第27話 決闘 その三


 走った。

 敵に背を向けて走った。

 この時。京四郎に、逃げる以外の手立ては残されていなかった。

彼は今、敵であるシエルファを傷つけられる武器を持っていない。

愛刀は刃こぼれし、天使の心臓に突き刺した際に彼方に投げ飛ばされた。おまけに利き腕をねじ切られ、止血処理を施したものの体力が落ちている。

 普段どおり走れない。腕を失えば当然のことだ。

 閃光手榴弾の目くらましで稼げた時間は、どの程度か。長くとも一分は超えまい。

 殺気が膨れ上がり、背を叩いた。光の衝撃からシエルファが回復したのだ。

彼が逃げる数倍の速度で、こちらへ近づいてくる。すさまじい殺気。五感を閉ざしていなければ足がすくんでいただろう。

 振り向けば殺される。それは未来予知で何度も味わった事実だった。

 あと、少し……。

 全速力で京四郎は走る。

 最後の罠へと、敵を誘導するために。

「ふっ」

 京四郎の背をめがけ、苦無が投げつけられた。

京四郎は右へ跳ぶ。ほぼ同時に、ポケットから閃光手榴弾を取り出す。

 点火。

 まばゆい光が周囲を満たした。

 読んでいたのだろう。至近距離まで迫っていたシエルファが腕で目を覆って防ぐ。

 シエルファの斬撃。

 背を、右肩のあたりから袈裟懸けに狙われる。

 身をひねって致命傷を避ける京四郎。しかし浅く斬られ、血が流れた。防具の鎖帷子が弾け、地面にむなしく散った。

 避けた勢いでバランスを崩し、京四郎は地面に倒れた。

 息が荒い。

「無様だな」

 冷たい声で、シエルファは言った。

 対する京四郎。左手に握った玉を空へ投げた。

 どうせまた閃光弾だろう。そう思い、シエルファは視線を地面に向けて腕で目を覆う。

「ふ、ふふふ……」

 ごろりと、仰向けになって。

 京四郎は笑った。シエルファの気を引くために。

 あらかじめプログラムしておいた、TASの動作通りに。

 空に投げた玉が弾けて、内部に充填していたものが闇夜を舞った。雪のように、はらはらと。

 それは三角形に切ったアルミホイルの破片。

「何を狙って――」

 シエルファが、尋ねようとした瞬間。

 天空から赤熱した槍が飛来し、シエルファの腹部を貫いた。

 シエルファの腹を貫いた槍は、衝撃波を撒き散らしながら地面に衝突した。

 その爆風により、京四郎の体が飛ぶ。彼は空中で体をくるりと回転させ、爆風を追い風に彼方へ吹っ飛ばされていった。

 シエルファは槍ではなく、己の腹でもなく、空を見上げた。

 しかし、見えぬ。

 電磁波がアルミホイルによって乱反射し、視界が混乱している。闇夜の中、可視波長を越えた領域は鏡の世界のように上下左右の光景が入り乱れていた。アルミホイルがチャフとして働いているのだ。

 空から、続々と槍が降ってくる。

 形状再生合金製の槍が。

 京四郎はこの戦の二週間前から、山に登り槍を飛ばしていた。飛ばした槍は魔法により鳥に転じ、羽ばたいて高度を伸ばして成層圏を越える距離を旋空していた。

 鳥に変化した槍は、魔力が尽きると共に元の槍の形状へと姿を戻す。

 宇宙と空との中間の高度まで昇った槍は、惑星の重力に引かれて自然落下した。

 落下先は、今、この場所。シエルファのいる場所へ。

 スーパーコンピューターを使って弾道演算を行い、未来予知にて結果を検証して最適な槍投げのタイミングを調べ上げた。それでもブレる微細なタイミングと距離は、TASを使って補正した。武器を失い、逃げる事すらもが、彼の計画の通りだった。

 太刀合わせの際にシエルファの頬に食い込んだカーバイン粉末は、塑性変形した際に天使の血肉と交わりあってある特性を帯びる。

 形状再生合金を引き寄せるという、特性を。

 高度数百キロの距離から飛来する三万本の槍。最終速度はマッハ十を超え、空力加熱により先端温度は千五百度に達する。その貫通力は、核弾頭の爆発を遥かに凌ぐ。

 シエルファが恐怖を感じる暇すらなく。

 衝撃波を伴った槍が、極超音速で彼女に襲い掛かった。



***



 無数の流れ星が降ってくる。

 赤熱した槍は衝撃波と共に光を帯び、戦場を照らしていた。

彼方から、その光景を見つめる視線が六つ。

魔王ベルゼビュート、座天使フェルナンド、そして魔王の娘テレーズである。

『やはりそう来たか』

 と、ベルゼビュート。

『やはり?』

 と、フェルナンド。

『こうなる事をご存知だったのですか?』

『あの槍を用意したのは私だ。それを空に向かって投げるのを見た時に狙いは分かった。おまけにスパコンで複雑な演算をしていたからな』

『狙って落とせるものでしょうか。成層圏の上層まで槍を投げるのはともあれ、落とす際の推進力は重力による自由落下だけでしょう?』

『出来る。準備期間さえ与えれば奴なら出来る。槍を落とすべき座標と時間を予知で確定し、スパコンを使って気象条件もろもろを精査して狙い通りの座標と時間に槍を投げる条件を絞り込む。あとはTASを使って条件どおり寸分たがわぬタイミングで槍を投げればいい』

『曲芸ですね』

『いかさま。私にも真似できん』

『駄目です、あれでは』

 テレーズが口を挟んだ。

『あれでは天使を殺しきれない』

『落ち着け』

『先生が首を斬られます。それでいいのですかお父様は』

『いいわけではないが悪いわけでもない』

『哲学をしている場合ですか!』

『落ち着いて見ろ。すぐに分かる』



***



 槍の衝撃波を受け、京四郎は宙を舞った。

 それも十数秒のこと。

 身体をばたつかせ、重心を巧みに動かして足から地面へと着地する。

 着地の勢いを受けて、粘土質の地肌がべっとりと彼の服についた。場所はシエルファからさほど離れてはいない。最初に斬りあいをした決闘の地だ。

 立ち上がり、歩く。目指すものはすぐに見つかった。

 ねじり切られた彼の左腕だ。泥をかぶり、切断面は赤黒くなった血と埃とが付着していた。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。

 急ぐべからず。

 不自由を常と思えば不足なし。

 心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし」

 京四郎は呪文を唱えた。

 彼が唱えているのは魔法の呪文。古典系の肉体再生呪文である。

 天使のように頑強な肉体、強固な魂、細菌に侵されぬ免疫、膨大な魔力を備えているならば一言の再生呪文で事足りるが、人間の場合はそうはいかぬ。

 消毒、細胞の活性化、神経や腱の接続、骨や血液の自己調達といった多岐にわたるフラグを調整せねばならず、その調整は呪文の長さに反映される。

 戦闘中に、これほど長い呪文を唱える隙はない。

 距離を隔てて、槍が流れ星のように降っている。シエルファが罠にはまり、攻撃を受けているこのタイミングしかない。

「堪忍は無事長久のいしずえ、怒りは敵と思え。

 勝つ事ばかり知りて、負くる事を知らざれば害その身にいたる。

 己を責めて人を責むるな」

 邪魔な泥が右腕から浮き上がり、彼方に落ちる槍の衝撃波の暴風によって残らず飛んでいった。左腕で切断された右腕を抱え、京四郎はなおも呪文を唱える。

「及ばざるは」

 どんっ。と。

 爆発音がした。

 宇宙から落とした槍によるものではない。もっと大きく、派手な爆発だった。

 もし京四郎が平常状態ならば、押さえつけられていた魔力が膨れ上がり大気にほとばしるさまを感じていただろう。

「過ぎたるより」

 かまわず、呪文を唱え続ける京四郎。彼の耳は聞こえていない。

 殺意が迫ってくる。しかしTAS状態の彼には何も感じぬ。目も見えぬ。気配も探れぬ。未来予知から逆算して調べ上げた最善手のプログラム通りにしか彼は動かぬ。

「まされり」

 呪文を唱えきった。

 瞬間。

 京四郎の首が切断された。

「奥義、越影」

ハスキーな女の声。

 一糸まとわぬ姿だった。

 鍛えられた肉体を外気に晒し、金色の髪をたなびかせ、手には小太刀を握っていた。

 ぼとりと、切断された京四郎の首が胴から離れ、地に落ちた。

 シエルファが殺ったのだ。

「く……」

 顔をしかめ、シエルファは両膝をつく。

 魔力を使いすぎた。

 マッハ十を超える速度の槍の集中砲火にさらされ、彼女の身体は肉塊になりかけた。頭、腹、腰、脚、腕、首も含めてあらゆる箇所を貫かれて、一時は死のふちに立たされた。

 しかし、それが京四郎にとっては仇となった。

 決闘の際、シエルファはハンデとして魔力を抑える指輪を指先につけていた。

ひとつで、十分の一。三つで、千分の一。

 けれどもそのくびきは、無数の槍に貫かれて身体が粉々になる過程で開放された。指輪をつけた腕が、彼女の胴体から離れたのだ。

 本来の魔力を取り戻してみれば、極超音速とはいえ直線軌道を走るだけの槍をかわす事は不可能ではなかった。シエルファは、神埼流の皆伝を修めたほどの手馴れである。

 迫りくる槍を避け、弾き、すかし、呪文を唱えて吹き飛ばした。同時に損傷した肉体を再生させながらだ。

 そうして京四郎の姿を探し、見つけると同時に奥義を使い仕留めた。


――これで終わりだ。


 のし掛かる疲労に包まれながら、シエルファは思った。

 アインスの命令通りに京四郎を殺した。後はデスマーチが発動し、報復により自分が死ぬ。それで任務はすべて終わる。

 師である神埼恵那との思い出が、走馬灯のように頭をよぎった。

 厳しい修行の日々や、一緒に任務についた際の日々が。

「?」


――おかしい。


 いつまで経っても死なない。京四郎を殺せばデスマーチが発動するのではないのか。

 気配。

 生身の、人間の気配がする。生きた人間の気配が。

 驚いて顔をあげると、切断された自分の頭を拾い上げる男の姿があった。

 ボウリングのボールのように左手につかまれた頭。それを男は、切断された首の上まで持ち上げて。

 首と首の切断面同士をあわせるように、置いた。

「ここが……、っ」

 血を、ひとつ吐いて。

「ここが急所だった」

 京四郎が、静かに言った。


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