第一章 Ⅰ
「今から五十年以上前、つまりは王国暦四三六年。旧西帝国領のゲイザーク国の機械技術者・アマロックが開発した
魔銃学園『ベルヘルム』の一年一組の教室で、カノン・レミントン教師は生徒相手に授業の真っ最中だった。机と椅子が横に六列、縦に五列の計三十人。全員が貴族の御嬢様となれば、男性かつ庶民生まれの彼は、どうしても緊張してしまう。四月から教員生活を続けてすでに三ヶ月。未だに、この空気に慣れていない。そのせいだろうが、黒板に走らせる白い
季節は夏。生徒達が纏うのは、白い
もっとも、こっちの生徒は全員、拳銃を所持しているのだから、物騒さはこちらが上だ。
カノンは手を挙げた数名の内、もっとも遅く手を挙げた者の名前を呼んだ。
「じゃあ、スティンガー。説明してくれ」
アマレット・M・T・スティンガーが、その場に立つ。白に近い柔らかな金髪の娘だ。
「せ、一〇〇〇年以上前に女神レインが世界に振り撒いた呪いにより魔術が衰退した。それゆえに、代用品を生み出す必要があった、から、です……」
「その通り。正解だから、もっと自信を持って言えよ。俺は間違ったことを言っても、怒鳴ったりしない。駄目なのは、間違ったことを正さないままにすることだ。いいな?」
アマレットが『は、はい……』と乳母に叱られた子供のようにしゅんとして椅子に座る。カノンは内心で『しまった』と冷や汗を流した。流石に、押しつけがましかっただろうか。
空気を悪くしてはいけないと、教科書に逃げる。カノンは堅実で臆病な男だった。
「女神レインは世界に呪いを振り撒いた。奇跡の触媒である魔力は失われ、魔術文明だった世界は崩壊し『暗黒の二百年』が訪れる。しかし、誰もが絶望する中で、とある一族だけは希望を失わなかった。別の女神であるミリーズの加護が魔力を魔石として世界に残していたからだ。そして、ついに人は再び、魔術へと触れる権利を得る。すなわち、術式の上で魔力が込められた石を物理的に動かすことで、魔術を作動させる方式を編み出した」
旧時代の魔術は、術式内で魔力が循環する『内部循環型』だった。そして、現在。新時代の魔術は、術式外で魔力を動作させる『外部投射型』となっている。
「旧時代は重さのない魔力を、術式が刻まれた円環内部でグルグルと回転させ、簡単に魔力を加速させることが可能だった。けど、今は重さがある魔石になってしまった。これを魔術発動可能速度まで加速させるには円ではなく、線に頼るしかなかった。つまり、弾丸にして飛ばすって方式だな。銃器が魔導具であり、弾丸が魔石ってわけさ。もっとも、今の魔術は旧時代と比べ、大きく劣る。魔石を音と同じ領域まで加速させても、まだ届かないってわけさ」
魔力は銃弾に。魔法陣は銃身に変化した。魔銃学園『ベルヘルム』で学ぶのは、旧時代ではなく、新時代の魔術である。〝銃士〟とは銃を使う魔術士を意味するのだ。
「ちなみに、神様や精霊の奇跡を零世代。旧時代の魔術を一世代。新時代の魔術は二世代目とされている。今日はまず、『暗黒の二百年』の際に人々がどうやって生活基盤を取り戻したのかを順に説明する。ともかく最初に必須とされたのは、魔物への対抗策で」
カノンが教科書通りの、当たり障りのない説明を続けている時だ。突如、窓際の生徒が一人、椅子を倒す勢いで立ち上がった。アマレットの一つ後ろの席だ。教師含め、皆の視線が集中するも、女子生徒は構わずに窓の外へと感嘆の声を送る。
「御姉様達の御帰還です! サンガルテ村の盗賊を退治しに行った御姉様達が戻ってきました!」
すると、女子生徒の全員が席を立ち、窓際へ集合する。窓を開けて手を振る者までいた。
「アディリシア様~。今日も
「レインズ様よ! やっぱり、あの凛々しい顔立ちが完璧です! 胸がはち切れそうよ!」
「クロエ様ぁあああああ! どうかこっちを御見えになってくださーいいぃいいいいい!」
まるで、大人気劇団の大人気役者の出待ちである。繁華街のベリル
「……あのね、君達。ちゃんと授業を受けような。先生、悲しくて泣きそうだぞ」
当然、そんな声に誰も返事はしない。ちなみに、一番大きな声で御姉様達に手を振っていたのは、白に近い柔らかな金髪のアマレット・M・T・スティンガーだった。
○
報告書を提出し終えたアディリシアは第二職員室を出ると、即座に二階から三階へ向かった。学園の校舎は、教室棟や銃器科目棟、特別科目棟などに別れ、複雑な造りをしている。増築や改装が繰り返された四階建てで、新入生が迷わず校内を歩けるようになるまで、半年以上かかるとまで言われるような有り様だった。全ての部屋が利用されているわけではなく、諸事情などから空き部屋も多い。少女が目指すのは特別科目棟の三階、一番奥だ。
板張りの廊下を、音を立てない速度で走り、時折、後ろを確認する。誰にも見付かるわけにはいかないからだ。アディリシアの服装はすでに制服へと替わっている。湯浴みも済まされた少女の身体に、汚れ一つなく、髪はふんわりと柔らかく
時刻は午後三時をちょうど回ったところだ。本来なら、午後の
「悪いが、ここには紅茶も茶菓子も用意されてないぞ」
窓が北を向いているせいだろうか。室内は薄暗く、辛気臭い場所だった。通常の教室と同じ大きさで、十数組程度の机や椅子が壁の一角に積まれている。普通の授業では使われない、物置部屋だった。そんな場所で、適当な椅子に座って
「任務から無事に帰って来たのです。労いの言葉ぐらい、あっても罰は当たりませんのよ」
「相手は十人にも満たない雑魚集団だったんだろう? 何も心配なんかしてねーさ。あれぐらい、五人も送らなくても、お前一人で楽勝だっただろうに」
カノンは組んだ両足を机に乗せた体勢だった。アディリシアは彼の足を退けて、そこに腰を下ろす。そして、見せつけるようにゆっくりと足を組んだ。長い
薄暗い部屋の中で、アディリシアの双眸は琥珀に薄い緑が煌めく色に変化していた。カノンは、降参とばかりに両手を顔の高さまで挙げた。アディリシアが満足そうに頷く。
「魔銃を持っている奴がいたんだろう? どうだった? 強かったのか?」
「時代錯誤も甚だしい
自信満々に胸を張るアディリシア。だが、カノンは
「何言ってんだ手前は。魔術なんて、魔石と魔導具があれば誰だって使える。人種も人柄も何も関係ないのさ。お前が偉そうにする話しじゃねえだろうが」
旧時代の魔術は呪文により世界へ語りかけ、己の魂を契約した精霊や神と直結させる必要があった。魂を擦り減らすような厳しい鍛練が必須であり、選ばれたほんの一握りの人間にしか使用は許されなかったのだ。しかし、新時代の魔術は違う。呪文も鍛練も必要ない。道具さえあれば、誰だって使えるのだ。何故なら、魔力を意志で動かすのではなく、火薬で魔石を動かすだけで済むからである。もっとも、カノンの嘲弄にアディリシアは嗜虐的な微笑みを返したのだ。ひねくれた彼がどんな返事をするかなど、承知の上だった。
「あーら、ごめんなさい。その点、カノンは優秀ですわね。なにせ、由緒正しき学園の教師を勤めているのですから。誰にだって出来る仕事ではありませんわね。誇りなさいな」
カノンの教師生活が上手くいっていないことなど、アディリシアが見抜いていないはずがない。特大の皮肉を返され、少女よりも九歳年上の男はバツが悪そうに黙り込んでしまったのだった。そして、憎たらしげに不満を吐き出す。
「つーか、なんで手前の母親は俺を学園の教師にしたんだよ。仕事なら別に渡されてあるんだ。動き難くて仕方がねえ。それに、男の教師は俺一人で、ここは女学園だ。完全にアウェイじゃねーか。この学園で他の男っていったら、庭師のグレイル爺さんと料理人が数人だけなんだぞ。肩身が狭すぎる。肩が凝って仕方がねえ」
「諦めなさいな、カノン。貴方はレミントン家の養子で、御父様を尻に敷く御母様の機嫌を損ねれば、路頭に迷うのですよ。それとも『魔導鍛冶師』である貴方が、レミントン家の援助を失って生きていけるとでも? それならば、はっきりと言いなさいな。『俺は大貴族の莫大な援助がなくても平気だから手前の命令なんて聞かねえ』と」
カノンは
新時代の魔術を最初に生み出した『
魔術と武器は密接な関係にある。何故なら、いくら優れた魔女が優れた術式を開発しても、それを実現するための道具がなければ意味がないからだ。とくに、新時代に突入してからは、魔石を臨界速度に届かせるための銃器が必要不可欠だ。魔導具とは、武器の性能と術式の性能、その二つが合わさってようやく意味を見出す。本来なら、術式を開発する魔女と、魔導具を作る製作者の二人に別れるのだが、彼のような『魔導鍛冶師』は、その二つを務めるのだ。もっとも、はっきり言えば、無駄である。王国では器用貧乏の別名だ。
「魔女が鉄を打つなど無粋。鍛冶師が術式を考えるなど馬鹿らしい。あまりにも、非効率的ですわ。現に『魔導鍛冶師』など、世界に百人もいないというのに」
「……そういう性分なんだよ。俺は『魔導鍛冶師』の道を極めないといけないんだ」
一度決めれば、絶対にこちらの言うことを聞かない頑固な彼である。アディリシアは微苦笑と共に嘆息し、長い
「では、そろそろ戻りますわ。それでは、カノン。また、次の授業で」
「もっと自信を持ちなさい。私の銃を、一体どこの誰が開発したのか、忘れたのですか?」
○
魔銃学園『ベルヘルム』は一から六学年まである。各学年六組までで、今年の在校生徒数は千四百二十六名だ。合同での授業は珍しくなく、午後からの射撃訓練は、三年生の一組から三組、四年生の二組と三組が、同じ第四射撃訓練場に集まった。アディリシアは三年生の三組であり、任務での疲労を無理矢理忘れての参加である。
第四射撃訓練場は一階の銃器科目棟にある。内部は高さ三メルター、横六十メルターの縦五十メルター。等間隔で仕切りがある長大な
授業の邪魔をしないように、
さて、アディリシアは現在、悠然とした態度で
人間の耳は繊細で脆い。小銃よりも格段に威力の低い拳銃の発砲音だろうが日に何十、何百発と傍で聞けばすぐに壊れてしまう。酷い戦火から帰ってきた兵士の中には五体満足でも、耳がすっかりやられて難聴になってしまった者も少なくない。実戦以外の射撃訓練では、必ず耳栓を付ける決まりなのだ。
全員が
「今日の射撃訓練は貴様らの限界を測る。手を抜くな。全力のさらに向こう側を私に見せてみろ!」
アディリシアはチラッと首だけを後ろに曲げた。数メルター先に立っていたのは、フランカ・D・レイジング。射撃専門の教師であり、生徒達からは『嵐帝美鬼』と恐れられる女性である。今年で二十八歳の、身長は約百八十センテ・メルター。肌は白く、硬い質感の金髪は短く切り揃えられている。細身であり、程良く引き締まっている肉付きだ。
思わず息を飲むような美麗を持ち合わせながらも、中性的な顔立ちで、生徒達の一部からは『王都にある王国歌劇団にでも入れば大人気間違いだろうに。当然、男装で』と人気が高い。もっとも、元軍人である彼女にそんなことを言えば、たちまち怒鳴られるだろう。
(まあ、酒場の酔っ払った男共のように理不尽な怒りをぶつけるような八つ当たりをしないだけ、マシなんでしょうけど。確か、この学園の卒業生だったかしら。レイジング家と言えば、銃士の名門。十年前に起きた『クリザリア防衛戦』にも参加したとか)
アディリシアはフランカを過小評価も過大評価もしていない。その厳しさに少々の不満を覚えるも、こちらの血筋だけを見てごまをする連中よりも数段マシだ。
「手始めに、三つの的に十発ずつ撃ち込め。的はそれぞれ、十、二十、三十メルターだ。終わった者から手を挙げろ。下から十人は
一瞬、生徒達の間に動揺が走る。
「それと、アディリシア・W・D・レミントン。貴様は一つの的に十五発ずつだ。距離も二十、三十、四十メルターとする。その上で、上位五番以内に入らなければ
耳栓を嵌めた生徒に聞こえるようにフランカの声は大きい。教師の命令に、アディリシアではなく、他の生徒が驚愕する。普通に考えれば、無理、無茶、無謀だ。事情を知らない人間には、教師による生徒虐めにも聞こえるだろう。しかし、魔力光の下で瞳を磨き上げた銀色に変えた少女は張りのある声で返答したのだった。
「構いませんわ」
これぐらいが丁度良いとアディリシアは心中でほくそ笑む。何故なら、他の生徒と同じ条件だと、必ず批判をくらってしまうからだ。『うむ』とフランカが深く頷いた。
「それでは、三年三組、射撃訓練開始!」
弾丸の装填。三十人を超す生徒が一斉に手を動かす。拳銃側面、銃身の根元近くにある固定金をずらし、銃身、輪転式弾倉の二つを本体から外す。続け、弾倉の前部から黒色火薬を適量注ぎ、羊の毛から作った
そして、弾倉後部の突起に雷管を嵌め、真鍮や象牙の棒で奥までしっかり押す。最後に、元のように部品を戻して完了だ。慣れた者でも、三分から五分はかかる作業である。すでに装填済みの弾倉を予め用意することで時間短縮が図れるも、やはり限界がある。
アディリシアは小さな欠伸を噛み殺し、皆よりも遅れて相棒に手を伸ばす。だが、ここからの作業が、他の生徒と大きく違ったのだ。まずは、銃身下部に並行して伸びている操作棒を少しだけ下へと折り、露出した〝心棒〟を銃口側に引いてずらし、弾倉〝だけ〟を取り外す。心棒とは、弾倉の中心を通る芯のようなものだ。人間で例えるのなら、背骨である。これを軸にして弾倉が回転する仕組みなのだ。つまり、従来の拳銃が心棒の固定された本体から、銃身と弾倉を取り外す機構であり、彼女が手に持つ拳銃は、その逆。本体から心棒をずらすことで弾倉を取り外す機構なのだ。
手早く黒色火薬、
銃身下に伸びている操作棒を下に折る。すると、てこの原理が作用し、弾倉一番下の弾丸を、操作棒と連動した短い棒が押し込む。粘度の高い不燃油を塗り、これを後五回繰り返す。最後に雷管を専用の部品を使って詰めて完了だ。
今は、他の生徒に配慮して、弾倉を本体から外したが、本来は弾倉を外さない状態でも弾丸の装填が可能である。弾倉の穴が装填用に露出した設計なのだ。これこそ、カノンが設計し、開発した最新式の銃器、自己完結型管打式輪転拳銃である。既存の拳銃と比べ、恐ろしいほどに弾丸の装填速度が速い。もっとも、それを抜きにしてもアディリシアに課せられた条件は重い。ここからは、彼女の射撃能力が物を言う。
アディリシアは両足を肩幅まで広げ、両手で銃を握る。腕は二等辺三角形を描くように伸ばし、肘に適度な余裕を作る。肩と頭を前に突き出すような構え方だ。あくまで冷静な心を忘れない。筋肉の無駄な硬直は射撃の邪魔だと母に教わった。
銃身の先端上部にある出っ張りの照門と、撃鉄上部付近にある凹型の照星。この二つが真っ直ぐ重なるように的を狙う。優秀な生徒ほど、正しく照準を定める作業を短時間で済ます。だが、アディリシアは一々、照門と照星を確認しない。正確に言えば、意識的に確認していないのだ。つまりは、無意識の領域。身体が覚えている。
右手の親指が撃鉄を起こす。半秒と間を置かずに、人差し指が引き金を絞った。倒れる撃鉄。叩かれる雷管。火花が発射薬に噛みつき、黒色火薬が急速な燃焼を開始。発生した高圧の気体が弾丸を音の世界へ案内する。また、銃身内部に刻まれた旋条(斜線の溝。銃身内部に数本刻まれている)が弾丸へと螺旋運動を追加させた。回転は弾の軌道を安定させる効果がある。銃口から緋色と濃い橙色の発砲炎が吐き出される様は、帝国の南部に咲く風乱紅梅の花吹雪か。極点を穿つのは、極小の死神である鉛の弾丸。
長方形の紙に百七十センテ・メルター程度の人型が描かれている的。二十メルター先にある的の頭部、それも眉間が正確に撃ち抜かれた。アディリシアは立て続けに発砲し、四秒足らずで六発全てを頭部、左胸、腹部、右膝、股間などに命中させた。当てる部位はどこでも良いが、人型から外れた白紙面に当てたのは無効である。
すぐさま輪転式弾倉を外し、別の空弾倉と交換する。同じ弾倉を掃除もせずに使い続けると火薬の燃え滓がこびり付き、命中精度が格段に落ちるからだ。生徒一人につき、三つまで使用を許可されている。アディリシアは流れるような手付きで弾丸を装填し、再び発砲する。他の生徒と比べ、段違いの速度だった。単純な銃器の差だけではない。体勢の保持、照準を定める時間、命中精度。銃士としての腕が他の生徒と隔絶しているのだ。
レミントン家は軍事を司る名家である。その次期当主であるアディリシアは物心ついた頃から厳しい鍛練を課せられた。ぬいぐるみを抱く時間よりも銃を握る時間の方が長く、歌や詩を覚えるよりも先に弾道計算学を覚えた。友達を作るよりも先に少女が覚えたのは、どこを撃てば効率良く人間を殺せるかだった。それでも、母を恨んだことは一度もない。
レミントン家に生まれた運命ならば、それを全うするまで。アディリシアは魂の根っこから軍人であり、銃士だった。
数分後、彼女は一番で最初の射撃訓練を終えたのだった。
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