第32話 頂上決戦


 汗が、全身を伝う。

 熱さではない。恐怖による汗だった。

 身体が震えている。

 死線は何度もくぐってきた。いまさら死ぬことは怖くない。

だがなぜか、目の前の女が怖かった。

 魔王ベルゼビュートと、熾天使ミストレス・アインス。つまりは魔属性と聖属性。相性は最悪だ。

 アインスの力は、宇宙にあるあらゆる闇を、魔をひれ伏せさせる聖なる力。後光が彼女の背後に見え、いやおうなしに己との力量差を思い知らされる。

 二億年前もそうだった。

 ディアボロのパイロットだった頃。

 魔王を殺し、二兆を超える天使と渡り合った。銀河を覆うほどの巨大な超兵器と、魔王を殺した聖剣、それに死んでも蘇るデスマーチの力があれば、勝てぬ相手などいないはずだった。

 だが、勝てなかった。

毛ほどの傷もつけられなかった。

 当時、天使を率いた神埼恵那。それに最強の天使であるミストレス・アインスには、まるで幼子をあやすかのように軽くあしらわれた。

 それから二億年後の今。魔王として様々な経験を積んできた。

 だからこそ、わかる。

 絶望的な力の差が。

 あの時と同じく力量は遥かに相手が上。受けに回れば潰される。

 コンディションは最悪。万全というには程遠い。

 デスマーチの呪いにより、半身が潰れた状態。時空停止呪文を発動させたために、魔力も空に近い。できる事は限られている。

『引っ越しだ』

 この状況にそぐわぬ単語を、ベルゼビュートは頭に思い浮かべた。

 パチン。

左手の指を鳴らす。即時発動型の召還魔法。

地球程度の大きさの惑星が出現し、アインスめがけて放たれた。

アインスは動かぬ。

惑星が、彼女に衝突しようとした瞬間。

ジュッ、と音がし。

秒速数万キロで放たれた惑星に、天使一人がゆうゆうと通れるほどの穴が開いた。

アインスの魔道障壁に当たった部分が蒸発したのだ。

天の羽衣。それは常時発動する不可視の盾であった。

 生半可な攻撃は通じぬ。熱も光も惑星級の質量兵器すらも、アインスの魔力はあらゆる攻撃を無力化する。

 ベルゼビュートは呪文を唱えた。ディアボロを切り札とするならば、その呪文は彼女にとって最後の奥の手だった。

『cheat code, No.32 a pointless resistance (ナンバー三十二の聖剣 かくて我々は悪ガキをあやす)』

 超高速言語を使い、呼び出したのは三十二番目の聖剣。

 彼女がいる宇宙で三十二番目に強い武器である。

 聖剣と呼んだが、それは力の塊であった。

黒水晶のような色をしたもやが、彼の手のひらの上に出現した。

パチン。

また、彼女は指を鳴らす。

全長七万キロメートルの惑星が召喚される。

 その惑星へ向け、手のひらのもやを放つ。

 もやが爆発的に広がり、惑星を覆った。

 この間、最初の惑星召喚から百万分の五秒が経過していた。

 神話級の存在にとって、あくびが出るほど長い間だ。

その間、アインスは微笑をたたえたまま何もしなかった。

 戦う前から勝敗は決している。何をしようが無駄であることを知っていたからだ。


 ぞ。


 ぞぞぞぞぞぞぞぞ。



 星が収縮し、地面が波打った。亀裂を生じさせながら圧潰し、数万メートルの極小サイズにまで一瞬でつぶれる。

 勇者シュザンナ時代に手にした聖剣。対魔王用の主力兵器として用いたそれは、あらゆる物質の斥力を崩壊させる。

 斥力を失った物体は、自らの重力によりどこまでも圧縮してゆく。

 星がつぶれ、山となる。

 山がさらにつぶれ、リンゴ程度の大きさになる。

 斥力崩壊により超圧縮された星の残骸は、中性子星の密度をさらに超え。

 シュバルツシルト半径の限界を超え、ブラックホールとなった。

 それは質量にして、ごくわずか。十億トンの一兆倍しかない重さ。

ブラックホールはそのシュバルツシルト界面で、重力による反物質の生成と取り込みを行う。そして反物質は取り込まれる際、等量の熱量を放出する。ブラックホールの質量が十分に大きければその熱は特異点に吸い込まれ、シュバルツシルト界面はほぼ絶対零度に保たれる。

だが。

極微小質量のブラックホールでは、シュバルツシルト界面の温度は一兆度を超える。

ブラックホールの臨界。質量の全てをエネルギーに変える、物質‐反物質反応。

星が圧潰してから、数フェムト(千兆分の一)秒を経て。

それは爆発した。

ブラックホール・ノヴァ。

 焦点温度にして一兆度の一兆倍の熱量が、アインスに襲い掛かった。


***


 

 爆発の残響が明けて――。

『素晴らしい』

 ミストレス・アインスはつぶやいた。

 彼女は全くの無傷であった。身にまとう衣服すらもが何のダメージも受けていない。

 ブラックホールの蒸発にともなう熱線も。放射線も。爆圧も。重力波による空間の歪みも。全てが彼女の身体には届かなかった。

『さて……』

 ほんの少し、アインスは考える。

 次に何をするか。

 素晴らしいと、そう言ったのはベルゼビュートの攻撃に対してではない。

 そもそもあの爆発は、攻撃に見せかただけで攻撃ではなかった。

 自爆である。

 一兆度の一兆倍の熱量を受け、魔王の肉体は素粒子レベルまで分解しながら超光速で四散していった。

 しかし、生きている。

 魔王は自殺できぬ。それは神が定めたルールであった。ゆえにミンチになろうが素粒子に分解されようが魂は天界に上ることなくとどまり続け、魔王の肉体は強制的に再生させられる。宇宙が、そのようにできているのだ。例外があるとすれば同じく神の力であるデスマーチにより殺された場合のみであろう。

 四散したベルゼビュートは、空間ごと吹き飛ばされながら宇宙のそこかしこに散らばっている。今頃は素粒子となった肉体のどれかが再生を始めていることだろう。

 素晴らしいと称賛したのは、そんなことではない。

 ブラックホールの蒸発の直前、ベルゼビュートはディアボロにある命令を下していた。

 全長七百光年の巨体を持ったディアボロに、である。

 それはテレポートの魔法であった。


『引っ越し』


 ベルゼビュートはそのことだけを、頭に思い描いた。

 逃げたのだ。

 ブラックホールの爆発をエネルギー源にして、銀河ごとベルゼビュートは逃げたのだ。

 惑星でもない。太陽系でもない。数千光年にわたる銀河をテレポートさせたのだ。

 徹頭徹尾、ベルゼビュートは戦おうとはしなかった。

 勝てぬからだ。

 たとえ銀河を吹っ飛ばせる力を持っていたところで、ミストレス・アインスには絶対に勝てないからだ。

 そのことを、身の程を知っているということを、アインスは称賛した。

「状況を確認しましょう。ベルさんの肉体は素粒子レベルにまで爆散。再生には数万年かかる。まあ、リタイアでしょう。京四郎さんは行方不明。ただしすでに先の戦いで魔王になるにふさわしい状態、魔人に覚醒している。後は探し出して何度か殺せばデスマーチが発動して魔王に代替わりしますわ。殺す役目はわたくしで構いません。この体を乗っ取った天使が死ぬだけで私の本体にデスマーチは発動されない。

よろしいですわ。彼の居場所を調べるだけですわね」

 ぶつぶつと呟いた後に。

『cheat code, No.1 Beginning of the COSMOS(ナンバー一の聖剣 天地創生)』

 宇宙で最も強い武器を、アインスはほんの少しだけ鞘から引き抜いた。

 トクン、と。

 膨大な魔力を浴びて、宇宙を渦巻くニュートリノが揺らいだ。

 科学者は首を傾げただろう。宇宙のある一点で、熱を伴わずに超新星爆発と似たような現象が起こったことに。

 それは本来、宇宙を創るために使われる聖剣であった。

 宇宙を創生する力を宿しており、射程距離は九百八溝(溝:一兆の一兆倍の千倍)光年におよぶ。宇宙の生命が存在できる範囲全てをカバーしていた。

 アインスは知っていた。

 魔王如きが、何をしても無駄であることを。

 たかが銀河、たかが数千光年の物体を数十億光年先に移動したとて、徒労にすぎぬ。逃げた先など数秒も経たぬうちに捕捉できる。

 見つけた。

 京四郎のいる銀河、京四郎のいる星が。

 アインスは聖剣をしまい、静かにテレポートした。

 


***



 びくり、と身体をすくませて。

「……」

 京四郎は、地面に両膝をついた。

 ベルゼビュート――シュザンナが死んだ。

 それを知ったから。

 理屈ではない。肌で感じた。

 彼がどこにもいない。遠くにもない。霞のように細かい塵になって、存在が感じられないほどに小さな小さな粒子に変わってしまった。

 おそらくは。アインスと戦い、負けたのだ。

 時間稼ぎに、彼と彼のいる星をテレポートさせる行為の代償に。

 わかっている。魔王は勇者にしか殺されぬ。いつかは生き返るだろう。だが今ではない。人間の寿命が及ぶ年月ではない。数千年か、数万年か、長い長い時間がかかるだろう。

 友に救われた。

 結局のところ、理不尽な運命に対して彼は何もできず、魔王となった友の力を借りることで安穏とした生活が守られた。

 二億年前の、あの時と同じように。

「ああああああ!」

 くやしさと、友への哀悼と感謝とが複雑にいりまじり、京四郎は地を叩いて吠えた。

 ぽん。

 その、肩に。

 女の手が、かけられる。

「かわいそうな京四郎さん」

 女が――アインスが、囁いた。

「でもこれからはもっとかわいそう。自分の手で、大恩ある友を殺めるんですもの」

 抑揚のない声で言い。

 再びの殺害が行われようとした時。

『待て』

 鋭い声が二人の脳内に響いた。

「まてまて。アインス。命令だ。とまれ」

 今度ははっきりとした声がし、アインスと京四郎はその声のした方へと視線を向けた。

「ご主人様……!」

 アインスがひざまずいた。

 こうべを垂れた先に、神崎恵那が立っていた。

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榊 ~魔王と友の物語~ 鶴屋 @tsuruya

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