ベルヘルム~魔銃学園の銃士達~

砂夜

序章

 闇夜を抉ったのは緋色と濃い橙色の閃光だった。大気を叩き、砕き、破砕させた轟音の余韻はか細い硝煙。アディリシア・W・D・レミントンは幼子を食らう魔女のような笑みを浮かべつつ、右腕を下ろした。手に握られているのは、輪転あるいは回転式と呼ばれる弾倉を持つ拳銃だった。彼女は魔銃学園『ベルヘルム』の生徒であり、課外授業の真っ最中だった。場所は都市から馬で半日の距離にあるサンガルテ村の傍にある森の街道である。

 地元の樵達が『黒柳の森』と湛える場所だった。家具に使われる良質な木が採れる此処に、一週間前から盗賊が現れ、彼らや行商人、旅人を襲うようになったのだ。このままでは仕事が出来ない。そのうえ、森は村と他の町とを繋ぐ重要な行路。このままでは生活に困ると村長から学園へと依頼が入ったのだ。アディリシアは、右腕を撃たれて地面に転がっている男へと向けて、心底軽蔑した声を投げつける。悶え苦しむ男の声が実に心地良い。


「四四口径の味はいかがでしょうか? ちゃんと味わいなさい。私から撃たれたことを、至上の名誉とするのです。レミントンの血を受け継いだ私の腕は、安くないのですから」

 

 アディリシアは、垢がこびり付いた薄汚い服を纏う盗賊を見下ろしたまま、妖艶に下唇を舐める。それは、蛇が獲物を捉えた際の動作によく似ていた。形の良い弓形の唇は鮮やかな真紅。男の右腕を生温かく濡らす深紅よりもなお鮮烈だ。

 クルスタッロ大陸の南西地方は冬を知らない分、夏だろうが夜は冬並みに冷える。そのせいだろうか。止め処なく溢れる血から昇る湯気の色が濃い。アディリシアは大きな欠伸を噛み潰した。本来なら、すでに紅茶の一杯でも飲んで眠っている時間帯である。

 至極に、極上で、上等に美しい少女だった。歳は十六の三年生。身長は同教室戦友クラスメイト内でも大きい部類の百七十二センテ・メルター。白い肌には瑞々しい張りがあり、健康的な赤みが差している。腰の半ばまで届く艶やかな髪は、月明りを煮詰めて細く梳いた金色。頭の左右で三つずつに別れた縦螺環ロール。誰が呼んだか『ベルヘルムの攻城砲リボドゥカン』。多銃身の斉射銃砲と同じ名前だった。本人は、そこそこ気に入っている二つ名である。

 双眸は王国産の最高級宝石・秘想金碧石トゥルー・アレキサンドライトの切れ長。太陽光、魔術の光、蝋燭の光。様々な光の種類と加減で色を変える性質を持つ。今宵は目が眩しい程に光り輝く満月。冷たい光は瞳を冷酷な蒼に染める。

 肢体は細く、しなやか。だが、華奢な印象イメージはない。それは、無駄なく鍛え上げられた証しだった。胸元は豊かな膨らみを誇り、太股と尻の肉付きも見事の一言に尽きる。まさに劣情の具現か。数多の宝石と金銀で装飾された小銃が如き女だった。

 艶めかしくも、けっして下品ではない。豊潤な色気と共に、年相応の可憐さも合わさった彼女は、美しくも凛々しい。それは荒れ地に咲き誇る一輪の薔薇であり、磨き抜かれた宝石の冴えだった。美麗であり淫靡。極限の黄金比によって紡がれる人間としての極致。

 纏うのは白い中衣服シャツに、濃い緑色の上衣服ジャケッド同じく濃い緑の下衣服ズボンは太股と尻の輪郭がはっきり見える窮屈そうな意匠デザインだった。腰を締める腰巻ベルトには、いくつかの小物入れポーチが付いている。銃用革鞘ホルスターは右脚の太股に巻かれていた。外套コートは磨くのを忘れた銀のような灰色だった。腰から下が、女用下衣スカートのように広がっている。革の長丈靴ブーツは長い遠征でも壊れないように耐久性に特化している。由緒正しき学園の〝野戦用装備〟であった。

 女の視線にようやく気が付いたのか。痛みに身悶えていた盗賊の男が、やっと口を開く。それは、四十代の男がみっともなく涙と鼻水を零す情けない声だった。

「た、頼む、見逃してくれ。お、俺だって、好きで盗賊してたわけじゃねーんだ。前に住んでた街で仕事を首になって、それで、他に行くあてもなかったんだ。生きるためには、仕方なかったんだよ! なあ、頼むよ。なんでもするから命だけは」

 うら若き乙女は途中から男の話を聞いていなかった。首を、くいっと右肩に当てるように傾ける。それは、心底理解出来ない際に見せるアディリシアの癖だった。


「……だから、どうしたって言うんですか? パトリシー・メイスンの歌にもこんな一節があります。『よく見ろ手前ら。そこに壊れた木桶バケツが転がってんだろ。それを蹴飛ばすのと、悪人を撃つの。どんな違いがあるっていうんだ?』と。つまり、それだけの話です」


 アディリシアは右手の親指で輪転式拳銃の撃鉄を起こし、だが弾かれたように後方へ大きく跳んだ。耳に届いたのは一つの風切り音。前方から飛来した大振りの鉈が、その肉厚な刃を回転させながら、地面に転がっていた盗賊の額へと突き刺さる。首の半ばから脳天までが柘榴のようにばっくりと両断された。目と目の距離が倍以上に広がり、男の身体が一度だけ大きく痙攣し、ピクリとも動かなくなった。血と脳漿が断面から溢れ出し、ドロリと地面を汚す。少女は、厨房で料理長が政海真底海老ジャンガラ・エビの頭を肉厚包丁で叩き切った光景を思い出す。ああすると、海老味噌が余すことなく取れて、良い出汁になるらしい。


「そうそう。海老味噌と乳性柔泡液バター・クリームを混ぜた調理汁ソースは絶品でしたわね。あれと、蒸し焼きにした政海真底海老があれば言うことありませんわ」


「がっははっははははは! なんだなんだ、中々やるじゃねえか、気に入ったぜ」


 言葉を返したのは、料理長ではなかった。下卑た笑い声が前方からぬうっと顔を出した。

 元の色がなんだったか分からないぐらいに汚い服を着た初老の大男だった。少女よりも頭一つ分以上大きく、筋肉の塊のような体躯である。髪はボサボサ、髭はボーボー。人々が想像する盗賊の典型的な姿にピタリと当て嵌まるような男だった。

 汚い顔には無数の傷跡があり、背中はやや曲がっている。腰に巻いたベルトには拳銃が収まっている銃用革鞘ホルスターを付けていた。こちらを見るなり、また下卑た笑い声を上げたのだ。顔を顰めたくなるほどに大きく、耳障り。まるで、発情した雄猪の雄叫びである。


「がっはっはっはっはっ! 気が強そうな女だ。こういう女を自分の物にするのが俺の生き甲斐よ。どんだけ気丈な女も、俺様のコレを見ればたちまち、言うことを聞くぜぇええ」


 初老の盗賊が腰の銃用革鞘ホルスターから拳銃を引き抜いた。それを見たアディリシアは眉間に皺を寄せる。男が構えているのは、胡椒入れ筒ペッパー・ボックス式と呼ばれる拳銃だった。銃身を六つ束ねたような外見であり、現在の輪転式拳銃よりも一つ前の世代である。王国『アークライラ』と小国『ノワール・メージュ』が争った三十年前の『ザナン・グラン海峡攻略戦』。その際に、大量の余った銃器が闇市に横流しされたと言う。

 胡椒入れ筒ペッパー・ボックス式拳銃は銃身を束えた分、重く、命中率の低さと扱いの不便さから、とうに現役を引退している。だが、その分、銃器としては猛烈に安価なのだ。こうして、盗賊風情が持っていることは、けっして珍しくない。口径は破格の五十口径。相手が発射薬をケチっていなければ、弾丸が掠っただけでも血肉が吹き飛ぶだろう。


「ぎひひひひひ。この野太い銃の世話になりたくなければ、俺様の荒縄をしゃぶるんだな。その喉をヒーヒー言わせてやるぜ。げげげげげげげ! ぐががががががががががが」


 あまりにも知性が欠落した言動に、アディリシアは裏道を歩いていた時に雄の野良犬が自分で股間を舐めて自慰していた光景を思い出す。少女は五秒考え、己が握っている輪転式拳銃の撃鉄をゆっくり倒してから、銃用革鞘ホルスターへと戻した。こちらが降参したと勘違いしたのだろう。大男がニヤリと笑みを深めた。森の中に風はなく、ただただ冷たい空気が滞っている。僅かに混ざるのは、生温く鉄錆び臭い一人の男の残滓だった。


「一つ、問いましょう。この男は仲間なのではないのですか。盗賊だろうと、仲間なのではないのですか?」


「仲間だぁあ? がっはっはっはははっはは! 何が仲間だ。ソイツはな、俺様の仲間になりたいって言った癖に殺しの一つもやらねえ臆病者よ。荷物運びぐらいにしか使えない役立たずだ。そんな小物が大盗賊・ガストン様の仲間? 下僕の間違いだろう? ぐげげげげげげげげげ。命乞いするなんて情けない奴なんか、麦粒一つも価値もねえさ」


 アディリシアは地面に転がったままの元盗賊現死体に視線を落とした。二秒だけ目蓋を閉じ、ささやかな黙祷を送る。同情したわけでも、謝罪したわけでもない。単純に、彼女がそうしたかった。ただ、それだけの話だった。こちらを犯したくて犯したくて仕方がないらしい。ガストンが舌舐めずりしながら、見せつけるように拳銃を突き出す。


「さあ、こっちへ来い。妙な真似はするんじゃねえぞ。たーっぷりと、可愛がってやるぜ」


 ガストンの右手、人差し指が引き金に伸ばされた時だ。鋭くも重い轟音が一瞬だけ、闇夜を緋色と濃い橙色で染め上げた。大男の両膝に赤い花が咲く。巨体は体勢を崩し、強制的に跪かされた。絞め殺される寸前の雄牛のような悲鳴をあげる愚者を、アディリシアは酷く冷たい表情で見下ろしたのだった。彼女の右手には銃用革鞘ホルスターに戻したはずの輪転式拳銃が抜かれており、今撃った証拠とばかりに銃口から真っ白な硝煙が零れていた。

 何も、ややこしい話ではない。アディリシアは、銃用革鞘ホルスターへと右手を伸ばし、拳銃を引き抜くと同時に親指で撃鉄を起こして発砲。間髪入れずに左手で撃鉄を再度起こしたのだ。彼女が使う輪転式拳銃は、一発撃つごとに撃鉄を一々起こさなければいけない。裏を返せば、撃鉄を起こしさえすれば、銃士の腕次第で発砲速度は刹那に迫る。

 アディリシアの右腕は肘だけを曲げた状態で腰に押し付けるように固定されていた。左腕は腹部に当てるような位置だった。あの瞬間に彼女が二発撃ったのだ。


「て、てめええええ。こんなことして、タダで済むと思うんじゃねえぞ。殺し、殺してやる。殺して死体を小便塗れになるまで犯して、犯して、犯してやるぅううう!」


 殺意に目ん玉を大きく見開いた男が胡椒入れ筒ペッパー・ボックス式拳銃の引き金に指を当てる。アディリシアは銃口の位置と角度から、絶対に自分へは当たらないとすでに射線を読んでいた。しかし、両膝を撃ち抜かれたガストンの顔には、嘲弄の笑みが浮かんでいる。あれは、苦し紛れで戦う男の目ではない。何かを隠している男の目だ。少女は、強く地面を蹴った。

 ガストンがとうとう発砲する。だが、それは通常の鉛玉ではなかった。弾丸は二メルターも飛翔しないうちに淡い青色の光に包まれる。臨界速度に到達した魔石は、その身に刻まれた術式を解放。溢れたのは、透明な殺意の具現だった。高圧縮された風の刃が無数に吐き出され、夜闇の向こうへと消えて行く。横へ跳んだアディリシアは無傷だったが、その顔には拭いきれない驚きの色があった。


「……魔術を紡ぐ銃器。そこの豚。その魔導具はどこで手に入れましたか? いくらそれが今では価値の低い銃だろうが、魔導具として改造されたとなれば話は別。コソ泥が簡単に手に入れられる代物ではありません。さあ、どうやって入手したのか正直に答えなさい」


「ぐげげげげっげげげ。ゴチャゴチャうるせえぞ! とっとと死んじまえっ!」


 ガストンが次弾を撃つよりも先に、アディリシアは土を踏み固めた街道から、木々が生える森へと駆け出し、手頃な大木の背後へと隠れる。男が再び発砲。風の刃が、斧を振り下ろしたような重い音を立てて幹を滅茶苦茶に傷付ける。木片が無数に飛び散った。まるで、透明な樵が群れとなって刃を叩きつけたかのように。

《射線の末端、つまり本来の着弾点から半径一メルター弱。彼我の距離、約三十メルター。威力はまあまあですわね。まあ、骨董品としてはそう悪くない性能でしょうか)

 あの男が持っている魔銃が、村長の手紙に書かれていた〝恐ろしい武器〟なのだろう。これまでの犠牲者は、すでに片手の指では数え切れない。義憤が、胸の内で青く静かな炎を燃やした。アディリシアは大きく息を吸い、ゆっくり吐く。息は白く、大気へと溶けた。


(面倒臭いですわね。近付くのは悪手。となれば、私も相応の武器で戦うしかなさそうですね。パトリシー・メイスンの歌にもこんな一節があります。『殴られたら殴り返せ。そのうち、剣も銃も大砲も飛び交うだろうさ。それが戦争の始まりさ!』とね)


 冷静に敵を分析しつつ、アディリシアは右手に持っている拳銃の撃鉄を、半分だけ起こした。すると、輪転式弾倉を内部で固定する留め具が外れ、自由回転するようになる。今度は銃口が空を向くように握り柄グリップの持ち方を変えた。ちょうど傘の柄を握るように。

 左手を腰巻ベルトに付いている小物入れポーチへと伸ばし、中から一個の紙薬包を取り出した。可燃性の紙に包まれた黒色火薬・不織布フェルト・弾丸の一式を、輪転式弾倉の穴に突っ込む。そして、一番下になるように回転させた。銃身下の操作棒を下に折り、弾丸を奥へ押し込む。アディリシアが使う拳銃は、操作棒により、特別な道具を使用しなくても弾丸の装填が可能なのだ。弾倉の後部に嵌めてある雷管を交換し、新しく装填した弾丸が初弾になるように回し、撃鉄を完全に起こす。この間、僅かに二十秒足らず。凄まじいまでの速度だった。

 降参しないアディリシアに痺れを切らしたのか、ガストンが再び発砲する。大木の中心近くまで刃が浸透する。後、一発か二発耐えられるかどうか。少女は、その場で軽く足踏みして、足元の感覚を確認する。落ち葉が腐食して生まれた土は、空気を適度に含む柔らかさだ。都会では石畳みやアスファルトの堅い地面が普通となっている。この分なら、蹴る強さはいつもの数割増しでも良いだろう。

 アディリシアは呼吸を止め、一気に地面を蹴った。黒々とした土が靴底に噛まれ、後方へと飛沫を上げた。黄金の縦螺環ロールが月光の下で煌めき、蒼き瞳が冷酷にガストンを睨みつける。盗賊の長は選択を間違えた。弱者は黙って降参すれば正解だったのだ。しかし、安い矜持が邪魔をしたのだろう。勝機とばかりに胡椒入れペッパー・ボックスの銃口を少女に向ける。


「避けられないだろう? ぐげげげげげっげげ、死んじまえぇええええええええ!」


 額に大量の脂汗を滲ませた男が引き金に指をかけた瞬間、アディリシアが発砲した。弾丸は音速を超え、臨界速度に到達。飛翔半ば、弾丸は旋条痕と共に刻まれた術式を解放する。遥か昔、女神の呪いにより硬質化された魔力の塊である魔石が分解、再構築される。

 アディリシアの双眸が鮮やかな緋色に変化する。弾丸は紅蓮の炎によって形作られた大鷹へと変質した。翼広げる魔性は、今、木から飛び去った鴉よりも、二回りも三回りも大きい。ガストンが放った風の刃を紙一枚の抵抗もなく打ち落とす。


「私は魔銃学園『ベルヘルム』の生徒。魔術が使えないわけが、ないでしょう?」


 花も妬む美貌が湛える優雅、絶対の自信、そして容赦ない嘲弄。少女から蜂蜜よりも濃厚で胡椒よりも刺激的な嗜虐たっぷりの笑みを向けられたガストンは、何が起こったのか分かっていない呆けた顔になっていた。炎の魔鷹はアディリシアの傍で滞空し、出番を待つ。全てにおいて、彼女が勝っていた。魔銃学園『ベルヘルム』の生徒は、卒業後、その九割五分が王国軍に入隊する。弱卒がいるわけがない。三年生ともなれば、時には本当の戦場だろうが駆り出される。年下だろうが、経験した場数が違うのだ。


「盗賊の長は生かしたまま捕える決まりです。面倒ですが、大人しくしてくださいな」


 アディリシアが撃鉄を起こす。輪転式弾倉が時計回りに一発だけ回る。ガストンは右手から銃を落とした。両膝の出血か、顔色は青白く、悪寒に震えるように痙攣している。


「この私を倒すなど、百年早いですわ。……全く、面倒ですこと。学園に帰ったら、カノンに紅茶を淹れさせましょう。それとも、村で一泊でしょうか。やれやれ、難儀ですわね」


 目の前で起こったことがまるで信じられないと硬直する、放心状態のガストンなど、すでに眼球から消えていた。アディリシアは炎の魔鷹へと、優しい微笑みを向ける。


「もう、よろしいですわよ。御苦労様でした」


 すると、炎の魔鷹は翼を一度だけ大きく打ち、そのまま大気へと溶けてしまう。後ろ髪を上品に掻き上げたアディリシアの瞳がだんだんと蒼色に戻っていく。


「こんなことなら、紅茶用装備ティー・セットの一つでも持ってくるべきでしたかしら」


 夜空を見上げ、月に問う。当然、月は言葉を返さない。あるいは、返せない。

まるで、月の戸惑いを伝えるように強く、身が切れるように冷たい風が吹いたのだった。


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