第31話 生きるべきか、死ぬべきか。


「いや確かにメシは食ってるが」

 カリ、と。たくわんをかじると、歯ごたえの音がした。

 甘く、みずみずしい味。これだけでご飯が何杯もいける気がする。

「さっきまで俺は天使と決闘していたはずだ。何で母さんがここにいて一緒に飯を食ってるんだ?」

「京四郎は死んだ。肉体から出た魂を私がキャッチしてこの生と死の狭間の仮想空間にとどめている」

「いつ死んだ? どうやって死んだ?」

「アインスだ。あいつが決闘に横槍を入れて肉体を粉々に撒き散らした」

「デスマーチの発動は?」

「一時停止された。シュザンナが時間を止めたからね。とはいえ効果は時間の問題でしょう。今、彼女は必死になって京四郎を生き返そうとしているよ。生き返るわけがないのにな」

 最後の言葉を言ったときの恵那の表情は、淡々としたものだった。

「俺は死ぬのか?」

「このままではそうなるね」

「じゃあ生き返してくれ。母さんならできるだろう?」

「ふふ」

 恵那は、笑った。

「ははは。面白い。面白い事を言うようになった。頭も回るようになったようだね。確かにできる。けれどどうして私がしなければいけない?」

「ケチくさい事を言うなよ」

「京四郎。小さい頃から口をすっぱくして教えただろう。何事も物事を頼む時には報酬が要る」

「金か?」

「いらない。どうせ大して持ってないでしょうし」

「労働力か?」

「それも生き返す報酬には足りない」

「じゃあ何を差し出せばいいんだよ」

「尋ねたい事がある」

「その答え次第で生き返してくれるんだな?」

「奇跡は気まぐれに起こる」

「玉虫色の返事はやめてくれ時間がねーんだ。現実世界じゃシュザンナが必死こいて俺を生き返らせようとしているんだろう」

「生きて、どうするつもりだい?」

「どういう意味だ?」

「生きていけばこの先もずっと、デスマーチの発動に怯え続けることになる」

「今死んだら俺の家族が死ぬだろうがよ」

「私の能力を使えば生贄の死は防げる」

「……」

 恵那の顔を見つめ、京四郎は黙り込んだ。

 人間へと転生してから。

 百四十年の時を生きてきた。

宇宙船の中で七十年、今の星に定住してから七十年。

 普通の人間と比べて、十分に長い間であるといえよう。

 デスマーチという能力を抱え、誰かを愛する事と、その先にある愛する者を殺してしまう恐怖に怯えながら生きてきた。妻や娘と出会うまでは、人を愛するまでは誰にも心を許さぬように心を凍てつかせ、人を愛した後は誰よりも強くあらねばならぬと気を張って生きてきた。

 その生活が終わるのだ。

目の前にいる、この女の提案を受け入れれば。

「生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ」

 恵那は言う。

 誰も道連れにしない安らかな死。それは京四郎がこれまで、追い求めてやまないものだった。

 だが――。

「夢がある」

 逡巡の末に、京四郎は言った。

「夢?」

「街の教会に人が集まっている。周囲に鐘が鳴り響く。きっと結婚式が行われているんだろう。俺は似合わないタキシードを着て、純白のウェディングドレスを着た女の手をとって厳かに壇に近づいてゆく。壇には神父と、そして新しく妻となる女を待つ一人の男がいた。ウェディングドレスを着た女は、俺の娘は幸せそうな顔をして、ありがとうと俺に告げて手を離し、男のもとへと歩いて行った。

 娘を愛している。だから、成長した先の姿が見たい。幸せにしてやりたい。幸せになった姿が見たい。そのために、もうしばらく生きていたい」

「変わったね」

 恵那が微笑む。

「実にいい方向に変わった」

 手を伸ばし、恵那は子供にするようによしよしと京四郎の頭を撫でた。

「やめてくれ」

 京四郎、その手を振り払う。

 ふ、と笑って、恵那は手をひっこめた。

「これまで多くの者から祈られ、そのうちの一部の有望な者の願いを叶えてきた」

 微笑みを浮かべたまま言う。

「富、権力、不老不死。難病を持った身内の治療、ありきたりなところでは力それ自体。叶えて、叶えて、叶えた。魔王になるという代償と引き換えに。二桁にのぼる魔王を作りながら今に至り、私は矛盾する願いを突きつけられようとしている」

「話がつかめん」

「実務的な話さ。願いの処理を間違えると、タスクがデッドロックになる」

「その言葉も意味がわからん」

「あー……うん。もう少し具体的な説明が必要だね」

「説明はいいから生き返してくれるのかくれないのかはっきりしてくれ」

「まあ待ちなさい。まだ時間は少しある。それに京四郎は知っておいた方がいい。これからも生きたいと思っているのならなおさらね」

「何なんだよ」

「魔王になる時、私は願いを一つ叶えることを確約する。京四郎はディアボロ時代の最後の戦いで魔王になった。その願いは今も有効に働いている。その願いを受理した直後に、勇者であるシュザンナが京四郎の身体を奪い、次の魔王になった。彼女の願いは、京四郎が願った事とほとんど同じモノだった」

「……ほとんど同じ(、、、、、、)?」

 聞き返す、京四郎の身体が震えた。

「分かるな?」

「馬鹿かあいつは!?」

 京四郎の拳が、ちゃぶ台を強く叩いた。

「その台詞はブーメランが自分にも刺さるんじゃないかな」

「俺はいいんだ。俺のあの願いは俺がしでかした事への償いのためだ。だがシュザンナは償う必要もない。あいつの願いはあいつの為に使うべきだろう」

「是非の話を議論するつもりはない。それにもう願いは受理した。私はただ叶える。それだけ。ともあれ自分が今、何に生かされているかということを知っておいて欲しかった」

「俺はどうすればいい?」

「自分で考えるしかないんじゃないかな」

「相変わらず母さんは肝心なところで突き放してくるな」

「私がうかつに意見したらそれが神託になってしまうでしょう」

「いつもそれだ」

「すねるな。もう一度聞くよ。この先、生きてどうする?」

「夢の続きを見る。それと、シュザンナに借りを返す。何年かかろうが必ず」

「安楽に死にたいとは思わないのか?」

「それはやることをやった後だ」

「オーケー。その答えが聞きたかった。死にたがりの老人を生きかえしても意味がない」

 力強く、恵那はうなずいた。

「榊京四郎こと魔王ベルゼビュート。契約に従い、今一度あなたを生き返らせよう」



***



 止まった時の中で――。

 ベルゼビュートは心肺蘇生法と電気ショックを繰り返す。

 京四郎の肉体からの反応はなかった。

 それでも彼女は蘇生処置を繰り返し続けた。

 生きて。

 生きていて欲しい。

 他の誰を愛してもいい。自分が傍にいなくてもいい。忘れられてもいい。

 このまま、くだらない理由で死んでいいはずがない。

 これからのはずだ。

 胎児の頃に脳を摘出され、戦闘ロボットとして戦わされ、当たり前の人生を奪われた。人間の身体を得てからは罪の意識にさいなまれ、悩み苦しみながら贖罪をして生きてきた。

 ベルゼビュート――シュザンナは知っていた。

 京四郎がこれまで進んできた地獄を。

 京四郎がこれからつかもうとしているささやかな幸せを。

 生きて欲しい。

 愛する人を愛するために。

 生きて欲しい。

 奪われた幸せを取り戻す為に。

 京四郎を、シュザンナは愛していた。

誰よりも深く。

 誰よりも彼の幸せを願っていた。

「生きろ」

 何十度めかの人工呼吸。続く心臓マッサージ。定期的な電気ショック。

 機械的に続けながら、ただ祈る。

 それは時間にして数分の事。

 心に絶望がよぎり、振り払うように作業に没頭する。

「あ……」

 ぴくん、と。

 指先が動いた。

 電気による痙攣か。いやそうではない。

 ぺたりと、シュザンナの顔に京四郎の手のひらが当てられて。

「ん……」

 京四郎のまぶたが、ゆっくりと開いた。

「京四郎!」

 シュザンナは抱きつく。右腕と右の目がつぶれているため、しかしうまく抱きつけない。

「うお、ひでえナリだな……」

「京四郎、京四郎、京四郎!」

「うるせー。落ち着け」

「誰のせいだと思ってるのよ!?」

「ところで何で宇宙空間にいるんだ?」

「決まっているだろう。アインスとの戦いを想定し……話は後だ」

「おい」

 パチン、と指が鳴らされる。

 ベルゼビュートの超能力。京四郎の肉体が、どこかへとテレポートした。

 ほとんど同時に――。

 止まっていた時間が動き出した。

『あらあら、すごいですわね。デスマーチを不完全ながら御するなんて』

 宇宙のどこからか、シュザンナの脳に思念が届いた。

 最強の天使、ミストレス・アインスの思念が。

「もういいだろう。二度は殺させん」

 断固とした声で、ベルゼビュート。

『あらあら。まさかその状態で私と戦うおつもりですの?』

「神が定めたルールにより、魔王を殺した者は次の魔王になる。貴様は魔王になりたくはあるまい?」

『うふふふ。それが切り札だとしたら相変わらずズレてますのね。まあいいですわ。少々遊んであげましょう。また蘇生させられるのも鬱陶しいですし』

 言うやいなや。

 満身創痍のベルゼビュートの前に、一人の天使が現れた。

 中肉中背。烏の羽のような黒髪が、腰近くまで伸びていた。

 瞳が針のように細く、気味の悪い笑みが満面に広がっている。

 フェルナンドの肉体ではない。だが、熾天使であるアインス本体の肉体でもない。おそらくは監視衛星に詰めていた中位の天使の肉体を乗っ取ったのだろう。

 その、天使と対峙した瞬間。

 魔王ベルゼビュートの全身から、冷たい汗が噴出した。

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