あとがき

ここから下は完全に駄文である。読む必要は全く無い。


私が初めて触ったゲーム、それはポケモンだった。物心ついたときからポケモンスタジアムで遊んでいた。それが1か2だったかは定かではない。

ただ2になってからはミニゲームにのめり込んだのを覚えている。ベロリンガがお寿司を食べるゲーム、コクーンが降ってくる岩に対して「かたくなる」を使うゲーム(当時はルールが理解できなかった)、などなどひたすら遊んでいた。

しかし、本編のソフトは持っていなかった。あれは、兄の誕生日のことだっただろうか。ついに自分の家に「ポケットモンスター銀」がやってきたのである。

もちろん自分のものではないので自由に触ることはできなかった。だが兄のいない間にレポートをせずに遊ぶことをよくやっていた。ポケモンのせいで以降の人生で違うゲームでもセーブのことをレポートと言っていたものだ。

私も自分のソフトが欲しくなり親に何度も頼んだ。すると、ポケモンクリスタルが発売した年のクリスマス、サンタクロースがクリスタルを持ってきてくれたことを覚えている。

自分用のゲームボーイカラーは持っていなかったので、N64でゲームボーイカラーのソフトがプレイできる機能を使ってテレビ画面でプレイしていた。私も自分のゲームボーイカラーが欲しい、とよくねだっていた。

ポケモンクリスタルは殿堂入りするたびにはじめからを選択するなどして、何度も何度も遊んだ。攻略本を親に買ってもらっては何度も読み返し、ハガネールがりゅうのいぶきをわざマシンで覚えないことになっていたが、実は覚えるのだという誤植を発見したりもした。本当に暇さえあれば何度も読んでいたし、攻略本はボロボロになった。

ポケモンスタジアム金銀だってやりこんだ。まあ、ミニゲームがメインだったのだが。ドンファンのレースゲームやポケモンを数えるクイズゲームなど何回やったかもわからない。


そしてその勢いのまま今度はルビーサファイアが発売した。ルビーサファイアのグラフィックを初めて見たときには本当に感動した。こんなに綺麗なグラフィックでポケモンがプレイできるのか、と。

今度はサファイアと自分のゲームボーイアドバンスを買ってもらえたのでまたひたすらプレイした。点字を読むのには苦労したし、カラクリ屋敷の最後の面もなかなかクリアできなかった。そらのはしらのマッハ自転車で途中で止まって下に落ちなければいけないところなど本当に何十回やったかわからない。私は基本的にゲームが下手なのだ。

トクサネシティのロケット打ち上げ30回した後、トクサネシティの白い岩に話しかけるとジラーチやデオキシスが出てくると聞いてトクサネシティに通ったのも昨日のように思い出せる。

エメラルドも買った。当時努力値はおろか、性格すら重要さを理解していなかった私にはフロンティアはなかなか難しかった。ゲームが下手だというのもあって。


この時期は小学生だったということもあって、友達にプロアクションリプレイを借りていくつか改造してしまったことを覚えている。といっても、ふしぎなアメをカンストさせる、くらいの今考えるとかわいいものではあったのだが。


ダイヤモンドパールが発売するころにはネットに情報がいくらでもあったのでそこでついに種族値、個体値、努力値などの存在を知ることになる。当時はたしかワザップに入り浸っていた。振り返っても明らかに眉唾もののサイトなのだが、小学生の自分にとっては情報の倉庫であり魅力的であった。

努力値、個体値、種族値について知った私は、さらにオンライン対戦ができるということも知る。説明書に書いてあった知らない人とフレンドコードを交換するのはやめよう、という文言に後ろめたさを感じながら、初めてポケモンのチャットに入室し、対戦をしたのだ。

そのときのワクワク感はいつまでたっても忘れられないだろう。自分で厳選した個体に、自分で努力値を振って、初めて知らない人と対戦をする。本当にワクワクしたし、私は一生このゲームをプレイするんだろうし、プレイしていたい!と思った。

ただプラチナが発売するころにはそんな感覚にもなれて厳選と育成面倒だな、と思うようになっていた。しかし、まだ育成したポケモンが増えていく喜びと対戦の楽しさを相変わらず感じていたためポケモンは続けていた。なんだかんだいっても楽しかったのだ。まだこの頃はグランブルなどを育成していたただのエンジョイ勢だったが。

ハートゴールドソウルシルバーが発売されるころには周りの雰囲気が変わってきたのもあり、ガチ対戦に参入することにした。真面目に、勝つために考えるポケモンは本当に楽しくて、今までのようにただ闇雲にポケモンを育てているような楽しさ以上の楽しさを感じた。

WCS2010が開催されたのもこの頃である。結果は振るわなかったが、WCS2009とは違って真面目に考えたパーティで出場でき、ここで競技ゲームの楽しさを知ることになる。

ブラックホワイトが発売され、今年もWCS2011頑張ろうと思っていたら、震災によって中止されてしまった。それと同時にリアルの方が忙しくなり、次にポケモンに戻ってくるのは2014年になる。(その間もポケモンのストーリー自体はプレイしていたが。)


何も噂を聞かずにWCS2014に参加し、当たり前のように結果が振るわず、落胆していたが、その後今回述べたような話を聞き、もうポケモンを競技としてプレイするのはやめた方がいいんだろうな、と思った。

もちろんストーリーはプレイしているしポケモン界隈の人間とも仲良くやって行けている。だけど、もううんざりしてしまった。


自分が青春を捧げたポケモンが、こんな不正まみれのふざけた茶番大会になってしまったことも、周りが改造ポケモンを使っているからといって自分も改造ポケモンを使ってしまうその心の弱さも、何もかも嫌だ。

厳選の難易度を下げて、㈱ポケモンがオフライン大会を開催してくれたときにはまたポケモンの競技シーンに戻ってくるのかもしれない。


e-sportsで世間は盛り上がってる。e-sportsもやりたいしポケモンもやりたい。だけどポケモン界隈が、㈱ポケモンがそれを許してくれない。

こんな悲しい思いをしなくちゃいけないなら努力値も個体値も種族値も知らないで、ナマズンを育ててみたり、ゴルダックを育ててみたりしたあの頃に戻りたい。一生エンジョイ勢、カジュアル勢でもいいからポケモンと一緒にこれからの人生生きていきた。

だけど、改造にも手をつけちゃったし、ポケモンを普通にプレイしていてもWCSのことを思ってしまうし、もう元には戻れないかもしれない。

一生ポケモンを純粋な目で見れないままこれから生きていかなきゃいけないのかもしれない。それだけは嫌だ。これまでの20年、銀からだから20年まではいかないか、ポケモンと生きてきたのだからこれからも生きてきたい。

競技シーンから目を背ければいいじゃん、って思うかもしれないけれどそれが出来たらとっくにそうしてる。

周りもみんな競技志向で、そういうコミュニティの中にいて、だけど今さらエンジョイ勢やカジュアル勢の中のコミュニティで新しいポケモンの交友関係を作れるかと言ったら絶対無理だ。

言っちゃなんだけど私にとってポケモンは文字通り人生だ。それくらい大きなウェイトを占めている。なので、大げさだ、なんて思わないで欲しい。



㈱ポケモン、もしくはプレイヤーが今のポケモンの競技シーンを是正することが出来たら、この気持ちも少しは収まるのかな。

ポケモンに出会えて本当によかったよ、だけどポケモンと出会わなければよかったな、なんて思ってる自分も少しは存在してるらしい。

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ゲーム『ポケモン』における競技シーンの腐敗について @yveltal

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