忘れな草 『東ドイツを忘れないで!』

 子どもの頃『忘れな草』という、なんとも弾いてるだけで落ち込むような悲しげなピアノ曲を練習していたことを思い出した。久しぶりにYoutubeで探し出して聞いてみたら、やっぱり暗い。しかしさすがに年を重ねただけあって、そこにしみじみ潜む哀愁や切なさも感じ取れるけれど、やっぱり暗くて気が滅入る。

 この曲はドイツのハインリッヒ・リヒナーという御方の作曲であるらしく、彼はなんとライプツィヒでよく演奏活動をしていたという記録がそこにはあり急に親近感。


 青い小さな可愛らしい小花、忘れな草には悲しい伝説がある。

 ある日、中世ドイツの騎士ルドルフが恋人であるベルタと川辺を歩いていたら、彼女が川岸に可愛らしい青い花を見つけた。愛する恋人のためにとそれを摘みに行ったルドルフは、うっかり足を滑らせて流れの強い川に落ちてしまった。その摘んだ花を岸に投げながら「僕を忘れないで!(Vergiss mein nicht!)」と叫んで流れに消え、ベルタは約束通り彼をずっと忘れず、その花を生涯髪に飾り続けた……って、枯れないの?いや伝説だから枯れないのか。そんな訳で、ドイツ語ではVergissmeinnicht(フェアギースマインニヒト)と呼ばれるこの花。陶磁器などのモチーフなどにもよく使われ、ドイツ人に愛されている花である。


 忘れな草の花言葉はそのまま『私を忘れないで』そして『真実の愛』その他に『友情』や『思い出』というのもある。件のピアノ曲の悲しげなメロディはなかなか秀逸で、花言葉のイメージ通りである。戦争もののサイレント映画あたりの背景に流したら、それはそれは効果的ではないかと思われる。そして、はたと東ドイツの映像にこれを流してみたらどうだろうと思いシミュレーションしてみた。


 『人々に自由のない薄暗く不幸な失われし国』のイメージでもってこの曲を流すと確かにぴったりである。軍隊のパレードに、銃を構える国境警備隊、物資不足の見て取れる店内、廃墟の並ぶ町並み、ピオニールの制服に身を包み式典で歌う子どもたち、反政府デモを囲む軍隊と警察、そして裸で寛ぐ面々……ダメだ、これは入れちゃダメなやつだ。カトリンの写真のような幸せそうなのを数枚入れるくらいなら、不幸な出来事との対比で引き立つからいいけれど、裸のやつだけはダメだ。そこだけどうしても楽園観が強すぎる。


『あの頃はよかった』というカトリンたちの話でシミュレーションをしてみると、イメージだけ見れば日本の結婚式でなぜか必ず上映されるあの新婦の幼少期からのビデオ映像状態となる。子どもたちがプラッテンバウを背に遊ぶ姿、湖で裸で寛ぐ家族、ピオニールのキャンプやレクリエーション、クリスマスや誕生日を祝う嬉しそうな顔。これにはもっとハートウォーミングな、らいおんハートあたりを選曲すべきであり、忘れな草を掛けるとたちまち、結婚式から葬儀用回顧ビデオになる。

 そうか、この暗い暗い忘れな草は、失ったものに強く焦点を当ててしまう。そりゃそうだ「私のことを忘れないで」という歌であるからして。今も失われることなく輝く思い出には、ちっともマッチしない曲なのである。

 

 私が言いたいことはただひとつ、東ドイツの不幸なイメージは間違いなくそこに居た人々ではなく『その反対側にいた人々』によって作られている。そして、悲しみに充ちた忘れな草の曲がぴったりくるように誘導されている感が否めない。忌まわしき、忘れるべき、否定すべき過去として。


 東ドイツを知る世代がいなくなった時、ドイツは完全にひとつになるのかも知れない。そして私とカトリンの世代がその記憶を持つ最後の世代になるのだろう。カトリンの小学生の娘にとって、東ドイツは既に遠い昔の歴史上の出来事である。


 40年間、東ドイツという社会主義国が存在したこと。人々が平和的解決で自由を勝ち取ったこと。もちろん負の遺産も忘れて欲しくない。ベルリンの壁を越えようとして、鉄のカーテンと呼ばれた鉄条網を越えようとして、向こう側にいる家族や友人や恋人の元へ志半ばで辿り着けず、射殺された人々が居たことを。そしてその銃を握っていたのは敵ではなく同胞であったことも。


 でもそれと同時に、東ドイツでの暮らしを大切に思い、その時間を慈しんでいる人たちがいることも忘れて欲しくない。社会主義体制を失敗だったと言い切るのも少し違う。人間の限りない欲望に支配される資本主義社会が成功である、とどれだけの人が胸を張って言えるのか。毎日をお金の心配ばかりで、お金だけに支配されて暮らす現代社会で幸せに心豊かに暮らしている人はどれだけいるのだろうか。社会主義礼賛をする気は毛頭ないけれど、競争社会とは別の所で、協力し合って普通に毎日を楽しく暮らしていた大多数の東ドイツ人がいたことは事実である。


 一方向からの情報で、その国や時代を否定するのは愚かである。そして、そこに暮らす人々の生活は、いつだってカラフルである。カトリンがグレーだと形容した東ドイツの風景も、彼女の写真の中ではカラフルだった。


 東西ドイツ統一からまだ20数年、まだまだ心理的な壁はそこに介在している。40年の爪痕はありつつも、それでも、長きに亘って培ってきたゲルマンの礎はそう簡単に崩れてはいない。大阪人と東京人が文化やキャラクターを異にしても、日本人としての矜持を持つように、ドイツ人の矜持はしっかりと確立されているからこそのこの発展なのだから。


 典型的なドイツ人は西にも東にもいて、休みの日には西へ東へと森を彷徨っているし、南も北も地ビールに舌鼓を打っている。サッカードイツ代表を全力で応援し、そして皆嬉しそうにビーチリゾートで、シュニッツェルを食べている。そうそう来週にはカトリンと寿司を食べに行く約束もある。

 

 あっ、もしすっぽんぽんのチーム全裸を見つけても、そこはご愛嬌で。もしくは一緒に裸になっちゃえばいいじゃない。

 Vergiss DDR nicht! 「東ドイツを忘れないで!」


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裸の東ドイツ おにぎり @pupsi

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