回らない寿司屋
kanegon
回らない寿司屋
社会の歯車として回ることに俺は早くも疲れた。高校の頃の仲間や幼馴染みとも会う機会がなくなった。
俺の目の前に寿司屋があった。見覚えの無い寿司屋だったが、まるでダインソの掃除機に吸い込まれるように「鷹想」と書いてある暖簾をくぐった。
「へいいらっしゃい!」
50歳くらいの大将の威勢の良い声が閑散とした店内に響いた。軽く見回してみても、俺以外の客はいない。回転レーンも無い。ああそうか、ここは回らない普通の寿司屋なのだ。
「お客さん、お一人?」
「はい」
「じゃカウンター席へどうぞ」
腰を降ろすというよりは落とす感じで椅子に座り、スーツの上着を脱いでネクタイを緩めると、大将は魚へんの漢字がたくさん書いてある湯飲みでお茶を出してくれた。一口飲むと、熱さと渋さが喉に滲みた。
「お客さん、何からいきますか?」
カウンターの上のボックスティッシュの後ろに立てかけてある、A4の紙をラミネートしたメニュー表を見てみる。ウニ、アワビ、甘エビ、トロ、イクラ、などお馴染みのメニューが並んでいる。でも高いネタばかりだ。ああそうか。安い代替魚を使っている回転寿司とは違うのだ。
とりあえずは安めのところからいこう。俺はイワシを注文した。
「へい、お待ちぃ」
握りはすぐに出てきた。箸で挟んで、醤油皿にちょっとつけて、口の中へ。味は普通だった。ワサビは少なめらしい。酢飯の甘さとネタの歯ごたえが口の中でいい感じにとろける。次はイカを頼んだ。
旨い。が、回転寿司との違いはほとんど感じなかった。俺の舌が貧しいだけなのだろうけど、これじゃあどこかのドラエモンが言っていた「育成に時間のかかる寿司職人は必要ない。回転寿司で十分」という台詞が、まんま該当してしまう。せっかく普通の寿司屋に入ったのだし、少々高くてもいいから回転寿司では食べられないようなものも食べてみたい。
もう一度メニュー表に目を落とした。あんきも、が目をひいた。正確に言うと、その値段に注目した。
時価プラスワン。
と書いてある。時価、ということはやはり、ダインソの掃除機のようにお高いのでしょう? そして、プラスワンというのはどういう意味なのか。
「大将、この、あんきもの時価って、いくらなんですか?」
「5000円です」
「うわ、やっぱり高いですね」
「すいませんねえ。今、旬じゃないから、どうしても入荷が少ないんですよ」
「プラスワンって、なんですか? 消費税?」
「ワン。つまり、一、ですから、一発芸をやってもらいます」
なんと。客に一発芸を求める寿司屋なんて、かつてあっただろうか。
でも一発芸だったら、歓迎会の時にやった「LSバレリーナ」でもやればいいかな。そう軽く考えてあんきもを注文した。ぱりぱりとしたノリの食感と、口の中でとろけるあんきもの濃い味わいが、オーケストラの演奏と舞台上のバレリーナの舞いのように一体となる。
「じゃ、お客さん、トイレの扉の前が少し広くなっているんで、そこであんこう踊りやってください」
「ええっ!」
国民的魚の名前アニメに登場する、妻の実家に同居しているキャラのような驚きの声を、俺は発してしまった。
「一発芸って、自分で決めることができるんじゃないんですか? あんこう踊り限定なんですか?」
「あんきもですから」
「ルールの後出しって、ズルくないですか?」
「食べたんだから、やってくださいよ」
そう言われては仕方ない。茨城県に伝わる伝統的な、でもこっ恥ずかしい踊りをやった。
俺がカウンター席に戻ると、大将は黒いSDカードを俺の前に置いた。
「今のあんこう踊り、録画してありますので、記念にどうぞ」
撮影していたとは。どこまで用意周到なんだ。だから踊る場所まで指定だったのか。
「値段には、そのSDカード代も入っていますから」
値段の内訳も確かめておくべきだった。俺はSDカードをズボンのポケットに突っ込んだ。記念品はいらないけど、だからといって他の誰かに持って行かれたりしたら困る。
「しかしお客さん、ノリがいいですね。踊れって言われて本当に踊る人なんて珍しいですよ」
言葉のニュアンスが色々な意味で不穏だった。無理に踊らなくてもよかったようにも聞こえる。それなのに、俺以外にも踊ってしまった人も過去にいるらしい。
「ノリのいいお客さんには、裏メニューがオススメですよ。メニュー表の裏に書いてあるんですけど」
言われて俺は、ラミネートされたメニューをひっくり返してみた。そこには意味不明なメニューが並んでいた。
ツンデレ
高飛車お嬢様
姫騎士
委員長
えっちなメイド
幼馴染み
「なんなんですかこれは?」
「日本で初、ヒロイン寿司です」
大将は偉そうに胸を張った。言われてみれば、高校の頃までよく読んでいたマンガやライトノベルに登場するヒロインの類型だ。
なんなんだこの寿司屋は。
「一番のオススメはこれですよ」
大将はカウンターごしに俺の前に寿司を出した。アカガイ、だろうか。ヒロインなんて全く関係なく、普通の寿司のように見える。
出されたので、まあしょうがないから食べてみることにする。箸で挟んで醤油皿にちょっとつけて口に運んで噛んでみ
ツ
ッ
!
ゴフォッ!
アガァガガンンあがぐげぅああ
地球の回転が停まった。
目からは大量の涙が吹き出した。俺は右手で口を押さえ、左手で辛うじてボックスから一枚ティッシュペーパーを取った。
口の中に入れていたブツを全部吐き出した。品の良い行動ではないが、咄嗟にティッシュの上に吐き出しただけ、まだマシだった。
もう一枚ティッシュを取って涙をふきながら、危険物を確かめてみた。
「ワサビの塊……」
「そうですよお客さん。ワサビの塊の周囲に酢飯を貼り付けて、酢飯の握りのように偽装して、アカガイを上に載っけたものです。回転寿司の職人程度じゃあ作れない熟練の技ですよ」
誇らしげに大将は言った。確かにそんなシロモノを作った技術力はスゴイが、熟練の技を発揮する方向性を大いに誤っている。
「これが、ツンデレ、ですよ。どうです。ツーン、と来たでしょう?」
ツーンと来すぎだ。それに、どこにデレ要素があったのか。抗議したかったが、ワサビをモロに頬張ったダメージが口腔内に残っていて、まともにしゃべることもできない。
「以前に店に来た老婦人のお客さんが、『ダイエット中だから、ご飯抜きでお願いします』なんていう無茶な注文をしてくれましてね。サビ抜き程度ならお客さんの好みにも合わせますけど、酢飯抜きなんて寿司は前代未聞でしょ。だから考えたんですよ。低炭水化物ダイエットに最適な、酢飯が少なくてその分ワサビが多い寿司」
まったく迷惑だ。その見ず知らずの老婦人も。変な発明をした大将も。
「次は、お口直しに、これなんかどうです」
「これは……」
「高飛車お嬢様、です」
いわゆる黄金巻き、だった。ノリ巻きのノリの部分が黄色い卵焼きに置き換わった形だ。その巻き寿司が、皿の上に二個載っている。
「これは、金髪縦ロール、ってことかな」
「お客さん。お目が高い」
恐る恐る食べてみたが、味は普通だった。口直しができてほっとした。
「じゃ次は、姫騎士、です」
「いやこれシメサバでしょ」
青く銀色に光るネタ。独特の模様。まさしくサバだった。これのどこが姫騎士なのだろう。……もしかして、オークとか触手とかに「締め」あげられるから、姫騎士だったりするのだろうか。……ありうる。
異物が混入していないことを慎重に確認してから、食べる。
「次はえっちなメイドです」
委員長は飛ばされた。ネタが未入荷なんだろうか?
出てきたのは軍艦巻きだった。上に乗っているのは、タチだ。
「なるほど。……これは、分かったような気がします」
黒いノリがメイド服で、上に乗っている白いタチが、頭のホワイトブリムを模している、ということなのだろう。それだけだったらただのメイドでもいいはずだ。えっちな、と付いているのは、上に乗っているタチが、白子だからだろう。メイドの頭に白子をぶっかけ、だ。今更ながら思ったが、ただのタチの軍艦巻きからえっちなメイドを妄想するとは、この大将はただ者ではないのかもしれない。
「では、最後に、幼馴染み……」
「ちょっと待ったぁ!」
俺は声を張り上げた。
「値段が時価のものを、頼んでもいないのに勝手に出されても困ります」
「あ、ゼロ円ですから。イイ幼馴染みが入荷したんですよ」
バーガー屋のスマイルみたいにゼロ円? そして幼馴染みが入荷?
俺が困惑していると、厨房の奥から、一人の女の子が姿を現した。見覚えのあるセーラー服。そして、見慣れていたはずの顔。
「か、薫じゃないか。なぜこんな所にいるんだ」
「時彦こそ、こんなところでなにを現実逃避しているのよ。しっかりしなさいよ」
まさに、マンガに出てくるようなツンデレ幼馴染みの口調そう言って、薫は俺の前に寿司を置いた。トロ、だろうか。箸でつまんで醤油皿に軽くつけて、口へ運ぶ。
ツ
!
相手が薫なので油断した。同じネタに二度も引っかかるとは。ワサビの刺激をまともに喉と鼻の粘膜に食らって目を回した俺は、その後のことは覚えていない。
そして。
いつもの目覚まし時計の音で目が覚めた。
「夢、か……」
イヤな夢だった。
「そうか。もう、薫は起こしに来てくれないんだったな……」
薫とは、幼稚園から高校まで一緒だった。でもお互いに就職してからは、もう起こしに来てはくれなくなっていたし、そもそも会う機会すら激減した。
「夢の中でまで、薫に叱咤激励されるなんてな。頑張らないと」
俺は布団から起きあがった。ハンガーに掛けてあるスーツのズボンを引っ張り出す。その拍子に、何かが床に落ちる音がした。
見てみるとそれは、黒いSDカードだった。
回らない寿司屋 kanegon @1234aiueo
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