最終回 よくできた言葉

二十四

 金曜日の夜。

大人はそれを「華金はなきん」と言ったりするらしいけれど、いまのわたしはまさにそんな気分だ。なにしろ、わたしはこれから初めて茉莉まりの家に行くのである。駅前でえる、りなと合流して、バイト上がりの茉莉を待つ。

明日から連休が始まるので、わたしたちは茉莉の家でお泊り勉強会をすることになった。

「勉強会」と銘打たれたイベントで本当に勉強ができるかと思うと実に怪しいのだけれど、夕方のニュースを見る限り、政治家たちの「勉強会」もあまり勉強をしている様子ではないし、一般人であるわたしたちがそれを咎められる理由もないだろう。


「お待たせ。待った?」

「お疲れ様。いま来たところ」

「出た! デートでお馴染みのやり取り!」

「百合百合してますなあ」

それはもういいから。次言ったら眠らす。

 駅ビルであらかじめメモした食材を買ったあと、わたしたちは茉莉の後をついてマンションに入り、エレベーターに乗る。

 茉莉の部屋はマンションの十六階だ。このマンションは二十八階建てで、市民なら知らない人はいない駅前のランドマークだけれど、実際に入るのはもちろん初めてだ。ここに一人暮らしをする美少女高校生だなんて、何かの設定にしてもできすぎている。

「上がって。散らかってて悪いけど」

 ドラマなどで他人の家にお邪魔するときにはお決まりの台詞だけれど、それを実際に聞くのは初めてで、少し興奮する。友だちの家に泊まるということ自体、何だか少し大人になった気分がしてしまうのは、わたしがまだ精神的に幼いことの裏返しだろうか。

茉莉の言葉とは裏腹に、部屋は玄関からしてきれいに片付いている。

ルームスプレーでも噴いてあるのか、何だかいい匂いがするし、家具もかわいらしいデザインのものばかりだ。これが女の子の部屋なのだとしたら、わたしの部屋はいったいなんなのだと気落ちしそうになる。

 居間のラグマットに腰掛けて、荷物を置く。

「さて、夕飯の支度よ」

 茉莉は開口一番にそう告げた。

 この前、屋上で茉莉の手作りのお弁当を見た時から、茉莉に料理を教えてほしいと思っていた。それで、ちょうどいい機会なので、みんなで夕飯を作ることにしたのだ。もう夜六時過ぎだけれど、今からみんなで準備すれば一時間はかからないだろう。


「えるは卵をよろしく。混ぜ方は流石に分かるわよね? ダシはけさ作ったのが冷蔵庫に入ってるから。りなは筋切りをお願い。なるこはレタス洗って」

 普段ひとりで全部やっているとは思えないオペレーション力の高さだ。喫茶店でのドジっ子ぶりとはなんだったのか。

 茉莉の指示に機械的に従っているだけで、次第に料理の工程が進んでいく。

 少しツンデレ気味でドジっ子だけど、こういうところでの突出した女子力の高さ。これは誰だって惚れてしまうし、絶対に悪い男にはつかまってほしくない。

「なるこ、さっき買った炭酸水を開けて。それに肉を浸けるといい感じに揚がるから」

 なるほど、何を割るのかと思ったら、そういう使い方があるのか。茉莉が詳しいのか、それともわたしが知らなさすぎるのか。


 それからちょうど一時間くらいで、見事な唐揚げとだし巻き玉子、そして味噌汁が完成した。

 りなは茉莉に負けず劣らずの料理上手で、鶏の筋切りの手際もよかったし、だし巻き玉子の巻き方も完璧だ。幼なじみなのに、どこでこの差がついたのだろう。

 炊きたてのご飯を人数分盛り付けて、烏龍茶で乾杯して実食だ。

 サクサクの唐揚げは脂っこくなくて、多すぎるかなと思ったくらいに揚げたのに、どんどん減っていく。だし巻き玉子も甘さが実にいい具合で、口に含むと思わず顔がほころぶ。わたしもひとりでこういうものが作れるようになりたいものだ。


 いま、わたしはきっととても幸せな時間を過ごしている。

 えるとりなは前から親友だと思っていたし、いまになって二人との関係がいきなり変わったということもない。

 でも、茉莉が転校してきて、わたしたちが三人から四人になって、二人との仲もより深まった。

 得体の知れない茉莉に怯えていたわたしを、いつも通りの天然さで励ましてくれたえる。いつもはつい文句を言ってしまうけれど、えるのボケがなければ、わたしはどんなに思いつめていたかわからない。

 そして、もう少し動じた方がいいんじゃないかと思うほど何事にも動じないりなの姿勢を見たからこそ、わたしは気持ちを保てた。りなは、単なる破天荒少女と見せかけて、とても強い女の子だ。盗人岳を倒せたのは。りなの機転のおかげでもある。

 そして、わたしを求めて転校までしてきた茉莉。

 茉莉は本当にかわいくて、優しい。こんな子がわたしの目の力を受け取って、わたしのことを追ってきて、そして親友になって、いま一緒にわたしたちと仲良くご飯を食べている。

 こんな幸せなことは、そうそうないだろう。もしこれが運命というものなのだとしたら、わたしはそれに感謝したい。


 もちろん、この目がわたしにもたらしたもの、これからもたらすものは、茉莉との出会いだけではない。

 盗人岳武ぬすっとだけたけしの企みは許されないことで、それは間違いなく彼に責任がある。

 でも、結果から見れば、わたしが「石」と出会ってこの目を手に入れたことが、彼の人生を狂わせたとも言える。謝る必要があるとは思わないけれど、少なくとも因果関係があるということは、動かせない事実だ。


 そして、まだ見ぬ九人の、わたしと同世代の少女が、この世のどこかにいる。

 彼女たちがどこで何をしているのかを知ること、それは確実に、わたしのライフワークになるだろう。少なくとも、それを知らずに満足できることはありえない。

 茉莉や由利に会えたように、他のみんなにもいつか必ず会える、それが運命だと信じたい。

「石」、そして「眠り姫」の物語が書かれた本。これが何なのかは、わからないままだ。そして、これからわかるという保証もない。それはきっと、わたしの目がそうであるように、科学的、論理的な何かで説明できる類のものではない。

「眠り姫」の話が本当なら、「石」は星の欠片、つまり地球外の物質だということになる。

 地球外の何かがわたしに能力を与えたのであれば、いつか向こうの側からわたしに接触してくることだってあるかもしれない。

 わたしにできるのは、いつそんな出来事があってもいいように心の準備をしつつ、わたしの側からも、その手がかりを探し続けることだ。


 ついこの前までは、わたしはこの目の力がある以外は至って平凡な生活を送れていて、これからもその平凡を維持できればそれでいい、そう思っていた。

 でも今では、この目のことをもっと知りたい、そう思えている。それは責任感ではなくて、単純な興味だ。

「石」がどうしてわたしに力を与えたのか、そして、わたしが盗人岳の前で願ったこと、それは力を与えた側からしてみれば正しいことだったのか、知りたい。

 これまでの人生で、わたしが一つのものごとにここまで興味を持つことができたのは初めてだ。その対象が自分の目だというのは少し気恥ずかしいし、それは他の学問と違って、すぐに答え合わせをすることもできない。

 でも、だからこそ興味を持てたのかもしれない。

 他の人が解決してくれることなら、その人にやってもらえばいい。そう思っていたからこそ、わたしは平凡でいいと思っていた。わたしにしかできないことなんて、ないはずだった。

 でも、この目はほかでもないわたしの目で、わたしだけの目だ。わたしが解決しなければいけないことなら、わたしがやるしかない。

 そんな、簡単なことだったのだ。


 と、少し大げさなことを考えてみたけれど、もう少しは、平凡であって平凡でない、いま目の前にあるこの日常を楽しみたい。

 盗人岳は倒したし、今すぐ張り切って動こうとしたところで、その手がかりもないのだ。

 一か八かの賭けに出て勝つという、わたしらしからぬ派手なイベントを経たのだから、少しくらいは現状にあぐらをかいたって、きっとばちは当たらないだろう。


「あっ、音ステ音ステ! テレビつけてもいい?」

 茉莉の返答を待たず、えるが慌ててテレビの電源を入れる。

「えるちゃんも好きやねえ、音ステ」

 わたしもよく見ている、金曜の夜恒例の音楽番組だ。ちょうど、おなじみの階段を出演アーティストたちが降りていくところだった。

 最近の音楽シーンは入れ替わりが激しくてなかなかついていけないけれど、ミーハーなえるの影響もあって、わたしも、流行りの音楽は動画サイトなどでそれなりにチェックしている。

「あっ、BSMボンサイムラ8だ! かえでちゃん、今日もかわいいなあ~」

 わたしも最近動画サイトでMVミュージックビデオをよく見ている新鋭アイドル、BSM8だ。

 盆栽をテーマにした独創性と、単なるイロモノの枠を超えた曲の良さ、ダンスの切れで人気を集めている。

『盆栽愛して九十年! あなたのハートを剪定せんていしちゃうぞ。盆栽アイドル、BSM、8でーす!』

 手で盆栽の形を表現する、おなじみの自己紹介ポーズだ。

 八人のメンバーが同時に挨拶するのだけれど、いつも息がぴったり合っているので、感心してしまう。

 BSMというのは「盆栽村」の略だ。

 先日、由利ゆりを訪ねて電車で行った街から一駅ほど戻ったあたりに、盆栽園が集中するエリアがあって、そこが「盆栽村」と呼ばれている。

 何でも、大正の関東大震災の時に東京から避難してきた盆栽業者たちが集まって、そこに村を作ったのが始まりだという。

 リーダーの五葉松ごようまつかえでがその近くの出身で、そのあまりの盆栽愛ゆえに「盆栽アイドル」を始動させたそうだ。最初はいわゆる地下アイドルだったのだけれど、ネットで瞬く間に火がついて、デビューからわずか一年で音ステ出演に至ったのだから、すごいシンデレラストーリーだ。

 …って、えるに付き合っていろいろ調べているうちに、わたしも何も見ずにこれだけ解説できるようになってしまった。

「…あんたたち、これから勉強するんでしょ」

 茉莉が皿洗いをしながら呆れたように言う。すみませんわたしも手伝います。

「これ見たら絶対やるから! BSMだよBSM!」

「あ、BSMはあたしもちょっと見たい。あたしも踊れるわよ、シャリダンス」

 茉莉もどうやらBSMには興味があるようだ。アイドルは偉大である。

 シャリダンスとは、盆栽の白い部分、すなわち「シャリ」に自分たちを見立てた白い衣装で踊る彼女たち得意のダンスで、ファンがその真似をした動画を動画サイトやSNSにアップするのが流行っている。


 CMが明け、BSMの出番前のトークが始まる。

『今日は新メンバーがいるんだって?』

 相変わらずサングラスの似合う名司会が、リーダーの五葉松かえでに話題を振る。

『そうなんです、卒業したメンバーに変わって、現役女子高生の新メンバーが、今日から一緒に歌います!』

 それは初耳だ。言われてみれば、見たことのないメンバーが一人いた気もする。

「あっ、やっぱりあの子新メンバーなんだ! 衣装は前の子と同じなんだね」

「業界の闇やなあ。前の子、『重大な契約違反』やろ?」

 新メンバーがセンターに出てきて、テレビの前の視聴者に挨拶をする。

『今日からBSM8のメンバーになりました、真柏しんぱくかりんです! まだまだ若木わかぎですけど、精一杯がんばります!』

 初々しいなあ。同世代と聞くと、応援したくなる。


 と思っていると、隣の茉莉が盛大に烏龍茶を口から吹き出した。まるで漫画のギャグシーンのようで、茉莉らしくないような、そうでもないような。

「茉莉ちゃん、どうしたん?」

 りなが茉莉の背中をさする。

「め、め、めめめ、目が…」

 茉莉は動揺を隠し切れないような様子だ。

「目?」

 茉莉は咳払いをし、冷静さを取り戻すようにして口を開く。

「…落ち着いて聞いて。この子、目の力を持ってる。『探知サーチ』に反応してる」


「えーーーーーーっ!!!」


 わたし、りな、える。三人が同時に叫ぶ。


「まさかの展開ね。勉強会どころじゃないわ。

 …なるこ、さっそく連休使ってBSMに会いに行くわよ! える、ウェブで握手会情報を調べて。今すぐ!」

「ねえねえなるちゃん、目のコネでサインもらえる?」

「うちはかえでちゃんのサインがええな」


 少しくらいは現状にあぐらをかいたっていい。

 さっきはそう言ったけれど、どうやら、そう簡単にはあぐらをかかせてもらえないらしい。


 事実は小説より奇なり。


 やっぱりこれは、よくできた言葉だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なるこレプシー キムラヤスヒロ @fdrbdr

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ