第二章  Ⅳ


 クロムウェルは疲弊を訴える身体に鞭を打ち、小銃を槍のように持ち直した。銃口から伸びる刃によって目の前に迫る半蜥蜴半人リザーディマンに迅雷の突きを放つ。赤緑の気色悪い鱗を持つ上半身蜥蜴下半身人間の魔物は右手に握っていた石斧で防御しようとするも、間に合わず、右腕ごと脳天を抉られた。王国が研鑽を重ねた銃剣術は、敵を効率的に倒す方法を追求している。知能指数が猿と同程度の化け物に防がれる道理などない。鮮血と脳漿を零しながら半蜥蜴半人リザーディマンが絶命。少女は魔物の腹部を蹴り、銃剣を強引に抜いた。支えを失った魔物が顔面から床に激突し、汚水を零しながら転がって停止する。


「けっ。良い具合に煮えているじゃねえか。アディリシアじゃねえが、パトリシー・メイスンの歌にこんな一節がある。『殺せ、殺せ、殺せ。邪魔する奴は全員殺せ。暴力こそが平等だ。言語も人種も立場も関係ない。世界で唯一無二の手段だ』ってな」


 隣のレビィが歯を剥き出しにして笑う。金髪の同級生は右手に小銃を、左手に湾曲剣サーベルを握った脳筋の構えを取っていた。一方でクロムウェルは乱れた胸郭を宥めようと何度も深呼吸を繰り返した。一々、言い返す余裕もなくなってきたのだ。

 逃げ遅れた子供が居るだろう店は、六階建ての建物に数件の店が構える貸店舗方式だった。一階の共和国料理専門店、二階の王国郷土料理店、三階の洒落た高級酒場、探索するも発見出来ず。そして、四階の帝国式賭場まで足を運んだ二人の前に半蜥蜴半人リザーディマンが大群となって襲い掛かったのだ。通常は森の奥で群れを成して生息する魔物であり、古代を生きた人類の先祖のように石斧や木の槍などの簡単な武器で狩りをする。性格は凶悪であり、肉が大好物だ。クロムウェルとレビィはこれまでに十体以上の魔物を倒した。しかし、まだ半分以上残っている。 

 百人は賄えるだろう大部屋の四方は紗幕で遮られ、全体的に薄暗い。人の気配は皆無で、十を超える汎用卓テーブルには賭用円環機ルーレット紙札カードなど、様々な博打が用意されていた。仮金チップが散乱し、これでは誰が負けて誰が勝ったのか分からない。クロムウェルは周囲を見渡しつつ、怪訝そうに眉を顰めた。魔物に人が襲われたような形跡が、まるでない。


(軍人として、喜ぶべきだろう。けれど、おかしい。半蜥蜴半人リザーディマン黒鋼纏小竜リザーター・クロムも人間が好物なはずだ。この散かりようからして、数十分前までは大勢の人がいたはずなんだ。誰も、魔物に会わなかったのか? ……まるで、意図的に、魔物が民間人を傷付けるのを躊躇しているように感じるのは、僕の気のせいなのか? いや、有り得ない。それが本当なら、魔物は自分の意志で僕達、銃士だけを傷付けようとしていることになるじゃないか。そんなこと、有り得ない。たとえ『マギア・アムネートゥルム』の高位魔術師だろうが不可能だ。……まったく、こんな時に君がいないだなんてね。アディリシア、君は今、どこにいる? 僕の声は聞こえているかい?)


 クロムウェルは心臓の奥に鉛のような重さを感じた。それは、不安であり、焦燥だった。


「困ったね。早く、見付けないと。けど、魔石も弾丸も残ってない……」


「弱音吐くなよ。湾曲剣サーベルに、銃剣に、拳も足も残ってんだろ。なら、まだ終わりじゃねえ! ガキ一人助けられねえで、何が王国の軍人だ。私らの覚悟は、安くねえだろ!!」


 レビィの鼓舞に、クロムウェルは奥歯を強く噛んだ。そうしなければ、冷静さを保てなかったからだ。学園で学ぶ戦術通りならば、半蜥蜴半人リザーディマン二十体を正面から討伐するには魔導具である小銃と拳銃で完全装備した銃士が最低でも五人から六人必要だ。だというのに、今、彼女達は半分以下。視界に入るだけでも十五体はいる。

 だが、クロムウェルとレビィは同時に息を飲んだ。魔物の気色悪い鳴き声の向こう側で、確かに声がしたのだ。それは間違いなく、子供の泣き声だった。


「レビィ。今」


「聞こえたよ」


 目の前の半蜥蜴半人リザーディマンの向こう側に、逃げ遅れた子供がいる。クロムウェルの両手に力が戻った。レビィもまた、双眸に灯る戦意を高めたのだった。だが、希望とは常に絶望と表裏一体だ。物影から十歳にも満たないような女の子が飛び出した。桃色が愛らしい花のような単一着ワンピースを纏う女の子だった。こちらと目が合った。そして、瞳に大粒の涙を溜めて、力一杯、叫んでしまうのだ。


「助けてぇえええええ!! お父さんもお母さんもどこにも、いなくてうわあああん!!」


「だー! この糞餓鬼! 黙ってねえとコイツに気付かれるだろうが! 隠れてればいいものを面倒臭えことしやがって! だから餓鬼は嫌いなんだ。バーローが!」


「レビィ、文句は後だ! 早くしないと半蜥蜴半人リザーディマンが彼女を襲うかもしれない。行くよ!」


 クロムウェルとレビィが同時に魔物の群れに突っ込む。しかし、多勢に無勢だ。一体、二体と倒すも、すぐに囲まれてしまう。銀髪を揺らし、銃士は力の限り叫ぶ。

「君だけでも早く逃げろ! 此処は僕達が引き受ける。だから、頼むから逃げてくれ!!」

 なのに、女の子は逃げてくれない。無理もないだろう。きっと、恐怖で心がグチャグチャになっているはずだ。論理的思考など、とうの昔に失われている。独りで逃げるよりも、目で見える範囲に他の誰かが居た方が安心してしまうのだ。クロムウェルの顔が、今にも泣きそうな程に歪んでしまう。レビィも同じように叫ぶも、女の子には届かない。

 無理に突破しようとして、腹部に衝撃が走る。半蜥蜴半人リザーディマンが横薙ぎに払った石斧が少女の腹部に突き刺さったのだ。クロムウェルの身体が後方へと弧を描いて吹き飛び、そのまま汎用卓テーブルに上に背中から叩きつけられた。勢いは止まらず、滑るように転がり、とうとう床に落ちる。体中を激痛が襲い、耐え切れずに嘔吐、身体をくの字に折ってしまう。


「クロムウェル! ちっくしょうがぁあああああああああああ!!」


 憤怒に触発された闘志を燃やすレビィが孤軍奮闘しようとするも、一歩、二歩と後退。とうとう、壁際に追い込まれてしまう。いつもは男勝りな性格の少女が、恐怖で顔を歪ませた。彼女達は、けっして弱くなかった。むしろ、少ない装備と人数で半蜥蜴半人リザーディマン数十体を相手にして、三十分以上もったのは奇跡だろう。だから、もう限界なのだ。クロムウェルは武器を握ろうとするも、両手は空になっていた。よろよろと上半身を起こし、探そうとして、目の前には五体の魔物が立っていた。爬虫類にも似た双眸が全て、こちらを見下ろしていた。少女は顔を蒼白に変え、心が壊れてしまったかのように儚く微笑む。


(ごめんよ、アディリシア。出来るものなら、君ともう一度、紅茶が飲みたかった……君は、世界が嫌いだった僕に鮮やかな色を教えてくれた、初めての友で。大切な仲間で――)


 ――薄闇を切り裂いたのは、緋色と濃い橙色の閃光だった。そして、鋭い風切り音が二つ、三つ。クロムウェルやレビィを襲おうとしていた半蜥蜴半人リザーディマンの群れに、水晶が如き透明さと硬度を誇る魔鷹が数羽纏めて飛来する。その刃のように鋭い翼で魔物の首を一刀両断する。ゴロゴロと蜥蜴の首が地面に転がり、首の断面から間欠泉のように鮮血が噴き出した。そのまま体勢を崩し、転倒してしまう。

 一瞬、何が起こったのか理解出来ず、唖然とするクロムウェル。まさか、と。廊下へと続く出入口へ首を曲げる。開いた扉の前に〝彼女〟が立っていた。目頭に愛おしい熱が込み上げる。


大当ですわね、排泄物さんバロック・オールティ・ハレルヤ! 私の友を傷付けた罪は、その命で贖いなさいな」


 輪転式拳銃片手に、アディリシア・W・D・レミントンが悠然と君臨する。この場の主役は私だと、信じて疑わない勝気な眼光を湛えていた。腰の半ばまで届く艶やかな髪は、月明りを煮詰めて細く梳いた金色。頭の左右で三つずつに別れた縦螺環ロール。クロムウェルは、友が毎朝、鏡の前で必死になって手入れしているのだと知っている、誰が呼んだか『ベルヘルムの攻城砲リボドゥカン』。秘想金碧石トゥルー・アレキサンドライトの瞳は琥珀の色を薄め、緑を濃くしていた。


「ああ、君は硝煙と戦場が似合う女だね、アディリシア。……ありがとう、友よ」


 アディリシア。友の危機に間に合う。それは、戦火がさらに過熱する合図でもあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る