第28話 決闘の果て

 暗い。

 暗い闇夜の中の出来事だった。

 榊京四郎と、天使であるミストレス・マッセ・シエルファは戦っていた。あらかじめ示し合わせた決闘である。

 京四郎のターン。天空から槍の雨を降らせ、シエルファの身体を貫いた。

 シエルファのターン。槍によって腕ごと力を封印する指輪が身体からちぎれ、本来の力を取り戻すやいなや肉体を再生、槍をかわした。

 京四郎のターン。ねじ切られた右腕を拾い上げ、複雑な再生呪文を唱えた。

 シエルファのターン。服を失ったのにもかまわず、京四郎に襲い掛かりその首を切断した。

 京四郎のターン。切断された頭部を拾い上げ、頭と首を再接続した。

『死亡からの再起動を確認。更新プログラムをインストールします。更新が完了するまで死亡(シャットダウン)しないでください』

 京四郎の頭の中で、無機質な女の声が響く。

 それは脳に挿入された演算チップからの声だった。

「な、ぜ、だ」

 魔力の枯渇に息を荒げながら、シエルファが言った。

 ほぼミンチになった状態からの肉体再生、それに超光速の斬撃を放つ技、越影の使用が彼女を消耗させていた。

 魔力とは生命力である。臓器、神経、血管などの維持管理に密接に絡み、さらには十二の経絡、十六の気脈を司る。魔力が尽きれば天使は死ぬ。

「長年のテーマだった。実戦の中で俺はずっとそれを研究してきた。ディアボロと呼ばれていた頃、何百年もずっとな」

「何の話だ?」

「生と死はどこで区別されるのか。先人のある研究者は鶏で実験したという。鶏にポンプを外部から挿入して心臓を動かし、肉体の隅々まで栄養がいきわたる状態にしておいてから首を切断した。すると何が起こったか。鶏は死ななかった。もちろん頭部は破損し思考をする司令塔は失われた。ところが栄養と血液と酸素を与えられた肉体の方は一年を過ぎても元気に跳ね回っていた。脳から切り離されたせいか、性欲はなくなったがな」

「……」

「デスマーチは術者が死ねば発動する。つまりどのタイミングでどこまで肉体が破壊された状態を死とみなすのかを知る事は戦術を組み立てる上での必須条件だった。俺は人間で実験した。何十人も何百人も殺し、生き返らせて、デスマーチが発動する際の判定条件を調べた。当然そこには、どうやったらデスマーチを発動させず死亡した状態から蘇生させるかという事も含まれている」

 長々と、解説を続ける京四郎。

時間稼ぎである。

このとき、彼の脳内に納められたチップがめまぐるしく働いていた。

『プラグイン、ベルゼビュートをインストール中。推定残り時間二百四十二秒』

 頭に響く、機械的な女の声。

 その声と共に筋肉が脈動し、血液は熱を帯びて身体を駆け巡る。夜の寒気に身体をさらしながら、京四郎の身体から魔力がうっすらと蒸気となって立ち上っていた。

 決闘の前、彼はある生物の血を飲んだ。

 それは魔王ベルゼビュートの血。ショック死しないように希釈し、少しずつ濃度と量とを増やしながら、徐々に体を慣らしつつ摂取していった。

 山での訓練と何日かの眠りを経て、摂取した血は彼の中で熟成され、魔力の塊となって眠っていた。瓶につめられ、コルクで封をされたワインのように。

 その魔力の塊の量は惑星を破壊できる規模を超えており、当然ながら人間が持てる魔力の許容量を遥かに超えていた。

 しかし、人間のままでは天使には勝てぬ。

 核爆発を受けても二割の確率で生き残るような超生物を相手取り、勝つには魔王の力を利用せねばならなかった。けれども人間には魔王の力は扱えぬ。

 ならばどうするか。

 人間をやめればいい。

 京四郎の前身であるディアボロは、死ぬたびに自己進化して強くなるという特性を備えていた。死ぬたびに、である。死亡を検知し、デスマーチにより復活した肉体は処理している仕事内容(タスク)がまっさらな状態となり、脳のメモリが百パーセント開放される。その際にディアボロは、更新プログラムと呼ばれる自己進化機能が作用する。

 今、この時の京四郎のように。

 時間稼ぎの解説をシエルファにしながら、京四郎の肉体は劇的に変化していった。

 神経。電気信号ではなく魔力伝達に反応する霊性を付与され。

 骨と髄液。炭素ベースから魔道ベースの物質に変換し、強靭さとしなやかさを増し。

 筋肉。血液からの酸素供給により力を発揮するメカニズムから、動力源を魔力とするメカニズムへと置き換わる。

 血液。酸素主体から魔力主体の運搬物質へ。

 人間から、魔人へと。

 炭素主体の栄養と酸素から、魔力を生命力とする生物へと。

「もしも切断された頭部の側にも酸素と十分な栄養をいきわたらせる事ができたら、たとえ頭部を切断された状態でも生きる事はできる。問題は切断されてからの酸素と栄養補給の仕組みを作る事だった。万全のタイミングで頭部を切断させ、完全なタイミングで切断された頭部と肉体に酸素と栄養を供給する。その際の供給力と栄養源はどこからもってくるか。右腕一本程度をいけにえにすれば十分だと試算できた。だから貴様にあらかじめ腕をねじ切らせた。後は少し神経の使う詰め将棋だった。槍の雨で時間を稼ぎ、生存維持と肉体を繋げるための動作をプログラミングした呪文を唱えた。呪文を唱えきると同時に貴様に首を切らせた。未来予知で調べた最適なタイミングの通りにな」

 京四郎が強くなるには、死ぬ事が必要だった。

より正確には、死亡した状態であると脳にある演算チップに判定させる必要があった。

 それもシエルファとの決闘を通してである。

 事前に、例えばベルゼビュートに頼んで申し合わせれば、もっと簡単に死亡状態を作り出し蘇生することができただろう。

 だが、そうして強くなっていればどうなったか?

 デスマーチの封印のためにこの茶番を演出した最強の天使、ミストレス・アインスは強くなった京四郎の実力に応じた強さの刺客を用意するだろう。京四郎を殺してデスマーチを発動させ、彼を魔王へと転生させるために。

 そうなれば勝敗は見えている。京四郎は死ぬしかない。

 だからこそ、人間のまま戦場に出向いた。そしてシエルファと戦い、首を切断される事で人間を超える方法を選んだ。

 確実に勝つために。たとえそれが、彼を魔王に転生できるレベルまで強くするというアインスの思惑の通りであったとしても。

『更新プログラムのインストール完了。“榊”を起動させます。……。おはようございます京四郎(マスター)様』

 脳内のチップが、彼に告げる。

「ふー」

 ゆるゆると、京四郎は息を吐いた。

 青い。

 青白いオーラが、陽炎のように彼の全身のまわりをたゆたっている。

可視波長ですら確認できるほどの魔力が、京四郎の肉体からあふれだしていた。手に入れたばかりの膨大な魔力を扱いかね、身体のうちに完全に収め切れていないらしい。

「おっと、忘れるところだった」

 ゆったりとした声音で言いながら、右腕の付け根に視線をやる。

 ぐじゅり。肉々しい音がひとつして、腕が一瞬で生えてきた。肘も、手首も、指先もが蛸が脚を広げるかのように肉がうごめいたかと思うと、まるではじめからそこにあったかのように自然と生えていた。

「何をした……?」

「人間をやめたんだ。誰かさんのせいでな。いや悪いのはお前じゃないことは分かってる。分かってるんだがこれからの生活のことを思うと正直やりきれん」

 余裕たっぷりの京四郎。

 対するシエルファは、小太刀を構えた。

 衣服を失った彼女の裸体が、小刻みに震えている。寒いからではない。目の前にいる覚醒した化け物の実力を肌で感じ、手合わせするまでもなく恐怖していた。


――おそらく。今のこいつは、素手で惑星を破壊できる。


 そして技量は、神埼流の皆伝以上。核爆発程度の力しか出せぬ大天使ごときが、到底かなう相手ではない。

 刀を構え、戦況を分析しながら、シエルファは捨て身の覚悟を決める。彼女にとってはどちらにせよ死が確定している任務である。

 京四郎が、彼女を制止するように手のひらをかざした。

「待て待て。戦いを続けても構わんが、決闘を申し込んだのはお前ら側で決闘の際にルールを取り決めたのもお前らだ。俺がルール違反をしない限り、お前さんは指輪をつけて戦う。そういう決まりだろう?」

「……そうだ」

シエルファはうなずく。

 京四郎はそっぽを向いた。

「大変だよな、下っ端は。やりたくもない戦いに借り出されて、ミンチにされかけるような目にあって、そのせいで裸にひん剥かれて、それでもターゲットの首を切り落していよいよ任務達成だと思ったら相手が復活して形勢逆転だ。しかも理不尽な命令通りに力を抑えて戦いを続行せんといかん。俺だったらケツまくって逃げるね。ああ、逃げても粛清されるんだったか」

「……」

「もうやめにせんか?」

「……何だと?」

「言葉通りの意味だ。俺が人間を超えた時点でお前さん――シエルファだったか――の仕事は終わり。俺を魔王に仕立て上げる為のフラグはすべて整った。後は俺とベルゼビュートとでアインスと話をつける。シエルファの出る幕はない」

「……」

 そっぽを向いたままの京四郎の提案に、シエルファは呆けた顔をして、うつむいた。

「どっかで服を用意するから着てくれ。その格好は俺には刺激的すぎる」

 肉体が変化した今の京四郎には、暗闇の中でもはっきりとシエルファの姿が見えていた。

「……」

 沈黙するシエルファ。

 殺気は雲散霧消し、戸惑いだけが広がっているようであった。

 何秒か、それとも何十秒か。

 京四郎は返事を待ち、シエルファは黙り込み、しばらくどちらも何も喋らなかった。

「う……」

 びくん、と、シエルファの肩が大きく震え。

 粘土質の地面に、がっくりと両膝をついた。

 サラリとした金色の髪が、風にたなびいている。よく鍛えられたしなやかな肉体の、それでも柔らかさを残した胸が大きく揺れた。

「うわああああああああああ!」

 赤子のように、シエルファは号泣した。

 理不尽な任務を課せられ、死ぬか意志のない人形になるかの二択の中で死ぬ方を選んだ。したくもない決闘を申しこみ、弱い者いじめであるとわかっていながらただの人間を挑発し戦いを行った。自分は剣士だからと自己劇化し、戦いという行為を美化することで何とか心のバランスを保っていた。

 その緊張の糸が、覚醒した京四郎の、実力に裏打ちされた言葉により霧散させられた。

「すまねえな」

 京四郎は謝った。

ディアボロと呼ばれていた頃、こうして自分が悪くもないのに謝ったことは数知れなかった。発動すれば最愛の人が身代わりになって死ぬ。そういう呪文である。だからか、上司の命令と自分の意志との板ばさみに合ったシエルファの気持ちはよくわかった。



***



「まさか、こんなことになるなんて……」

 あっけにとられたように、テレーズはつぶやいた。

念話ではなく口にして出したのは、それほど衝撃が大きかったからか。

『お父様はこうなることが分かっていたのですか?』

『もちろんだ』

『それならそうと何故言ってくださらなかったのです』

『天使側に作戦を漏らすわけにはいくまい? ちなみに私も京四郎からこうする予定だなどと打ち合わせはしていないぞ』

『……』

テレーズは少しだけいやそうな顔をした。確かに理屈の上ではその通りだ。読心術に対して耐性のないテレーズでは超能力タイプの天使に簡単に心を読まれてしまう。

『あとはアインスがどう出るかだが……』

「うふふ」

 突然の声。

 それは戦を観戦していたベルゼビュートの隣から響いた。

フェルナンドが、笑っていた。

満面の笑みをたたえて、心底おかしそうな顔をして。

「使えない子ですわね」

つぶやきと共に。

彼女は、たんっ、と一歩だけ地を踏む。

 たったそれだけの動作で彼女の姿がかき消えるように消え、消えたかと思うと数十キロの距離を隔てていた場所へと出現していた。

 超短距離のテレポート。

 出た場所は、京四郎の至近距離。

「おやすみなさい」

 鈴の音を転がすような、流麗な声音を出して。

 フェルナンドの肉体を乗っ取った最強の天使――ミストレス・アインスが決別の言葉を述べた。

 そして放たれる、神埼流の奥義。


 越影雪華。


 この世の因果律を超越し、速度無限大で“死んだ状態”を作り出す技。それはディアボロが太陽系破壊級を屠った際にも使われた技だった。

 新生した京四郎の肉体が、粉々になり。

 塵となって、宇宙に撒き散らされた。



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