダンと日本の人々から寄せられる同情にも感謝しています。私が若いころ、家族の拠点はヨルダンにありました。12歳になるまで、アンマンの学校に通っていました。だから、私にはヨルダンとヨルダンの人々に、特別な感情と、思い出があります。
最後に、私は家族と友人、健二の同僚にも感謝しています。この3カ月間、私と娘たちを支えてくれました。
私の夫と、ヨルダン人パイロット、カサースベさんの無事を祈っています。
リンコ
小説・シリア人質事件『隠された妻』 北風 嵐 @masaru2355
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ベトナムでのハプニング/北風 嵐
★0 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
ベトナム紀行/北風 嵐
★3 エッセイ・ノンフィクション 完結済 15話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます