第43話 撫子

 げにまっこと女の執念は恐ろしいものと申します。


 まさしくこのときの女の一念は、執念、あるいは妄念と言って差し支えの無い物でございました。

 『耐え忍ぶ槍』号に押し潰されていた鈍色の機体は、本土で作られ、無敵の名を冠した機体でありました。いずれは無敵号という名を冠していたでしょう、その中枢に組み込まれていたのは、ディーン・ブラックボロの恋人たるリリヤ・ホワイトだったのであります。

 この無敵計画が始まったのはいつの頃でしょうか。人類側の兵器開発者は、外来種を打ち払うために悪魔的な兵器の開発に着手し始めたのであります。それは人間の脳髄を中央演算装置として据えた、小型ながら他のあらゆる兵器よりも強固かつ運動能力に優れた、人型の二足戦車、いえ、鎧を纏った武士もののふでありました。

 鎧を纏う身として必要な若く健康な脳髄は、孤児から選ばれたそうです。リリヤ・ホワイトはそんな孤児の一人だったのでした。幼いときに引き取られた彼女が、美しく成長するまでの時間があったのでございますが、それはせめて青春くらいは謳歌させてやろうという、彼女の養父なりの償いだったのかもしれませんし、青い春を体験したあとで訪れる苦痛に目を向けない養父の残虐さの象徴だったかもしれません。わたしは彼に会ったことがなく、であれば彼が何を考えていたのかはわかりません。


 人類の技術の粋を結集して作られた兵器、その鈍色の矢は、リリヤ・ホワイトの脳髄を組み込んで作られました。小型ながらも恐るべき機動力と破壊力を併せ持つこの兵器が人類の味方として戦場に出ることがあれば、あるいは人類と外来種の生存競争の行方は変わっていたかもしれません。しかし鈍色の矢が人類の為に戦うことはありませんでした。その身は只の一兵器として造り替えられたにも関わらず、製造者に逆らって逃げ出したからです。逃げ出して当然だったのです。

 リリヤ・ホワイトは以前とは全くの別の存在になりながらも、ただ只管に恋人のことを想っていたのであります。ディーン・ブラックボロという名の恋人が、手柄を立てて帰ってくるということを覚えていたのであります。

 鈍色の矢となったリリヤには、ただ座して待つという選択肢は存在しませんでした。その腕で男を抱こうとすれば簡単に肉塊になるでしょう、其の胸は戦うが為に力強く打つ鼓動のほかには何もありません。二度と見れたものではない顔になりながら、それでも恋人のことが諦められなかったのです。

 本土のカタパルトを略奪し、リリヤが向かったのは恋人が向かったという惑星、オングルでした。ほとんど大砲と見紛うカタパルトは、リリヤが身に纏う鈍色の鎧を超高速で射出しました。障害となるものは打ち壊し、取り込み、時間も空間も捩じ曲げて、オングルに到着するその直前で恋人に追いついたのです。方向転換もままならぬ真空空間で『耐え忍ぶ槍』号をその身で貫いてしまったリリヤでしたが、船を貫いている正にその刹那、リリヤは恋人を発見したのであります。恋人はリリヤの双肩の無敵の称号にしか気付かなかったようですが、リリヤにはディーと出会えたことがどんなにか嬉しかったか。


 オングルに落着したリリヤでしたが、その上には己の身で貫いた『耐え忍ぶ槍』号が降って来ました。普段ならば、相手がどんなにか重い戦車だろうと、戦艦だろうと持ち上げられる身体になったリリヤでしたが、落ちた場所は少々悪くありました。雪と氷の層の中に埋まってしまったリリヤがどんなにか力を篭めて船を持ち上げようとしても、圧力で足下の氷が砕かれ、雪が溶け、己の身体が氷の中に埋まっていってしまうのです。

 リリヤは自力での脱出を諦めて、こう思いました。いつか、きっと恋人が助けに来てくれる、と。彼女は己の身体の機能を最大限に用いる方法を知っていました。雪の下の永久凍土のさらに下まで端子の一部を伸ばすと、その地面を伝達経路として、振動による情報収集を始めました。オングルの地層が本土の惑星よりも密度の大きいこともあり、調子の良いときには遠方にいる人の会話の声さえ聞こえることもありました。彼女はそうして恋人の無事と、オングルに残されている人間の存在を知ったのであります。


 人間という存在に対するリリヤの憎しみは深いものがありました。リリヤは己の身体に何が起きたのか、正確には理解していませんでしたが、本土の軍部が己の身体に何がしかの人体実験が施されたのだと理解しており、それが外来種に対抗するための策とはいえ、畜生に劣る行いに思えたのでした。

 ですが彼女は同時に、全ての人間が己を改造したような人間ではないと思ってもおりました。たとえば己の恋人のように心根の優しい人間もいると信じていたのであります。また文明社会から隔絶された場所に住まうオングルの女たちにしろ、きっと心が清い人ばかりなのだろうと思っておりました。


 時が経るにつれて、だんだんとリリヤの考えは変わっていきました。オングルの女たちは恋人を誘惑し、子どもさえこさえました。自分は身動きも取れず、こんな冷たい場所に閉じ込められているのに、何故彼女らは助けてくれないのだろう。何故自分の恋人を奪うのだろう。何故恋人は自分のことを忘れてしまったかのように、女の身体を受け入れるのだろう。

 リリヤは人間を憎むようになりました。オングルの女たちを憎むようになりました。彼女は何処よりも冷たい雪の中で、決意を固めたのです。いつかこの身体の上に圧し掛かる槍が除けられたら、オングルの女とその子どもを全て殺し、恋人を取り戻すという決意を。


 そして今、まさしくその恋人、ディーン・ブラックボロが外来種の梟型を倒すために槍を抜き、かつての恋人を雪の中から救い出したのであります。当の本人はそれと知らずに。

 こうして出自も違えばも目的も違う、見た目が違えば中身も違う、しかし同じ機構を持つ二体の無敵号が対峙したのでございます。

 オングルの無敵号、ディーが駆る蜂色のそれは、かつて人類種と同じく外来種の侵略を受けた生物種の生き残りでした。戦争に敗北し、いまの人類と同じように外来種の力の根源を探り、そうして最後に残った種がその存亡を懸けて、無敵号になったのでした。もっともその事実は、ディーもリリヤも知りません。

 片や己の身そのものを機械とされながらも恋人に出会いたいという唯その一心のみでオングルまでやって来た、恋人を取り戻すという未来を見据えた女、リリヤ・ホワイトの矢。鈍色の無敵号。

 片やかつての恋人を裏切って新たな女と恋をし、子をもうけ、失い、己が為すべきことも為したいことも解らず、ただただ過去を振り返り、後悔するだけの男、ディーン・ブラックボロの駆りし槍。橙と黒色の無敵号。

 その両者は名と機構は同じではあるものの、ひとつだけ大きな差があり、それが蜂と熊といって良い程の性能の開きを生み出していました。それは同じ機構を備えた外来種に対して、オングルで無敵号が勝ち続けられたひとつの理由でもありました。


 それは、蜂色の無敵号が複座型であったということ。


 かつて外来種の侵略を受けた種の生き残りは、人間ふうに数えれば、ふたりいたのでした。無敵号の左胸と右胸には、それぞれ別個体が搭乗しており、であるがゆえに単一個体としての力しか持たない外来種と対等以上に戦うことができました。オングルに落ちてくるまでは。

 オングルにやってくる直前に、その左胸に乗っていた種は死亡しました。ひとりきりになった無敵号は、外来種と同程度の力しか発揮できず、でなくても生きる力を失い、敗北し、眼球を破壊され、そしてオングルに落ちてきたのです。

 いまや、無敵号の失われたはずの左胸には、かつてとは違う種が乗っておりました。本土産まれの、人間という種が。

 失った左胸とは全く違う存在であるにも関わらず、無敵号の右胸の赤いレンズは赤く燃え盛っていました。そしてそれは、左胸の騎手席も同じだったのです。

 ディーは無敵号の騎手席の、己が意思を示すが為の正四面体から手を放しませんでした。蜂色の無敵号の目は見えず、騎手が行く先を示してやらねば戦えないのです。目の前の敵は、これまで蜂色の無敵号が戦い続けてきた外来種とは違い、無敵号が感知できない存在なのです。手を取って、剣の切っ先を向ける方向を指し示してやらねばいけないのです。でなければ、でなければ――守るべき女が、子どもが、死してしまうのです。


 ディーとリリヤ、ふたりはかつては恋人でした。しかし今は、今では恋人を取り戻そうとする女と、家族を守るが為に戦おうとする男でありました。故に複座型と単座型の性能の開きを無視しても、二機の無敵号の戦いの結果は決まりきっていました。ただディーがその手を放さずにいれば。

 ディーは目の前のそれがリリヤだとは知りうるはずもなかったのですが、もし知っていたとしても、結果は変わらなかったでしょう。

 もし女たちを同じように愛していたならば、どちらを選ぶか迷ったでしょう。

 ですがディーは違いました。彼がオングルを守る理由は、殆ど本能でした。だからどんな愛も色も、立ち入る理由はなかったのです。

 『耐え忍ぶ槍』号を持ち上げ、放り投げさえした蜂色の無敵号の腕が、鈍色の無敵号を貫きました。恋人に貫かれたリリヤは南緯六十度の冷たい海に落ちると、もはや浮いてはきませんでした。


 今度こそ、全ての脅威がオングルの惑星から去ったことを、ディーは悟りました。そうして、騎手席の正四面体の舵を集落へと向けました。

 既にディーン・ブラックボロの目は見えていませんでした。その理由は、たとえば血が瞼に被さって乾いてしまったからだとか、梟型を破壊したときに降り注いできた破片が眼球を切り裂き、頭の一部を削り取ってしまったからだとか、いろいろと理由はありましたが、それでもディーは集落の方向を正しく指し示すことができました。彼には女と子どもたちの待つ村が、真っ暗な闇夜の中でぼうと仄かに光っているように感じられていたからかもしれません。


 吹雪は止んでおりました。澄み渡った晴天の空は息が凍る程に寒かったものの、集落の女たちは戦いに出た男を出迎えるために外に出ておりました。しっかと二本の足を動かして集落に帰ってくる無敵号を見て、女たちは皆、いつものようにディーが無事に帰って来たものと思い込み、安堵の表情を零しておりました――わたしも、そう思っていました。そう思っていたのでした。

 女の中には、わたしの姉の姿もありました。産後だというのに綿菅に無理を言って肩を貸してもらって外に出てきたのであります。綿菅は清白を抱き、わたしも鈴奈を抱いておりました。そして姉の腕の中には、産まれたばかりの赤子の姿がありました。早産であったが為に体重が軽く、未熟児ではありましたが、健康に問題は無く、今や愛嬌のある笑顔を見せております。その髪は姉と同じ鴉色でしたが、その瞳は透明度の高い氷と同じ色で、ディーとも同じ色でした。

「帰ってきたよ」

 腕の中のわが子に向けて、姉が囁いたのを覚えています。ディーが帰ってきたら一緒に名を考えさせてやるということで、まだ名も無いその子はきょとんとしておりました。

 姉はこのときだディーのことを愛してはいなかったのだと思います。女たちを渡り歩き、力で奪い去っていく彼は、明らかに自分とは違う生き物でした。彼のおかげで子種を生すことができたとて、彼のことそのものを愛することはできません。

 それでも姉は――姉は、ディーを夫と思おうと思ったのです。好きというわけではないけれど、そういうものだろう、と、そう思うことにしたのです。そうだったのです。


 やがて、蜂色の無敵号が集落の壁の穴に辿り着きました。中の男は、もはや身動ぎひとつしませんでした。彼は無敵号の胸の中で、燃え尽きてしまったのであります。

 燃え尽きて残ったのは、只の残滓。他と何も変わらぬ平々凡々な土塊です。

 しかしその男は確かにその一瞬前まで、眩いほどに輝く、何よりも硬い結晶でした。


(終)

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心臓までダイヤモンド 山田恭 @burikino

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