教会へいらっしゃい 『自由になれる場所』
正月には神社に詣で、キリスト教風結婚式では外国人神父(バイト)の前で愛を誓い、クリスマスをケンタッキーフライドチキンで祝い、葬式では仏教に則り文字通りホトケになる。こんなにまで自由で節操のない日本人の宗教観を私はとても気に入っている。
八百万の神々の中に、中国からやってきた仏教の神を招き入れ、ポルトガルからやってきたキリストの神も受け入れてしまうこの寛容さ。なんてことはない、大勢の神様の中の新参神二人、という認識なのが素晴らしい。
私は仏教徒という名の無宗教者であるが、カトリック系列の幼稚園に通い、更に件のガールスカウトがカトリック教会付属だったため、毎週日曜の朝に教会に通っていた。ゆえに旧約聖書に新約聖書を読み物として楽しみつつも、窮地に陥ると南無阿弥陀仏を唱えるという都合の良さを継承している。インドで買ったヒンドゥー教のお気に入り神様ガネーシャも机の上に飾ってあるし、マイロザリオとマイ数珠があると話す私を、絶対的一神教のキリスト教徒やイスラム教徒の友人らが不審に思っていることは承知しているが、そんなフレキシブルさがあれば解決する問題もここヨーロッパでは多いでしょうにと説教めいては嫌な顔をされている。
キリスト教国であるドイツ全土を見ると、カトリック教徒とプロテスタント教徒はほぼ半々の割合であるが、西側ではカトリックが強く、東側ではプロテスタントが主流とこちらも綺麗に分かれている。宗教改革で有名なマルティン・ルターの故郷アイスレーベンそして彼が長きに神学教授を務め、棲家としたヴィッテンベルクは共に東側にあり、そのお膝元である東側を含む北ドイツにはプロテスタント信者が多い。
西側の中でも特に南ドイツでのカトリック勢力は非常に強く、街中でイエスキリストを抱くマリア像をあちこちで見かけるし、祝日や学校行事などもカトリックに則っているので東側とはかなり趣を異にする。ドイツの歴史を鑑みて、そして政治的な場に於いては、押し付けがましいところのあるカトリックの影響は非常に強いと言える。
ここで簡単にカトリックとプロテスタントの違いを述べると、まず教会がやたらと豪奢なのがカトリックでやけに地味なのはプロテスタント。マリア像がありイエスキリストが十字架に磔になったものを飾るのがカトリックで、偶像や聖人を崇拝をしないのがプロテスタント。
カトリック教会の融通の利かなさと拝金主義に反発を覚えたマルティン・ルターが改革を起こして誕生したのがプロテスタントであり、聖書のみを信じるというシンプルでしがらみの少ない近代的なスタイルが特徴である。そして何につけても格式張っていて戒律が多いのがカトリックであり、今でも堂々と「プロテスタントは異端である」と否定し続けている。
さて、正確には、東側はプロテスタント勢力が強いというよりは『強かった』と言うべきかもしれない。実際に一番多いのは無神論者である。私の東側友人は揃いも揃って宗教自体を信じていない。
「クリスマスやイースターは祝うけどね、だって祭りじゃないですか。楽しまにゃ損損」とカトリンを含む皆が頷く。日本の雰囲気クリスマスとそう遠くもない立ち位置であるのが面白い。
まあそうは言ってもキリスト教国であるがゆえ、クリスマスは一年で一番大事な行事であるが、それはあくまで家族が一堂に会する行事として重要なのだそう。もちろん恋人がサンタクロースであることは断じてないし、ついでに言うとクリスマスプレゼントはモミの木の下に置かれるものと決まっている。枕元にプレゼントを置かれたり、死人が立ったりするのは日本独自のルールである。
仏教徒と公言しておきながら聖書を愛読し、聖劇では大天使ガブリエルを演じたこともある私は、当然カトリンよりもキリスト教を理解しており、あーだこーだ薀蓄を垂れる私は隠れキリシタンであると認識されているようだ。
東ドイツ時代の教会は『疎ましきもの』として扱われていた。宗教は社会主義体制に於いて否定的な存在となり、建国当時はプロテスタント信者の多かった東ドイツだったが、信者の数は見る間に減少していった。というのも、教会関係者や信者は進学や就職で公然と不利に立たされる破目になったからである。ただでさえ面倒な社会主義体制の中でわざわざ自分の可能性を更に狭める理由もないと人々は判断を下した。
しかしいくら東ドイツ政府といえども、教会や信教の自由を侵すことはできなかったので、地味に嫌がらせをしてその存在を否定するのが関の山だった。予算も回さず、社会的にもどこにも属させず。さすれば教会は自然に衰退していくであろうと踏んでいた東ドイツ政府は大変な誤算をしていた。
聖域である教会内は基本的に政府からアンタッチャブルな位置にあることを理由として、不満を持つ人々が自主的に集まる場所へと変化してゆく。そしてここから実に多くの活動や運動が生まれることとなった。教会を隠れ蓑にして、人々はここで信者であるなしに拘わらず自由に意見交換をし、いつしか反体制派のアジトとなったのだ。東ドイツへの不満を包み隠さず、反国家を掲げた運動が秘密裏にしかし着実に組織されていくことになった。
ライプツィヒにある聖ニコライ教会というルター派プロテスタントの教会で、毎週月曜に開催されていた『平和の祈り』という集会が、いつの間にか反政府運動としての頭角を現しどんどん膨れ上がっていた。ライプツィヒには新しい風を好む気概があると今でも言われているだけあり、ここからベルリンの壁崩壊へのカウントダウンが始まることになる。
同じ社会主義国のハンガリーが西側との国境を開放したことや、天安門事件での暴虐極まりない中国政府の対応を東ドイツ政府が支持したことで、いよいよ東ドイツ国民の緊張は高まっていた。
ベルリンの壁崩壊の二ヶ月前からは、平和の祈りの集会後に『月曜デモ』と呼ばれる教会外でのデモ活動までもが始まり、その参加者の数はどんどん膨らんでいくばかりで、東ドイツ政府は躍起になって軍隊や警察を配備し鎮圧に備えた。銃器を使用するという政府の脅しにも屈することなく、ついにデモに参加する人々は7万人にまで達し「我々こそが(主権者である)国民だ!(Wir sind das Volk!)」とシュプレヒコールを上げながら、民主化、そして西側諸国へ自由に出る権利を叫んだ。そして非暴力と平和を訴える市民の切実な声と無抵抗な姿勢に、配備されていた軍隊や警察までもが心を動かされ、ついぞ銃の引き金が引かれることはなかった。
このライプツィヒでの平和デモが呼び水となり、東ドイツ全土で反体制デモが頻発した。その後の顛末はご存じの通り、声を張り上げる国民を鎮めようと絞り出した新案に、報道官シャボウスキーが盛大なアレンジを加え、突然ベルリンの壁が崩壊する。それは完全なる非暴力による、平和革命であった。
でもここで一点、本当に東ドイツ国民は『まったく』西ドイツを含む外国へは行けなかったのかというと、厳密にはそうではない。音楽家やスポーツ選手はたえず外国へと出ていたし、留学制度だって存在した。ただそれがとんでもない狭き門であるだけで。たとえば西側に居る家族の大事な行事などがあると申請すれば、時間と労力は掛かかれど西への旅行は許されることもあったのだ。
そればかりか、国際協定に基づき、申請をすれば『合法的に』東ドイツから西ドイツへの亡命もできたのである。時間は掛かったし、仕事のポジションを奪われたり、周りから差別されたりはしても、辛抱強く待てば亡命のチャンスはあった。壁や鉄条網を射殺の恐怖に怯えながら越えなくても、東西間に地下トンネルを掘らなくても、海や川を泳いで渡らなくても、長く待ちさえすれば亡命できたのである。
それでも衝動的に追い詰められて行動を起こす人が絶たなかったのは、すぐそこに見えている自由の国、すぐそこさえ越えれば会いたい人に会えるのに、というフラストレーションであったと思う。そして統計によると無理強いして国境越えを決行した多くが若い男性だったとしている。若さゆえの暴発であったとも言えるし、その気持ちは痛いほどに理解できる。
この聖ニコライ教会はライプツィヒの中心に位置する清涼感のある美しい教会である。そして今でも毎週月曜日には『平和の祈り』のミサが行われている。この教会は平和と自由の象徴として、ライプツィヒ市民及び旧東ドイツ国民にこよなく愛されている。もちろん彼らがプロテスタント信者か否かは置いておいて。
マルティン・ルターがせっせと聖書を編纂したり、教鞭を取ったりと活躍した地であり、しかもそれを観光資源にしてあちこちに名を冠しておきながら、実はプロテスタント信者が少なくなってしまった東側は、現在も『絶賛布教対象地』であるらしい。しかし教会というのは一旦離れると戻るのが難しいようで、これは代々親が信者であるゆえの信者という世襲制のような節がある。小さい頃からその存在を感じながら暮らしていればこそ自然と馴染んでいるのが宗教的教えであり、聖書を『よくできたお伽噺』と感じ、神による天地創造を大槻教授ばりにせせら笑ってしまう年齢に達する前に叩き込む必要がある。
伸び悩む布教活動であるようだが、私はその最大の理由を知っている。ずばり『教会税』の存在である。ドイツでは統一後、キリスト教信者のプロテスタント・カトリックを問わず、月々そこそこの金額の税金を巻き上げているのである。
よし、教会のお陰で再統一を果たしたのだからプロテスタントになろう!と意気揚々だった東側の人々を挫いたのは、なんてことはない『教会税』の存在かと思われる。忘れることなかれ、ドイツ人のケチっぷりを。しかも聞くところによると、東ドイツ時代は無料で信者だったのに!と統一後に脱会した人々も少なくなかったという。なんと罰当たりな。
これ、タダにしたら皆戻るんじゃないかな、ルターさん。
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