片耳少女と闇ノ聲

久崎マミ

第1話

聞こえない。

友達といつも通りに、楽しいお喋りをしていただけだった。ファミリーレストラン内に流れる音楽が、よく聞き取れない気がした。

最初、何がおきたのか分からず持っていたフォークを落としそうになった。食べかけのたらこスパゲティが急に味気ないものに感じた。

(え、嘘。私だけおかしい? なにこれ……)

 もう一度友達の声に耳を傾けてみた。けど左耳が聞こえない。

 笑いあう凛と遥香。ぎこちない笑みを浮かべる私。

言葉にできない恐怖に私は、耐え切れずその場で震えた。心配する2人が視界の隅で揺れる。

 意識が遠のく前に自分が叫んでいる事に気が付いた。右耳で聞く私の悲鳴。

高校1年生の秋、その日から私の左耳は二度と音を聞く事はなかった。

               ◆

「やっと、終わった」疲れ切った声が部室に響いた。

 教室の掛け時計を見上げると6時半。

 担任の先生に頼まれた資料と課題をこなすだけで2時間近くも経ってしまったみたいだ。

 どうりで肩がこる訳ね。

「お疲れ様」

 落ち着いた男性の声が右から聞こえてきた。補聴器をつけているがやっぱり少し聞き取りにくい。

 体全体を机から声の主に向けた。

「西矢先輩もお疲れ様です。もう終わりましたか、それ」

 人差し指でさした場所には、イーゼルに立て掛けられたスケッチブックが置いてあった。縦から横になった以外は何も変わっていなかった。

気になるのは、消しゴムのカスや食べかけの食パンぐらいかな。未だに絵を描く時になぜ食パンを使うのか知らない。

「あと少しだよ。廿原つづはらさんより先に終わりたかったけど僕には、無理そうだ。中々、イメージ通りいかなくって」

 苦笑いした西矢先輩は、寝癖のついた黒髪をなでつけた。制服のブレザーを脱いで汚れないようにしたエプロンが凄く似合っているのを密かに目に焼き付けた。

若干、ツリ目な所が猫みたいで個人的に好きな部分。だてメガネが凛々しい。

更に名前を呼ばれると耳が熱くなってきそう。

 手元をよく見ると手の甲に絵の具が色鮮やかに付いていた。

 夢中になると手が汚れる事に気がつかないのかもしれない。

「ジャンルが違いますよ」まとめたプリントをホッチキスでとめた。

「そうだね」筆を迷いなく走らせながら喋りかける先輩。

 帰宅部が多い私の学校では、少数の部活は強制的に合併されてしまう。

 高校生になってからそのシステムが使われるのは、初めてだった。

私の部活は天文部。西矢先輩の部活は美術部。

ここには、いないが幼馴染の後輩も部活が違う。

会った事はないが幽霊部員が2人いるはず。入部届けを顧問から部長に渡されたきり見た事がない。

 統一性のない部活が集まるため名前が決められていない。

 呼ぶ時に困るため勝手に私たちは、部と呼んでいる。

適当に名前を付け合わせただけなので雑な雰囲気が滲み出てしまっている。部室は、共有して使うため広くはない空き教室があてがわれた。

条件つきで。綺麗に扱い騒がない事。小学生か。

 ふっと幼馴染の事が気になって携帯を取り出した。メールで当たり障りのない言葉で聞いたがまだ返事が返ってきていなかった。

恵斗けいとじゃなくて山中くんを見かけませんでしたか?」つい癖で幼馴染を呼びすてにするのを誤魔化した。流石に先輩の前では、言いづらい。

「いいや、見ていないね」

 こちらに見向きもしないで口だけを動かす時は、西矢先輩の邪魔にならないように努力している。

絵に集中している姿を写メにおさめたいのだが我慢して帰る準備をした。

「そうですか。きっと何処かで買い食いしてそうですよ。山中くんの場合」嘆息して嫌味をこめて言ってみた。

「あぁそれは、言えているね。彼らしいよ」褒め方が意味深すぎる。

「甘やかしてどうするんですか。もっと厳しく言わないと付け上がります」

 猫がプリントされたクリアファイルと筆記用具などをカバンに詰め込む。入りきらない分は、部室に置いておく。

 たまに顧問に怒られるけど気にしない。

「もう帰るの?」お茶の入ったペットボトルに口をつけていた。

「あ、はい。親がさっさと帰って来なさいって言うんで」

 部室の出口にそそくさと移動した。

「ちょっと待って、廿原さん。渡したい物がある」ポケットを手探りしながら近づいてくる先輩。

(えっ。まさか……)

「何ですか? 渡したい物って」期待が見え隠れするのを顔に出さず長く伸ばした茶髪を耳にかけた。

「大した物じゃないけど、たしかモネが好きだったよね」

「大好きです」覚えていてくれたんですね。

「良かった。もうすぐ近くの美術館で展覧会が始まるらしい。そのチケットを友人から貰ってしまったのは良いけど……。バイトが忙しいからいけないし勿体無いと思って」

(分かっていました。嬉しさ半分悲しさ半分)

「本当ですか。凄く嬉しいです。有り難うございます」出来れば一緒に行きたいとは、言えない自分がヘタレすぎる。

 モネの絵がデザインされたチケットを受け取った。それを丁寧に財布の中にしまった。

 チケットは、微かにしわくちゃになっていた。

 お年寄りのひび割れた指のように見えた。

「いえいえ、どう致しまして」笑顔が営業スマイルだと疑いそうになった。

「じゃあ、私帰りますね」

 手をふって部室を後にすると、西矢先輩は作業に戻っていた。だがいつ頃帰るかは実を言うと私は知らないでいる。

 リノリウムの廊下を歩く足音が小刻みにリズムを刻んでゆく。

 放課後過ぎの学校は、普通に怖い。

 蛍光灯の明かりがなかったら身動きが出来ないほど夜の学校は苦手だ。

暗闇に人の気配さえ感じさせない静寂が私を包み込む。

 それに今日は、吐く息が白いほど寒い。

 震える指をブレザーのポケットに押し込んだ。暖かさを求めるために。

(カイロとか持ってくるべきだった)

 足早になるのを堪え下駄箱に向かった。本当は、職員室に用事があったがこの時間帯じゃ先生は殆どいないだろうし。

 自分の下駄箱に着いた私は、靴を履き終えた。寒いと動作が早くなる。

下駄箱を閉じた瞬間に視界が暖かい両手で塞がれた。

「誰だ? 正解したら」喋りかけの言葉を遮って口を開いた。また白い息が空中に漂ってきそうだ。

「バカ恵斗。たまに変態になる幼馴染」

「おい、ちょっと待って。もろ悪口じゃねぇか」

「そのつもりで言ったのよ。てか、今まで何処にいたの?」

 隣に並ぶ恵斗は、私の背を余裕で追い越して男らしくなってしまった。

 小学生や中学生の頃は、よくいじめられて泣き虫だったけどこれは恵斗のせいじゃない。

私のせいだ。

 私をいじめ側がら守ったせいで巻き添えを食ったのだ。シンプルな理由だからこそいじめは続いた。

 私ではなく恵斗のみで。悪質ないじめを味わってどうする事も出来なかった。

赤毛の髪に隠れる傷跡は、恵斗の過去が深い証拠だ。

 運動部に所属していないのに恵斗の体格はしっかりと筋肉質らしい。と先輩から教えてもらった事がある。大方、モテタいために陰で筋トレでもしていると思う。

「俺、バイト始めた」簡素に言う顔は無表情なため、言葉に込められた想いを読み取る事が難しかった。

「えっ? 恵斗ってバイトなんかしていたっけ?」

「昨日から」

 唐突なカミングアウトに私は、反応に困って声が裏返った。

 歩く速度が無意識に遅くなる。

「驚きすぎだろう。高校生なら当たり前じゃないか」

 先を歩く恵斗が立ち止まる。

 恵斗は、何も言わず待っていてくれた。遅れないように小走りで駆け寄った。

「そうだけど。私には、話すと思って」

こういうのをエゴだと言われそう。

「言おうと思っていたらいつの間にか忘れていた」

「やっぱり」

変な所で大雑把な一面がある。昔とちっとも変わっていない事に少し安堵した。

「それで何のバイトよ。時給とかいい方?」

「ごめん、バイト先で口止めされているから教えられない」複雑そうな顔で目を背ける。

 嘘をついている時の癖を見逃さないようにした。

「……」

(教えられないってどうゆう事。口の軽い幼馴染が約束を守る事は、珍しい。そんなバイトをして大丈夫なの)

「危なくないの? せめて何処でやっているのか教えなさいよ」

 つい考え事をすると無言になってしまう癖を隠そうと口調が早口になってしまった。

「まぁまぁ、細かい事は気にするなよ。おっ。コンビニで買い食いしようぜ。由雫ゆな

 私の問いかけはあっさりと無視されてしまった。

 出ました。現代人のスルースキル。こうなってしまうと何がおきても本当に教えてくれないのだ。

(言えない事だと、逆に気になるし。ずっと隠し続けるのは難しい。いつか分かるといいけど)

「何、食おうかな」コンビニの自動ドアをくぐる恵斗の後ろについて行きながら私も何を食べようか考え始めたのだった。

 たまにはスナック菓子でも食べてみようっと。暖かいココアも飲みたくなってきた。

                 ◆

 帰宅ラッシュを過ぎた時間帯の駅は、人通りが少ない。駅を照らす明かりは眩しいほどに輝いていた。

 その光は誰を照らすでもなく、電気の無駄遣いのように僕には見えた。

駅近くにある花壇に腰を掛けていた少年が立ち上がった。

 いつから少年は、そこにいたのかは分からない。

(夜になると一段と寒くなるな。そろそろ時間か)

着込んだ服を上手くすり抜けて凍てつく風が容赦なく入り込む。文句を言わず僕は我慢した。腕時計の針が22時半を指していた。

人気ひとけのない道を眺め、凍える寒さに耐え忍ぶかのように駅へと足を運んだ。

 迷わず駅のコインロッカーに向かった。

 指定された場所を間違えてはいないはずだ。凡ミスをする程、マヌケではない。ミスをしたら仕事が減るだけだ。

 それだけは、避けなくてはいけない。

(前々から思っていたが、効率の悪いやり方だよな。これ)

事前に渡された鍵で1019のコインロッカーを開けた。中には、黒色のボストンバッグが無造作に置いてある以外何もなかった。

 閉められたチャックを開け、中身を確認した。透明なクリアファイルと1丁の拳銃。あと、サバイバルナイフに銃の弾。手榴弾が数個。

「はぁ。相変わらず武器が少ない」

 雇われた身としては、何とも言えないが物足りない。経費の関係で無理とは分かっているのにため息がこぼれる。

 ボストンバッグを背負いロッカーを閉めた。大きな音をたてて閉まるコインロッカーは、大嫌いだ。

鍵を忘れない様にポケットへ適当に押し込んだ。

(早めに帰らないとルロの奴、うるさいからな)

 あ、晩ごはんを買うのを忘れるところだった。方向転換し急いでスーパーに向かった。

 自転車かバイクに乗りたい。金がないから言っても仕方がない。

スニーカーで凸凹の道路を歩く足音が夜道に反響する。静かな住宅街から優しい灯りたちがもれて僕を嘲笑う。

(両親が亡くなってから、どのくらい経ったんだろう。まぁ気にしても仕方がない)

 いてもいなくても僕の人生は、止まらない。

 寒さで掛けていたメガネが冷たい。外そうかな。でも外してしまったら見たくない物が見えてしまう。

 見えてきたスーパーに足早に入った。

店内は、程よく暖房が効いていて冷え切った体が体温を取り戻していく。

 買い物カゴに大量のカフェオーレをいれると菓子パンコーナーに移動した。安い物だけ選ぶ所が主婦みたいだ。

 冷蔵庫にない食品を入れているつもりでもルロが言うには、変人らしい。

どこが変人なのか僕には理解できない。

 22時過ぎのスーパーには、大勢の客がレジに並んでいる。

「この時間に営業しているスーパーは少ないから、助かるな」

 買い物カゴが他の客に当たらないように避けて通った。

 ふっとよそ見をした隙に誰かの肩にぶつかってしまった。

「すいません」即座に謝り相手の機嫌を伺った。その拍子にメガネがズレていたのか奴らの姿がハッキリと見えてしまった。

「いや、こちらこそすまないね」相手は、物腰柔らかそうな男性だった。30代過ぎぐらいと予想した。仕事疲れでスーツがよれて、身だしなみが乱れていた。

 男性の顔よりも僕の目は、肩しか見ていなかった。

 靄と似た感じで、黒と紫色をした頭が三つある蛇が何食わぬ顔でとぐろを巻いていた。

(しまったな。油断したかもしれない。まだ小物で良かった)

 小物は、こちらを覗き込む形で長い舌を猛アピールするのに夢中みたいだ。メガネを元の位置に戻すと何も見えなくなった。

 男性は会釈をした後、僕を残して去っていった。

 一瞬の出来事でも僕の心に気持ち悪さが残る。重い足取りでスーパー内を歩くが疲れ切っていた。

 奴らの存在は、ごく一部の人間しか知らない。日常に溶け込む奴らの餌は人間の心だ。

 名前は、あるけど僕的には、奴らの方が言いやすい。

 晩ごはんを買う気力がなくなりレジに向かった。

 忙しさに辟易しているのか店員さんが迷惑そうに会計をする。お金を払い、持ってきたエコバックに品物を入れた。

 カフェオーレを飲み過ぎて糖尿病になる可能性があるな。

 家までの道のりは何も考えずひたすら足を進めた。

「ただいま」西矢という表札を貼り付けた玄関扉を開け放って呟いた。

「帰ったのか。遅いぞ、悠駁ゆうま

「悪かったな」

 いつも通りにルロのおっさん声が出迎えてくれた。

 キッチンに向かいながらルロの姿を探した。

「面白い番組がないな」

 こたつの上のハリネズミが呟いた。

 ハリネズミが器用にリモコンを操作しているなどと友達に話しても、信じる者は誰一人としていないだろう。

「ルロ、ご飯食べたのか」冷蔵庫に買ってきた物を詰め終えた。

「一応食ったぞ」

 ルロがテレビのチャンネルを入れ替えしている。

 つまらない番組が多いとルロはいつもザッピングを始める。

「先に風呂に入ってから、仕事の話をするから宜しく」

「おぅ。分かっている」テレビの光が目に痛い。

 ボストンバッグをソファに投げて、制服のネクタイをゆるめた。

 僕のルールで仕事前に風呂に入るのが習慣になってしまっている。リラックスした状態で話すとうまくいく。

 風呂場に足を運ぶと、既に浴槽に湯がスタンバイ していた。

「気が利くな、ルロの奴」

 熱いシャワーを頭から浴びる。風呂場全体に湯気がたちこめ、視界が真っ白になる。鏡に映った自分の体は、傷だらけだった。

 奴らと戦って負傷したもの、両親に虐待された痣、実験の際についた生傷など種類はいろいろと違う。

(これからも沢山、傷を重ねるのか)

 テキパキと体を洗い、湯につかる。1日の疲れを癒すには、丁度いい湯加減だ。

 何も考えず風呂を出た。

 髪から滴る水滴がカーペットを濡らす。バスタオルで体や髪を乱暴にふき取ると部屋着に着替えた。

 一瞬で真面目モードに切り替えルロが待つリビングに移動する。

「出たか。お前の依頼が決まった」単刀直入に喋るのがやはりおっさんだ。

「で、内容は?」

「この少女を守り通す。それだけだ。簡単だろう」

 テーブルの上に置かれた書類に貼付してある写真を覗きこみながら椅子に座った。

「あぁ。それに地味だな」

 彼女の顔と性格、ほとんどを知っているため読む必要はない。

「文句は、上司に言ってくれ。わしは補佐だぞ」

「はいはい」

 愚痴を聞きたくないので相槌が素っ気なくなった。

「敵の数と威力を知りたくないのか?」ルロは、こたつの上を降りてソファに飛び移った。小さい体でよく動く。

「別にいい。僕のやり方でやるだけだ」黒のソファに移動して仕事道具のリボルバー(回転式拳銃)の手入れに取りかかった。

「ほうか」

「廿原由雫が選ばれたのは、何故だ」

「おいおい。規則に反する行為だぞ。お前が破るとは思ってもみなかったわい」

 大げさに驚くルロに対し、冷静な僕が対抗する。

(狙われる理由がない人間だ。左耳が聞こえないハンデをもちながら生きていくのに精いっぱいな子だぞ)

「好奇心だよ」銃のボディを丁寧に拭きながら次に弾をこめた。事務的な作業だが大事な事だ。

「知っていても教えるつもりはない」

 頑固なおっさんだ。いずれ調べれば分かる事なのに。

「そっか」

「やけにあっさりしてるな」

 銃の手入れがタイミングよく終わった。ナイフの手入れは、明日にしよう。

「そりゃ規則は、破りたくないしね」嘘だ。

「物わかりが早いと、補佐の仕事も楽になって大助かりだ。一杯どうだ?」お酒好きのルロが瞳を輝かして言う。本当にハリネズミなのか。

「いいよ。年齢を偽って学校に入学したし。煙草とお酒がちょうど欲しかった所さ」

「よし。今日は、朝まで飲み明かそう」

「程々に」二日酔いで学校に行く訳にはいかない。

 身の回りを整理した僕はお気に入りの煙草がある自室に行った。こだわりのない安い煙草を吹かしながら、癒しのひと時を噛みしめる。

「やるからにはとことんだ」お酒のつまみを口にするルロ。

「仕方ない。付き合うよ」

 煙草の煙が天井に漂うのを眺め、僕らは缶ビールを片手に夜通し飲み明かす事になった。

 二日酔いは、免れないのだと覚悟を決めて。

 久しぶりに飲む缶ビールの味は変わらない美味しさで、僕は豪快に呑み込んだ。

 21歳の真実を隠し通さなければいけないプレッシャーには、色々と苦労が多い。

                  ◆

 学校が休みだと、どうしてもお昼近くまで寝てしまう。無理やり起きるとまだ寝たい気持ちになってしまう。

(ダメだ。今日は、絶対に出かけるって決めた日なのだから)

「ふわぁ」眠気に負けて、欠伸をした。

 物音ひとつ聞こえない一階。私が寝ている内に両親と弟は、出かけてしまったみたいだ。

 ベッドの中でゴロゴロするも着替えようと体を起こした。

 休日の服装は、普段の倍おしゃれしないといけない。

 女子力高めの素敵コーデに悩んで、結局目立たないアイテムに行き着いた。

「携帯と財布だけでいいかな」

 財布に例のチケットが入っているか何度も見返した。

 小さいショールダーバッグに貴重品を入れ、着替えた服装を等身大の鏡で念入りにチェックする。

 灰色のダーリンニットチュニック、ネイビーチェック柄が入ったレギンスパンツ。

 シンプルで目立たないのにおしゃれ感がある。

(ニット帽でもかぶれば完璧ね)

 クローゼットから黒と金色のニット帽をひっぱりだし、荷物を持って部屋から出た。

 時計をチラ見すると12時ちょうどだった。

(寝すぎだよね)

 階段を下り何か食べたい、お腹に入れないと動けないと思う。

 リビング、トイレ、キッチン、玄関などを探したが家族の姿はなかった。内緒で 出かけるならお土産買ってきてほしいと思う。

 リビングにある薄緑色のソファに焼きそばパンと野菜ジュースを携えて、テレビをつけた。

 お昼すぎのテレビは、再放送かニュースしかやっていない。

「いただきます」

 パンを咀嚼そしゃくする音をかき消すためにテレビのボリュームをあげた。野菜ジュースが不味く感じてお茶にすればよかったと後悔した。 

(焼きそばパン特有の臭いがリビングに充満している)

 寒くない程度に窓を開けた。隙間から風が流れだし、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

「ごちそうさまでした」

 ゴミを片付け、玄関でブーツを履くと携帯にメールを告げる着信音が鳴った。

(誰からだろう?)

 履きかけのブーツから手を離して、携帯を操作する。

 受信ボックスには、見慣れた名前が書いてあった。

「凛と遥香からだ」女友達から同時にメールがくるのが嬉しかった。どんな風に返事をするか迷いながらメールを作成した。

 まず今日遊ばない? と可愛い絵文字付きのメールを送ってきた凛には、用事があるから無理だよーと打って顔文字をつけて送信した。

 遥香のメールは、書かれた文章を二度見するぐらい、不思議な文章だった。思わず朗読してしまった。

「何か変な噂が流行っているみたい。学校近くの美術館で幽霊が出るんだって。怖いね」

 色んな噂を知っている遥香が言うから信憑性が高い。

(だけど、ほんとかなぁこれ)

 それってよくある噂だよね?と返信した。

 瞬く間にメールの返事が表示された。

「そうだけど…怪我した人がいるらしくってガチだよ」何気なく朗読する声が不安になる。 

(噂のレベルが上昇した。これは詳しく聞く必要がありそう)

 どうゆう事?と絵文字なしで送った。

「美術館の警備をしていた人が、ある夜の見回りで双子の幽霊を見たの。その拍子に階段から落ちたのが有力な情報だよ」

(双子の幽霊?)

「美術館側は、否定しているらしいよ」

 後からきたメールには、そう書いてあった。

(噂は、嘘が大半。でも興味は湧いてきたな。気になるからモネの絵でも見ながら調べるか)

 相槌程度にメールを返して、家を出た。

 太陽は、雲に隠れてぼやけて見えた。寒さに耐えて落ち葉が散乱する道路を歩いた。

 途中の公園で私は、珍しい動物を見かけた。

 ハリネズミだ。

 飼い主に飽きられて捨てられたんだろうか。最後まで責任持てない人は飼うべきじゃない。そんなことを思いながら先を急いだ。

 何回も通った事のある美術館は、いつもと変わらない面影で建っていた。

「噂の原因を徹底的に調べますかな」

 美術館のドアをくぐる。モネの展示会を見る事が最優先だ。

 受付でチケットを渡し、順番にモネの絵を鑑賞した。

 ポプラ並木やルーアン大聖堂、キャピュシーヌ大通りなど有名な作品が立ち並ぶ。

 と言われるモネ。

 大好きな睡蓮の絵をずっと見ていたいという想いに駆られた。

 テレビで見るより細かい部分が知れ1枚の絵に何十分もかけて見た。私より時間を掛けている人はいない。

(やばい。素敵すぎる)

 写真撮影は禁止されている美術館。

 五感で受け止め、作者が何を伝えたかったのかを自分なりに考える時間を与えてくれているのだ、と勝手に解釈した。

 モネの代表作「日傘を差す女」の前で双子の少年が鑑賞していた。

(可愛いな。外人さんなのかな)

 金髪にグリーンの目、小動物の様に愛らしい身長、お揃いの着物。

(なぜに着物?)

 鑑賞を邪魔しないように双子の後ろで静かに鑑賞する。

 コソコソと小声で喋る双子。内容まで聞き取れないが日本語ではないとだけ察した。

(何となくのニュアンスで英語だ)

 この子達の母親は、どこに行ったのだろう。

 きょろきょろと見渡すけど、わざと照明をおとしている美術館のため薄暗い。

 絵をてらす照明と非常口を示す緑のランプぐらい。

「――」突然、後ろを振り向いて双子が叫んだ。

「えっ」

「耳をふさげ」

 右耳に聞き覚えのある声がし脊髄反射で耳を塞いだ。

 次の瞬間、銃声がくぐもって聞こえた。

 双子の片割れが後ろ向きに倒れる。どこかの映画のワンシーンとそっくり。

(何、何がおきたの。え、うそ、撃たれたの)

 訳が分からず狼狽えた。びっくりして腰がぬけたから立てない。怖い。

「これじゃ意味ないか」

 顔をあげるとメガネを掛けていない西矢先輩が立っていた。

 全身、真っ黒な服装だった。

 真っ黒な手袋をする程に念入りなコーデだった。

 マフラーがオレンジ色のため一際目立つ。得体のしれない違和感があった。

(どうして先輩がここにいるの。それより何で銃なんか持っているんですか)

 聞きたい事がいっぱいあるがむせて声が出なかった。

 撃たれた双子を見ると、立ち上がって笑っていた。額の弾痕跡が痛々しい。

 血が一滴も流れないのは、人間ではない証拠に思えた。

「大丈夫か。もしかして立てないのか? ちっ。持ち上げるぞ」銃を腰につけた ホルスターにしまうと私を担ぎあげた。

 先輩の手が私の体に触れる。緊張して記憶が吹っ飛びそう。

(何か麻袋みたいな雑な扱い方しないでほしいです。ダイエットすれば良かった)

 聞き間違えかな、今、舌打ちが聞こえた。気のせいよね。

「しつこいな」

 私を担ぎあげたまま先輩は、美術館内を走った。

 後ろから双子が笑いながら追いかけてくる。凄く怖い。

 今の姿を誰かに目撃されないようにと祈った。

 銃声が聞こえたら普通、警備員や一般の人が警察を呼ぶはず。

 誰かの叫び声すら聞こえない。

「先輩、何がおきたか説明をして」下さいと言えなかった。

「もう1回、耳をふさげ」

「はぁ」間抜けな声を出しながら耳を再度、塞いだ。

 先輩の右手に恐ろしいものが握られているのを見てしまった。

 それは、手榴弾だった。

(まさか。実際に使う訳ないよね。室内ですよ。ここ)

 器用に手榴弾の安全ピンを口で抜き取り、後ろに放物線をえがく様に投げた。

「嘘でしょ。ありえない」予想通りの展開に泣きそうになる。

 手榴弾は双子の真ん中に落下して、派手な爆発音と光を放った。まともな人間だったら、死んでいるよ。

 煙で何も見えなくなった。危うく煙を吸わないように息を少し止めた。

「ここに入るぞ」

 見えているのか先輩がどこかの部屋に続く扉を開いた。転がり込む形で部屋に入る。

「ごほっ、けほっ」咳こみながら部屋を見渡した。

 扉に鍵をかける音と隙間から入る煙。

 部屋の中には、絵が梱包され保管されていたし絵以外にも彫刻や本がある。

 広くはないが空いたスペースに人が入れる場所があった。

(保管室みたい。でも鍵が掛かっていないのは不自然)

「どうなっているんですか一体」

「貴重な武器を無駄にした」落ち込む先輩は、私を無視してスマホで電話をする所だった。

(無神経にも程がある。本当にあの優しい先輩なの)

 顔を色んな角度から見た。

 正真正銘、西矢先輩だった。

「汚れているがターゲットに傷はなしか。いい仕事じゃ」

「ひぃ」

 暗闇からおっさんの声がして身が縮む。先輩と私以外って事は、さっきの化け物みたいなやつだったりして。先輩に縋るように目を向けたが電話に夢中で気づいていなかった。

「おっと、すまんな。姿を見せないわしが悪かったなお嬢さん」声が足元から聞こえてきた。来る時に見かけたハリネズミと視線があった。

(この可愛いらしい子が喋る訳ないよね。第1、動物が人間の言葉を喋れる事がおかしい)

 心を覗いたのか、おっさん声をしたハリネズミが私の頭に乗っかってきた。

 超脚力半端ないな。

「何じゃ、ハリネズミが喋るのを見た事がないのか」

「そういう訳じゃないけど」何気なく喋る自分の頭が変になりそう。

「はっきりしないのぅ」

 頭の上で小さな手足がジタバタと動いた。

(可愛いのにおっさん声で全部が台無しだよ)

「お嬢さんの名前は、知っているからわしの名を名乗らねばいかんな。ルロと言う」

「へぇ、初めまして」自己紹介しているよ、ハリネズミが。

 ルロさんを両手で包み込んで目線の高さに持ってきた。

 毛の針は、あんまり痛くなかった。

「先輩のペットですか」気になっていた事を不躾に質問した。

「ビジネスパートナーだ」電話を終えた先輩が代わりに答えてくれた。

「ビジネス?」このハリネズミに何の仕事が出来るのだろう。可愛いらしい姿で相手を油断させる事しかやる事がないような。

「情報提供だよ」ルロさんが自慢げに言った。

(コオロギは雌の方が美味いとか、どうでもいい事を教えそう)

「どんな情報収集もお茶の子さいさい。ただし金はかかる」

 バカにしてごめんなさい。有料なのね。

「世間話する暇があったら、武器をよこせ。敵の情報も」どんどん口が悪くなっていく。理想の先輩像が崩れて消えちゃう。

「せっかちじゃな」

(のんびりしすぎじゃない。館内をあんな風にしたら大変な騒ぎになっているし)

「武器は弾だけじゃ。ほんで敵は、雑魚が多いな」物騒な話をし始めたよ。日本の法律が、空気状態すぎる。

「ケチだな」愚痴る先輩って見た事がなかったから新鮮。

「これでも最大限に頑張っているわい」毛の針を逆立てて威嚇。

(お持ち帰りしたい。でも、あんな事ってあり得るの。もしかしてドッキリとかじゃない。未だに信じられない)

 恐怖で肩が震える。

 髪を手でとかし落ち着こうとした。中々、落ち着けない自分に嫌気がさした。思い出すと不気味な笑い声が聞こえてきそうだ。

「どうして、私がこんな目に遭うの」恐怖で押し潰される前に補聴器に触れた。

(あれ? 補聴器がない)

 左耳になくては、ならない物が消えていた。呼吸が早くなる。

 聞こえないのは嫌。

 必死に辺りを探す。

 胸が苦しくなって息が出来ない。過呼吸状態に入って目眩がした。

「落ち着け。大丈夫。ゆっくりでいいから深呼吸しろ」

 抱きしめられる形で先輩の肩に顔をうずめた。

 優しく、冷たい手が背中をさすってくれた。先輩は、どうして私に優しくするのですか。

 私がいろいろと困難を背負っているから、それともただの部活の後輩だから。

 理由を求めてさ迷うもう1人の自分がいる。

 左耳が聞こえなくなったあの日を境に一部の人間でイジメが開始された。

 助けて、苦しいなど言えなかった。

 自分1人の力で解決しようと努力した。結果、イジメをエスカレートさせただけで、終わらせることはできなかった。

 パニック障害が私を蝕んだ。

 常に補聴器がないと過呼吸になってしまう。毎日が地獄のようで、生きているようで、死んでいた。

 支えてくれたのは、幼馴染と家族だった。

 何度死を覚悟しても私は、結局生きる事を選択した。

 あの時の私、獲物に食らいついて離さない犬みたいで滑稽で惨めだったでしょう。呼吸が元に戻ってゆくのに安堵した。

 先輩にかっこ悪い姿を晒した。お願い。私の弱さを見ないでください。

 弱った力で先輩を押し返した。

 でも、先輩はより私をきつく抱きしめ返した。

(ちょ、まだ心の準備が出来ていませんから。5分ぐらい時間を)

「来やがった」

「?」

 閉ざされていた扉を引っ掻くのが数回聞こえた。不気味な音の正体を想像しないようにする。耳障りな音と冷気が私の不安感を煽った。

 入れてと言いたげに引っ掻く。違ったパニックに陥った。

 脂汗が額から流れ、頬を伝って胸元におちるのを拭った。ホラー映画を観ていてもこうはならない。

「合図をするまで口を閉じた方がいい。舌を噛みたくないのなら」

 脅しに聞こえます先輩。

「何ですかそれ」服の腰に付けていた物を取り外す先輩がいた。

 輪っかのような物が2つと真ん中に板のような物だった。組み立て作業に入る先輩が、ふっと私をお姫様抱っこしたので慌てふためく私。

「暴れるな。折り畳み式スケートボードが壊れるだろうが」睨まれると思いませんでした。

「あ、はい」素直に従った。

 頬が赤くなるのを隠してわざと先輩の足元を見つめた。

 簡単に組み立てたスケートボードは、青と黒の色彩でシンプルな構造をしていた。

(不思議な形。日本では見られないスケートボードな気がする)

「こんな恰好で何をするんですか?」一応聞いておこう。

「何ってこうするんだ」

 ルロさんが先輩の肩に乗ると、スケートボードのスイッチを起動したのか淡い光と熱を感じ取った。モーターの駆動音が凄まじい音をたてている。

(嫌な予感しかしない)

 助走をつけて先輩が勢いよく扉を蹴り飛ばし私を抱きしめたままスケボーに乗った。

 先輩の首に腕を回して絶叫。楽しそうに笑う先輩とルロ。

「突っ切るぞ」

 美術館の中は、異様な化け物で埋め尽くされていた。

 天井にも壁にも群がる化け物。

 私たちに気付いたのか視線が一点に集中した。

 アギギィと共鳴する化け物が問答無用で襲いかかってくる。気持ち悪すぎる。 全速力で廊下を駆け抜けた。

「無理ですってば先輩」この数から、逃げきろうとしたら美術館の外に出るしか道がない。

「言っとくが外には、出られない。僕が入った時に試したから分かる」

 先輩、と化け物の声にかき消されないように声を張り上げた。

「そんな」悲痛な想いに駆られ手に力がこもる。

(状況を悪化させる事を言わないでよね。てか、前を見て話して先輩)

 前を見ないでスケートボードを巧みに操作した。向かってくる化け物を銃で撃つのも忘れない。

 私を守る形を崩さず美術館のエレベータまでやって来た。

「思ったより敵が多いな」疲弊しながらも進んでいく。でも、化け物はあんまり減っていかない。

「先輩、前! 前」前方のエレベータは、分厚い扉を固く閉ざしてしまっている。

「ルロ、頼むわ」

「バカ言え。わしの体じゃどうにも出来ん」

「役立たず」

「年のせいで、何にも聞こえん」罵倒し始める。

 仲がいいのか悪いのか分からない。

「どっちでもいいから何とかしなさい」どんどんエレベータまでの距離をつめる。

「仕方ない」

 弾丸がエレベータのボタンを撃ちぬくとタイミングよく扉が開いた。

(やった。これで逃げ切れる)

「適当に着地しろよ」

「へっ」

 支えられていた手が離れ私の体が宙に浮いた。重力には、逆らえずエレベータの壁に激突。肩が少し痛むぐらいで済んだ。ありえない、女の子をポイ捨てするとか。

 先輩は、用心のため銃を構えた。エレベータの上へ行くボタンを押すルロ。

扉が閉まるのが遅く何匹かが入ってきた。

 銃をリロードするが数秒だけ間に合わない。私は、恐怖で目を閉じそうになる。

 先輩が襲い来る敵をナイフで切り捨てた。紫色の液体が先輩の服やナイフを汚していた。

(倒すと液体が飛び散るのは、気持ちが悪いよ)

 残りの化け物は足で扉の向うに押しやる。やっとの事で扉が閉まった。

(先輩の株が暴落しまくり)

「変な顔」こちらを見る先輩の顔は、ニヤついていた。

「先輩が原因です」

「嫌われているな。可哀そうに悠駁」

「褒め言葉だ。もう一回言ってくれない? 録音したいから」本当にボイスレコーダー持っている事にドン引きした。

「しかも、ドMってかなり危ない人になってきましたね。警察を呼んでいいですか?」

 携帯を使おうにもずっと圏外だから呼べないけど。

「お嬢さん。そりゃあ、悠駁にとってご褒美になるぞ」ルロが私の頭でアドバイスをくれた。私の頭を定位置にする気まんまんだ。

「今、録音したから家に帰って永久保存したい」

「毛根から死滅して地獄に落ちてください」先輩を見る度に疲れてきた。エレベータが12階に到着したのか、会話の最中で開いた。

(ここは……。たしか談話室がある階だ。人がいると助かるな。先輩と二人きりになるシュチエーションを避けたい)

「さっさと出ろ」へっぴり腰の私は強制的に押し出され、一緒にエレベータを降りた。

「この空間だけ、わしらの力で守られている」本当かな。

「腹へった。持参したご飯でも食うぞ」命令口調が妙にむかつく。

「私の分は、ある訳ないですよね」憎たらしく言ってみる。

「あるよ」

 談話室の場所を目指す先輩の後ろ姿に着いていく。嘘をついているか確かめようにも表情が読み取れない。

「わしの分は、あるのか?」おっさん声にも慣れてきた。

「ない」

「なんじゃと!」ルロが先輩の肩に移動するや否や怒り狂った。手で除けている先輩、痛くはないのですか針。

「用意する時間がなかった。以上」

「理由になっておらんぞ。頭にきた。これから説教タイムじゃ」

「いや、ご飯タイムだ」

(飽きずによく喧嘩するな。喧嘩の理由がどれもしょうもない)

 数分、歩いた所に談話室があった。

 談話室は数回利用したことがある。学校の食堂と似ている。

 部屋全体を明るく見せる窓、自動販売機が4台とテレビが1台。

 外が真っ暗なのか、窓ガラスがすべて黒く塗りつぶされているのか、外の様子は窺えない。試しに窓を開こうにも動かない。机と椅子はざっと見て15席ぐらいあった。

 入口付近にある机にコンビニ袋が置いてある事に気がついた。

 適当に見繕ってきた感にあふれているな。褒めてはいないよ。これは、感想。先輩と向き合う形でご飯タイムが幕をあけた。

「ルロなんかほっといて食べよう」

「許さんぞ」更にご立腹のようで。

「私のご飯を分けてあげるよ、ルロさん」

(単なる太りたくない症候群)

 先輩が私に野菜ジュースとおにぎりを渡して固まった。一時停止かな。

「本当に優しいな。誰かさんとは、大違いだ」

「お人よしの間違いだろう」

 サンドイッチと炭酸飲料を流しこんで食べているのを眺めて、理想の先輩って何だっけとなった。

「おにぎりを半分にして、お茶はないんですか先輩」

「お茶? たしか買っておいたはず」袋の中身をあさる。

「気を遣わなくてもいいんじゃよ」体を丸めておにぎりを食べるハリネズミ。連続で写メとかしたい。

「おい。何で僕が廿原に顎で使われている」

「ここで先輩を使わなくちゃいつ使うんですか。健康のためです」野菜ジュースを体に吸収する。

「そうだ。そうだ」同意するおっさん。

「勝手に話を進めるな。依頼を放棄したくなるだろうが」お茶を受け取った私はお礼を言った。出たゴミを袋にしっかりと回収すると、ゴミ箱に投げ入れる先輩はやはり男だ。

(ん? 依頼って何)

 耳慣れない言葉にすかさず質問を滑り込ませる。タイミングが命だ。

「何の依頼ですか? それ」ツナマヨ味が口いっぱいに広がり、米と海苔の相性が絶妙なハーモニーを繰り広げた。手作りもいいけどコンビニも負けてはいない。

 海苔が歯にくっつくけどまぁいいや。

「やらかした。頼むから、聞かなかった事にしてくれない」

「嫌です」

 これだからガキは苦手だ、とぶつくさと愚痴る。

(絶対に聞いておかないと生きて帰れるのか不安だし)

「心が狭いぞ。教えてやれ」ルロさんが完全に私の味方になっている。

「分かったよ。電話で上司にも了承はとれている」

「随分と根回しがいいな」

「心配性なだけだ」先輩が自販機で新しい飲み物を買い席に座った。

「……」お汁粉とか買う人を目の当たりにして無言になった。

 渡されたお茶を飲み干した。深みのある味わいが心にゆとりをくれた。

(本当に話す気あるのかしら)

「話が逸れたな。僕は、交通事故で化物が見える体質になった。見ただろう? あの化け物たちの姿を」

 記憶がフラッシュバックする。断片的な恐怖で足が震えた。

 ゆっくりと縦に頷く。

「廿原が見えたのには驚いた。上司が知ったら大喜びだよ」

 笑い事じゃ済まされない。呑気に笑う先輩を叱りそうになるのを堪えた。

 ルロさんが眠そうに欠伸をすると空気が和む感じがした。

「それから、とある事情で仕事を始めたのがきっかけだ。1人暮らしだとお金が必要になるからね」

「化け物を退治するのが仕事? 仲間とかいないんですか」世の中には、変わった仕事が存在していると感心した。

「退治じゃない。浄化と言った方が正しい」話の途中から参加するおっさんが真面目な口調になった。

「奴らは、元は人間だった。だが自らの魂を傷つけた。あの様な姿になったら元には戻れない。どうする事も出来ないのじゃ」

「雑魚ならまだいい。それを操る奴がいるのが厄介だ。そんで今回の依頼は、廿原を守り抜く事さ」

「嘘とかじゃないですよね」

「冗談を言う程、僕は優しくない」

 楽しかったご飯タイムが突きつけられた現実によって壊されていった。

 私が狙われる理由に心当たりがあった。

 左耳が聞こえなくなった数ヵ月後に誰もいない教室で声を聞いた。耳が元に戻ったのかと思ったが違った。

 その声は、死んだはずの女子生徒が発する呻き声だった。

 姿が見えない上に声だけが聞こえる。恐ろしさのあまり教室から逃げ出した。

度々、生きた人の声ではなく死んだ人の声だけを左耳がひろった。

(まだこの事を誰にも相談していない。信じてくれないし話す気になれなかった)

「その顔、奴らが見えるのに何か心当たりでもあるのか」

「些細な事でもいいんじゃよ」

「えっと…」

 言葉に詰まって髪をいじった。話すべきだろうか。脳内で会議が行われる。

 生死に関わる状況で悩んでいる暇はない。助け合わないと生き残れない。

「信じてもらえないだろうけど話すよ」

 話が長引かないように重要な部分だけ伝える事にした。この2人なら原因が分かるかも知れないと淡い期待を抱いた。

 話が終わると喉が乾いた。ポッケトに入れておいた小銭でミルクティーを購入した。

「なるどね」

「ふむ。興味深い話じゃ」

 それぞれに納得した様子で私を見つめてきた。

「原因とか分かったりしない」

「全然、分からん」

「わしもじゃ」

 期待した私がバカだった。頬杖をしながらため息をした。

「深い事は、考えるな。僕が何とかする」

 頼もしい言葉が私の心をえぐる。裏切られたらどうしようと怯える自分を殺したかった。

「有り難うございます。お気持ちだけ頂きます」

 平気で嘘をついた。

 本当は、助けてほしいや苦しいなど本心を削っている。ガラスのプライドを隠しきれているだろうか。

「む。誰かこの空間に入ってきたぞ」深刻そうな声に体が強ばった。

「侵入者か」

「おそらくな」

 ルロさんが小さな鼻を左右に向けて何かを探っていた。

「私、隠れていた方がいいですか」この人たちの邪魔になったら嫌だ。

「いいや。傍にいた方が安全だ」

「その通り」

 机から立ち上がり、扉付近を警戒した。

 すると鳴らない筈の携帯から着信音がけたたましく鳴った。慌てて携帯を開いた。

 相手は、非通知の番号だった。

「な、何」機械的な着信音が私を急かした。

「出た方がいいと思うよ」

 先輩が私の瞳をしっかりと見て携帯を指さした。

(要するに早く出ろと言う事ね)

 着信ボタンを親指で押し携帯を右耳に持っていった。

「もしもし?」相手の様子を伺う感じで声を出した。

『今どこにいる、由雫』

「恵斗なの」

 思いもしない幼馴染の声に口調が和らいだのが分かった。

『うん。俺だよ。心配したんだぞ。それでどこにいる』

「良かった。今、美術館の談話室にいるの。聞いて恵斗。大変な事になっていて」

『サンキュ』

 電話が唐突にきられた。意味が分からない。携帯をしまうとルロがまた私の頭に乗った。

「おいおい。まさかな」

 先輩が私の手を握った後に、扉から距離をおいた。私は敵の姿を見てしまった。

「見つけた」

 扉を開けて入ってきたのは、私の幼馴染だった。

 現実から目を背けたかった。

 灰色のパーカ、ジーンズと言ったラフな格好をしていた。

 友好的な登場でないことは、右手に携えている槍が語っている。

(なんで)

 私は、銃を向ける先輩を止めようとはしなかった。

「どうして」私は震え声で幼馴染に問いかけた。

 その問いを無視して幼馴染は、先輩に歩み寄った。

「手厚い歓迎だな」槍を持ちなおす恵斗。全体が黒く、持ちやすそうな槍だった。刃先鋭すぎでしょう。

「なんじゃお前」小さな体で威圧するルロさん。

「恵斗様に向かって無礼な奴」

 可愛いらしい女の子の声が恵斗の足元から聞こえた。黒猫が座って鋭い目つきで私たちを射抜いた。

「リネ」

「だってムカつきませんかあの態度。しかもおっさんですよ」やはり黒猫が喋っている。

 ハリネズミが喋れれば黒猫も同じね。もう驚きはしなかった。

「生意気な小娘だ」ルロが小声で悪態をつき、頭からおりてしまった。

 私は、幼馴染から目を離さなかった。

「へぇ……」リネと呼ばれた黒猫がルロさんに襲いかかってきた。

「ぬわぁ」華麗にかわして逃げた。

「渡してくれないか、そいつ」

「知るか」

 銃口を向けられて動じないのは、銃に慣れているからだろう。

 幼馴染の表情が今までに見た事がないほど冷徹だった。

(あの時の話、バイトってこの事だったのね)

「何で」

 私の思い出には、楽しそうに笑う恵斗。

 苦しい事があっても励ましあって色んな事を乗り越えてきた。

 もし私が逆の立場になったらきっと恵斗は、殺せない。

「……」

 その表情は、清々しい程に無表情だった。

「恵斗?」

 何だか瞳に生気が感じられなかった。

 本当に目の前にいる幼馴染は、私が知っている幼馴染だろうか。

「キャラが変わっているぞ。後輩」

 私を背にジリジリと距離をたもっていた。どうしてこうなってしまったのと自問自答をする。

「そうですか?」控えめだが殺意が混じっていた。

「ムカつくその態度」

 そう言う先輩が、片方の手でナイフを流れるように投げつけた。相手は首を傾げるだけでその場から動かなかった。ナイフを避ける瞬間も目を見開いている。

 避けられない戦いに私は、どうする事も出来ないでいた。

「伏せていろ」

(言われなくてもやっています)

 ひんやりとした床が私を出迎えた。犬の伏せよりも早い身のこなしだったと自画自賛。

「……」幼馴染が先輩に向けて挑発した。

 猛スピードで真正面から突撃するが先輩の銃がそれを阻止した。人間業じゃないよ。

「一応、僕も人間なんだけどな。手加減とかないのかよ」

「……」

 ほふく前進で私は、戦いの邪魔にならない位置で実況する事にした。机の下あたり。

 いつ地震がきても大丈夫な場所だった。

(逃げた方が一番安全な気がしてきた)

「やれやれ、荒いのぅ」

「生きていたのね。ルロさん」

「静かにしなさい。恵斗様の凛々しい姿が見られないわ」

 黒猫とハリネズミも一緒に見るようだ。戦いなさいよ。

 槍と銃が当たる音。

 微かに焦げ臭い匂いがした。

 流れ弾が机や壁に当たり自販機が穴あきチーズの様になっている。勿体無い。

(本気で戦うと無言になるのか)

 戦闘のスキルや威力についてはよくわからない。素人の目線で分かる事と言えばかすり傷一つない2人に圧倒されるのみ。

 机や椅子を蹴飛ばす幼馴染に先輩が銃で応戦。

談話室の備品がゴミになっていく様は例えようがないぐらい無惨。

 物を大切にしなさいと言う言葉自体を全否定された私の気持ちを誰かに教えたかった。

「負けないで下さい。恵斗様」

「しっかりしろよな」

(動物に応援される事ってあんまりないよね。あと、耐久力が凄い)

「戦闘が凄すぎ。追いつけないわ」

 単に私の理解力がないために実況が進まない。てか、見たくない。

 目と耳に神経を集中させた。

 時間が経つにつれ、先輩のあっちこっちに生傷が増えていく。槍のリーチが長い分、銃が機能していないのが原因だと思う。

 当たって初めて銃は、武器として認められる。

(遠距離で攻撃すれば先輩にも勝機があるし、奥の手で手榴弾を使ってくれればいいのに。見ていてハラハラするよ。私だったら降参する)

「ん?」幼馴染は、わざとらしく厭らしい顔で挑発をした。

 槍の攻撃を休めようとはしない所が性悪だ。

「寝言は、寝てから言えよ」

 先輩が銃を宙に投げる。惠斗の腹部を狙った力強いキックが炸裂した。その痛みを想像して私は腹部をさすった。

(骨が折れる音が生々しい)

「ぐっ」

 斜めに傾き、威勢の良かった幼馴染が真顔になった。腹部から血が滴り赤い滝を作り出していた。靴底に仕込んでおいたナイフが刺さったのだ。

 両者ともに一歩も譲ろうとはしない。ここは、談話室でなくまさに戦場で、人が死んでもおかしくない。雰囲気が肌をチリッと焼くのを感じた。

 幼馴染が傷つくのは、見たくない。

 だけど先輩もそれ以上に傷ついてほしくない。

 私のせいだろうか。

 幼馴染のために何かしてやれない自分が憎かった。せめて目が覚めてくれれば。

 それと同時に私は、先輩しか思っていなかった。

(卑怯だ。私)

 落ち込んでいた私はルロの声で現実に引き戻された。

「雲行きが怪しいぞ、お前のご主人様」私の周りは、けなしあいが大好き。

「まぐれよ。黙りなさい」

 止血をするために幼馴染が服の一部を破って、応急処置をした。先輩は壊れた自販機から転がりでた缶ジュースを飲んでいた。

「休憩はするのか」私もそこら辺にあったペットボトルに手を伸ばし二口ぐらい飲んだ。生ぬるい水が喉に元気を与え水分補給が完了。

「やりすぎかな」

 リロードする先輩の手は、汚れや血の跡が目立った。銃の弾を気にする素振りに焦りが生まれていた。

 惠斗は、血に染まった手で床に刺さった槍を引き抜いた。

 次に先輩に殺意の瞳を向けた。

「本気だわ。あれ」

(どうか。先輩、負けないでください。恵斗は死なないで)

 嫌だけど認めなくてはいけない。恵斗は敵なのだと言い聞かせる。

 自己暗示をするが心の奥底では、幼馴染を信じたかった。

 こんな気持ちになったのは、初めてだった。上辺だけの付き合いが多くって大事な気持ちを忘れていた私。

 誰かを思う気持ち。

 勝ち負けがどうかじゃない。生きていてほしい。確固たる意志の鎖が私を束縛して離さない。

 先輩が諦めないのなら私は現実から目を背けない。

 最後まで見届けようと覚悟した。

(何とかして役に立てれば。幼馴染も元に戻ってほしい)

 立てないままうつ伏せで、探すのに苦労したが役に立てそうな物を拾い上げた。

「やらせないわ」

 ゆらりと忍び寄る黒猫。

(まずい。同じ体勢だったから脚がしびれて逃げられない)

「こっちのセリフじゃよ。小娘」

 鋭い針が私とリネの間に突き刺さった。隙をつかれたのか驚く猫声。

(助かったよ。ありがとう)

 心の中でルロにお礼を言った私は、ふらつく体で立ち上がった。拾った物を大切に胸に抱きかかえた。

「行け。自分の好きなようにしろ」

 ルロさんが私の背中にカッコいいセリフを投げかけた。

「うん」

 これで助かるかは、分からない。

 やれる事はやった。当たって砕けるしかない、と自分に言い聞かせる。

「先輩!」

 戦いに似つかわしくない声を張り上げた。私の声、裏がえっていないのを確かめた。

「近寄るな。危ないだろうが。死にたいのか、お前は」

 槍をギリギリで避けながら、銃を持っていない片方の手でどっか行けとジェスチャーした。

「あっ」

 幼馴染の瞳が一瞬、生気に満ちて驚きと恐怖が見えた。まるで自分の方に来ないでほしいと言うかの様に。

 自分の行動に唾液をのみこんで手汗が湧きでそう。

 ここまで頑張ってきたくれた先輩の想いを無駄にしたくなかった。

「私の命は、私が守る」

 右手に先輩のナイフを持った。

 その間に私は、先輩の前に出て叫んだ。

「恵斗! お願いもうやめて」

「うっ」幼馴染が頭を抱えた。苦悩な表情が痛々しい。

「とんでもねぇ考えだな。でも、僕は嫌いじゃない」ナイフを先輩に手渡した。

(先輩は、私の意図に気づいてくれたのかな)

「さぁ。これからだ」

 銃を捨て、ナイフ一本で先輩がたたみ掛けた。無謀に見える姿に幼馴染が身構えた。

「やめっ」ここにきて怯える恵斗。

 槍が先輩を突き倒す前に、ナイフで無理やり方向を変えた。思わず息が止まる。

 ナイフは力に耐えきれず折れてしまった。

 勝負はもう見えていた。

「僕には、勝てないよ。今のままじゃ」

 折れたナイフを先輩が親指ではじき飛ばした。一直線に向かった先には、相手の左目が待ちかまえていた。

 刹那な出来事だった。左目に折れたナイフが刺さり崩れ落ちる恵斗。

 溢れんばかりの血が床に降り注ぐ。

 絶叫が空気と私たちを揺らした。終わりは、呆気なく地味だった。

「何て事を」リネが心配そうに悶える恵斗に寄り添った。

 膝をつきそうになる先輩を私は、咄嗟に受け止めた。全体重をかけて支えるが耐えきれず、床に寝かせた。

 血の気のない幼馴染の顔が私を見上げた。

「はぁ。はぁ。俺は一体何をして」声を荒げる負傷者は、目をおさえ呻いた。

「もしかして目が覚めたの? 恵斗?」

「……」状況を整理しているのか黙ったままだ。

 そして、狂ったように大声で叫んだ。

 迫力のある叫びに呆然としながら私たちは、その姿を見つめていた。

 やがて幼馴染は、自らの力で立ち上がりリネと一緒に窓ガラスを割って姿を消した。

 窓ガラスの破片が飛び方を忘れて床に落ちた。

 消える瞬間、幼馴染の表情はとても切なそうに見えたのが気になった。

「超怖かった」腰をぬかした私は深呼吸をした。

「ダサい姿を見せたな」

「そういうのは、元気になってから言ってください」

 忘れかけていた時間を見ると、深夜すぎだった。

 先輩の 傷口に応急処置を施していると、扉を開く音がした。

 同時にジャスミンの甘美な香りが談話室の空気をぬりかえていく。

 しかも着物を着た女性だと分かると、私はどう反応していいか分からなくなった。

「やっほ〜。お疲れ様。またえらく荒れたね。問題児」

 紺色の髪、バランスのとれたボディ、美人な分類に入る顔。

 同じ女性でもレベルが違う。

 年齢は、20代後半の成熟したオーラをまとっていた。

 葵色と白の着物がよく似合っている。

「山中さん」手当てをする先輩がそちらに視線を向けた。

「仕事中だろ。社長と呼べ」

「山中」

「クビにされたいのか」

「社長が出向くなんて珍しい」まるっきり棒読み。

 女社長は、荒れ狂った部屋の惨状を見てから着物の袖からおふだらしき紙をばら撒いた。

「後片付けだ。便利屋稼業も楽じゃないよ」

 紙が顔のない人型に変身し修復作業を開始した。

 壊れた椅子や机、穴の開いた壁、散乱する自販機の飲み物、傷のついた天井などがなおっていくのに感動した。

(化け物を見た後じゃ霞んで見える)

「あなたが例の子ね。問題児がお世話になりました。申し訳ないわ。こんな形でしか守れなくて。何せ人手が足りなくってね」

「はぁ」

 人によって猫をかぶる豹変ぶりにも間抜けに対応した。

「武器を増やしてくれない山中さんの無能さが悪い」

「もう一度言ってみな」

「まぁまぁ、仕事をやり遂げたからいいじゃないか」

 鬼の形相をした女社長にルロさんが親しげに話しかけた。

「えっと、私帰ってもいいですか」

「残念。帰れないわ」

 取り出した煙管きせるで煙草を吸い、吐き出した煙が宙に漂った。

「どうしてですか」

「あなたのプロファイリングとデータを読んで、うちなりに調べたの。新たな情報が手に入ったわ」

「悪い話ですか?」

「勿論」

「聞きたいかい」

「はい」

 楽な姿勢から正座をした。一字一句を聞き逃さないように。

「僕も聞きたいです」本調子ではない先輩が起き上がってきた。

「えらく真剣だね。分かった。話す事は、他言無用だからね」シンクロする2人は、無言で同意した。

「適合者。問題児とは違うイレギュラーな存在ね」

「どういう意味ですか?」

 重要な説明だけを抜き取られて、何が言いたいのか伝わなかった。

「問題児は、幼い時に両目を奴らに浸食されこちら側にきた。よくある事さ。けどあなたのように、片耳のみで途中から発症したケースは過去にはない。狙われるのも無理ないね。あなたには奴らの声が聞こえてしまうのだから」

 私は黙って話を聞いていた。でも、信じたくないという思いから唇を噛みしめた。

「信じたくないのは分かる。事実は覆さないよ」

 着実に元の談話室に戻る作業を見て、言われた事をできる限り理解しようとした。

 難聴、いじめ、化け物など今までにおきた全てを整理してみた。

 何を探しているのかと思ったら私は、事実を受け止める用意をしていたのだ。

(左耳が聞こえないのは、病気だとずっと思っていた。だけど運命にも似た親近感が芽生えている)

 私は、目頭の滴をぬぐって先輩を見た。

 顔を見られない私は何となく傷の部分を見た。

「あらら、私はお邪魔よね。向こうでコーヒーでも飲んでいるわね」

 そそくさと退散する山中さん。

「……」

「人に頼ろうとしない。僕を、尊敬する一方で面倒くさい……だろ?」

(微妙なフォローをしてくれても嬉しくない)

「関係ないじゃないですか」最低な言葉だ。

 この人は、私のためじゃなく仕事のために命をかけただけ。人に八つ当たりして子供みたい。

「勘違いしている気がするから言っておく。僕が廿原を守る理由は、好きだからだ」

「なっ」いきなりの出来事に反応しきれない。

「廿原が高校に入学して同じ部活になった時、もう好きだった」

「どうして、こういう話に」開いた顎がふさがらない。

「僕が言いたいからに決まっている」

(究極のエゴイストでしたか)

「私の気持ちも知らないで勝手に言わないでください」主張しなければ先輩のターンで終わってしまう。

「じゃあ、廿原の返事を聞かせてくれ?」

 真剣に私の答えを聞こうと迫ってきた。近い、近すぎます。

「す…」恥ずかしくって思うように言えない。

「ん?」

「すき焼きが食べた」

 口を手で塞がれ、右耳に吐息がかかるほどの距離で喋りかけられた。

「真面目にやれ」

(人生の中で1番、真面目でしたよ)

「好きです」大きく、ハキハキと喋った。面接の時以来だ。

「本当か」

「疑り深いです。先輩」先輩の近い顔を手でどけようとする。キスでもされそう。

「あとで違うとか言われたくないんだ」

 臆病な先輩が私を逃がさまいと抱きしめた。言葉に出さないで好きだと伝えられる能力があったら便利そう。

「話は、済んだのかしら」

 山中さんが声をかけた瞬間、私たちは慌てて離れた。どちらも恥ずかしがり屋で人見知り。

「済んだ。談話室以外の修復をしてくる」バカ真面目な人だ。

「けが人は、まだ休んでなさい。うちの仕事よ」

 私も山中さんの好意に甘えてほしいと思った。治り始めた傷口が開いてしまうのは、よろしくない。

「分かった」

「そのぐらい素直でいてくれればのぅ」空気を読んでいたのかグットタイミングでおっさんが乱入。

「仕事に戻れ」

「わしは、残業しない」

「うちの仕事を手伝って」丸まったルロさんをひょいっと持ち上げ社長さんは、どこかへ行ってしまった。

 また2人きりになってしまった。

(両思いは、嬉しいのに緊張しちゃう)

 ソワソワと意味もなく窓を見たり、服の裾をいじったり、髪を触ったりなどしてしまう。

「お腹、空きませんか。私何か食べる物を取ってきますね」

 距離を置いて気持ちを落ち着かせる作戦だ。

「空いてない。廿原が隣にいてくれればいい」

(聴いていて恥ずかしいセリフを堂々と言えるとか)

「そうですか」

 心地いい時間を二人で過ごすだけで幸せに溺れそうになる。

 今回は、助かったけど次に狙われたら上手くいくとは限らない。この先に何があったとしても乗り超えていくしかない。

 守られてばっかりじゃ私も嫌だ。

「先輩。私も身を守る術を覚えたいです」

「厳しいけどやれるのか」

「やれます」出来なかったらその時はその時で考える。

「そっか。なら止めない」

「えぇ」

 私は、左耳が聞こえない。

 人の声を聞く耳ではなく死者の声を聞き取る。

 誰かに迷惑をかけないように生きていこうとした私はもういない。

 自分自身のために行動したい。

 それに幼馴染の関係も何とかしないと。

 先輩の声が私の耳に幸せをくれるのなら、どんな窮地でも先輩の傍にいたい。

 私の物語は幕を閉じた。

 これからは、先輩と私の物語を紡いでいこう。



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片耳少女と闇ノ聲 久崎マミ @ru12_z

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