第29話 少女の祈り、魔王の戦い


 その夜。

 京四郎の娘、クリスティーヌは中々寝付けなかった。

 布団に入り込み、毛布を丸めて抱き枕代わりにして目を閉じる。しかし眠気が中々来ない。一度は眠ったのだが深夜に目が覚めて、それから寝られなかった。

「むぅ……」

 こういう時は、京四郎に抱きついて頭を撫でてもらうだけで、すぐにぐっすりと眠れるのだが……。

 あいにくと、家に彼はいない。

 もう一ヶ月近くも、会えいない。

「さみしい」

 ため息をつく。

 姉もどこか、元気がない。

 声をかけても上の空で、覇気のない顔つきで一日中すごしている。

 父がいない日の姉はだいたいがそうだ。京四郎の事が心配で心配で心配で、彼の噂話と、彼が命じた仕事の事以外になるとまるで無関心。人形のようだ。

 それでいて、帰ってくると京四郎に怒りをぶつける。

 甘え方が下手すぎる。

 気持ちはわかる。わかるのだ。いつも会えないからこそ、たまに会えた時の嬉しさが際立つのだから。けれどやり方が下手だ。寂しいのなら寂しいと素直に言えばいいのに。

 そういえば――。

 京四郎と一緒に暮らすようになったのは、いつからだっただろう。

『今日から俺が、お前たちの父親だ』

 そう。

 たしかあれは、葬式の時だ。

 母の遺骨を墓に入れた後、京四郎はそう言った。その言葉を聞いた時、姉はどんな顔をして、自分はどんな顔をしていたのか……クリスはもう、覚えていない。二歳か、三歳だった頃の話だ。母の顔もほとんど覚えていない。

 物心ついた時には、京四郎がいた。

 他人に対してはともかくとして、京四郎はクリスに対しては優しかった。よく、遊んでくれた。ご飯をいっぱい食べさせてくれた。わがままを言った時には叱ってくれた。

『おとーさん』

『ん?』

『ふへへ、呼んでみただけー』

 笑いかけると、京四郎も笑う。手を伸ばしてクリスの頭を撫でた。

『えへへ、おとーさん』

『うん』

『呼んでみただけ』

『お前は毎日がエブリディだな』

『どういう意味?』

『楽しそうってことさ』

 脇の下に両手を置いて、クリスの身体を高く持ち上げる。地面から足が浮いて、クリスは楽しそうに笑いながら手足をばたつかせた。

「きゃー」

 天気のよい日だった。

 小高い山へピクニックに行き、背中におぶられて帰った。

 暖かくて、広い京四郎の背中。

 眼下に、世界が広がっている。

 地平線の向こう側には海が広がっていて、いつか京四郎と一緒に旅をしたいと思っていた。

 幸せだった。

 ずっとこの幸せが続くと思っていた。

 けれど――。

『どうしたの?』

 父親に、クリスは問いかける。

『うん?』

『おなか痛いの?』

『いや。どうしてそんな事を聞くんだ?』

『だって、つらそうだもん』

『気のせいだろう』

 作り笑いをして、クリスの頭を撫でて、京四郎は誤魔化す。

 時折、京四郎はひどく辛そうな顔をする。自分と、姉のシャルロットを見てから、ふっと遠い目をして、何かにおびえたような、あるいはとてもさみしげな顔をする。

 その理由について、京四郎は何も喋らない。

 だから、クリスは思うのだ。

『私がついてあげないと』

 傍にいて、京四郎の痛みを和らげようと。おびえる必要はない。さびしがる必要もない。自分がすぐ近くにいて、ぎゅって抱きしめてあげるから……。

「ん……?」

 不意に外が明るくなって、クリスはベッドから起き上がった。

 窓を開ける。

「わぁ……」

 空から、大量の星が降っている。

 きっと流星群だろう。光の点が地上に向かって一斉に流れ落ち、夜の闇を照らしている。

「おとーさんが早く帰ってきますように。あと、おとーさんと結婚できますように。あとあと、おとーさんが家にたくさんいてくれますように」

 無邪気に、クリスは祈った。

 彼女は京四郎との日々がずっと続くと信じていて、この幸せな日々が壊れる事など想像したこともなかった。



***



 ほぼ同時刻――。

 胸騒ぎがして、シャルロットは目が覚めた。

 京四郎の身に何か、嫌なことが起こりそうな気がして。

『兄さん……』

 ベッドに座り、両手を胸の上で合わせ祈る。

 京四郎の安否を。

 祈る事しかできない自分がもどかしく、ここに京四郎がいないという現実が辛い。

 傍にいて欲しかった。

 一緒に刀研ぎの仕事をしたかった。

 真剣に仕事をする京四郎の大きな背中。その背中を見るだけで、胸がいっぱいになる。彼の役に立ちたいと思う。彼にほめてもらいたいと思う。彼と一緒にいる時間が楽しくて嬉しくて、飽くことなく剣を研ぎ続けた。

 一介の職人として、日々を平穏に暮らす。

 京四郎と一緒に。

 ただそれだけで、幸せだったのに――。

 彼はいつもどこかへ行ってしまう。

 どこかの誰かを守る為に。

 京四郎に傷ついて欲しくなかった。怪我をして欲しくなかった。妖魔との戦いになど参戦せず、街の顔役としてついてまわる権力争いにも無縁であって欲しかった。

 けれど、その望みはいつも叶わない。

 京四郎は、誰かの為に戦うのをやめない。

『無事でいて』

 シャルロットは祈った。



***



 ミストレス・アインスの放った技は、京四郎を完全に捕らえていた。

 因果律を超越し、速度無限大で作用するその技は、かわす時間も防ぐ余裕も与えぬ。

彼の肉体は粉々になり、無数の塵となって宇宙に撒き散らされた。

 完全な死。

 デスマーチが発動した。

 死んだ京四郎を生き返す代償に、最愛の者を殺すという魔法が。

 びき……。

「ぎぃっ」

 短い悲鳴が、魔王ベルゼビュートの口から漏れた。

 石膏で作られた人形が砕けるように、ベルゼビュートの右腕が割れ、薬指と中指との中間から亀裂が入った。

 ぴゅっ、と、血が周囲に飛ぶ。傷は動脈にまで達しているらしい。しかしその傷口は硬い石に覆われ、血は飛び散らなくなった。

『ははは』

 痛みを感じながら、彼女は笑みを浮かべる。

 視線の先は京四郎が惨殺された場所。ミストレス・アインスに身体を乗っ取られたフェルナンドが、同じくデスマーチの報復作用により殺されようとしている。

『はははは。いいぞ。最悪の事態は避けられた』

 ベルゼビュートは、笑う。

 超一流のエスパーとしての感知能力を働かせ、ベルゼビュートは周囲数千キロにいる人間の動向を探った。その中には、京四郎のために祈る二人の義娘、シャルロットとクリスティーヌの姿があった。

 二人とも、生きている。

 無事な姿で、デスマーチの影響を受けることなく。

『目論見どおり』

『京四郎の最愛の相手は無事のようだ』

『暗示はうまく働いてくれた』

『神埼恵那と取引して正解だった』

『後は生き返った京四郎が記憶を取り戻してくれるかどうかだが』

『やはり私も死ぬわけにはいかない』

『ここから先は難易度が高い』

『京四郎の書き残した究極呪文、上手く扱わなければ』

 めまぐるしく、複数の思考が同時に並立してかけめぐっていく。

 右腕を基点に、魔王の身体が崩壊してゆく。

 デスマーチの作用であろう。再生呪文を受け付けぬよう石化された右腕の亀裂が網の目のように広がり、土くれとなってゆく。

 この時。

 京四郎の最愛の相手は、シャルロットでもクリスティーヌでもなかった。シュザンナが最愛の相手として認識されていた。

 彼の頭から、シャルロットとクリスティーヌの記憶を消していたからだ。

 決戦に赴く前、ベルゼビュートは京四郎に請われて暗示をかけた。京四郎が頼んだのは対戦相手であるシエルファに感情移入しないよう、予知で知ったシエルファの記憶を消す事であった。ベルゼビュートは快諾して記憶を消した。京四郎の二人の娘の記憶もろともに。

 シエルファの記憶は、彼女に惨殺された瞬間に蘇るよう設定した。

 二人の娘の記憶は、デスマーチの発動後に蘇るように設定した。

 全ては、守る為に。

 愛する京四郎(ひと)の、愛する人を守る為に。

 びきりと、音がして。

 右腕が粉々に砕け散った。

 ぴゅちゅりと、音が続き。

 右の眼球が破裂した。

 激痛と悪感。だがそれは、ディアボロのパイロットだった頃に何度も味わったものだった。魔王となった今では味わえぬ、懐かしくすらある感覚。

思い出す。先代魔王グランベルドと対戦した際には何度も自殺をし、何度も何度も京四郎の腹の中で自らの身体をミンチにした。戦争末期の頃のシュザンナは人間を超えており、生半可な傷では死ぬ事ができなかった。

 だから、動ける。

 正常な意識を保ったまま、魔法を使う事ができる。

 古の頃に失われた、ハイテクノロジーという魔法を。

「認証コード335789。勇者シュザンナのパイロット権限によりディアボロの封印を解除する」

 ベルゼビュートが、言った途端。

 仮面が、彼の顔から離れた。

「お父様!?」

 状況についゆけぬテレーズが、父の崩壊を目の当たりにして叫んだ。

 彼女の前にさらされた素顔は、京四郎と酷似していた。歳は若い。けれど顔立ちはほとんどたがわぬ。

『元気で』

 念話が、テレーズの頭に響いた。

 ベルゼビュートから離れた仮面が宙に浮き、まばゆく輝く光の玉となった。

 光の玉は粒子となり、粒子はべき乗のオーダーで膨張しながら超光速で銀河を覆っていった。

 ディアボロ最終形態。

 それは全長約七百光年の巨躯を持つ。粒子であり波動である魔道生命体であった。

 先代の魔王グランベルトは、細菌のような構造をした群体生命体であった。数千兆の独立した命と恒星以上の巨体を持ち、デスマーチによる報復がほとんど効かぬ。分裂による増殖を繰り返し、星系ごと侵食しては人類を虐殺するその魔王に対抗するため、ディアボロはブラックホールすら喰らう姿に自己進化した。

 先代の魔王を滅ぼし、神を敵に回し、二兆を超える天使と渡り合った。

 神に負けてもなおその残骸は残り。残った残骸を魔王となったベルゼビュートは回収して封印し、片時も離さず傍に置いた。力を充填し続け、いつか来るであろう神との戦いに役立てるために。

 仮面にして、顔にかけ続けた。

 二億年もの永きにわたる間、封じ込めて力を注ぎ続けた。

 このディアボロの力と、あと一つ――。

 京四郎が下準備した呪文を発動させる。そうする事によって、ようやく対抗する事ができる。

 宇宙最強の天使、ミストレス・アインスの力に。

「おおおおお!」

 ベルゼビュートの雄たけびが、あたりに響いた。

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