第三章 Ⅲ
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王国・アークライラでも指折りの大都市・アマンデール。しかし、街の規模が大きくなれば、どうしても貧富の差は拡大する。この街は、港と蒸気機関を支えに経済が発展した街だ。ゆえに、働き場所を求めて移民してきた者達が多い。そして、全員が幸福を掴めるとは限らない。街の東周辺には貧困窟が、けっして少なくない規模で広がっている。
ならば、もっとも治安が悪い場所はどこにあるか? それは、意外にも繁華街である二番街のすぐ傍にある。三十年以上前に計画された『地下都市計画』の残滓だった。
「当時のお役人達は増える人口を緩和する目的で二番街の真下に新しい住居区を建設しようとした。けれど、下水路や地下鉄の関係で計画はご破算。残ったのは、無駄に広げた穴と作業員が泊まっていた簡易宿泊施設。そこに、住む場所のなかった〝貧しい人間〟が雪崩れ込んじまったってわけさ。で、自警団も出動した大騒動になった結果、二進も三進もいかなくなって結局、地図上では存在しない、番外街として機能している。あんたが今から行こうとしているのは、金持ちとか成功者に嫉妬と恨みを積み重ねているような連中の巣窟さ。命の保証なんてないよ」
隣のリトラが再三に渡って釘を刺す。カノンは、神妙な顔つきで頷いた。今二人は、二番街の真下にある地下通路に足を踏み入れている。御世辞にも、快適とは言えない。横幅約四メルター、高さ約二メルターと狭苦しく、壁も床も天井も土の黒々とした素肌を晒している。自然界の光は届かず、
真夏の熱気は遠く、汗はすっかり引いている。寒い分、神経が研ぎ澄まされていくかのよう。地下街では、地上の常識は通用しない。自警団ですらもはや、手を出さない、完全な法外区域なのだ。ゆえに、誰かに殺されようが文句は言われない。頭に矢が突き刺さろうが胸を剣で貫かれようが〝運が悪かった〟。それだけで済まされる。
カノンはこれまで、一度も地下に訪れたことがない。リトラは、彼の案内係である。
「まったく、こんな美人を黴臭い地下に連れて来るなんて、カノンは駄目な男だねぇ。この貸しは高いよ。そこらの酒場で
この女、肉や贅沢品を禁止している教会側の癖に、平気で肉を食い、酒を飲む。地下の道則に詳しいのも〝それなりの過去〟を持っているからだ。カノンは財布が軽くなる未来に、溜息しか出ない。アネラスへ薬の依頼をしたばかりで金欠だというのに。
「街の非常事態なんだぜ。ちょっとは多めに見てくれよ」
「美人に酒を奢るんだ。むしろ、光栄だと思いな。安心しなよ。そのミーシャって奴は、私がしっかり斬ってやるからさ」
二人分の土を踏む足音は石畳みと違って恐ろしく小さい。だが、大勢の人々や蒸気機械の騒音が届かない分、やけに鼓膜を揺らすのだ。カノンは腰に
「しっかし、何者なんだろうね、その世界救済連合『レージェ・バザリスタ』ってのは。そりゃあ、あくどい組織は沢山あるよ。けれど、魔物を襲撃に使った組織なんて聞いたことがない。正直、幽霊か何かだったんじゃないかって疑いたいね」
「実際に俺やアディリシアは戦ったんだぞ。間違いなく、生きている人間さ。……もっとも、何か隠しているようなキナ臭さを感じたけどな。で、そろそろなのか?」
カノンが前方を
「なるほど〝地下街〟ね。確かにそうだ」
カノンは特に難しいことを考えず、前に進んだ。半秒後、男は首を捻った。
耳元を鋭い風切り音が通過する。後方で、土に勢い良く何かが突き刺さる音がした。弾丸よりも遅いが、弓矢よりも速い。機械仕掛けの弦で、弧ではなく真っ直ぐに
「容赦ないんだな、ここは。いつも、こんな感じなのか? 随分と手荒い歓迎だな」
カノンは
「……頼むから攻撃しないでくれ。俺は、罰に争いたくて此処に来たんじゃねーよ」
一応忠告しつつ、右足を腹部よりもやや高く上げる。危なっかしい握り方で錆び付いた剣を振り下ろした十歳半ば頃の少年が、これ以上とないぐらいに大きく目を見開いた。カノンの革靴に守られた足が刃の腹を滑り、綺麗に軌道を逸らしたからだ。刃の切っ先が地面に数センテ・メルター埋まる。至近距離で、目が合った。少年が、短い悲鳴を上げた。
「年上にはちゃんと挨拶しろって、教わらなかったか、坊主。俺の言葉、分かるよな?」
両手、両足の指では数え切れないぐらい人を殺し続けた男の眼光に睨みつけられ、ボロボロの服を着た小汚い少年は顔を蒼白に変えた。呆気ない反応にカノンは眉間に皺を寄せる。すると、リトラがわざとらしく両手を叩いて、大きな音を出したのだ。
「そっちのお兄ちゃんは悪い人じゃないから安心しな。頭領に、リトラが来たって教えておくれ」
少年はガクガクと何度も首を縦に振って踵を返して、走り去ってしまった。剣は地面に捨てたままである。カノンが拾うと、リトラが音もなく微苦笑を零した。
「これぐらいは日常茶飯事だから、まあ勘弁しておくれよ」
「……簡単に命を狙われるような状況は、勘弁してほしいんだけどな」
剣を少年に返すか迷い、カノンは首をバキバキと鳴らしたのだった。
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