第二章 「機械都市」
第一話 「都市をご案内」
「…………ス、……ニクス……」
朧げな意識の中、優しく響くその声の先に、シルエットが浮かんだ。
見たことのある影、聞いたことのある声。
しかし、ああ――彼女はこんな風に、笑ったことがあっただろうか――
「……ニクス、朝です。起きてください」
「……はっ、おはよ」
勢いよくベッドから体を起こすと、目の前には女の子の顔があった。
人間と見間違えるほど綺麗な
彼女の微笑みにふと、これまでのことを思い出す。
自分の作りかけの時計の代わりに置いてあった、壊れかけの機械人形。
時計が盗まれたことを一時忘れ、リリーに修理を頼んだ。
待ちわびた修理完了、扉の先にいた彼女、自分が名付けた”シュタール”という名を、本当に嬉しそうに受け入れてくれた人の笑顔……。
それが事実であることは、目の前にいる彼女が何より物語っていた。
「……?どうかしましたか、ニクス。まだ眠いですか……?」
「あ、いや……誰かに起こされる朝なんて久しぶりだと思って」
今までずっと一人で暮らしてきた。リリーの家に泊まることもたまにあったが、だいたい一人だ。朝は弱い方ではないから一人で起きるし、まず隣に誰かいることなんてなかった。
それが今はこんなに綺麗な女の子に起こされている。なんとも幸せなことだ。
現実を忘れるような桃色の髪に、宝石が埋め込まれたかのような瞳。
人形らしくもあり、人間らしくもある。
改めて見ると、彼女に見惚れない方がどうかしていると思うのだった。
「ニクスはずっと一人ですか?」
「うん、ずっと一人。でも寂しくない。リリーたちが家族みたいなものだから」
それに、と付け加える。
「シュタールも、いてくれるしさ」
そっと微笑んだシュタールに、また少し心臓の音が速くなった。
「そういえば、ニクスとリリーは髪の色が似ていますね」
「ああ、これね。小母さんに染められたんだ」
ニクスとリリーは、それこそ本当の家族のように同じ金髪だ。
あの双子より似ていると言ってもいい。
黒髪だったニクスは、地味だからという理由でリリーの母に髪を染められ、物の見事にブロンドになった。
知らない人が見れば二人が兄妹もしくは姉弟と思ってもおかしくないだろう。
最初は心底嫌だったニクスも今ではすっかり慣れ、その金色もニクスにすっかり馴染んでいた。
「本当に家族みたいで悪い気はしないんだよなあ」
「綺麗な色ですね」
シュタールの方こそ。そう言いかけて言葉に詰まる。そんな洒落たことを言えるほど男は鍛えられていない。
ふと、シュタールが窓の方を振り返る。
「どうした?」
少し目つきが鋭くなったシュタールに異変を感じる。
「そこ、誰かいます」
言われて見ると、カーテンの向こう、微かにシルエットが浮かんでいるのがわかった。
明らかにこちらを見ているような雰囲気に息を呑む。
もしもあの空き巣なら。最初に過ったのはそのことだった。
冷や汗を流しながら、ニクスは静かにカーテンへ近付いた。
ゆっくりと端を掴み、そして、勢いよく開ける――
「…………」
そして閉めた。
「ニクス……?」
「ああ、心配しなくても大丈夫。ただの馬鹿たちだった」
そこにいたのは、べたぁーっという効果音が聞こえてきそうなほど窓に張り付いている二人組だった。
ニクスは扉を開けて直接声を掛ける。
「何してるんだルーエ、ラウト」
その呼びかけにシュタールは警戒心を解く。
ニクスは知り合いで良かったという安心感よりも、呆れが勝っているようだった。
「やあニクス。ご機嫌いかがかな」
「良いだろうなそれはもう最高だろうな?」
「盗み聞きか?」
窓から顔を離しずんずんと距離を詰めてくるのは。
物腰柔らかで、どちらかというとぷんぷんと可愛らしく怒っているような美人、ルーエ。
普段の目つきの悪さがさらに増して、もはや不良の人相のラウト。
ニクスの友人二人だった。
「とつげーき!!」
「おらーっ!!」
「おいこら不法侵入だぞ!?」
二人は距離を詰めたそのままの勢いでニクスを躱し、開いた扉の中へ入る。
しかしその足もすぐに止まる。
「綺麗な人……」
ルーエは一言そう呟き、ラウトは言葉を失っていた。
じっと見つめられたシュタールは、段々と困った表情になる。
「二人とも、あんまり女の子をじろじろ見るな」
見かねたニクスが注意すると、二人も我に返ったようで。
「ああ、ごめんなさい。あまりにもお綺麗で」
「でもここらへんじゃ見かけない顔だよな」
ぎくり、とニクスは一歩後退った。
「いや、それはその、街の外れの方に住んでた人で!あまり外に出たことないみたいで……」
「で、なんでそんな人がニクスの家にいるんだ?」
「そ、それは……」
本当のことを隠す必要もないのだが、どうもこの二人は口が軽く、問題を起こしやすいのだ。
今度は困ったニクスの意図を汲んだのか、シュタールが続ける。
「たまには街へ出てみようと思いまして。それで偶然お会いしたのです」
「ようするに」
「ナンパでもしたのか?」
「違う!!!」
流れるような誤解に思わず声を張り上げた。
「彼女じゃないの?」
「ち、違うよ。まあいいじゃないかそこは。で、何か用があって来たんじゃないのか?」
目を逸らしながら話題も逸らすニクス。
話題を逸らされたことにすら気付かず、気にもせず、ルーエが答える。
「特に用があったわけじゃないんだけど、遊ぼうよ~って!」
「特に用もないしそれじゃあ街でもぶらぶらするか?そっちの彼女さんが良ければ」
「だ、だから彼女じゃないって言ってるだろ!シュタールっていうんだ」
未だに勘違いされたままの様子に納得はいかなかったが、街を案内しておきたかったし丁度良い。その提案には乗ることにした。
「シュタール、これから街を案内するよ。君の知らないもの、観に行こう」
自然と差し出したニクスの手に、シュタールも手を重ねた。
その後ろでにやにやしている二人組には気付かずに。
***
この雪の降る街の朝は、いつでも賑わっている。近所の付き合いが多いため、ほとんどが顔見知りだ。
だがもちろん、シュタールのことは知らない。するとこうなる。
「あら見ない顔ねえ可愛らしい」
「別嬪さんだあ。ニクスくんの彼女かい?」
「こんな綺麗な子がこの街にいたとは知らなかったな」
珍しいものに人が寄るのは常だ。それが可愛い女の子なら尚更のこと。
すれ違いざまに声を掛けてくる人々に苦笑で応じながら、ニクスはシュタールに耳打ちする。
「念のためシュタールが機械人形だってことは秘密にしておこう。どこに悪い奴がいるかわからないし」
シュタールはこくり、と小さく頷く。
珍しすぎて敵を寄せ付けてしまうのもまた、世の常だ。
こうも人が話しかけてくると案内にならない。それにニクスは人と話すのがそこまで得意ではない。四人は比較的人通りの少ない道へ向かった。
「こっちはね~温室とかがあるんだ。おっきい温室が!お野菜が美味しいんだよ!こんなに寒い国でも美味しいお野菜が食べられるのはあの温室のおかげだね!」
ふわりふわりと弾むように先を行くルーエ。肩まである髪もふわりと弾む。
「肉もうまいぜ。森に色んな動物がいるからな。まあ、森に入るのはおすすめしねえが」
ポケットに手を入れながら猫背で歩くラウト。人相は先ほどより幾分か穏やかだ。
修理屋のリリーや双子、賑わう街で出会った人々も思い出し、シュタールは思っていた。
この街はとても温かい。冬の寒さに反比例するような人々の温かさに、これまで感じたことのない感覚に、心を奪われていた。既にこの街を好きになっていた。
何より、知らないものを一緒に観に行こうと言ってくれた、隣を歩く人に。
その一つを知ったシュタールは、胸が高鳴った。
見知らぬ機械を直し、知らないことを教えてもらい、こんなにも歓迎されている。
ここに来る前には決してなかったことだった。
曖昧な記憶の中にもそのような痕跡は残っていない。
人の優しさに触れたシュタールは、大事なものをしまうようにそっと心に刻んで。
そしてニクスの手を握った。
「しゅ、しゅたーる!?」
自分からはごく自然に手を差し出すくせに、握られると動揺するらしい。また知らないことを一つ知った、と笑いを零す。
「あーやっぱり彼女なんでしょー?」
「街でいちゃつくなリア充め!」
「だからちがうって!!!」
彼女、とやらでもいいかもしれない。まだそれも、知らないことだらけだが。
機械仕掛けのスノードーム 綿星シグレ @hoshisigu
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