第30話 世界のルール、それに抗する者

「おおおお!」

 ベルゼビュートの雄たけびに、大気が震えた。

 気合と共に、魔力を振り絞っているのだ。

 デスマーチに抗するための魔力を。

 デスマーチの発動により、殺された京四郎にとっての最愛の者を殺すという影響の中。

 肉体が滅びゆく中、ベルゼビュートの気合声がこだました。

 右腕の崩壊に続いて右の眼球がつぶれ、次いで顔の右側にまで崩壊が進んでいく。

 口を覆う筋肉が、皮膚が、削ぐように剥ぎ取られてゆく。歯列がむき出しになり、裂けた口から奥歯までが露出した。

 ベルゼビュートはテレポートした。

 テレポート・アウトした場所は、京四郎のいる惑星から二光年先の場所。

 何も無い宇宙空間である。

 身体の崩壊は止まらぬ。

死んだ京四郎からそれだけの距離を離れてもなお、デスマーチの作用は止まらぬ。すでにデスマーチは発動したのだ。たとえ宇宙の果てまで逃げたとしても、彼が死ぬまで肉体の崩壊は収まらぬだろう。

 己の肉体に起こっている事を、ベルゼビュートは精確に承知していた。

 デスマーチの発動から生贄が致命傷を負い、行動不可能になるまでの時間、十六秒。

 ディアボロ時代のパイロットの死、数百万回の試行が生贄についての詳細なデータを残していた。

 デスマーチの発動の際、生贄に加わるのは、神の力。

 たとえ魔王ですら逆らう事のできない、絶対的な破壊の力。

 それに抗する可能性があるとすれば、ただ一つ。

 デスマーチの発動そのものを取りやめさせるしかない。

 死んだ人間を生き返すしかない。

デスマーチを使うことなく。

 手立てはある。

 勇者シュザンナから魔王ベルゼビュートとして転生してからの二億年もの間、ずっと研究を続けてきた方法が。

 時間が問題だった。

 砕け散った京四郎の新たな肉体つくり、天界へと向かう魂の欠片を捕獲し、蘇生を施す。

 その所要時間、最短で三時間。

 これはデスマーチによる肉体の崩壊、十六秒の間ではとても足りぬ。

これまでずっと、京四郎とベルゼビュートは細かな打ち合わせをしなかった。

 天使との決闘に際して、京四郎は槍を天空に投げて罠を作り、魔王の血を摂取することで肉体改造の下地を作った。

 だが、それらは全て欺くための行為であった。

 宇宙最強を欺くための。

『デスマーチの問題にどう対処すればいい?』

 ひと月近く前に、京四郎はベルゼビュートに聞いた。

『寿命を延ばすか、時間停止呪文を完成させるか。デスマーチの発動メカニズムを解析して呪文自体を完全に封印するか』

ベルゼビュートはそう答えた。

 京四郎が降らせた槍の雨には、二つの意味があった。

 一つは、決闘相手であるミストレス・マッセ・シエルファに効果的な攻撃を与え、肉体改造の為に必要な呪文を唱える時間を稼ぐこと。

 もう一つは、槍の雨自体が(、、、、、、) 呪文となっていること(、、、、、、、、、、)。

 槍は、モールス信号を奏でていた。

 地表面との衝突音を点とし、空力加熱を伴う衝撃波の音を線とする。

 天空からマッハ十で自由落下する三万本全ての槍の弾道を、着弾タイミングを、京四郎は完全に制御しきった。

落ちてくる槍を目にして、“私でも真似できん”とベルゼビュートは言った。それはこの芸当のことを指していた。

槍が奏でていたのは、古典の呪文。

『月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり――』

 古典に精通する者にとって、あまりにも有名な呪文。

 その名を、奥の細道という。

 理論上の可能性が予言されていながら、魔王級数十人分に匹敵する膨大な魔力が必要とされるために実現不可能とされた魔法であった。

 宇宙全ての、時間を止める呪文である。

 止まった時の中で、術の発動者が許した者だけが動く事を許す魔法である。

「おおおおお!」

 ベルゼビュートの雄たけびが、あたりに響く。

 魔力が宇宙を満たしてゆく。

 魔王の力だけではとても不可能だった。だが、デスマーチの破壊エネルギーを、魔王をわずか十数秒で殺すエネルギーを上乗せすれば、理論上は不可能ではなかった。

『あら、あらあら』

 どこからか。余裕交じりの感嘆の声が、アインスから発せられた。

「おおお!」

 魔王の右腕が土くれとなり、わき腹と肋骨の一部が石化してひびが入り、片方の眼球が破裂して内部にある房水が顔をぬらした。

 その肉体の崩壊の進行が、突如として止まった。


 時間が止まったのだ。


「はぁ、はぁっ」

 呪文の成功に、ベルゼビュートは息を荒げた。片方の肺がつぶれ、ひどく息苦しい。

 まだ障害の一つをクリアしただけに過ぎぬ。

 時間が止まっている間に京四郎の肉体を集め、魂を集め、生き返らせ、そしてアインスに再び殺されぬ場所へと逃がさねばならない。

 時間が停止した世界では、天界と人界との魂の行き来も停止する。

 生と死の境界が曖昧になり、熱力学第二法則を覆す例外が起こりうる。

 奇跡が起こる、その確率があがるのだ。

「京四郎の肉体は捕捉できたか?」

 片眼はつぶれ、腕は失い、身体の半身が崩れた状態であるのをものともせず、ベルゼビュートはディアボロに向かい信号を飛ばした。

 ミストレス・アインスの放った越影雪華は死を作り出す技。撃たれた側は速度無限大で分子分解され、塵となって銀河の四方八方へと撒き散らされる。

 そして、最終形態のディアボロの巨躯は七百光年。テレパスとテレポートを駆使すれば、探知範囲は直径十万光年の銀河の全てをカバーできる。

「よし」

 返ってきた反応に、ベルゼビュートはうなずいた。

 塵になって散らばった、京四郎の肉体のほぼ全てを捕捉できたからだ。

 銀河の各所にはただの塵かどうか判別が着かぬ物体もままあったが、都合よい目印があったことが幸いした。その目印は、同じく塵となった女の髪の毛であった。

 シャルロットが、クリスティーヌが、お守りとして切って渡した二房の髪の毛。それが、粉々になった京四郎の肉体に寄り添い、結果として彼の命をつないだ。

「集え」

 片腕を差し出し、ベルゼビュートは、酸素を用意し、宇宙由来の放射線を弾く空間を作った。

 真っ暗な宇宙の中、陽炎のように揺らぐその空間の中に、彼女は塵を集め始めた。かつて京四郎と呼ばれていた男の残骸を。

 残らず、塵を集めて肉体を再構築する。

 殺された京四郎の身体。死骸には、魂の入れ物としての霊性が備わっており、この世とあの世とつなぐ架け橋となる。

 頭を、再生させた。

 脳細胞を余すことなく集め、再構築した。彼の脳がどういう構造をし、どういう神経結合により記憶を、人格を構成されているのかについては、魔王の力を使い彼に催眠暗示をかけた際に調べ上げていた。

 首から下を再生させた。

 骨髄、骨、神経、臓器、血管、筋肉、皮膚。

 DNA情報を読みとれば、再構築はたやすい。それでも欠損した細胞はiPs細胞の分化の要領で宇宙空間から適当な養分を補って補修した。

 京四郎の肉体が再生した。

 その身体の胸の上に、心臓のある場所に、ベルゼビュートは手を置いた。

「生き返れ!」

 電気ショックの要領で、心臓に刺激を与える。

 びくん、と死体がひとつ痙攣し。

 そしてまた、動かなくなった。

「ち」

 舌打ちするベルゼビュート。

 魂を肉体に戻す方法は、ただ奇跡にすがるしかない。

 完全に死亡した、その状態から肉体を完全に蘇生させた。時間を止めた為、死からこれまでの経過時間は十秒を切っている。

 まだ、魂は天界に昇ってはいないはずだ。

 この世に未練がある限り、魂は命を取り戻すすべを探しているはずだ。

「たのむ、生き返ってくれ」

 何度も、ベルゼビュートは京四郎の心臓に電気ショックを送り続けた。



***



 と、と、と、と、と。

 規則正しいリズムで、包丁がネギを切る。

 味噌汁が湯気をたて、いい匂いがこちらまで伝わってくる。赤味噌なのだろう。匂いをかいだだけで、少ししょっぱい味わいが舌に思い出される。

 炊きたてのご飯があった。

 刻みのりに白身を抜いた黄身だけの卵を乗せて、にんにくをあしらった醤油がおいしそうな香りをかもしだしていた。

 女がいた。

 芋ジャージに、エプロンを羽織った女が。

 肩まで届く黒髪をポニーテイルに結わえて、女は台所で食事を作っていた。

 少し目が垂れた、柔和そうな顔だち。鼻はさほど高くない。胸もさほど大きくはない。歳のほどは、判別がつかなかった。二十台の前半に見えるし、四十台の後半にも見える。平々凡々たる容姿をしていながら、年齢を超えた威厳のようなものがその女には備わっていた。

「やあ」

 女が振り向いて、京四郎に笑顔を見せた。

「ここは……?」

 やや困惑して、京四郎は尋ねた。

 目の前にはちゃぶ台があり、おいしそうな食事がある。

「あの世とこの世の狭間」

 ネギの浮かんだ味噌汁をよそい、女がちゃぶ台を隔てて京四郎の対面に座った。

「大きくなったなあ」

 目を細め、嬉しげに女は言った。

「母さんは相変わらずだな」

「あら嬉しい。老けて見えてない?」

「ああ。七十年前と一緒だ」

 この女。

 名を、神埼恵那という。

 榊京四郎という男の人生は、恵那によって“しゃぶりつくされた”と言ってよい。

 最初に出会った頃、恵那は科学者だった。

その時の京四郎は新生児であった。

 恵那は培養カプセルから彼を取り出すと、外科手術により脳と脊髄を摘出してディアボロという超兵器のコアユニットに魔改造した。

 次に出会った時、恵那は天使の軍を率いる将の一人であった。

 その時の京四郎は、勇者シュザンナの盾となり剣となり戦うための超兵器であった。

 恵那は因果律を超越した力を駆使し、銀河を侵食する超兵器ディアボロに大きな傷を与えた。

 三度目に出会った時、恵那は京四郎の養母であった。

 その時の京四郎は二、三歳程度の子供であった。

 勇者シュザンナの最後の力により、彼は超兵器の肉体から一転して人間の身体を、新しい人生を与えられた。

 そんな小さくか弱い彼を引き取り、宇宙船で星から星へと旅をする傍らで食事を作り、衣類の世話をし、彼が七つになるまで一緒に風呂に入り身体を洗い、夜はよく泣く彼を抱きしめて眠った。

 家族とはどういうものか。

 母親とはどういうものか。

 安心とはどういうものか。

 それら一切を、京四郎は恵那から教わった。

 戦友であるシュザンナにも与えられなかったものを、彼は恵那から与えられた。

「記憶が混濁しているんだ。俺は今、どうなってる」

 卵かけご飯をかきこみながら、京四郎。

「うまいなこれ」

「私と一緒にご飯を食べている」

 ずずず、と。味噌汁をすすりつつ、恵那が言った。


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