セロハンテープと彼女。
奔埜しおり
セロハンテープと彼女。
「ねえ……」
私は今日も、話しかける。
「ん?」
自分の右肩に乗っている、彼氏の頭に向かって。
「退いて」
「だが断る」
彼はギュッと私にしがみつく。絶対に離れないぞ、という彼なりの意思表示だ。
今が冬なら大歓迎だ。実際去年の冬を学校指定のカーディガンだけで学校生活を乗り越えることができたのは、彼のおかげだと思っている。だけど、残念ながら今は冬じゃない。
爽やかに生い茂る緑。その隙間から強く差し込む太陽の光。
それに付け加えてこの場所に冷房があったら、私だってどれだけ彼が貼りついてきてもなにも言わない。
だが今私たちが歩いている廊下には、冷房なんてあるはずもない。換気をするために開いている窓からは涼しい風の代わりに、鼓膜に直撃してくる蝉の大合唱が入ってきている。
そう、季節は夏なのだ。しかも日本の夏は蒸し暑い。いくら半袖のブラウスに薄手のスカートを履いていると言っても、暑いものは暑いのだ。
「せめて抱きつかないでよ」
「えー。なんで」
彼は気怠げに問う。その声に乗った彼の息が耳に当たり、とてもくすぐったい。
「暑い。邪魔。暑苦しい。あっち行け」
「最後、理由じゃないよね。てか、同じ様な言葉二回言ったよ、君」
「うるさい。耳元でしゃべらないでって何度も言ってるでしょ」
私の言葉に、ふふっと彼が笑う。
「あいかわらず耳弱いよね、ほんと」
「うるさい。黙らないとはたくよ」
「両手ふさがってるのに?」
彼の言葉に私は下唇を噛んだ。私の両腕の中には、次の授業で使う教科書とノート、そして筆箱と下敷きが二人分、挟まっている。片方は私自身の、そしてもう片方は言わずもがな。私に貼りついている彼の分だ。
「……っんとに腹立つ!」
教室で机に突っ伏していた彼をたたき起こしたのは、数分前のこと。なぜか机の上に用意してあった次の授業の教科書たちを、私が親切心で持ち上げたときには、彼は私に抱きついていた。ついさっきまで眠そうに目をこすっていたくせに、その行動は素早くて、私は呆れながらも次の授業で使う教室へと移動するために教室を出たのだ。そして、今に至る。
よく考えてみれば、机の上に次の授業の用意がしてあったのは、私に荷物を持たせるためだったのではないか。それに気が付くと、私はさらに呆れてため息を吐いた。
「あんたってほんともう、なんていうか……。誰かに何かをやってもらうことになれてるよね」
「俺の夢はヒモになることですから」
それはそんなに堂々と言うことなのか。というか、将来の夢がヒモだなんて、切なくないのか。
「それは困る。私は専業主婦になるのが夢なんだけど」
「なら、はやめに子供作ってその子に働いてもらわなきゃね」
「産むお金と養育費はどこから出すのよ。ていうか、子供に頼るな」
「いや、だってお互いの夢を叶えようと思うと、必然的に残された人がそうなるよね」
残されるもなにも、この世にまだ存在していない命に対してよくそんなことを言える。そもそもそういったコトも何もしたことがないのに。
「もしかしてあんたさ。ずっとこうやって私に貼りついて生きてくつもり?」
立ち止まって右側に顔を向ける。きょとんとした表情の彼と目が合った。
「まあ、ずっとこの関係でいられるのなら、そうしてるつもりだけど? ……なんで赤くなるの」
面と向かって言われると、すごく情けないことを言われているはずなのに、胸が音を立てて、私の顔に熱を送る。
「赤くなんか、なってない」
私は咄嗟に前を向いて顔を隠す。よく考えれば、さきほどの会話は結婚することを前提として話していた気がする。結婚を前提に付き合っているわけでもないのに。いや、別れる気はまったくないし、可能な限り長く付き合っていたいし、結婚できるのならしたいとは思っている。が、違う。今はそういう話をしたいんじゃなくて。いや、そういう話も終わったんだけど、そうじゃなくて。
「顔隠したところで、耳赤いから意味ないんだけどね」
「あー、うるさい。そんなに貼りついてるから、セロハンテープって影で言われるのよ」
「そうなんだ?」
「うん」
この間も友人の絵美から、セロハンテープはまだ貼りついているのか、とからかわれたのだ。絵美だけではない。誰がそのあだ名を付けたのかは知らないが、様々な人が、彼のことをセロハンテープと呼んでいる。おそらく、ほとんど私に貼りついているが、授業中などは剥がれていることから、貼って剥がせてまた貼れる、ということでセロハンテープなのだろう。
「瞬間接着剤とかのほうがいいな」
「養生テープくらいにしといてください」
「えー」
「えー、じゃない」
いろいろと話しているうちに、私たちは生物室に着いた。教室の中では冷房がかかっているのだろう。開いたドアからヒンヤリとした気持ちの良い風が流れてきて、私の肌を撫でていく。
「着いたよ、離れて」
「はーい」
ふわっと柔らかな柔軟剤の香りがして、肩が軽くなった。同時に、腕の中にあった荷物を、彼は私の物も一緒に取り上げる。私は驚いて、慌てて彼の背中に手を伸ばした。
「ちょ――」
「お礼に君の机まで持って行ってあげる」
その言葉に私は伸ばした手を、ため息と同時に下ろした。
「そこでお礼をするなら、貼りつかないでよ」
「えー。俺息できなくなっちゃう」
「嘘吐け。授業中は離れてるじゃない。ていうか、付き合う前も離れてたでしょうに」
「その間、俺は窒息しそうになってるの」
「いや、意味わかんないから。人間そんな長い時間息止めてらんないよ」
「だから、そういうこと」
彼の言っている言葉の意味が分からず、私は首を傾げる。彼はそんな私を楽しそうに目を細めて笑う。そのまま自分の机まで歩き始めた。私もその後を追う。
移動教室では出席番号順で並ぶのが決まりになっているので、番号の近い私たちは必然的に隣同士の席になる。どこかの出来過ぎた恋愛話のようだ。
「あんたって貼りついてくる割りには、他のことはしないよね」
席に着きながらふと浮かんだことを私は小声で言う。
「手をつないだのも最初の方だけだし、キスだって一回だけだし……」
彼とは高校一年生の秋から付き合っている。今が高校三年生の夏。つまり私と彼は、一年半付き合っていることになる。一年半付き合っていて、キスが一回というのは流石に少ない、と絵美に言われたのを思い出した。浮気を疑った方がいいとまで言われたが、学校内外問わず、一緒にいる時間はずっと彼は私に貼りついているので、それはないと思う。単純に抱きつくのが好きだからなのか、それとも彼にとっての愛情表現の最高位がこの抱きつく、という行為なのか。そこまで考えて顔を横に向け、私は目を丸くした。
「なんで赤くなってるの」
彼が、机に突っ伏していたのだ。その耳がなんと言っていいのか分からないくらい、とにかく赤い。
「俺もとから肌赤いから」
「私の記憶が正しければ、インドア派だって一目見てすぐ分かるくらい、あんたの肌の色は白かったはずだけど」
「今突発的に俺の元の肌の色が白から赤に変わったんだよ」
それ、なんていう中二病ですか、とは流石に訊かないでおく。
「……もしかして、照れてる?」
ピクリ、と微かだが彼の肩が動く。私はそれを見てニヤリと笑う。
「私としては、貼りついてくるのも、さっき私が言ったことと同じくらい恥ずかしいと思うんだけど?」
「……後ろからなら、顔、見えないでしょ」
くぐもった声に、私はキョトンとする。
「それに君、こっち向くときは絶対それまでしてた動きを止めてから向くから、それまでに赤いのなんとかすれば、大丈夫だし」
そう言われてみれば、後ろからはよく抱きついてくるくせに、前から抱きついてきたことはないな、と思い出した。
「え、じゃあ今まで抱きついたまま顔真っ赤にしてたってこと?」
彼は黙り込む。どうやらその通りらしい。
え、どうしよう、かわいい。
そう思ったときには、私の身体は動いていた。
「……っ!?」
彼が息を飲む音が、私の身体のすぐ下から聞こえる。私は彼の細い身体に回した腕に少しだけ力を入れて、彼の背中に顔を当てる。ふわりと柔軟剤の香りが鼻をくすぐる。初めて触れた彼の背中は、自分よりも大きくて温かい。
「いつもの仕返し」
「……あ、そう……」
よほど驚いたのか、彼の声が少し揺れている気がした。なんとなく私の方が優位に立っている気がして楽しい。今ならなんでも言える気がする。
「あのさ」
「なに……」
まだ真っ赤な彼の耳に私は唇を近づけてささやいた。
「次は私がセロハンテープになるね」
やめて下さいと言う彼の小さな声は、ちょうど鳴ったチャイムの音のせいにして、聞こえなかったことにした。
セロハンテープと彼女。 奔埜しおり @bookmarkhonno
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます