第十四回 わたしのこれから

二十二

 日曜日の夕食の席。

 このところ父さんが忙しかったので、三人揃っての夕食は久しぶりだ。

「最近、なんだか楽しそうだな。新しい友達でもできたか?」

 父さんがわたしに問いかける。

 まさにその通りなので、思わず面食らってしまう。

 わたしはそんなに喜怒哀楽が顔に出るタイプではないと自分では思うのだけれど、最近楽しいのは事実だ。

 盗人岳の件が済むまではまだ気持ちも完全には晴れなかったのは事実だけれど、いまではもう、茉莉は、何のわだかまりもない、単なる親友だ。

「単なる親友」という言い方は何だかおかしいかもしれない。

 でも、いまはもう、同じ目を持つからだとか、共通の敵がいるからだとか、そういう利害関係で茉莉まりと繋がっているわけではない。茉莉は、わたしの大切な友だちだ。

「なるちゃんはすぐ顔に出るからね」

「そうだな。昔からわかりやすいよ、お前に似て」

 両親が揃って笑う。

 わたしの「顔に出るタイプではない」という自己評価が一瞬にして否定されたのだけれど、生みの親がそう言うのだから、反論の余地もない。

「そういえば、進路調査票だっけか、そういうのはまだ貰ってないのか。なるこももう高二になったんだ、そろそろそういう話もあるだろう」

 あ、そういえば。

 新学期最初のホームルームでそんな紙を貰った気がするけれど、茉莉の転入からの一連の流れのインパクトが強すぎて、わたしはすっかりその存在を忘れていた。確か、提出期限は連休明けだった気がするから、まだ大丈夫だとは思うけれど。

「貰ったけど、まだ書いてないや」

「そうか。まあ、焦ることはない。俺たちは、なるこの考えに全部任せるからな」

「全部?」

「ああ。なるこももう大人なんだ。社会には、なるこより年下でもう働いている人だっている。自分のことはもう自分で決めていいし、決めないといけない。もちろん、必要な手助けやお金は出すけどな。

 大学に行ってもいいし、働くのもいい。どちらを選ぼうと、俺たちは応援する。でも、『周りがみんなそうしているから』という理由で自分の将来を決めることは、絶対にしないようにな」


「よき父」の模範答案のような父さんの言葉に、隣の母さんも笑顔で頷いている。

 実際、それはとても嬉しい言葉で、そこに嫌味はまったくない。二人が親としての体面でなく、わたしのことを一番に考えてくれていることがよくわかる。

 十七年間ずっと一緒に生活しているからわかるけれど、わたしの両親は、もしわたしがここでいきなり「わたしは上京してバンドで食っていく」と宣言しても、きっとわたしを心から応援してくれるような人たちだ。

 それは放任主義だからではなくて、二人がわたしを信じてくれているからだ。だから、わたしが本心からそう言っているのなら、二人は絶対に反対しない。

「…もし、わたしが医者になりたいって言ったら、どうする?」

「医者?」

「眼科医になって、自分の目を研究したいって言ったら」

 わたしは自分で自分に驚いた。わたしの口から、こんな言葉が出てくるなんて。


 わたしは平凡を求めていた。いや、今でも求めていると言った方が正しい。

 高校を出たらそこそこの大学に入って、そこそこの会社でそこそこの仕事に就いて、いい相手がいれば結婚して、子供が産めたら産んで、子育てをして、老後を過ごす。

 別にその通りでなくてもいいけれど、少なくとも、何かのプロフェッショナルとして働いたり、波瀾万丈の人生を過ごしていこうという気持ちは、わたしにはいまのところない。

 ないはずなのだけれど、さっきの言葉が出た。


 父さんは、ほとんど間を置かずに笑顔で答える。

 「言っただろう? なるこの考えに任せるって。なるこが本当にそうしたいなら、俺たちに止める権利はないよ。大変だとは思うけど、大変じゃない仕事なんてないからな」

「でも、勉強は大変になるわよ? いけるの、なるちゃん?」

 父さんは本当にできた人だ。

 いつも真面目だけれど、それはとっつきにくい正論ばかりの真面目さではない。誰に対しても同じ言葉を並べるのではなくて、相手のことを理解した上で、その人にとっての適切な言葉をきちんと選んでいる。

 母さんも、頭脳派という感じではないけれど、根本の考え方は父さんに近い。包容力がある、と言えばいいのだろうか。少しお調子者なところは草葉えるに似ているのだけれど、それでいて芯の強さを感じさせるのだ。もちろん、えるを馬鹿にしているわけではない。

 総じて、二人の言葉には、嫌味がない。


 それにしても、どうして、「平凡」とはほど遠い「医者になる」なんて言葉が、このわたしの口から出てしまったのだろう。

 それはやっぱり、茉莉との出会い、そして盗人岳との一件が大きいのだろう。

 ほんの二週間ばかりのことだし、「成長した」と言ったら大げさになるけれど、その二週間で、わたしの考えに変化をもたらすのに充分なだけの出来事を、わたしは経験した。

 平凡を求めるこのわたしは、客観的に見れば、残念ながら既に平凡ではない。なにしろ、こんな目を持っているのだ。

 わたしが平凡でない以上、どんなに平凡に生きようとしたって、これから先、きっといろいろな平凡でない出来事がわたしを襲ってくる。

 茉莉との出会いだって、結果的には良かったけれど、それは平凡とはほとんど対極にある。盗人岳との一件は、言わずもがなだ。


 盗人岳ぬすっとだけのような極端な反社会的思想を持った人間は、さすがにそう多くはないだろう。

 でも、わたしの目の力を知った人間がその力を利用したくなるということ自体は、一般的な人間の欲望として、とりたてて異常なことではないはずだ。それが研究者であれば、そんな不思議な目を調べてみたいと考えることは、むしろ自然なことだろう。

 そう考えると、この目について知りたいからといって、それを他人に任せるのは、やっぱり不安がある。

 わたし、あるいは、この目を持ったほかの「二十四の瞳」の誰か自身がそれを調べるのが、波風立てずに答えを導き出せる一番の方法なのだろうし、それこそが「持つべき者の義務」なのかもしれない。

 でも、勉強もろくにできないわたしが眼科医になるなんて。母さんの言う通り、わたしには少し荷が重そうだ。

 それに、目そのものを調べるのは眼科医だとしても、「石」や「眠り姫」の本について調べるには、どんな職業に就けばいいのだろう。地質学者や考古学者、あるいは文学者だろうか。

 よく考えると、やるべきことが多すぎる。そもそも、文系と理系のどちらを選択すればいいのかも、よく分からない。

 わたしはどこから手をつければいいんだ。

「まだちょっと保留でお願いします」

 わたしは、両親にそう答えた。


二十三

 早いものでもう四月も下旬になり、すっかり暖かくなってきた。

 日によっては、制服のブレザーが邪魔なほどの気温になることもあって、学校に着く頃には、ワイシャツに汗が滲んでいる。きょうはまさにそんな一日だ。


「おはよう、なるこ」

 昇降口で、茉莉と挨拶を交わす。

 きょうの茉莉は、珍しく髪をポニーテールにしている。

「か…かわいい」

 思わず感想が口に出てしまう。これはもはや不可抗力だ。

 周辺にいる百人に緊急アンケートを取ったら、間違いなく百人全員が「かわいい」と回答するだろう。

「べ、別になるこにそんなこと言われたくて結んできたわけじゃないわよ。暑かっただけ。それに、あたしは常にかわいいでしょ」

 汗をまったくかかない茉莉でも、暑さは人並みに感じるらしい。暑さで顔が上気した茉莉も見てみたいけれど、それは叶わないので、もっと「かわいい」と言って照れさせてみよう。

「そういえば、バイトは決まったの?」

「うん、結局駅前のあそこ。近いし、週二日からでもいいって言うから」

 まだどうなるかは分からないけれど、盗人岳があの調子では、これまで通りの送金はきっと期待できない。茉莉はこの歳で一人暮らしだし、身寄りもないので奨学金をもらうのは比較的簡単だろうけれど、無理のない範囲でアルバイトを始めることにしたのだ。

 由利やほかの子たちも同様に送金を絶たれるわけで、それについては少し申し訳ない気持ちもある。いきなり生活費が入らなくなって困らないわけがないし、できれば連絡したいのだけれど、わたしには残念ながらその術がない。

 そうはいっても、盗人岳をそのままにしておく方がよほど危ないわけだし、間違ったことはしていないと思うけれど。

 いずれにしても、近いうちに由利のところにその件を報告しに行かないといけない。なにしろ、盗人岳を倒せたのは由利の「直観像記憶アイコニック・メモリ」のおかげなのだ。

「楽しみだね。茉莉があの制服着たら、絶対かわいいし」

「だから、素がかわいいんだから当然でしょ」

 自信満々なその台詞とは裏腹に、その顔は赤らんでいる。

 照れ顔、ありがとうございます。


「はい、今日はここまで。連休が明けたら試験までほとんど間がないからねー。怠けてたら普通に赤点が付く問題にするから、どうぞお楽しみにっ」

 英語の和田先生は若くて美人だけれど、どうも発言の隅々からただならぬSっ気が感じ取れる。「だがそれがいい」という男子生徒(一部女子生徒)も多いというけれど、英語が苦手なわたしからすれば、正直言って恐怖しかない。

 和田先生の言う通り、実のところ中間試験まであと一ヶ月もない。どの授業も試験範囲に間に合わせるべくペースアップしていて、少し気を抜いただけで、要領の悪いわたしは置いて行かれそうになる。

 きのう両親と話したように眼科医を目指すかはともかく、今のわたしが大学に行くべきなのは確かだ。少なくとも、高卒で働くよりは大学で勉強する方が、わたしが求めるものにより近づけると思う。

 そのためにはまず目先の試験で良い成績を取りたいものだけれど、「よい成績を取るぞ」と思ってそう簡単に良い成績が取れるのなら、これまで苦労はしてきていない。

 何をすればいいかは漠然と分かるけれど、頭では分かっても、それを実行に移せるかどうかはまた別の話だ。

「茉莉は試験の準備してる?」

授業が終わって教室の前方に行き、茉莉に話しかける。

「特にしてないわ。というか、公立ってこんなに進度が遅いのね。ここに来てから習った内容、全部去年終わったところなんだけど」

 さすが。

 茉莉がここに来る前に通っていた学校は、私立のそれなりの進学校だ。進学目標に合わせて細かくコース分けがされていて、茉莉はその中でも偏差値が一番高い特進クラスにいたという。そこから普通の公立校に来たのだから、落差に驚くのも無理はない。わたしを追うためだけにそんな学校からここに来たというのもすごい話だけれど。

 ええと、わたしは悪くないよな。

「茉莉さま!! お願いします!!」

 会話に割り込んできたのは、草葉くさはえるだ。

「お願いって、何よ急に」

「このままだと赤点コースなので…どうかお勉強を…」

 えるはわたし以上に成績が悪い。去年も結構な割合で赤点を取っていた気がするけれど、そういえばよく進級できたな。

「あんたねえ。この程度の内容、自分でやりなさいよ。これでダメなら期末はどうする気?」

「まあまあ茉莉ちゃん、そう言わんと。…ほらほら、レーザーポインターの貸しもあるやん?」

 りなのナイスアシスト。でも、その話を教室でするのは物騒なのでやめてほしい。

「わかったわ。どうせこっちが折れるまでその調子でしょ。連休に入ってからでいいわね?」

 こういうとき、何だかんだで断れないのが茉莉のいいところだ。

 大型連休は一週間ほど学校が休みになるけれど、幸か不幸か、特に出かける用事はない。一日だけ、祝日に両親と出かける用事があるくらいだ。

 どうせ家にいても漫画を読むだけで終わってしまうだろうから、今のうちに予定が決まってくれるのはありがたい。そう、当然わたしも茉莉に教えてもらう気満々だ。

「茉莉は、連休中の予定は?」

「三日間だけバイトがあるけど、あとは暇ね。そうだ、由利のところにでも行く? 盗人岳の件、早めに報告しないとね」

「遠足!」

「だから遠足じゃ…って、今回はまあそんなところね。でもあんた、そんなことしてる暇ないんじゃないの?」

「遠足は別腹やんな、えるちゃん」

「うん! 別腹!」

 都合のいいえるの性格は、いつも羨ましい。

 ちなみにえるの女房役のりなは、こう見えて成績優秀だ。

 いつも寝ているくせに、どこで勉強しているんだろう。その睡眠学習の能力、わたしの目より役立つんじゃないか。


「パフェは別腹、パフェは別腹、パフェは別腹…」

念仏のようにそう唱えたえるは、スプーンを手にすると、目の前のいちごパフェをすくい始める。遠足でもパフェでも、何でも別腹だな。

「初めて来たけど、なかなかいい雰囲気やね、ここ」

 わたしも小さい頃に母さんに一度連れられて来たことがあるだけで、ほとんど覚えていなかったけれど、なかなかいい雰囲気の喫茶店だ。駅前の東口の通りにあって、それなりにお客さんも入っているように見える。

「お、お、おおお待たせしました…」

 ドジっ子の店員さんが、期待通りの噛みっぷり(神っぷり)で、わたしのアイスコーヒーを持ってきてくれた。百々ノ津とどのつ茉莉である。

 茉莉はきょうがここでのアルバイト初日だ。友だちが来たということで、マスターがさっそくホールに出してくれたらしい。

 本当はメイド姿がよかったけれど、ポニーテールにエプロン姿もよく似合う。眼福だ。

「あ、アイスコーヒーのお客様…」

 震える手で茉莉がテーブルにグラスとシロップを置く。

 さすがにこぼさないでくださいよ。ワイシャツにコーヒーはやばい。

「茉莉ちゃんかわいい!! 写メ撮っていい?」

「あんた、営業中よ! ダメに決まってるでしょ」

「いいよ、他のお客さんの迷惑にならなければ」

 マスターがそう言うと、茉莉は、「余計なことを…」と小声でささやく。

 マスターありがとうございます。今後も通います。


「ほら茉莉ちゃん、『おいしくな~れ』って! 知っとるやろ?」

「あんた馬鹿なの? そんなことするわけないでしょ!」

 本当にする気がないなら、そんなに顔を真っ赤にしないと思うけれど。

「いけずやなあ、茉莉ちゃんも。まあそういうとこもかわいいんやけど」

 その瞬間、えるのスマホがシャッター音を立てる。りなが茉莉の顔を赤くさせ、えるがすかさず撮影するセットプレーだ。


 あとで画像を送ってもらって待ち受けにしよう。

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