ガイジンはお好きですか 『外国人問題』

 ライプツィヒで暮らしていた家の斜め前がベトナム人経営の中華料理屋で、その更に斜めがベトナム系青果店、そして次の区画にもベトナム女性が営む花屋や雑貨屋などがあった。皆にこにこフレンドリーで、いつも何かしらおまけしてくれて、飴ちゃんだのフォーチュンクッキーだのを「娘さんにあげてよ」と握らされた。娘がついてくるとまるで親戚のおじちゃんおばちゃんのように目尻を下げ、それはそれは盛大にかわいがってくれて、恐縮しつつもいつも胸が温かくなった。


 私の知るところでは、ライプツィヒやハレの個人青果店、そして東側に存在する中華、日本料理(寿司)店の多くはベトナム人経営である。彼らは社会主義国同士の縁で、契約労働者として東ドイツにやってきてここに根を下ろした。家族を呼び寄せコミュニティはどんどん広がり、そして現在も東側に於いて一番多い外国人グループとなっている。


 同じアジア系といえど、結局共通言語はドイツ語しかないのだけれど、お互いに妙な安心感があるのが面白いところで、ドイツ人客にはそれなりの対応なのに比べ、私には個人的な質問をどんどんぶつけたりと距離感が近く、なぜかそこはぐいぐいベトナムルールが適用されていた。

 初見のベトナム人には最初に必ず「中国人か?」と聞かれる。そこで日本人だと答えると相好を崩す。ベトナム人と中国人は相容れないのだと大真面目に教えてくれたおじさんは中華料理店を経営しているが、それとこれとはまた別らしい。


  敗戦後、大幅に減った労働力の補填に、西ドイツではガストアルバイターと呼ばれる外国人労働者を大量に募り、その中でも一番多かったのはトルコ人だった。ガスト(客員)アルバイター(労働者)であるからして、一時期仕事をしたら国に帰るのを前提としたシステムだったのだが、彼らも国に帰らずにドイツ残留を決めたことで、今もその数はドイツ全土で一番である。そんな訳で、今でも西側にはトルコ人が多く、東側にはベトナム人が多く暮らしている。


 この二つのエスニックグループはどちらも『トルコ人だけ』『ベトナム人だけ』のコミュニティを発展させている。ベトナム人だけで形成された独自の流通システムが存在し、小売青果業やアジア系飲食業の拡大などが見られる。ベトナム人の握る寿司は、日本の頑固一徹な職人さんには許し難いかも知れないが、私はそう悪くないと思っている。少なくともドイツ人にやらせてはいけない作業のひとつである。

 対するトルコ人も飲食業に強く、彼らが持ち込んだドゥナーケバブというパンに肉や野菜を挟んだサンドイッチはいつのまにやらドイツ人のソウルフード化している。まあトルコ人に言わせればこれはドイツナイズされたトルコ料理であり、本場には存在しないと口を揃えるのだが、何はともあれ、食に関してはいろいろと残念なドイツに於いて絶対的な地位を築いている。いち外国人の私としては、このベトナムやトルコの皆様の尽力なしにドイツ生活を送ることはできなかったであろうと、心から感謝の意を表したい。毎日ドイツ料理などもう新手の拷問としか思えない。いや美味しいものもあることはある。ただ毎日だと胃が悲鳴をあげてしまうし、塩分で干からびてしまう。


 この二大勢力、トルコとベトナムの最大の差は教育問題である。アジア系の勤勉さは既に世界中の知れるところであり、例に漏れずベトナム人の親たちは子どもたちに学業を奨励するので、大学進学を目的とした高等学校ギムナジウム、そして大学に通うベトナム人は多い。しかし、トルコ人にはそういった考えは少ないようで、早く学校を卒業して家族経営の店を手伝わせることの方が大事なので、大学などの高等教育機関とは縁がないことが多い。学業に重きを置かないこともあり、ドイツ生まれドイツ育ちなのにドイツ語が不自由なトルコ系住民は多く、それがますますドイツ社会と隔絶する大きな原因となっている。


 圧倒的な数を誇るドイツの中のトルコ人社会は、常に社会問題のトップに立たされてきた。ドイツ・トルコ両国の誘致でトルコ人を国に戻そうというプロジェクトもあったが、社会保障の手厚さや自国よりも裕福な暮らしができる権利を手放したくない彼らはドイツ残留を希望した。どんどん膨れ上がる在独トルコ人への社会保障費がドイツ経済を圧迫し始め、これがネオナチによるドイツ血統以外の排斥運動を起こし、宗教そして文化を異にするドイツ人VSトルコ人の対立は今も続いている。


 同じくガイジンである私の立場から見ると、ドイツ人の言い分もよく解る。うちで暮らしていくのなら我が家のルールに則って頂戴よというのは、ごく当然の理である。郷に入れば郷に従うのは日本人の私にはそう難しくないことだけれど、トルコ人は頑なに文化の壁を破らないばかりか、彼らのルールを認識しないドイツに腹を立てている。ここに面倒な宗教や文化の差異が介在しているゆえに、両者一歩も引かないのである。イスラム教とキリスト教の相容れなさは、仏教徒という名の無宗教な日本人の私には理解の範疇を越えている。


 だがそれと同時に、ドイツ人の『我々ルール』の厳しさも少し鼻につくところがある。そもそもにドイツ人の基本性格である『己も他人も厳しく律する』ところが他国にも通用するわけではない。たとえばまだ記憶に新しい、ギリシャの債務問題。EUの優等生ドイツが「うちみたいにやれないからそんなザマなのよ」とばかりに意地悪にギリシャに借金返済を迫る姿は、いじめっ子そのものであった。

 

 そもそもにドイツがここまで経済大国に返り咲いたのはひとえにEUのお陰である。東西ドイツ統一にあたり、ほぼ経済破綻していた東ドイツを迎え入れる西ドイツを心配したヨーロッパ諸国により誕生したEUという枠が、ドイツ救済のために尽力したことで統一ドイツを成長国に押し上げた。その恩を知ってか知らずか、そのせいで貧乏になった南ヨーロッパの国々に対し「自分たちは優秀だから、自分たちに続きなはれ」と偉そうにしているのが実情である。そりゃギリシャも怒るに決まっている。まあ自分たちの管理能力のなさが最大の理由だとしても。そんなこんなで最近話題のBrexit、イギリスが「やってられっか!」とEU脱退したがるのも、ドイツの独りよがりな独り勝ちが腹に据えかねたのもある。ドイツがヨーロッパで嫌われ者の地位を獲得してしまうにはそれなりの背景があるのだ。


 そんな訳で、押し付けがましいドイツ人に拒絶反応を持つトルコ人の気持ちも解らないでもない。ドイツ政府ははじめトルコ人の帰国を促す政策を取り、それが効かないことに気付いてからは、ドイツ人との同一化を図る政策を打ち出した。ドイツに入ればドイツに従えと、文化的な抑圧も発生し、ますますトルコ人の反独感情に火をつけてしまった。もうこうなればうまくいく理由が1ミリも見当たらない。


 しかし、ドイツ人が差別的であるかと問われると、私はそうは思わない。そればかりか、外国の文化に対して寛容な方であると思っている。一部のネオナチなどを除いて、基本的にドイツ人は差別主義者にならぬよう細心の注意を払っているとも言える。それはかつての負の遺産、ナチス時代のユダヤ人差別による大量虐殺に遡る。過去の過ちを繰り返しませんという自戒と、学校教育で繰り返し植えつけられる「人種差別はいけません」の念により、必要以上に人種差別に敏感でもある。


 ドイツ人が心から堂々と自国の国旗を掲げられるようになったのは2006年にドイツで行われたサッカーワールドカップからであると言われている。開催国が自国となると、必然的に国のシンボルである国旗を多用することになる。各国から集まったファンたちに交じり、ドイツ人も思う存分にドイツ国旗を掲げ、顔にペイントを施し、それが国旗との距離をどんどん縮めていった。それまで、ドイツ人には国旗の多用=国粋主義というイメージが強く、堂々と掲げれば右翼認定されるという扱いであった。それくらい、戦後のドイツ人は過敏になっていたのだ。最近ではその呪縛にも放たれ、皆が堂々とドイツ国旗を使用していて、ようやく長きに亘ったトラウマにも終止符が打たれたように見える。


 ドイツに居住する者の約20%が外国人であるという統計を見た。アメリカやカナダなどの多民族国家に比べれば少ない割合ではあるが、日本に比べれば圧倒的に外国人率は高い。暮らす場所にもよるけれど、外国人はやはりマイノリティであることは常で、特に私の暮らすハレは決してインターナショナルな土地ではないゆえに、私が娘と日本語を話していると、周りの子どもたちがぽかーんと口を開けるのは日常である。アジア人の容姿であるからして「ニーハオ」とわざわざ挨拶されることもあるが、これは往々にして人種差別の一環で、これを言う人間の層は大体決まって外国人排斥の傾向がある。アジア人を見つけて嬉しくなってニーハオすることは滅多にないと断言してもいい。そこには必ず侮蔑が含まれている。そうでなきゃ、そもそもそんなフレンドリーさを発揮しないドイツ人がわざわざ『外国語』で挨拶する理由が見当たらない。


 アジア人が少し馬鹿にされるのは白人マジョリティの国ではどこでもそうで、ハリウッド映画などを観れば一目瞭然、アジア人は常に真面目な堅物か虐められっこか、女性ならセクシー要員である。ステレオタイプとはいえいい加減飽き飽きする。

 目をびーっと横に引っ張って「ほら日本人」と嬉しそうに、しかも大の大人がしてしまうのだから救いようがない。どうした差別主義になるのを恐れているはずのドイツ人よ。「それ嫌なんだけど」と告げると「でも身体的特徴でしょ」と悪びれずに返ってくる。「それじゃあ顔を黒く塗ってほーら黒人ってやるのはどうだろう」と問うと、それは……となり、自分が無意識に差別的表現をしていたことにようやく気付く。本当に悪意なくやってのけるのである。これを何度繰り返したことか。


 日本語を話しているとチンチャンチョンと明らかに中華な音に変換しつつ真似られたり、突然拝まれてこちらも地蔵然としてしまうこともある。基本的にこういう行動は無知で無鉄砲な人々のものなのであるが、正直疲れる。

 ルールには万遍なく則るドイツ人だからこそ、差別主義者とならぬよう皆それを遵守していることを、ガイジンの私はよーく知っている。しかし、隠しきれない差別感情が顔を出す瞬間も知っている。差別の存在しない社会など存在しないのだから、それをどうこう言うつもりは一切ない。きっと私もどこかで何かを知らずの内に差別しているのだろうし。そうだ、私はドイツ料理とドイツ人の舌を差別しているではないか。お互い様である。


 過去の過ちを盛大に反省するドイツ人が、どうぞどうぞ私たちが助けますからとイスラム圏からの難民をどんどん受け入れて収拾がつかなくなっている。EUの難民協定によりいっぱいいっぱいになったイギリスがBrexitした最大の理由こそが、この溢れかえる難民とその後の文化摩擦及び治安の悪化である。ヨーロッパではフランスやイギリスなどが既に難民移民が飽和状態で、国自体が右傾化するほどに深刻である。例に漏れずドイツもぐんぐん右傾化している。


 東側の大都市ドレスデンでは、数年前から不穏な運動が高まっている。その名もPEGIDA(ペギーダ)Patriorische Europäer gegen die Islamisierung des Abendlands欧州イスラム化に反対する愛国的ヨーロッパ人の略である。

 このPEGIDAの恐ろしいのは、その集会に参加する人々がいかにもな右翼ではなく、一般市民であるところだ。東側には大きなトルコ人社会もなければ、西側に比べればイスラム圏からの移民も難民も少ないのだが、東西統一後の混乱でネオナチ化する者の増えた東側の土壌が『イスラム化を未然に防ぐ』ためにと悪い方に作用した。

 ちなみにこのPEGIDAは、ドレスデン生まれだがドイツ全土に波及しており、ライプツィヒバージョンであるLEGIDA(レギーダ)というのも存在する。しかし、ライプツィヒに関して言えば『反LEGIDA勢力』は、もっともっと強い。大規模な反LEGIDAデモも行われ、私の友人も何人か参加したと鼻息荒く教えてくれた。曰くライプツィヒはカラフルにどんな人間も受け入れるというのがスローガンらしい。

 難民支援に走る知り合いもいる、近所のあちこちには「外国人は出ていけ」というステッカーと「難民歓迎」のステッカーが入り乱れている。


 いつだったか、青果店を営むベトナム人のおじさんがレジを打ちながら客であるドイツ人のお婆さんと会話をしているのを聞いた。「あなたの国と比べてドイツは住みやすいでしょう?」と聞かれたおじさんは「ここは綺麗な人がたくさんいるからいいよー、あなたみたいな」とうまいこと返していて、そういうのに慣れていないドイツの老婆を喜ばせていた。

 ドイツ人は絶対的に自国に自信を持っている。とてもよいことだけれど、自分たちが優秀であるという自負を隠すことがない。私もよくこの質問を投げかけられる。こんな素敵な国に暮らせて幸せでしょう?というトーンで。そしてムキになって日本が如何に素晴らしいかをとくとくと語ってしまう私は悲しいほど負けず嫌いである。

 外国に長く暮らすというのは、おじさんのようなしなやかさこそが必要なのだな、といつも調子のいいことばかり言っている彼を少し尊敬した。柔よく剛を制す、と。剛に入れば柔に従え。なるほど。

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